第86話 凱旋の余韻

 ワールドカップといっても、さほど取り上げられることではない。

 それでも今回は日本が優勝し、MVPには唯一二年生から参加した昇馬が選ばれた。

 ベスト9の中にも日本からは四人が入り、特に昇馬は先発ピッチャーの部門でも選ばれている。

 打撃だけなら司朗の方が上であったが、ピッチャーとしての決勝のパフォーマンスが圧倒的であった。

 ピッチャーをやっていない時に、外野のライトで強肩を活かしていた、というのも大きい。

 高校レベルであれば、強力なピッチャーがバッターであることを兼ねるのは、別に珍しいことではない。


 昇馬はオールワールドチームでは、ピッチャーと外野の二部門に選ばれている。

 またMVPの他に、最優秀防御率、最多本塁打タイ、最多得点などの部門も取った。

 司朗は首位打者の他に、最多本塁打タイ、最多打点、最多盗塁の四冠に輝いている。

 最高のピッチャーと、最高のバッターがいた、日本が最強であった、と言えるだろうか。

 それでもその日本に、唯一勝ち星を上げた台湾は、ホスト国としての意地を見せたと言えるだろう。


 そんなワールドカップが終わって、10日少しの後に、秋季県大会本戦がやってくる。

 甲子園に行っていた白富東は、予選は免除で本戦のシードから。

 ここで決勝に残れば、関東大会に出場することが出来る。

 ただ今年は幸運と言ってもいいのだろうか。

 地元千葉での開催のため、三位までが関東大会に進めるのだ。


 基本的に関東大会では、ベスト4に進めば選抜に出場出来ると言われている。

 ただベスト8でも条件が揃えば、出場が可能になるのはよく言われている。

 今年の夏、甲子園の決勝を戦った、白富東と桜印。

 この2チームは主力がまだ残っているため、今年も強力であると思われる。

 神宮大会に出て優勝すれば、それだけで神宮枠が一つ関東に増える。

 またその神宮大会で、東京代表よりもいい成績で終えたら、さらに一枠が増えるのだ。


 東京代表の帝都一は、10年に一人レベルのバッターである、司朗が引退してしまった。

 そのためホームのアドバンテージがあっても、神宮で優勝出来るかどうかも、神宮大会に出場できるかも、微妙なところである。

 去年は桜印が優勝しているが、関東大会では昇馬の負傷があった。

 あれがなければ果たして、と思う人間は多いであろう。


 その昇馬であるが、いささかモチベーションが落ちている。

 夏を連覇し、そしてワールドカップも優勝と、既に充分すぎる実績を残しているからだ。

 これに関しては鬼塚も、ちょっとどういう声をかけていいのか分からない。

 鬼塚は基本的に、努力の人間である。

 もちろんプロの一軍で長く主力であったのだから、充分に天才の分類にはなる。

 だが昇馬のレベルのピッチャーなど、プロの世界でもほとんど見ない。

 ただ全盛期の武史に比べれば、まだまだであるかなと思えるが。


 フィジカルからのパワーが、昇馬の圧倒的な実力に思える。

 だが鬼塚からすると、コントロールを維持する集中力、メンタルの強さもとてつもないものだ。

 プレッシャーから緊張することはなく、むしろ集中力に替えてしまう。

 それがエースとも呼ばれるピッチャーと、普通のピッチャーの違いではないか。

 もっともプロで通用するピッチャーは、誰もがプレッシャーには強い。

 プレッシャーを感じにくかったり、むしろ闘争本能を燃やしたり、集中力に変換したりする。

 基本的に昇馬は感じにくい人間だ。

 しかしここ一番という場面であれば、集中力を発揮して力の入った球を投げる。


 今のままの昇馬は、本当の野球の面白さを知らない。

 鬼塚はそう思うが、そもそもエンジョイベースボールでも、昇馬は構わないのだろう。

 甲子園で活躍して、親戚や地元の人間、また学校の人間に注目される。

 ただ学校においても、昇馬は誰かと深く絡むことはない。

 せいぜいがアルトと一緒に、バスケ部の本職を蹂躙するぐらいだ。




 野球界のことを考えれば、昇馬をなんとかプロの世界に入れてみたい。

 だが昇馬自身にそのつもりがなければ、結局はつまらないものと考えてしまうのではないか。

 ワールドカップの感想などを聞いても、あまりはっきりとしたことは言わなかった。

 だがさすがに鬼塚には答えてくれたのは、期待はずれだった、というものである。


 傲慢なわけではないのだ。慢心もしていない。

 実際にプロの世界では、昇馬を打つバッターはいるはずだ。

 司朗にはそれなりに打たれたし、大介にはまさに負けている。

 もっとも大介の場合は、あくまでも練習という形式であるが。


 一打席勝負とか、三打席勝負とか、そういうことはしている。

 しかしそれは試合の中で、色々な条件が満たされているわけではない。

 また大介の場合は、観客が多いほうが、そのパフォーマンスを高く発揮する。

 それにピッチャーというのは、バッターに勝てばいいというものではない。

 試合に勝つことが、本当に重要なことなのだ。

 もっとも強打者との勝負を恐れていては、ちょっとでもピンチになった時に、逃げ腰になってしまうだろう。

 昇馬は命がかかっている時は別だが、強者との戦いでもそうそう避けることはない。

 野球で死者が出ることなど、滅多にないのだ。


 大介と公式戦で、対戦してみたい気持ちはある。

 だが再来年ともなれば、さすがに44歳のシーズンだ。

 リーグが違ったりすれば、それこそ年に一試合しか対決がないかもしれない。

 そのためにプロの世界に行くというのは、動機が弱すぎるのではないか。

 バッターでは大介など、最強の打者であるが、打率が五割に達することはない。

 もっともボール球を完全に無視していけば、それも可能であるのかもしれないが。

 しかしピッチャーであると、直史のような例外は別にしても、上杉や武史のように、年間無敗の記録がある。

 半年以上をシーズンとして過ごすが、実際にはキャンプやポストシーズンがある。

 もっと好きに試合を選べる、個人競技のほうが良かったのだろうか。


 ただ昇馬はそのパワーでもって、他にやりたいことがあったりする。

 それは世界を見て回るということだ。

 あるいは野球の世界を見てみて、数年間だけやってみてから、旅に出てしまってもいいだろう。

 そうも思うのだが、もっと専門的なことも学びたいとも思う。

 フィジカルモンスターでありながら、知的好奇心も高いタイプ。

 この昇馬をプロの世界に引きずり込むのは、果たしてどういう餌を付ければいいのか。


 三年生が引退し、新しいキャプテンを決めることとなる。

 キャプテンには二つのタイプがあり、それは圧倒的な実力がある場合か、キャプテンシーでチームを引っ張るかという部分にある。

 後者はモチベーションを維持するタイプや、調整型のタイプもいる。

 昇馬やアルトはそういうタイプではなく、真琴もちょっと女というだけで、チームを率いるのが難しくなる。

 また昇馬に合わせてキャッチャーをやり、ピッチャーとしてもプレイしているので、余裕が全くなくなってくるのだ。

 鬼塚はだから、鵜飼にやってもらうこととした。

 一年生の頃からレギュラーであり、内野の要のショートでもある。

 どちらかというと寡黙なタイプなのだが、やることはしっかりやってくれるという選手。

 鬼塚の打診にも、少し考えてから頷いた。


 実力では昇馬が圧倒的であるのだから、その昇馬が認めれば問題ない。

 そして昇馬はこれに納得した。

 今ではベンチメンバーから、キャプテンが選ばれるというのも、なくはない時代である。

 単なる実力だけで、選手たちは納得しない。

 特に白富東の場合は、ずっとそんな感じであったのだ。

 それに内野であると、タイムを取って集まった時に、意思の統一がしやすい。

 もちろんキャッチャーにそれを、任せてしまってもいいのだが。


 鵜飼は頭脳的に、守備位置を微調整している。

 なのでシフトにしても、ちゃんと理解が出来るのだ。

 キャプテンが決まってすぐに、秋季県大会本戦が始まる。

 シードから始まる白富東だが、秋季県大会は基本的に、土日で消化していくものなのだ。




 甲子園に出場したチームが、秋には弱くなっている、ということは珍しくない。

 それは主力の三年生が引退し、新チームへの移行期間が、県大会で敗退したチームよりも短い、ということが理由である。

 もちろん名門強豪校は、それまで二桁の背番号であった選手が、普通に一桁のレギュラーにスライドしてくる。

 選手層の厚さというのは、名門が名門でい続けるために必要なものだ。


 それでも今年、帝都一などは大きく戦力ダウンしている。

 司朗に代わる戦力など、いるはずもないからだ。

 もっとも白富東は、来年の秋にはシードを取れるかも微妙なところだろう。

 打線や守備はそこそこ、今の一年生が補ってくれる。

 ただピッチャーがいないということが、どうしようもない弱点なのだ。


 そもそも白富東は、セイバーが全面的にバックアップしていた時代が、黄金時代であったのだ。

 今も色々と、伝手を使わせてはくれる。

 だがかつてのように、大規模な援助がないのは、充分に鬼塚やその周辺で、対応出来るという話でもある。

 もっとも白富東は、県内ベスト16を維持する程度でいい。

 体育科なども作ったが、今では他の部活がこの枠で生徒を入学させていたりする。

 たとえば弓道部などが、その例であろうか。


 何かに特化した人間が、入ってくることが多い学校である。

 野球はプレイは楽しむ程度で、見るのが専門という生徒も多い。 

 今の二年生までは、そういう生徒が多いのだ。

 一年生にも少なくないが、それでも一年目の昇馬の活躍を見て、ある程度の実力を持つ生徒が入ってきた。

 この秋からはむしろ、より強くなっているだろうか。

 しばらくなかった、春のセンバツと夏の選手権の連覇。

 白富東が夏に勝てば、現代の先行区分になってからは初めて、夏の三連覇が達成されることとなる。


 鬼塚が知っているのは、桜印もおそらく今年が、一番強いチームになるということ。

 帝都一もそれなりに強いが、司朗の代わりはいない。

 チーム力でどう戦うのか、それがジンの悩みではあろう。

 ただ全国制覇ではなく、甲子園を普通に狙っていくのも、監督としては重要なことだ。

 とにかくチームとしては、甲子園に出場することを繰り返していけば、いい循環は出来るのだから。


 県大会も二回戦からは、シード校が登場する。

 その中の新戦力を確認するため、偵察を他の球場に出している鬼塚である。

 自分たちのチームの試合は見られないが、これはこれで重要なことなのだ。

 最後の夏にまた、甲子園に出場するために。

 とりあえず勝ち進んだ白富東は、すぐにベスト4までは勝ち残った。


 鬼塚が気にしているのは、他の県の代表である。

 いくら偵察班があると言っても、さすがに他の県であると、なかなか人数を派遣することが出来ない。

 これが強豪校であると、他県であっても偵察を派遣する予算がある。

 そもそも映像を撮影するだけではなく、その時のベンチの様子がどうであったかなど、人間の事前知識は必要となるのだ。


 センバツの難しさは、出場数が少ないということもあるが、チーム作りの期間にある。

 ほとんどのチームにおいて、主力は三年生が最も多いであろうからだ。

 大人数のチームであって、グラウンドも二面あったりすると違うが、強豪校でも専用のグラウンドを持っていないところもある。

 それでも戦力を維持することが、強豪の証なのであろうが。

 フィジカルのトレーニングはともかく、試合の経験はとにかく多く積む。

 まさに実戦こそが、最大の練習となることも確かだ。




 白富東はその点、専用グラウンドを持っている。

 ちょっと離れてはいるが、練習用の小さなグラウンドもあったものだ。

 ロッカールームの用途もある、クラブハウスもどきまで持っている。

 これらは全て、寄付などで賄われたものである。


 アメリカの高校や大学には、かなり恵まれた施設がある。

 しかしそういったクラブに入るのは、選ばれた者だけとなっているのだ。

 もちろんエンジョイのための野球なども、普通に行われたりはする。

 だが大学でベースボールをするとなると、奨学金をもらってプレイしている学生が多くなってくる。


 これは野球だけではなく、特に四大スポーツでは普通のことだ。

 もちろんそれ以外の、個人競技でも同じように奨学金が出る。

 日本にしても大学で、スポーツ選手に奨学金が出たり、入学金や授業料が免除にはなったりする。

 そういった点では既に今の時点で、鬼塚に接触してくる人間はいるのだ。


 白富東は長い歴史を誇る、名門の公立校である。

 多くの私立大学のみならず、一部の公立大学にも、推薦枠を持っている。

 昇馬に加えて、アルトにもプロ以外から、注目は集まっているのだ。

 スカウトが見ているという点では、既に和真さえも、その範疇のうちである。


 この秋季大会を白富東は、問題なく勝ち進んでいった。

 ベスト4に残っていたのは、他にトーチバ、東雲、勇名館の三校。

 どこも私立の、過去に甲子園の出場実績ある学校である。

 これが土日に準決勝と決勝を行い、関東大会への出場を決める。

 今年は地元なので三位まで、とやや楽な展開となっている。

 白富東に昇馬という絶対的な存在がいる限りは、今の二年生にとってはセンバツに出ることが、ほぼ唯一の甲子園に行く機会。

 圧倒的な強者がいる都道府県では、センバツへの出場権を得るかどうかが、一番の問題となっていくのだ。


 ワールドカップから戻ってこちら、まだ昇馬のモチベーションは戻ってきていない。

 おそらく強力な敵と対戦することで、闘争心が戻るのではないか、と鬼塚などは思っているが。

 八分の力で投げてしまっても、普通に県大会の後半までは、相手を圧倒してしまえる。

 実際に白富東は、三年生引退後の新チームにおいては、コールド勝ちの連続。

 一年生のピッチャーを使って点を取られても、それ以上に点を取っている。

 三位までに関東大会出場資格があるのだから、一見すると楽なように思える。

 だがもしも優勝できなければ、いきなり一回戦から、他の県の優勝チームと当たる可能性が高くなるわけだ。

 たとえば桜印が神奈川で優勝すれば、その可能性も出てくる。


 センバツ出場の基準が、およそベスト4というのは、間違いではないが正解でもない。

 たとえば白富東と桜印が、一回戦で激戦を繰り広げたとする。

 そして勝った方がその後、圧勝で神宮大会まで制してしまえば、それを一番苦しめたチームもまた、センバツに選ばれるべきではと考えられるだろう。

 そもそも白富東と桜印は、夏の決勝で死闘を演じた相手である。

 双方のエースがそのまま残っているのだから、戦力はそれほど落ちていない。

 また上位に神奈川勢ばかりや、千葉勢ばかりが残っても、1チームしか選ばれない場合はある。

 今回は千葉がベスト4に3チーム残っても、おそらく2チームまでしか選ばれないであろう。


 なお神奈川県の大会も、既に行われている。

 都道府県でチーム数が変わるし、また東京だけは特別なことから、この時期は色々とずれ込む。

 桜印も順調に勝ち進んでいて、どうやら今年は去年よりも強くなりそうだ、と言われている。

 昇馬としては将典などが、さらに成長することは織り込み済みだが。

 問題は冬の間に、どれだけの戦力アップが可能であるかだ。

 そしてセンバツにおいても、どのような結果になるのか。


 あるいは神宮大会まで行かずとも、練習試合を大量に組めば、充分に戦力の底上げにはなるのかもしれない。

 少なくとも桜印は、今までに白富東は勝っても、昇馬に勝ったと思ったことはないだろう。

 アクシデントではなく、実力で勝つためにこの冬が、最後の戦力の底上げ期間となる。

 甲子園ではあと一歩、足りなかったのだ。

 センバツなどは昇馬に球数を投げさせて、帝都一が優勝することをアシストしてしまったこともある。

 あの舞台で、白富東に勝利する。

 桜印の掲げる目標は、優勝ですらなくなっていたのかもしれない。

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