第84話 DH

 決勝戦にはDHを使用する。

 木下の決定に対して、昇馬は遠慮なく質問した。

「なんで?」

 ここまでの日本の得点に、昇馬が多く絡んでいたのは間違いない。

 もちろん木下としても、昇馬の打撃力を評価しない訳ではないどころか、司朗に準じるものだと思っている。

 単純なパワーであれば、むしろ上であろうとも。

「バッターボックスに立った時の、不慮の事故を防ぎたいからや」

 この場合の事故というのはもちろん、故意によるデッドボールである。


 台湾とはそういうことをするチームなのか。

 そんなことは考えずに、昇馬は頷いた。

「了解」

 昇馬は昇馬で、自分の能力をどう活かしたらいいのか、分かっている部分もある。

 とにかくピッチャーとして、圧倒的に台湾打線を制圧する。

 他のピッチャーに頼るよりも、昇馬一人の方が安全。

 7イニングだけならば、充分に考えられる。


 一点とってくれれば、どうにか勝ってしまえる。

 そんなピッチャーなのだと、日本では理解してしまっている。

 司朗のようなバッターが、二人いるチームであれば、昇馬から得点も取れるだろう。

 だがそんなチームは、日本代表だけである。

 年代別では日本も、決して絶対的な強さというわけではない。

 それなのに昇馬一人が加わっただけで、一点で勝てるチームになっている。


 日本代表に限らず各国の代表は、多くが最年長学年ばかりで構成されている。

 だが目的のために年代の下から選ぶなら、もう少し選手層に厚みが出るだろう。

 もっとも日本代表がさらに、その理屈でメンバーを選べばどうなるか。

 将典がいてくれたなら、もっと楽に日本代表は優勝できたはずだ。

 他にも二年生の方が、少なくともピッチャーはタレントが揃っている。


 つまるところ年代別と言っても、本当にほぼ最高学年だけで構成されている。

 またその選手があまりにも微妙なので、昇馬は調べてもらったのだ。

 すると明らかになったのは、アメリカはそれなりの選手は、出場していなかったりする。

 もっとも日本も三年生が怪我で抜けたので、昇馬が召集されたのだが。


 決勝戦の前の夜も、全く問題なく眠ることが出来た。

 この大会も一応は、ネット配信で日本でも見られるらしい。

 だが甲子園などは、地上波で放映されているものなのだ。

 同日には三位決定戦が行われるが、他の順位はもう決まっている。

 グループリーグでは勝率が同じであった場合、直接対決の勝者が上位とされていた。

 しかしこのランクの決定は、得失点差で決まるのだ。


 どのみち決勝に残った日本には、関係のないことである。

 あとは決勝で試合に勝てばいい。

 眠れない夜を過ごす選手も、ある程度いるだろうか。

 もしもいるとしたら、それは甲子園でやり切れていない者。

 この大会をもプロのスカウトへの、最後のアピールと考えている者だ。




 ドラフトの指名に関しては基本的に甲子園が終われば、そこで編成が指名を決定して行く。

 ただ甲子園の後にも国体などはあって、ドラフトが行われるのはその後であるのだ。

 最後のギリギリまで流動的であるし、当日さえポジションが埋まっていったなら、指名の優先度が変わる。

 とはいえ今年は、司朗に指名が集中することは間違いないだろう。

 国体が終われば司朗は、ちゃんと意志を表明する予定である。


 昇馬はただ一人の二年生であるが、ちょっとそれとは別に特別扱いされている。

 プロ野球で言うならば、助っ人外国人のようなものであろうか。

 司朗がいないところで、司朗が果たしてどういう志望なのか、知らないのかと尋ねられたこともある。

 昇馬としてはどうでもいいことなので、司朗に尋ねてみたこともない。

 だから知らないと答えるし、聞き出そうとも思わない。


 そんなにプロに行きたいものなのかな、と昇馬は考える。

 彼はこれまでの人生で、大きな世界を見てきていた。

 プロの世界というのも、確かに巨大な世界ではあるのだろう。

 だが昇馬がやりたいのは、さらに大きな世界への探求だ。

 野球で金を稼ぎたいという、アルトなどの意見を否定するわけではない。

 ただ自分は、そういった選択も出来る。

 どうしてもやりたいというわけではないのだから、他の人間にそのポジションを譲ってもいいのだ。


 才能がある者は、その才能を活かせることをすればいい。

 自分がやりたいことをやろうとするより、結果的にはそちらの方が幸福になりやすい。

 いや、幸福と言うよりは、安心と言うべきであろうか。

 もっとも人間の人生には、必ずリスクというものがある。

 あるいはコストと言うべきであろうか。

 野球の上達に使った時間は、他のことにも使えるものだ。

 そして野球の技術だけというのは、他になかなか応用が利かない。


 こういった思想を持っていたのは、直史である。

 司朗や昇馬のような、最高レベルのプレイヤーから見ても、圧倒的な実績を残す直史。

 フィジカルに劣るわけではないが、フィジカルモンスターというほどでもない。

 だからこそプロに行くなど、選択肢に上がらなかったという。

 それが今は、世界最強のピッチャーであるのだから、野球はフィジカルだけではどうにもならない。

 もっともフィジカルに優れていた方が、より成功しやすいのは確かだ。


 ピッチャーの精密動作は他のポジションと比べても、確実に特殊能力と言えるものだ。

 動きだけではなくメンタルが崩れても、コントロールが定まらなくなる。

 もっとも昇馬としては、フィジカルを正確にし、技術を磨くのみ。

 怖くなるようなものを経験していない。

 敗北すら恐れないのでは、野球の楽しみの半分しか知らないことになる。


 簡単に出来てしまうことには、興味を抱かない。

 昇馬はその点では、幸福になりにくい体質をしている。

 山や森の中を歩くのは、そこには意外な死が存在するから。

 人間としての感覚が、昇馬は少しずれている。

 あるいは日本人らしくない、と言うべきなのであろうが。

 平和ボケしていたため、ツインズはイリヤを守れず、自分もハンデを背負うことになった。




 ワールドカップの決勝は、前日と同じカードとなった。

 地元台湾が昨日、世界ランキング一位の日本に勝っているので、優勝の可能性も高いと、煽るメディアもいた。

 もっともちゃんと見ている人間は、日本が最強のエースを温存していたことを知っている。

 おそらくは勝てないであろう。

 だが勝てるとしたら、どういう試合になるのだろうか。

 結局は見たがるという点で、同じことなのだ。


 一万人以上の観客が入ったため、外野席まで開放している。

 およそ二万人は入ったというのが公式の発表で、それがほぼ全てアウェイなのである。

 日本から来ているマスコミや、プロのスカウトというのはいる。

 この大会は国外のものであり、そういった状況でどういうプレイが出来るか、それを見に来たのだ。

 日本のスカウトは、日本でさえ通用してくれればいい。

 だがアウェイでの試合は、そのメンタルを見ることが出来る。


 とりあえずプロ注目の選手の、評価はそれほど変わらない。

 ただひたすら、昇馬と司朗が抜きん出ている、と証明されるのみだ。

 その中でも特に、昇馬はピッチャーとしてもバッターとしても、高く評価されている。

 セ・リーグに入ったのならば、ピッチャーでも九番には置かれないかもしれない、というぐらいに。


 だが可能性はむしろ、パ・リーグにあるのではないか。

 ピッチャーは投げるのが専門のため、打撃を免除されている。

 DHという制度があるのはそのためだ。

 このDHが他のポジションにも使えるなら、バッティングに難のある守備型選手が所属する球団は、昇馬を獲得する意義があったろう。

 ちなみにソフトボールだと、そういう役割のDPというものがある。

 ただこういうことも言える。

 打撃力がDHと同じぐらいあるなら、守備の練習はピッチャーのものだけでいい。

 ピッチャーが野手としての練習も全てするのは、かなり難しいだろう。

 だが外野守備や内野守備を捨てるなら、充分の投打両立は可能ではないのか。


 木下は昇馬の打撃力を、高く評価している。

 ただこの決勝戦に関して言えば、とりあえずピッチャーに専念してほしい。

 点を取るのは他のバッターに任せる。

 球数制限がないのなら、バッティングも任せたかもしれないが。

 そして打順は、昇馬だけではなく司朗も動かした。

 三番打者として、そして四番にDHを置く。

 この大会のルールでは、DHを解除することが認められている。

 いざとなれば代打のように、昇馬を四番で送りこめばいい。


 先攻と後攻、日本は先攻を取れた。

 とにかく一点を取れば、圧倒的に有利になれる。

 もっとも昇馬のピッチングを、最初に見せ付けておいても良かったかもしれない。

 そのあたりの判断は、監督により違うのだから仕方がないだろう。




 台湾は台湾で、継投で日本を抑える作戦である。

 こういった国際大会は、本来エース一人ではなく、ピッチャーの枚数を多く揃えた方が勝つのだ。

 それは過去のWBCなどを見ても、間違いないと言えるだろう。

 ただWBCなどは9イニングの勝負なのだ。

 球数制限にしても、一人で投げるのは難しいものになっている。


 あくまでも今年の日本代表に限れば、昇馬一人で投げた方が、7イニングは勝てるのではないか。

 野球はピッチャーで九割決まる、とも言われる。

 実際のところは高いレベルになれば、相手も同レベルのピッチャーになってくる。

 事実、昇馬は甲子園の決勝、桜印相手に1-0で勝っている。

 確かにピッチャーの力で勝ったが、同じく取れたのは一点のみ。

 真琴の怪我もあって、かなり紙一重とも言える勝利であったのだ。


 初回に日本は、先取点を取ることには失敗。

 ツーアウトを取られてからは、司朗が敬遠気味に歩かされた。

 ホームゲームだからこそ、これは許されるようなものだ。

 それに明らかな申告敬遠ではないし、大介ならば打っていったであろう。

 また四番に昇馬が入っていれば、歩かせるという選択も難しかったはずだ。


 試合中に監督の采配に、何か疑念を生じても口にはしない。

 その程度の常識は、昇馬も持っている。

 この先攻において日本は、結局ランナー残塁で終わる。

 台湾は昨日と同じく、打線の方は変わっていない。

 日本代表がそれなりの継投をして、それでも四点を取られたという打線だ。


 昇馬を上回るピッチャーはいない。

 日本代表だけではなく、台湾代表の方でもそうだ。

 短いイニングを確実に投げて、ロースコアゲームに持ち込む。

 そのつもりであったろうが、昨日のスコアは4-3だった。

 昇馬はこの大会、正直なところ失望している。

 自分を打てるバッターは、結局まともにいなかった。

 アメリカのランドルフにしても、対決の機会はなかった。

 チームの優勝のためとは言えるが、それで移動日なども含めて、10日以上拘束されている。

 昇馬は自由を愛する人間なだけに、こういったものが苦手なのだ。


 プロの世界に行くというのなら、同じように我慢するしかない。

 それでもまだNPBならば、先発ピッチャーには相当の自由度がある。

 ただクローザーをやったり、あるいはMLBに行ったりすれば、野球に占められた生活となる。

 そこまでして野球に、身を捧げるべきものであるのか。

 才能がありすぎるがゆえに、昇馬はモチベーションの問題を抱えている。

 もっとも甲子園を巡る高校野球は、仲間との試合をするという点で、それなりに楽しめているのだ。




 昨日はバッターとして出場し、相当に勝負を避けられていた。

 野球というスポーツは、ピッチャーに主導権がある。

 勝負を避けたいと思われれば、どうしようもないのだ。

 だが逆にピッチャーとしては、バッターを避けることが出来る。

 昇馬としてはもちろん、そんなことはしないのだが。


 一回の裏、台湾の攻撃である。

 台湾の野球というのはまだ、ピッチャーが160km/hに到達していない。

 もちろん高校生であると、さらにその上限は低くなる。

 それでもしっかりとアメリカに、勝っているのが台湾だ。

 なおリードされていたアメリカは、やはりランドルフは投げていない。


 ただアメリカは160km/h台であれば、他に二人のピッチャーがいたのだ。

 日本も台湾も、そこをちゃんと攻略して、点を取っている。

 ただ速い球を打つだけなら、司朗がいくらでもやってくれる。

 対して台湾の投手陣は、どうやら配球などで勝負しているらしい。

 日本の昔のスモールベースボールに近いところがある。


 台湾はもちろん、160km/hオーバーの対策をしてきている。

 マシンであればいくらでも、それを再現することは出来るのだ。

 だがそれはあくまでも、速いだけの機械の球。

 目を慣らす程度にしか、実戦では役に立たない。

「だけどまあ、緩急はつけていこう」

 この大会で昇馬と組んだ高島は、序盤は配球の齟齬があった。

 それも仕方のないことで、続けて行くうちに息が合ってきている。

 バッテリーはあまり、息が合いすぎてもまずいのだが。


 初回から昇馬は、二者連続三振を奪う。

 そしてやってきたのが、比較的小柄な三番バッター。

 ショートを守りながらも、この体格で大会、一本のホームランも打っている。

 体格で油断することは、絶対にないのが昇馬である。

 だが全力で投げたストレートにも、どうにかバットを当ててきた。


 手元で動く球ではなく、スラーブも使ってみる。

 これにもどうにか当ててきたので、仕方なくチェンジアップを使う。

 ここでバットを止めて、ボールカウントが増える。

(なるほど、それなりにやるやつもいるんだな)

 高打率で打点を稼いでいる選手というデータであったが、ここまで昇馬に対応出来るのか。

 三打席は確実に回ってくるだけに、下手なことは出来ない。


 あまり球数も使っていられないが、下手に投げることも出来ない。

 もう一度スラーブを使ってから、最大のストレートを投げる。

 これで空振り三振であるが、よくもバットを振れたものだと感心する。

(まあアメリカにも、スピードには対応してきたやつはいたからな)

 世界大会であるのだから、司朗レベルがゴロゴロとしているのか、とも思ったものだ。

 だがさすがにそうそう、司朗レベルはいないらしい。

 初回の始まりは0-0のスコア。

 ただし内容を言うのならば、日本の方に圧倒的に、有利とも言えるようなピッチング内容であった。

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