第81話 国際試合
昇馬は日本以外の国で野球をしたことがない。
アメリカでやっていたのは、あれはベースボールであるのだ。
「野球は真剣勝負で、ベースボールはショー」
文化的にはアメリカ流の思考をしていてもおかしくない昇馬だが、性分としては日本の方が向いている。
変にプレッシャーが大きすぎて、それに潰されてしまうのが野球の世界。
特に昭和などはそうであった、とは聞かれる話である。
根性論では本当のメンタルは鍛えられない。
とにかくプレッシャーをかけ続けて、鋼の精神を養うという考え。
現代ではプレッシャーのコントロールこそが、重要だと言われている。
その点では昇馬は、圧倒的な実力でもって、メンタルを必要としない領域に達している。
あるいは「負けても死ぬわけではない」という精神状態で、平静を保っている。
日本の高校野球にはいまだに、甲子園に出られるなら壊れてもいい、というぐらいの考えを持っている人間がいる。
さすがに指導者からは排斥完了しつつあるが、選手自身がそう考えていたりする。
「とりあえず打順やけどな」
長打力や打率のどちらかならともかく、両方を高いレベルで備えているのは、昇馬と司朗。
そしてケースバッティングの対応力では、司朗の方が優れている。
「一番か」
昇馬は白富東と同じく、一番バッターに入る。
司朗を二番に置いているのは、走力もあるからだ。
とにかく先制パンチで殴りつけ、一気にコールドで勝利する。
これが日本代表の、弱い相手への戦略である。
コールドがあるのだから、そこは間違いではない。
ただ実力差がどれくらいか、そこのところの評価はしなければいけないだろう。
このあたりは高校野球とは全く違う、戦力の運用が求められる。
優勝を目的として、決勝はアメリカか台湾と考えるのだ。
「韓国は?」
「なんだか最近急に弱くなりだしてるんだよね」
「へ~」
日本の他にはアメリカとキューバぐらいしか、興味のない昇馬である。
もちろんメジャーリーガーには、他の出身の選手もたくさんいるが。
もう片方のリーグにしても、台湾と韓国の他には、スペイン、プエルトリコ、オーストラリア、パナマという国が入っている。
アメリカ系のベースボールと、東アジア系の野球で、二つの潮流があると考えればいいだろう。
そして短期決戦であれば、野球の方が強い。
特に甲子園のある日本が、圧倒的に戦術などでは優れている。
野球はホームラン競争ではないのだ。
そう言いつつも、一番と二番に大砲を置いている木下に、メディアはツッコミを入れるのだが。
「だって走れるから」
木下の返答も簡潔であった。
毎日毎日試合をして、優勝するまでに九試合を行う。
グループのリーグ戦で当たった相手とは、スーパーラウンドでは二度目の試合をしなくてもいい。
なのでアメリカと二度戦うとしたら、それは決勝戦の相手となる。
リーグ戦の勝率全てで、決勝に進出するかどうかが決まる。
まずアメリカに勝ち、台湾と韓国に勝つ気持ちで戦う。
なお台湾はホームアドバンテージもあるため、かなり有利になることが予想される。
昇馬の能力の把握というのが、木下のすべき最優先事項だ。
他の合宿で顔を合わせていたメンバーと違い、昇馬とはこれまで面識がなかった。
ただあの父と、あの伯父を持っていて、あの成績を残している。
先発でもリリーフでも、どちらもこなせるメンタルもある。
ちょっと見ていただけだが、他が全て三年生というのに、ふてぶてしさすら感じさせる。
まあ他のメンバーのほとんどは、昇馬に勝てないと分かっているのだろうが。
台湾に移動して翌日、もう大会が始まる。
初戦はオランダ戦であり、昇馬は外野として一番で出ていた。
オランダがヨーロッパで強いのは、もちろん本土でもそれなりの、選手がいないではないが、多くがキュラソー島の出身選手によるものだ。
カリブ海のこの島は植民地時代の遺産である。
だが今さら独立しようにも、移民などで完全に、元の文化などは消滅している。
そしてこの15万人ほどしかいない島から、メジャーリーガーを輩出している。
WBCなどでもメジャーで活躍しながら、国籍はオランダのためそちらから参加する選手はいる。
サッカーの国際試合と比べると、野球はそのあたりがかなり甘いのだ。
もっともキューバなどは、本国の意向であまり、メジャーの選手が使えなかったりする。
それでもこの年代なら、普通にキューバは強かったりするのだが。
だいたい亡命してメジャーで殿堂入りというのは、珍しくもないものである。
試合前の練習などを見ていても、なるほどと昇馬は納得する。
これは昇馬がよく知っている、ベースボールであるのだ。
台湾はグループAとグループBで違う球場で試合を行う。
リーグ戦は基本的に一日三試合だが、投げているピッチャーは主力ではないらしい。
「オランダは日本戦ではピッチャーを消耗させない計算なんやろな」
木下の説明は、背景となる知識がないと、理解するのが難しい。
日本の所属するグループBからは、上位3チームがスーパーラウンドに進出する。
実力としては南アフリカが圧倒的に弱い以外は、それなりにどのチームも勝機がある。
ただピッチャーをどれだけ集められているか、それが問題となるだろう。
球数制限が基本的に、40球というのが厳しい。
昇馬であっても4イニング投げるのが、限界といったところだろうか。
先攻はオランダで、実は相当に今回は選手が揃っている。
普段はアメリカで暮らしている選手でも、両親の国籍がオランダであったりすると、オランダチームとして出られるのだ。
FIFAの管理するサッカーでは、もっと厳密に定められているらしい。
もっとも日本としても、相手の戦力をどう評価するか、それが難しかったりする。
日本の先発は、尚明福岡の宗像。
バッティングの印象が強いが、サウスポーでエースであったのだ。
白富東に負けているピッチャーその一とでも言うべきか。
尚明福岡も夏、センバツ、夏と三度も白富東に負けているのだ。
日本の高校野球が、果たしてどういうレベルであるのか。
昇馬はライトから、試合の様子を見守る。
先頭打者からオランダは、しっかりとフルスイングしてきた。
見事にセンターの頭を越えるかと思ったら、そのセンターの司朗が追いついてしまった。
全力で走って、ボールが落ちてくるところで振り返る。
基本的な技術ではあるが、基本だからと言って簡単なわけではない。
二番に対しても、宗像はフライを打たれる。
ただこれは昇馬の守備範囲で、余裕でキャッチ出来るものであった。
(ベースボールだなあ)
ストレートをしっかりと狙ってきているが、宗像はもっと大きく変化するボールを持っていたはずだ。
(温存してるのか?)
もっとも日本の場合、このワールドカップでは不利な点がある。
それは情報収集という面である。
今さら言うまでもないが、日本の高校野球は国内ならばどこでも、公共放送で見ることが出来る。
つまりその映像をしっかりと、確保することも簡単なのだ。
公式戦で投げているデータが、10試合以上も存在する。
その気になれば地方大会でさえ、地方のテレビ局でかなり放送しているのだ。
(けれどまあ、対応出来るか?)
三番打者は内野フライに打ち取る。
データの少ない相手との対戦は、高校野球でも地方大会なら、普通にあることなのだ。
とりあえずオランダは、打者に長打を打てる選手を揃えているのは分かった。
あとはピッチャーがどういうものであるかだ。
(三連投までしか出来ないってのが痛いな)
圧倒的に格下の南アフリカ戦が、日本は第五戦となる。
そこでピッチャーを休ませるのだが、他のチームは世界ランキングが高いのだ。
アメリカは二位、メキシコが五位、ベネズエラが六位といったところである。
さらにオランダも七位であり、もう片方のグループよりも強いチームが揃っている。
もっともあちらも、台湾と韓国の他に、パナマやプエルトリコ、オーストラリアもそこそこ強い。
スペインは弱く、ランキングが20位台である。
こちらにも南アフリカがいるので、これはホスト国である台湾が、ある程度楽になるグループ構成とも言えるのか。
ただこれはアジア一位の日本と、二位の台湾に三位の韓国を、別のグループに割り振るという意図があってのこと。
WBCでもないのだから、それほど注目されているわけではないのだ。
球場においても、観客数はせいぜいが500人ぐらいだろうか。
「それでも日本は台湾の隣国だし、けっこう多いほうらしいけど」
一回の裏の攻撃の前に、司朗がそう教えてくれる。
そして昇馬は一回のバッターボックスに立った。
オランダの先発はサウスポーである。
持っている球種にスライダーがあると聞いて、昇馬は右打席に入っていた。
一応事前データとして提出する、投げる手と打つ打席は、どちらも両方と書いておいた昇馬である。
ただ実際に右に入った姿を見て、あちらは少し動揺したらしい。
(後ろにシロちゃんがいると思うと、一発を狙わなくてもいいと思えるよな)
昇馬は初球、外角に入ってきたスライダーを、右方向に叩き返す。
フェンス直撃のツーベースが、昇馬の第一打席であった。
バッティングにおいては、重要な問題がある。
それは相手の甘い球を打つか、あるいはあえて決め球を打つか、という問題である。
普通のバッターは必ず、好球必打を心がけるべきである。
だが司朗は、相手の決め球を狙って打つことも出来る。
(150km/hは出てないなあ)
ピッチャーの輩出という点では、メジャーでも大きな実績があるのが日本である。
そしてこの大会には、甲子園で活躍したピッチャーだけではなく、甲子園に出場できずに元気一杯、というピッチャーも出場しているのだ。
観客の中にはしっかりと、NPBのスカウトもいたりするというか、12球団が揃って来たりしている。
基本的にスカウトは、夏の大会の地方大会で、高卒選手の価値は判断する。
しかし甲子園で評価が落ちたり、逆に上がったりする選手もいるのだ。
そして甲子園に出場していないながらも、この代表に選ばれたりしているバッターは、スカウトへのアピールの最後のチャンスである。
たとえば今日のスタメンに入っている、浦和秀学の富樫などは、甲子園は花咲徳政に準決勝で負けて出場出来なかった。
白富東とは、関東大会の他に練習試合で一度、対戦している。
昇馬としては印象が薄いが、右の大砲ということで、スカウトは充分に指名の範囲内と考えているのだ。
それはそれとして、司朗はあえてスライダーを打っていった。
左方向の打球は、これまた外野の頭を越えていく。
二者連続のフェンス直撃長打で、まずは昇馬が戻ってきて一点。
ノーアウトのままランナー二塁と、チャンスは変わらない。
相手チームの先発も、考えてみればこの大会の最初の登板なのだ。
宗像も司朗が追いついてくれなければ、あれは長打になっていた。
(立ち上がりは難しいんだろうな)
そう思っている間に、またも日本はクリーンヒット。
ノーアウトのまま一三塁と、ほぼ一点は取れる状況になっている。
ここで初めて、日本は凡退した。
内野フライでは三塁の司朗が俊足でも、ちょっとタッチアップは難しい。
だが五番に入っていた富樫は、レフトの定位置やや深めに、外野フライを打ってくる。
ならば司朗の足ならば、充分にタッチアップで帰ってこられるのだ。
初回から二点を先制。
日本優位のまま、試合は展開して行く。
二打席目、代わった右腕から、左のバッターボックスに入った昇馬は、ソロのホームランを打っていた。
そして続く司朗も、ホームランを打ってアベックホームラン。
考えてみれば今年の甲子園で、打ったホームランの多い順の、一番と二番であるのだ。
打撃は好調の日本であり、守備でも相手の長打を防ぐ。
連打されなければ、そうそう点を取られることもないのだ。
だがさすがにあちらも国の代表だけあって、完全に封じるところまではいかない。
それでも点差はある程度つけて、日本は安全圏で試合を進めていた。
すると昇馬の、ピッチャーとしての出番も必要ではなくなる。
「終わるの早いな」
「コールドの感覚にちかいからね」
SK砲とでも呼べばいいのか、昇馬と司朗の二人で、六打点を稼ぎ出していた。
チームとしては11点を取っていたが、オランダも無得点というわけではなく、二点を取っている。
なので七回までは終わって、コールドゲームとはならなかった。
昇馬の感想としては、日本代表は選抜されたメンバーであるのに、しっかりと内野の連携などが出来ていたな、というものである。
それに比べるとオランダチームは、かなり攻撃も守備も大味なところがあった。
まあ日本であっても高校野球レベルなら、下手なことは教えないで、フィジカルを鍛えるだけという指導者もいる。
さらに上積みすべきものは、プロに行くなり大学に行くなりで、教えてもらえばいいだろう、というものなのだ。
同じ球状では次に、メキシコとベネズエラの試合が行われる。
昇馬としては出来れば、その次のアメリカの試合までも見ておきたかった。
だが一人で残るには、台湾はそこまで英語の話者もいない。
なので仕方なく、試合の中継を見ればいいか、という判断になる。
もっとも今日のアメリカは相手が南アフリカなので、ピッチャーは温存してくるだろう。
そういった事情もあると、わざわざベンチの気配までも探る必要はないか、という結論になるのだ。
今日の昇馬は三打数三安打で、打率が10割であった。
だが司朗も三打数三安打で、しかもホームランを二本打っている。
「ちょっと張り切りすぎたかな」
これで相手は警戒してきて、勝負がされにくくなるかもしれない。
もっとも続く三番からの打線も、かなり機能しているのは確かなのだ。
メキシコとベネズエラの試合は、ピッチャーの球数制限が厳しいこともあってか、打撃戦となった。
11-6というスコアで、メキシコの勝利である。
そしてアメリカは10-0の五回コールド。
優勝候補の一角としての力を見せたが、それよりも南アフリカが弱かったと見るべきであろうか。
そもそもあまり、野球が盛んな国でもないのだ。
続く二日目は、メキシコとの試合。
昇馬の初回、先頭打者ホームランで試合は始まった。
ただメキシコが驚いたのは、そこではなかったであろう。
日本はこの試合、DHを使っていない。
つまり昇馬が先発しているのだ。
昨日の試合では控えに回っていた、キャッチャーの高島。
公式戦のマウンドから、全力で投げられる昇馬のボールをキャッチする。
だが実は全力と思ったのは、高島の方だけだ。
スタンドで球速を測っていたスカウトは、まだ161km/hしか出ていないのか、と肩が暖まっていないのだと認識する。
台湾はほぼ南国なので、肩を作るのは比較的簡単だ。
しかし昇馬は、キャッチャーがボールに慣れるのを待っていたのだ。
アジアのピッチャーは基本的には、150km/h台のボールで勝負をする。
もっともこのピッチャーだけは、160km/hオーバーを平均で投げてくる、とはデータを取っている。
実際に試合のスコアを見ただけで、その怪物っぷりは分かるだろう。
今年の甲子園も一回戦で、桜島相手に23奪三振を奪っている。
他のアウトは四つだけ、というのがなんともおかしな数字である。
今日の日本代表は早めに球場入りし、前のアメリカの試合を見ている。
オランダと対戦したアメリカは、4-3というスコアでリードし、クローザーを投入した。
それが噂のジェフ・ランドルフであった。
身長198cmというのだから、昇馬よりもさらに大きい。
ただ体格としては、まだまだ細いなと思わせるものであった。
しかしそこから確かに、ストレートだけでオランダ打線を制圧。
明日の日本戦でも、終盤にアメリカがリードしていれば、出てくるのは間違いないと思われた。
後から実際の球速がどうであったのか、計測していたスカウトに話も聞いてみた。
するとやはり、165km/hは出ていたのだ。
噂だと168km/hを計測したとも言われていて、それは噂ではなく機械で計測された事実なのだが、少なくとも通常の状態で、165km/hを投げられるのは確かであった。
(でもまあ、球種がないらしいからな)
持っているのはストレートと、チェンジアップとカーブのみ。
あとは時折、シュート回転のかかったボールがあるらしい。
ピッチャーというのは球速だけで通用するものではない。
それが分かっているつもりの昇馬だが、圧倒的なピッチングを見せたかった。
メキシコ戦は4イニングを投げて39球。
奪った三振は10個と、世界で通じることを証明した。
メキシコもまた普通に、メジャーリーガーの輩出国である。
それだけに野球のレベルは高いのだ。
この試合、序盤で心を折られたメキシコは、五回コールドを喫する。
11-0というスコアで、日本代表は翌日、第三戦をアメリカと戦うこととなっていた。
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