第75話 怪物と天才の差
天才という言葉は軽々しく使われすぎる気がする。
ただ近年はそこまでは甘くなく、才能がある、素質がある、素養があるなどといったように、まずは評価される。
そしてそこから飛びぬけた者が、天才と呼ばれるのかもしれない。
だが野球名門など特待生で入ってくる人間は、だいたい誰もが天才である。
その中でも特別な人間はいる。
将典はまさに、天才レベルの中でも傑出した能力の持ち主だ。
しかしさらにその上の、数年か数十年に一人の、とんでもない人間はどう呼べばいいのか。
甲子園の場合、それは怪物と呼ばれるらしい。
昇馬と将典を見ていると、和真はその残酷な差が大きいと理解する。
白富東の野球は、座学にもしっかりと時間を割いているのだ。
和真が言われるのは、昇馬の場合は単に肉体的素質だけではなく、環境からもそのスペックを作り出したということ。
もっそも白石家は下の妹たちも、全員がスポーツ万能ではある。
遺伝子的な素養に加えて、両親がその能力を伸ばす環境を整えた。
結果的に誰もが、怪物的な身体能力を備えているという事態になっている。
野球というのが幸いなのは、団体競技であるという点だ。
一人では勝てないはずなのだが、一人で前年最下位だったチームを、一気に優勝させた怪物もいる。
もっとも上杉は天才でも怪物でもあったが、それ以上にカリスマであったろう。
結局甲子園で頂点を取ることは出来なかったが、それでもカリスマという点では、直史や大介をも上回るところがある。
実際に上杉の登場で高校野球が盛り上がり、それがプロの人気につながり、後に大介が出てきて両者が対決したからこそ、今のプロ野球人気はあると言える。
単純な戦力としての貢献度なら、直史は樋口の方が自分より上だと言うが、今のレックスに樋口はいない。
樋口と組んだ経験があるからこそと言えば、それはそうであるのかもしれないが。
昇馬の怪物っぷりは、成績だけを見るならば、ピッチャーとしては高校野球史上最強である。
何しろ投げている時に、チームが負けたことがないのだから。
(来年は春夏連覇出来ると思う)
和真は昇馬の鉄人っぷりから、故障などを心配することもない。
(けれど俺の代にいいピッチャーがいてくれるためにも、今年も勝っておきたい)
そう思いながら、和真は将典のボールについていく。
観客のヘイトを稼がないように、上手くカットをするのも、難しいことであるのだ。
一年生のくせに、このレベル。
相手をしている将典も、嫌になってくる相手だ。
だが最後にはバットにわずかにかすりながらも、ミットに収まって終了。
最後は球威で押し切るという、完全な力技である。
(これで……もう60球か)
先頭の鵜飼は三球でアウトになったが、ラストバッターの真琴に15球も粘られた。
昇馬は粘ったと言うよりは、結果的にフォアボールを選んだと言えるだろう。
そこで10球を投げて、和真に10球も投げさせられた。
ピッチャーのパフォーマンスがしっかり発揮されるのは、およそ1イニング15球までと言われる。
だがこの回も、38球も投げてしまった。
四人で終わらせ無失点であるが、これは完全に将典を削りにきている。
だが同じく削りにいっている桜印は、同じ2イニングで21球しか投げさせることが出来ていない。
カットすら難しいボール、というのを昇馬は投げているのだ。
小手先の作戦を考えても、それが通用しない。
二人のピッチャーの、格の違いが明らかになってしまっている。
ここまで三回の裏が終わって、昇馬はまだ31球しか投げていない。
追い込んだら三振を奪いにいくので、既に七つの三振を奪っている。
将典も将典で踏ん張ってはいるのだが、昇馬と和真だけではなく、真琴にまで粘られてしまっている。
女子としては最強であっても、スペックでは男子に及ぶはずもない。
だが昇馬の速球に慣れているというのと、将典が甘く見てしまったというのが、大きな理由であるか。
球数ほどには消耗していない。
それでも2イニング投げただけで、60球は多すぎる。
そしてこの四回の表、白富東は三番のアルトからである。
普通に勝負しても、将典を消耗させるような相手。
だがここで桜印は、またも将典をマウンドから降ろした。
たとえランナーに出してしまっても、後ろの三人はさほど怖くない。
もちろん白富東が、四番からの打順で、セットプレイを使ってくることは知っている。
アルトの走力も考えた上で、エース以外のピッチャーを使うのだ。
ここでアルトが、舐められたと思ってかっかとする性格なら、この采配は正解であったろう。
だがアルトはこの選択を、相手のミスと考える人間だ。
そしてミスに付け込むのは、アルトの性格である。
初球狙いをせずに、カウントがバッター有利になったところを叩いた。
無理をせずにセンター前ヒットで、ノーアウトのランナーが出る。
俊足のアルトを、いかにホームに返すのか。
完全にこれは、監督の手腕と言えるだろうか。
(上杉はもう60球を投げてるし、外野とマウンドを行ったり来たりというのは精神的なスタミナを削られるはずだ)
ただ投げなければいけないイニング数は、どうにか減らしていることになる。
(策士策に溺れる、ということになるかもしれないな)
しかしそれは鬼塚が、結果をちゃんと出せてこそだ。
実のところあまり、期待はしていない鬼塚である。
三番手のライトは確かに全国レベルのピッチャーではあるが、ピッチングよりもバッティングを期待されている。
五番を打っている打者であり、こういったことをするのならばむしろ、二番手のピッチャーを使うべきではなかったか。
だがそうすると攻撃力か守備力の、どちらかが落ちるのだろう。
おそらくは攻撃力と思われるが、三年のサウスポーはこの大会でもやはり投げている。
白富東相手には、使い方が難しいのだろう。
せっかくのサウスポーで、しかも三年生であるのに、決勝で使ってこないのだ。
使うとしたらおそらく、タイブレークにもつれこむか、将典が本格的に消耗してきた時。
味方がピンチにならないと、出番がないというのはどうなのか。
白富東はここで、バントを使ってくる。
送りバントではなく、バントエンドラン。
打った方も生き残るための、プッシュバントを使う。
ただそこは守備も鍛えられた名門、二塁は間に合わないが一塁でアウトにする。
アルトは場合によっては、一気に三塁まで進むことも考えていた。
しかしそんな隙は与えてこないのだ。
桜印は徹底している。
こちらの強いところの中でも、特に昇馬は特別扱いなのだ。
ただ和真と、そして真琴にあれだけ粘られたことは、さすがに計算外であったろう。
これは忍耐力を試されるような、そういう試合である。
特に桜印の方は、将典がいかに集中力を切らさずにいられるか、それが問題であろう。
四回の表、白富東はそれなりに、長く攻撃の時間を作った。
対してその裏、先頭打者が一番からの桜印の打線だが、昇馬は速球主体でゾーン内を攻めていく。
この調子であるならば、充分に昇馬一人で、完封はしてしまえそうだ。
球数制限までは250球ほどもあるため、その心配はしなくてもいい。
キャッチャーフライが一つあった以外は、三振でこの回もランナーが出ない。
四回で既に9個の三振を奪っているというのは、あまりに圧倒的な数字なのである。
この昇馬の圧倒的なピッチングに対し、どれだけ桜印の守備の方が、めげずに守っていられるか。
それがかなり重要なことなのである。
五回の表、白富東は下位打線からの攻撃。
だが一人でも出れば、一番の昇馬に回る。
(この状況ならどうする?)
鬼塚はそう思っていたが、桜印は将典を温存する。
ただ白富東はこれはこれで、三番手バッターの球数も増やしていく。
ラストバッターの真琴は、ピッチャーを球数で疲労させるというよりも、白富東の攻撃時間を長くすることを考えている。
リズム良くアウトが取れていないと、ピッチャーの方は調子を崩すのだ。
ただ昇馬の場合は、そんな繊細な神経がない。
一応は真琴の次に、ネクストバッターズサークルに入ってはいる。
だがそう簡単にヒットは打てないだろうな、とも冷静に判断している。
これは消耗戦であり、同時に乱戦でもある。
ただそれは白富東の攻撃時に限る。
桜印は色々と動いて、どうにか白富東の攻撃を封じている。
対して白富東は、守備は鉄壁で一人のランナーも出さないのだ。
色々と考えて、試合の展開をややこしくしようとしている桜印。
だが白富東は動じず、昇馬をそのまま活かすことを考えている。
五回の裏には、桜印も四番打者の二打席目が回ってくる。
それは即ち、ここまで一人のランナーも出せていない、ということだ。
センバツなども桜印は、延長までもつれたとは言っても、ノーヒットノーランで封じられている。
昇馬が一点もやらないということ。
もちろんこれは守備においてなされていることだが、一人のランナーさえ出さないというのは、メンタル面だけを見れば攻撃のようなものだ。
五回までに11奪三振。
球数も54球と、桜印側の待球策は成功していない。
1イニング15球までが、おおよそ一つの抑えるための目安。
だが昇馬はこの試合、多くでも1イニングに12球しか投げていないのだ。
バッター昇馬は敬遠することも出来る。
しかしピッチャー昇馬とは、対戦するしかないのだ。
そして六回の表、先頭打者は本日三打席目の昇馬。
マウンドの上には、将典が戻ってきている。
これだけコロコロと代えられて、よくも集中力を保てるな、とは白富東のベンチから鬼塚も思っている。
だがそれに耐えるのだから、将典も非凡なものであるのだろう。
考えてみればあちらは、あの上杉の息子ということで、幼少期から大きな期待をされてきたはずだ。
普通ならプレッシャーに潰されてもおかしくはない。
他の競技で活躍する、長男とは違うのである。
将典としてはこの試合、本当に綱渡りのような気分ではある。
確かに下位打線などを相手に、投げる必要はないと言える。
それでもランナーが出れば、外野からハラハラと見守ってしまう。
特にアルトや真琴の打席は、味方のピッチャーが削られるのが分かった。
あれを避けられるだけでも、充分に休めている。
自分がやるべきは、この回を無失点で抑えること。
確かに攻撃で手も足も出ない、という状況が続いてはいる。
しかしここは忍耐の心で、向こうに少しでも隙が出来るのを待つしかない。
今は守りを考えるべきなのだ。
白富東としても、まだ点が取れない。
まして下位打線などには、三番手ピッチャーを使っているのにだ。
焦りも出てくるはずだが、鬼塚は落ち着いていた。
予想の一つの中ではあったし、何よりも将典が投げる時に、しっかりと球数を投げさせている。
それをまた外野に送って、他のピッチャーに投げさせる。
この無茶な運用は、どこかで無理が出てくると思っているからだ。
相手はひたすらに耐えている。
こちらは圧力を高めつつ、油断しなければいい。
勝負をかけるのは、序盤で失敗したら終盤と、あらかじめ言ってある。
この回にどういうピッチングをしてくるか、それであちらの思考も読める。
鬼塚としてはそう考えているのだが、昇馬としてはとにかく打つことを考える。
将典は確かにいいピッチャーで、なかなか勝負が出来るものではない。
しかしここまでバッターとしても、まともに勝負してもらったとは思っていないし、しっかりとヒットも打っている。
世代二番手などと言われているが、昇馬からしてみれば、武史ほどのスピードもないし、直史ほどの変化球もない、と考えるのだ。
それはもう、贅沢すぎる経験である。
(好球必打)
ホームランとまではいかなくても、しっかりと強打することは意識している。
だが将典もここは、長打警戒で外角を使ってくる。
ボール球が先行して、勝負を避け気味のピッチングとなる。
だがやかましい甲子園の観客も、仕方がないかなと諦め顔ではある。
昇馬はここまでの試合、全てでホームランを打っているのが、今回の大会なのだ。
それ以前にセンバツや去年の夏でも、大量にホームランを打っている。
二年の夏であるが、甲子園で打ったホームランの数が、もう二桁になっている。
もちろんそれは、それだけ甲子園に出場できているからだ、という理由もあるのだが。
もっとも大介のような、訳の分からないホームラン数には、さすがに及ばない。
内角に投げたボールを、思いっきり引っ張られた。
ボールはライト方向、ポールの外側を通っていく。
あと2mほど左であれば、ホームランになっていた。
マウンドの上で将典は、帽子を被りなおす。
勝利のためには仕方がない。
アウトローに外して、昇馬を歩かせる。
ノーアウトのランナーで、ここから二人が厄介なバッターになる。
それでも昇馬の一発に比べれば、まだしもマシだと言えるのだ。
バッターボックスに入った和真は、将典のボールを初球は見送る。
鋭いスライダーであったが、まだまだ力があるのは分かる。
(下手すれば延長も考えておいた方がいいかな)
以前と違い現在は、決勝戦でもタイブレークが10回から始まる。
そしてタイブレークとなると、奪三振能力の高いピッチャーの方が、断然有利であるのだ。
試合の流れは、白富東に向かってこようとしている。
だが桜印は無茶なピッチャーの交代で、それをかき回している。
結果としてどうにかなっているが、昇馬を打つことが出来ていない。
こちらは普通に、粘りながら失投を待てばいい。
昇馬もかなり粘ったが、10球には届かなかった。
あちらがもう、歩かせることを選択したからだ。
和真としても、ボール球は見逃しながら、ゾーンのボールに集中する。
ただ今日の審判は、外のストライクを甘く取る傾向がある。
そこだけは注意しなければいけないだろう。
このイニングでも、150km/h台の後半は平然と投げてくる。
それが将典であり、和真も簡単に打てるものではない。
だがどうにか、最低限の仕事はした。
ゴロを打って、昇馬を二塁に進めるということ。
これでアルトに対して、得点圏の打席を回すことが出来た。
鬼塚が狙っていた、一つの形。
それがこの六回にやってきたのである。
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