第74話 怪物の条件

 おそらく昇馬は10年に一人とか、そういうレベルの人間であるのだろう、と和真は判定している。

 そして昇馬がいなければ、将典も超高校級と言われ、普通にドラフト一位で競合するのではないか。

 日本の野球界に疎い、昇馬やアルトとは違い、和真は現実的なレベルを見ている。

 だが自分が完全に、こういった怪物相手に、全く敵わないとは思わない。

(アマチュア時代にどういう環境で育ったかが、蓄積してプロに行けるかどうかが決まる)

 そう冷静に考える和真は、主に母からトレーニングなどで、オーバーワークの危険性などを教えられた。

 だが無理をしてでもどうにか、ついていかなければいけないところもある。

 白富東は入学の時点で、60項目以上に及ぶ身体能力や身体機能の検査を行った。

 そこからどれぐらいが本当の限界なのか、またどの部分を鍛えればいいのか、はっきりと教えてくれる。


 遺伝子的に体格面のフィジカルは、和真は充分だと言われている。

 背の高い両親から生まれて、さらに既にそれを上回っている。

 180cmほどもあった母親の遺伝子が、それより高い父親の遺伝子と上手く噛み合って、既に父の身長を抜かしている。

 まだまだ成長の余地がありそうだが、既にこの体格でもホームランを打っている。

 一年生でここまでの活躍なら、成長曲線次第だが、充分にプロ入りは現実的だ。

 今のプロ野球というのは、確かに科学的になっている。

 それだけにアスリートタイプの長打が打てる選手は、注目されることとなる。


 だがプロを意識するのは、二年後であっていい。

 今の自分はまだ、何者にもなっていない存在。

 将来有望な一年生だが、将典からヒットを打つのは難しい。

 しかしある程度粘るという、アベレージヒッターのバッティングも出来るのだ。

 注意するのはしっかり振り切らないと、バント扱いにされてしまう。

 グリップは指一本ほど余して持つが、トップの位置はしっかりと作る。


 158km/hがMAXだというが、おそらくそれよりも少しぐらい、速い球が出ることもあるだろう。

 それでも160km/hを想定して、マシンや昇馬の球で練習している。

 持ち球にしてもさすがに、甲子園の決勝まで、隠して勝ち進むことは出来ていないだろう。

 春の関東大会はともかく、センバツではさすがに全力であったはずだ。

 その時に投げていなければ、新しい球種はないと思いたい。


 早いボールを意識しつつ、注意するのはスライダーとチェンジアップ。

 特にチェンジアップは、しっかりとピッチトンネルを通っているもののはず。

 球速の見定めに失敗すれば、即空振りにつながることは間違いない。

(なんとか10球!)

 そこまで粘ったが、最後はセカンドゴロに。

 さすがに足が速くても、そこから内野安打にすることは出来なかった。


 二人で20球を投げさせた。

 ただの待球策ではなく、ちゃんと打っていってのことである。

 あちらも同じことをやってきても、基礎体力の差で昇馬が押し切る。

 二番手以降のピッチャーも、普通に甲子園のエースクラスではあるが、白富東の三番までを抑えるほどではない。

(投げさせる気か)

 このペースであればさすがに、五回ももたないだろう。

 もっともこういうパターンはある程度、予測はしていたのが桜印である。


 アルトは初球を見送ったあと、二球目をヒッティング。

 当たりはそこそこ良かったが、ほぼレフトの正面でキャッチアウト。

 わずかだが抜いた球を、着実に打ってきた。

 一球目を見てきたことからも、白富東が待球策を取ってくるのは分かる。

 センバツにしろ、延長で桜印は負けている。

 将典の奪三振能力と、延長まで投げきる力が、昇馬ほどではなかったからだ。




 一回の裏、桜印の攻撃である。

 白富東がやったのと同じことを、桜印がするのは難しい。

 ミート主体で当てていこうと思っても、そもそも当てることすらも難しいのだ。

 下位打線は目で追うことすら出来ないだろう。

 ただそれでも、上位は早打ちせずに、ストレートのタイミングで待つ。


 この試合でこの夏は最後、と分かっている昇馬は最初から、全力で投げてくる。

 先頭打者にいきなり165km/hを見せると、次はチェンジアップ。

 緩急を想定していたはずの桜印だが、これをまんまと振ってしまった。

 最後は高めのストレートを、なんとか振っていったが空振り三振。

 バットとボールの差が相当に、上下に離れているのが分かった。


 三球で終わってしまった。

 昇馬を待球策で崩そうというのは、別にこの試合から始めたわけでも、桜印が初めて考えたわけでもない。

 他のチームもずっと、どうにか昇馬を引き摺り下ろすのだ、とずっと考えてはいる。

 ただセンバツを見ても分かるとおり、11イニングを投げて平気で23奪三振などという数字を残すのが昇馬だ。

 また高めのボールで空振りを取れるのも、大きなストロングポイントである。


 基本的にはスピードボールで、どんどんと押していって構わない。

 またツーストライクまでは、ファールを打たせてもいいのだ。

 重要なのはアウトをどうやって取るか、何球で取るかということだ。

 昇馬の球種は実は、将典とかなり似ている。

 両者共に、速球はストレートに加えて、ムービングを持っている。

 ただ昇馬の場合は、ツーシームが本当にストレートと変わらない。

 そしてカーブとチェンジアップは両者持っており、昇馬はスラーブを投げるが将典はスライダーを投げる。


 コントロールと球威は昇馬が上。

 これだけのスピードボールを投げながらも、バッターの厳しい内角に投げ込める、そんなコントロールを昇馬は持っている。

 もっとも当てても気にしない性格、というのもあるのだが。

 ちゃんと見ていればよけられる程度の、ボール球しか投げていない。

 ただそれがサウスポーのスラーブになると、左バッターからは当たるように見えてしまう。


 強打者までもが、左打席に入ることが多い現代、将典のスライダーは左打者への効果はそこまででもない。

 もっとも使い方によっては、色々と応用も利く。

 現在のプロ最強ピッチャーが右であることからも、サウスポーが最強の理由とはならない。

 だが直史はかなりスピードが出て、しかも変化量も多いシンカーを投げられるが。

 ナチュラルシュートやツーシームではない。


 昇馬はこの一回の裏、10球しか投げなかった。

 将典の半分以下で、アウトローのボールもしっかりと制御できていた。

 桜印のバッターとしても、アウトローに投げられると距離感がはっきりしない。

 だが振っていっても当たらないというのが、昇馬のストレートなのである。




 二回の表、桜印は動いた。

 なんとエースの将典をライトに下げて、三番手ピッチャーのそのライトをマウンドに上げたのである。

「そう来たか」

 一応は鬼塚も、この手を考えてはいた。

 実際にこの大会でも、少しは投げている実績はある。

 白富東の四番以降は、三番までに比べるとかなり劣る。

 どうせ一人でもランナーが出れば、昇馬に四打席目は回るのだ。

 そしてこの打順であれば、失点せずに抑えられると、桜印は判断したのだろう。


 温存という意味では分かる。

 だがこんな形でマウンドを譲って、リズムを保ったままでいられるのか。

 この大会のここまでの試合でも、確かに将典は終盤を任せたり、最初の3イニングを任せたりしていた。

 試合の途中での継投と、途中からの継投。

 それをやった上で、特に厄介な一番から三番に注力するということ。


 プロではやらない継投だ。

 しかし戦力の限られた高校野球なら、それなりに見ることが出来る。

(攻めるならむしろ、この交代したピッチャーの方なんだが)

 白富東は四番以降が貧打とはいえ、もう一年も率いている鬼塚は、それなりに改善策を考えて実行してきた。

 だが県大会の序盤レベルなら、充分に打てる打線にはなったのだ。

 それでも桜印の三年生ピッチャーは、今大会でもそれなりに投げている。


 白富東と対戦するチームは、おおよそがどう昇馬を攻略するか、を考えている。

 昇馬やアルトの長打力を見ても、そこまで確実ではない、という判断をするのだ。

 だが桜印とはもういいかげんに、対戦回数が多くなっている。

 向こうもおおよそ直感的に、攻略方法を理解しているのだろう。


 とにかく先制点を取られないこと。

 一人はポテンヒットで出塁したが、そこからチャンスが広がらない。

 ランナーは一塁から動けないまま、スリーアウト。

 だがこれで昇馬の四打席目が、必ず回ってくることにはなった。

(粘りのピッチングだが……)

 桜印がどう白富東を考えているかは、次のイニングで明らかになるだろう。


 そんなことを思っている間に、二回の裏の桜印の攻撃が始まる。

 四番から始まる打順であり、その四番もしっかりとこの大会、三本のホームランを打っている。

 一打席目は、好きに打たされる四番打者。

 だがその初球から振ってくるスイングを見て、真琴はすぐに考える。

(変化球はどうかな)

 カーブを投げてもらったが、これには無反応である。

 ボール球ではあったが、それでもピクリとも動かなかった。


 ストレート狙いで、あとはゾーン内の変化球にも対応するという形だろうか。

 二球目は真ん中付近のストレート。

 これをスイングしてきたが、バットにボールが当たることはなかった。

(いい加減に対決の回数も多いし、ある程度はボールの軌道は分かってるはずだけど)

 このバッターは一年の夏から、桜印のスタメンに入っていた。

 間違いなく今の、桜印の主砲なのだ。

 それでも昇馬のストレートには、対応することが出来ていない。

 なので三球目は、インハイにストレートを投げてもらった。


 右打者のインハイには、サウスポーは投げやすい。

 そして一番ボールをしっかり見れるが、体感速度も速いのがこのインハイだ。

 わずかに腰が引けて、そしてバットも動いていた。

 別に当たりそうなコースでもないのだが、昇馬のボールは凶器ではあるのだ。


 色々と考えてはいたのだろう。

 だが最後には、アウトローのボールで空振りにした。

 ゾーンの中から逃げていくツーシームで、スピードはほぼストレートとは変わらない。

 これを打てる右バッターは、少なくとも高校生ではいないだろう。

 ただサウスポーに対しては、右バッターの方がまだしも、対応しやすいとは言われている。




 いささかならず投手戦のような気もするが、桜印は将典を代えてきている。

 さて三回の表はどうかなと鬼塚が見ていたところ、将典を戻してきていた。

 このイニングは間違いなく、昇馬まで回ってくる。

 その直前ではなく、イニングの最初から戻してくるあたり、分かっていると言えるだろう。

 バッターは八番の鵜飼から。

 彼にバッティングを求めてはいけない。


 何事もなかったかのように、ラストバッターの真琴である。

 女子ではあるが、甲子園でホームランを打っている。

 その点では父親よりも、強打者と言っていいであろう。

 直史の場合は周囲に任せていたので、そもそも打席に立った回数も少ないのだが。

 それでも娘に長打力で負けていることに、なんらかの葛藤はないのだろうか。


 将典としても、ただの女子選手と見るわけにはいかない。

 女子野球の世界では、おそらく日本ではなく世界一であるからだ。

 つまり母と一緒である。

 あの、つよい、ははおやと、一緒。

 ちょっと一部が幼児化してしまったが、全力で打ち取っていく必要があるだろう。


 実際に将典のストレートを、真琴は問題なく当ててきた。

 だがジャストミートというのは、さすがに難しい。

 当てるだけなら簡単かな、と思う真琴。

 なぜなら昇馬の165km/hを、最も多く見ているのは、キャッチャーの彼女だからだ。

 速球に慣れているからこそ、速球をジャストミートしてホームランに出来る。

 ただ将典はストレート以外も、しっかりと一流である。


 15球を投げさせることに成功した。

 最後はスライダーを引っ掛けてしまったが、それでも充分に粘った。

 もっとも真琴としては、出来ればあと5球は粘りたかった。

 よく言われることだが、ピッチャーがピッチングのクオリティを保てるのは、1イニングで25球まで。

 それ以上だと次のイニング以降までに、回復しないと言われる。


 一回の表など、22球も投げていたのだ。

 鵜飼は3球で終わってしまったが、自分があと5球投げさせていたらどうなっていたか。

 昇馬がどういうバッティングをするかにもよるが、粘られた後であると、集中力も低下するかもしれない。

 実際に将典は、真琴の粘りには参っていた。

(顔は可愛いけど、プレイは可愛くないんだよな)

 ツンデレに感じるのと同じような感覚で、将典は真琴のことを見ている。

 味方ならともかく、敵であると嫌な選手というのは、プレイヤーにとっては最大の評価でもあるが。


 一回に22球投げて、そしてこの回に18球。

 まだ三回であるのに、40球も投げているわけだ。

 監督の考えていた省エネ策は、間違っていなかったと言えるだろう。

 単純に100球を投げるのではなく、投げなくてはいけないイニング自体が少なくなる。

 これは将典を心理的にも楽にしている。


 それでもここで、勝負しなければいけないバッターが昇馬である。

 ツーアウトからなので、まだしも脅威度は少ない。

 昇馬は足もあるので、下手に出してしまえば走ってくるかもしれない。

 単打に抑えたとしても、次の二番も三番も、安全に処理できるバッターではない。

 そう思ってしっかりと投げるのだが、内角に投げれば右方向へ、外角に投げれば左方向へ、大飛球を飛ばされる。


 なんとも厄介すぎるバッターだ。

 かといってチェンジアップを投げても、しっかりと待たれてカットされる。

 下半身を上手く緩めて、上半身だけの打球。

 それでもファールフェンスを強く叩くのだから、スイングスピードが乗っているのだ。


 やはり速くて落ちる球がほしいな、と将典は思う。

 具体的にはスプリットがあれば、この場面で三振が取れると思うのだ。

 だがそんな球種がない以上、持っている球で勝負するしかない。

 そして今度は際どいボールでも、昇馬はちゃんとカットする。

 球数を増やすだけのカットではない。

(ゾーンにまともに投げたら、普通に打たれるぞ)

 ボール球が増えた結果、フルカウントから歩かせてしまった。


 将典の出した、今日初めてのランナーである。

 しかしツーアウトであるので、そこまでの危険性はないはずだ。

 だが二番は、今日の打順が変わって、昇馬の後ろを打っている和真。

 昇馬相手にかなりの球数を投げて、この面倒なバッターである。

(かといって次のバッターも、甘いバッターじゃないからな)

 相当の負担を軽減されたとはいえ、それでもかなりの体力を消耗して、投げ続ける将典なのである。

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