第73話 一番目と二番目

 多分自分が一番だと思っていた。

 そしてそうならないようにしていたのは、意味があるとも思っていたのだ。

 上杉将典は強烈な対抗心を昇馬に対して持っている。

 もっともこの世代のピッチャーは、ほとんどがそうなのであろうが。

「さすがにそろそろ勝ちたいな……」

 将典の言葉に、前に勝っているだろう、と答える者はいない。

 あの秋季関東大会は、あくまでも白富東に勝ったものだ。

 団体競技なのだから、それでいいとも言えるだろう。

 だが野球というのは団体競技の中でも、特別に個人のエゴが出る競技である。


 世代ナンバーワンピッチャーという評価。

 この称号が将典は欲しかった。

 少年期は野球もやっていた兄が、結局は野球から離れた理由。

 上杉勝也の息子であるということは、特別であることを求められる。

 そして間違いなく、チームが弱かっただけで、ピッチャーでは最高とまで言われていたのだ。


 もっとも最終年には、その噂は聞いていた。

 日本最強とも言われる横浜シニアが、一人のピッチャーによって蹂躙されたこと。

 自分で打って、その一点を守りきる。

 そんな特別な存在とは、実は以前に出会っていたりする。


 母の明日美は、大学であれの母親と同級生であったのだ。

 自分の母をこう言うのはなんだが、母もたいがい人間離れしていたらしい。

 両親が共に怪物だという点では、自分もあいつも変わらない。

 それに子供の頃のあいつは、そこまで特別な人間ではなかったと思う。

 むしろ集中力が散漫というか、他のことに注意を向けてしまう人間だった。


(司朗さんはヒットを打ったっていうか、あの人もたいがいおかしいけど)

 父親の血統から、活躍を期待されている。

 自分としても高校を卒業したら、プロに行くものだと思っている。

 父親の政治家としての基盤は、兄が継ぐのであろう。

 そう思っている将典は、とにかく甲子園の大優勝旗がほしい。




 あいつさえいなければ。

 そう思っていたピッチャーが、親の世代にもいる。

 コーチをしている学校にも、今日だけはこの時間だけは、直接見たいと言っておいた。

 真田はこの決勝戦、投げる将典の気持ちがよく分かっている。

(佐藤兄弟がいなかったら)

 甲子園を五連覇して、永遠に名前を高校野球史に残しただろう。

 もっともプロで200勝した時点で、充分に伝説的な名投手ではあるが。


 真田の現役引退は、比較的早かったと言える。

 それでも30代の前半まではやっていたので、平均よりはずっと長い。

 引退したのは体のあちこちの故障で、勤続疲労と言われた。

 シニア時代から世界一になっていたため、投げすぎということはあったのだろう。

 もっとも一番苦しい高校時代は、それなりに登板機会を分け合うこと自体は出来た。

 上にも下にも、後にプロで大活躍する投手がいたのである。


 真田もまた、MLBへの挑戦は出来なかった人間だ。

 あの時代は今よりも、MLBの使っている球の質が悪く、真田の指先の感覚では、それを捉えきれなかった。

 滑りやすいボールでもあったので、すぐに故障してしまっていたかもしれない。

 上杉や直史、武史と重ならなければ、四回か五回は沢村賞を取れただろうと言われる。

 だが実際には、タイトルすらも取れていないのだ。

 オールスターには10回以上も選出されたし、間違いなく大エースではあった。

 14年の選手生活のうち、13回の二桁勝利を達成したのだから、立派なものである。


 息子のいる学校のコーチをしているが、あくまでもそれはコーチの立場。

 今年も甲子園には出場できたが、二回戦で姿を消している。

 相手は長崎のチームで、それほど強いとも言えなかった。

 だが言うなれば油断というものが、地元勢としては逆に存在したのだろう。

 そのあたりを突かれて、負けてしまったものである。

 そこそこ意外ではあったが、去年の夏は白富東、今年のセンバツは桜印と、負けた相手が強かった。

 それに比べれば弱い、などと考えてしまったのかもしれない。


 コーチをやっているからこそ、高校野球の怖さはよく分かる。

 監督も常に冷静ではいられないのだ。

 大阪光陰などはかなり、監督の裁量権が独立していた。

 しかし仁政学院などは、古豪と言われるだけあって、OBや父母会の横槍が大きい。

 真田が前に出て行けば、おおよそ口を閉じるのだが。


 いっそのこと真田が、完全に監督となったならば、やりようはいくらでもある。

 だが自分の息子がバッテリーを組んでいるチームに、指揮官として乗り込むのはどうなのか。

 コーチとしても甘やかさなかった自覚はあるが、逆に厳しくしすぎる可能性もある。

 野球に限らず実績を残した人間が、自分の子供をあえて教えないということはある。

 ただ現代では基礎的なメニューなどは確立しているので、それを教えればいいというものでもある。

 しかしそれは、一般的なピッチャーやキャッチャーであった場合だ。


 技巧派が違うタイプの技巧派を教えるのは、相当に難しいことなのだ。

 真田としても最終的には、子供たちに判断をさせている。

 自分がやるべきは、壊れるようなメニューをさせないこと。

 試行錯誤で身につけたピッチングは、間違いなく強い。

(ただ、佐藤兄の娘の方が、完成度は高いか?)

 サウスポーのサイドスローを、この夏は二試合で見せている真琴。

 7イニングを投げていて、一失点というのはかなりすごい。

 その一点も、今年のドラフト競合必至の、司朗から打たれているわけなのだ。


 さて、この試合はどうなることなのか。

 桜印もまた、しっかりと選手を鍛えてきている。

 だがセンバツからの過程を見ていれば、ピッチャーの戦力だけで、白富東は勝てそうな気もする。

(親の代では成立しなかった、上杉白石の高校野球対決が、甲子園の決勝で見られるわけだ)

 なんとも因縁深いものだな、と真田はアルプスの高い場所から、じっくりと試合を見つめるのであった。




 この試合の勝負は立ち上がりと終盤にあると、鬼塚は考えている。

 両チームのエースが超高校級だけに、立ち上がりで先制した方が、圧倒的に有利になる。

 そこをスムーズに終えたら、次は終盤の七回から八回、ピッチャーの球数が100球を超えるあたりだ。

 鍛えに鍛えても、人間の肉体には限界がある。

 その限界すらも超えるというのが、かつての高校野球であり、野球全体であった。

 しかし今は動作のメカニズムが最適化していって、本当に肉体の限界を使って投げるため、根性ではどうにもならないようになってきている。

 反論を恐れずに言うならば、昔のピッチャーが完投などを出来ていたのは、全力を出して投げていなかったからだ。

 今ではもうそれでは通用しないほど、バッターのレベルも上がっている。


 ただ高校野球の段階では、名門校でもまだバッターに、弱いところが充分にある。

 特に白富東は、四番以降のバッターが怖くない。

 将典がそこでどれだけ、抜いた球で打ち取ることが出来るか、それがポイントになるかもしれない。

 八分の力で投げて、九分ぐらいのボールになる。

 真田も高校時代はもちろん、プロでも下位打線にはある程度、抜いた球を投げていたものだ。

 だが基本的には、完投を目指していた。


 比較すると昇馬は、甲子園の決勝レベルでも、平然と完投というか完封をしているように見える。

 バッターとしても一番という、打席が一番多く回ってくる打順を、今日も変えていないのだ。

 走らされるだけでも、充分にしんどい。

 ピッチャーをやりながら盗塁もするなど、ちょっと正気の沙汰ではない。 

 しかしそれがあったからこそ、準決勝では先制点を取れたのだ。

 あの先制点がなければ、試合の展開は変わっていただろう。


 そういった無茶が、無茶ではないことを鬼塚は知っている。

 だからこそ昇馬を、今日も同じように使っている。

 ただ打順の、二番と三番を入れ替えた。

 和真を二番にして、アルトを三番にしているのだ。

 この意図は桜印の監督も、バッターとしての性質を考えれば、分かってくるだろうか。


 アルトは集中力にムラがある。

 本人に流れるラテンの血がそうさせるらしいが、そのあたりはアレクとも似ているなと思う鬼塚である。

 基本的にはランナーがいて、そして得点圏である方が、集中力が高まるプレッシャーに強いタイプ。

 それに対すると和真は、日本人が求めるような、高校野球をやれるタイプだ。

 長打力もあるが、ケースバッティングも行えるのである。


 つまり昇馬が塁に出た場合、和真には最低でも進塁打を期待する。

 そして昇馬が得点圏に進めば、アルトの勝負強いバッティングに期待するというわけだ。

 それは別としても、和真は色々と監督の意図を理解してくれる。

 作戦は聞いたけど自分のフィーリングを優先した、というアルトとは違うのだ。

 まあ臨機応変も、確かに重要なことではあるのだが。


 相手の上杉将典も、間違いなく超高校級のピッチャー。

 そして上手く昇馬を封じたら、取れたとしても一点か二点。

 こちらは粘っていって、エースの体力勝負に持ち込めば、おそらくは勝てるだろう。

 あるいはタイブレークに入っても、勝つのは白富東だ。

(それでも桜印の方が、打線は充実してるからなあ)

 正直なところツーアウトであったなら、昇馬からアルトまでは、三連続敬遠をしてもおかしくはない。

 それだけ打撃力の偏りが、今の白富東にはあるのだ。




 さて、鬼塚の憶測であるが、これは当てはまることはない。

 鬼塚も確かに、甲子園での敬遠ということの意味を、しっかりと分かっている。

 だが当事者になっているため、観客の期待度が分かっていないのだ。

 そもそも自分は昇馬に、後ろのバッターを打ち取れば簡単なのに、司朗を敬遠させなかった。

 今年のドラフトの目玉となる強打者と、最強レベルのピッチャーの対決を、見たいというわがままな高校野球ファンのことを、理解していたからである。

 選手時代にも直史や武史の、後ろを守ってきたから分かることだ。

 ただ武史などは、敬遠して野次られても、あまり気にしなかっただろうが。

 帝都一で昇馬を最後には外野に下げたのは、さすがに妥当な判断だと、観衆も納得する部分が多かった。

 また女子のピッチャーがどれだけ通用するか、それを見たいというもの珍しさもあったのだ。


 この決勝の見所はというと、もちろん桜印打線が昇馬を打てるかどうか。

 そして昇馬と将典の、バッター昇馬の打席である。

 やや警戒して投げるならともかく、明らかな申告敬遠をすると、バックネット裏が敵になる。

 関東同士の決勝となると、準決勝で奈良の天凜を破っている、桜印の方が少しヘイトを稼いでいるのだ。


 はっきり言ってしまえば、観衆は大介の息子の方に、かなりの比重をかけて応援する。

 高校野球ファンとライガースファンが重なるというわけではないが、それでも大介はライガースの人間。

 千葉の代表校でありながら、昇馬個人は地元の人間に近いところがある。

 またそれなりの長さの高校野球ファンであれば、あの時代の白富東の栄光を知っている。

 おまけに公立校でもあるため、本来中立であるはずの高校野球ファンは、白富東寄りになっているのだ。


 このあたりの深いところまで、鬼塚は分析しているわけではない。

 ただ甲子園のスーパースターは、おおよそピッチャーになるということは理解している。

 それこそ大介クラスであっても、直史が異常なことをやったため、比較的目立たなくなってしまったものだ。

 ドラフトでは11球団から競合指名を受けたが。


 先攻となった白富東は、一番の昇馬がバッターボックスに入る。

 長かった夏の甲子園も、やっとこれで終わる。

 それに変な感傷を抱くことなく、昇馬は冷静さを保っている。

(こいつは打ちにくいピッチャーなんだよなあ)

 昇馬としてもそれぐらいには、ちゃんと将典を評価しているのだ。


 命じられたのはストレート狙い。

 だが出来るだけ粘って行こう、というものであった。

 球数が増えれば増えるほど、基礎体力の面で昇馬の方が有利。

 確かに桜印もちゃんと、夏の暑さ対策はしている。

 だが昔のような根性論は使わず、しっかりとイニングの間に回復するようには考えているのだ。


 初球から投げられたストレートに、昇馬はしっかりと反応していた。

 内角をえぐるそのボールは、わずかに昇馬でも振り切れない。

 打球は左方向、レフトが追いかけたがファールラインを越えてスタンドの中へ。

 やはりストレートは、ほぼちゃんと反応されるのを、桜印バッテリーは確認した。


 昇馬はとんでもないスラッガーであるが、ピッチングに比べるとバッティングは、やや大味なところがある。

 スタンドの向こうに飛ばせば勝利、というのがホームランなのである。

 またファールであったとしても、スタンドの向こうならアウトにされることはない。

 ただ甲子園は、ファールグラウンドが広い。

 そこがなかなか、慣れていないと守備が難しかったりする。




 昇馬は将典を評価している。

 少なくとも対戦した本格派の中では、一番打ちにくいピッチャーである。

 しかし打ちにくいというなら、軟投派の方が打ちにくかったりするのが、一般的なスラッガー。

 もっとも昇馬は、そういった軟投派にも対応出来るが。


 鬼塚から言われているのは、ややゾーンを広めに取って、しっかりと打っていくということ。

 普段からやっていることであるが、よりそれを徹底しろと言われた。

 この勝負はおそらく、球数で勝敗が決着する。

 両チームのピッチャー共に、球数制限自体には、問題のない余裕がある。

 だが重要なのはそこではない。

 この一試合のみにおいて、どれだけ投げさせられて消耗するか、それが問題となる。


 そこだけを見れば、昇馬の怪物っぷりが目立つ。

 フルイニングを投げても問題のない、無限とも思える体力の持ち主だ。

 昇馬からすると野球のピッチングは、なんだかんだ言いながらしっかり休むことが出来る。

 攻撃している間は休めるのだから、ピッチャーもその間に回復すればいい。

 これが登山などの厳しいものであったりすると、本当に先が見当もつかなかったりする。

 野球は長くても三時間あれば、決着がつくではないか。

 そう考えれば楽だと言うが、サッカーやバスケットボールなどは、もっと早く終わるスポーツである。


 甲子園はそれでも、まだ展開が早いものだ。

 審判がそれを急かすし、その早いペースに慣れていないといけない。

 だがさすがに決勝戦ともなれば、下手に急かすこともない。

 まあ主審などは昇馬のストレートを、ちゃんと見て判断出来ているのか、怪しいところがあるのも確かだ。


 同じようなことは、将典の球にも言えた。

 失投を待って粘る昇馬だが、アウトローを上手くカットした後、もう一つ分外に投げられたボール。

 これはボールだなと思ったが、主審の判定はストライク。

 見ればキャッチャーが、上手くミットを動かしていたのだ。

(あ~、マコはフレーミングだけは苦手だからなあ)

 苦手と言うよりは昇馬のストレートの場合、普通にキャッチするのが精一杯なだけなのだが。


 とりあえず一打席目、昇馬は見逃し三振。

 だが球数は10球も投げさせたので、ノルマは達成したと言えよう。

 そしてこういう作戦に関しては、一番上手いのが和真である。

 そもそも大前提として、将典のボールが打つのは難しい、というのがある。

 二番打者として入った和真は、かなり徹底して鬼塚から、待球策を含まれていた。

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