第72話 彼女たちの視点
『待って待って、昇馬きゅん司朗様のことシロちゃんって呼んでるの!?』
『え、え、え、年下からシロちゃんって言うの? 高校野球ってそのあたり上下関係厳しいんじゃないの?』
『じゃあ昇馬きゅんはしょーちゃん?』
『あの邪魔なでかい女はそう言ってたからしょーちゃんでいいんじゃない?』
『邪魔なでかい女www』
『昇馬きゅんの従姉のお姉ちゃんなのに可哀想』
『男同士の間に挟まる女は死すべし』
腐った人間はこの世界にはいくらでもいる。
その中で彼女たちは過激ではあるが、さほど有害ではなく、思想は強烈だがテロには及ばない。
『司朗様って絶対攻めだと思ってたけど、このカプだと……年上受け?』
『司朗様受け。それはそれで!!!』
『逆カプ死すべし。司朗様は圧倒的に攻め。異論は認めない』
『それはそれ、これはこれで、リバも断然いける。昇馬きゅんは圧倒的に攻めなのは間違いないし』
『リバは死ね。視ねしねしねしね』
どちらを左に置くか、右に置くか、それが問題だ。
生きるべきか死ぬべきか、それ以上の問題とするのが彼女たちである。
『大丈夫。位置的に見たらあの女は挟まってないから』
『真琴様好きな女子もいるしねー』
『マコちゃん圧倒的にイケメン男役だから』
また危険なものが投げ込まれる。
だがこの火薬庫の上で、喋りつくすのが好きなのだ。
『真琴様は男役で聖子ちゃんが女役でいいよね?』
『個人的にはどちらも男役だと思う』
『女いねえ。だがそれがいい!』
『白富東のマネ、典型的な姫じゃね?』
『あ、マネちゃんは姫だね。するとジュリエット役にして、真琴様はロミオで聖子ちゃんはティボルト?』
『いやいやいや。聖子ちゃんオスカルで、真琴様アンドレでいいじゃん。マネはロザリーにすれば問題ない』
この領域はおそらく、世界で一番認知が歪んでいる。
彼女たちの言葉の中には、百合という言葉が出て来ない。
なおさすがに現役高校生である実在人物を、同人であっても扱うのは無理がある。
それでもこうやって、なんでもかんでも左右に置く。
彼女たちの癖である。
『去年は昇馬きゅん攻めのアルトきゅん受けで平和だったのに』
『圧倒的に年下受け力の強い和真きゅんが入ってきたのが悪い』
『え~、でも~、和真きゅんは~、視線が明らかに~』
『それ以上はいけない!』
『そう、ここは理想の世界。外に持ち出すことはなく、しかし外からの干渉も受けない聖域』
『腐海じゃなかったっけ?』
『言うなしw』
腐女子という言葉がある。
世界の全てを攻めと受けに分け、その分類を人間だけではなく、分度器にまで及ぼしてしまう存在のことだ。
百合の好きな腐女子もいるが、それよりは男役と姫の分け方の方が多いか。
このあたりは宝塚の影響もあるのだろうが、基本的には男同士が基本なのだ。
世界は全て男同士で恋愛して、自分はその間に挟まる空気になりたい。
そんな頭のおかしなことを、平然と言ってのける。
だがよく聞いてみれば、理屈自体はそこそこ分からなくもないのだ。
彼女たちは百合に挟まる男になろうとは思わない。
ただ推しカプの間に挟まる空気か、見つめる観葉植物になりたいと願うのだ。
尊いものをそのままにしたいという願い。
その点は性欲に流されやすい男よりも、確かに純粋であるかもしれない。
存在の時点で不純である、というツッコミは置いておこう。
「ふう」
書き込みを終えた白富東のマネージャーであるエレナは、今日も尊さの余韻に浸っていた。
話題にされる自分は、自分であって自分ではない、形而上の存在だ。
キャラクターの中の人声優、という程度に思っておけばいい。
だがそれはそれとして、ちゃんとデータも分析しなければいけない。
外注で明史のデータと合わせていた時よりも、精度は下がっている。
いっそのこともっとビッグデータを扱うところと、比較は出来ないものかと考える。
しかし高校野球の監督というのは、一発勝負用の奥の手を、いくつか持っているものなのだ。
プロ野球の結果を、賭けにしている裏ギャンブルは存在する。
だがそれよりも高校野球の方が、実は人気があったりする。
毎年143試合もしていると、プロ野球もおおよそは戦力が読めてくるのだ。
ギャンブルなどをする愚か者は、分からないからこそ面白い、と思っているのだろう。
高校野球の監督には、勝負師が多い。
もっともコーチ陣は、あくまでも理性的に科学的なトレーニングを行う。
だが王道や鉄板の戦術というのは、それが許される強豪だけのものである。
今日の第二試合、予想通りと言ってはなんだが、桜印が天凜に5-1で勝利した。
将典は四回からの登板で、6イニングを投げて無失点。
さほどの消耗もせず、明後日の決勝に出てくるであろう。
鬼塚も話していたが、決勝と準決勝が逆であれば、もうちょっと苦しかったであろう。
昇馬と同じ学年には、本当に超高校級のピッチャーが揃っているが、二番手は将典と言っていいだろう。
また桜印は彼の入学を念頭に、念入りなスカウトを行った。
そのため桜印もまた、二年生に主力が多くなっている。
だがその選ばれた特待生たちでも、昇馬をろくに打てていないわけだが。
普通に戦えば、勝てるとは思う。
負けるとすれば秋のように、昇馬が負傷した場合であろう。
あとは真琴が負傷しても、昇馬のピッチング能力が低下する可能性はある。
「おーすエレナ、情報まとめたんか?」
宿泊所は男共は、広い部屋に詰め込まれている。
だが女子三人は、比較的小さな部屋に、川の字で並んで寝ているのだ。
エレナは当然ながら、その真ん中に挟まろうとは思わない。
もっとも現実では真琴と聖子は、控えめに言っても百合風味というよりは、せいぜいがきらら風味なのであるが。
パソコンを前にしているエレナを、ナチュラルにハグしてくる聖子。
ここは三姉妹の長女なだけに、ボディタッチが自然である。
変な意味がないからこそ、逆に尊い。
(あああ、百合の風景になっている私、尊いいいいい)
感動しているエレナであるが、ちゃんと仕事らしいことはするのだ。
桜印の分析というのは、もう今さらするものでもないのでは、と思ったりもする。
この間の春の関東でも、しっかりと対戦しているのだ。
スコアは2-0というものであるが、ヒットは二本しか打たれていない。
逆に昇馬はホームランを打っていて、完全に一人で抑えているという形になるか。
それにこの試合は、ある程度は打たせて取る、ということも想定していたのだ。
最終的には三振も15個奪っているが。
昇馬は結局、打たれないピッチャーなのだ。
センバツで延長戦になった時も、ノーヒットノーランで抑えている。
全てエースに任せた試合、と言われるのも仕方がないだろう。
だがそのエースをどう使うかは、ちゃんと監督の考えることなのだ。
桜印はこの夏、一番から五番までの打順に、二年生を四人入れてきた。
だが下位打線に置かれていても将典は、本来なら中軸を打つだけの力は持っている。
白富東が真琴を、九番に置いているのと似たような理由だ。
ただ決勝ではどういうオーダーで来るのか、もちろんそれは分かっていない。
準決勝まではどっしりと構えて、相手の戦術を叩き潰す側であった。
だが白富東というか、昇馬相手には何か特別なことをしないと、まるで点が入る雰囲気にならない。
白富東や帝都一、そして強豪神奈川という環境で、将典というエース。
桜印にはプロに行けそうな素材が、六人ほどもいる。
その中でも将典は、年代が今年であれば、競合で一位指名されそうなピッチャーだ。
生まれた年が悪かった、という点では真田と似たような評価になるのかもしれない。
思えば父親とも似たような評価になるのか。
上杉勝也も甲子園では、一度も優勝することはなかった。
もっとも甲子園の優勝投手で、プロ入り後も大成した投手というのは、案外少ないであろう。
甲子園でも圧勝したピッチャーだと、かなりの数になってくるが。
真田も優勝は出来なかったが、200勝には到達した。
上杉などは完全に、NPBの歴史を塗り替えたのだ。
ただ直史や武史は、プロでも結果を残している。
この二人に共通して言えるのは、勤続疲労がなかったことだ。
直史は岩崎や武史と登板機会を分け合い、そして大学でもピッチャーが控えていた。
もっとも大学レベルではむしろ、完全に無双して全力を出す必要もなかったか。
武史の場合はエンジンがかかるまで、時間がかかるというのもあっただろう。
150球までは余裕で投げられるピッチャーなので、長く活躍することが出来ている。
途中でMLBの、厳密な投球管理をされたのも、悪いことではなかった。
ただその100球の範囲内で、直史はいくつもの奇跡を起こしたが。
昇馬もこの大会、一回戦の桜島戦では、92球しか投げていない。
向こうがものすごく、積極的に振ってくる打線だったため、際どいボール球で三振を量産できたのだ。
名徳戦も104球、尚明福岡戦も112球と、負担が大きすぎるという球数ではない。
帝都一相手には七回しか投げていないのに、95球も投げさせられたが。
球数制限で降板する可能性は、まずないと言っていいだろう。
普段は300球ブルペンで投げても、全く問題ないのが昇馬だからだ。
ただ問題は、バッティングにまでどれだけ、力を配分するか。
帝都一との試合のように、盗塁を仕掛けることはしたくない。
そもそもあれは相手の警戒が薄かったからこそ、成功したようなものなのだ。
白富東の選手に、脳みそが筋肉の選手はいない。
アルトなどは感覚だけでやっているかな、というところはあるが。
あれで昇馬や和真も、それなりの学力を持っているのだ。
むしろこの中であると、聖子がちょっとまずいぐらいであろうか。
その三人としては、やはり問題は守備ではなく、攻撃にあると思われる。
桜印は一試合少ないブロックに入っていたし、一回戦と二回戦、そして準決勝もある程度、将典を温存している。
昇馬と同じくほとんど、万全の状態で白富東を迎えうつと考えていいだろう。
将典から点を取るとなると、昇馬が塁に出てからどうするか、がポイントになってくる。
この大会で将典は、158km/hのストレートを投げている。
昇馬が圧倒的なため控えめに見えるが、まだ二年生で158km/hなのだ。
これを打つのは白富東の、一番から三番まででも難しい。
当人の昇馬にしても、これを打つのは難しいとは思っている。
確かにパワーに関しては、アルトや和真よりも上の昇馬である。
しかし昇馬は二人が経験していることを、どうしても経験出来ないでいる。
それは昇馬の投げたストレートで、バッティングの練習が出来ないということだ。
単純に速いボールなら、マシンで160km/hを打ってきている。
だがそれでは攻略など出来ないのは、昇馬や将典のピッチングが証明している。
人間の投げる160km/hオーバーを打つ。
オフシーズンにはこっそり、武史に投げてもらっている昇馬だ。
しかしそれだけではどうしても、限界があるのである。
将典のピッチングには、知性がある。
コンビネーションをしっかりと考えて、150km/hを手元で動かしながら、大きなスライダーまで持っている。
さらにチェンジアップやカーブまであるのだから、昇馬であっても簡単には打てないのだ。
はっきり言うなら外角の、逃げているストレートを打つほうが、コンビネーションで組み立てられるよりも打ちやすい。
将典レベルであれば、正面突破の方が昇馬を攻略出来る。
そこも計算して、昇馬はこのレベルのピッチャーだと、無理にボール球を打ちにはいかないのだ。
打順を変えるべきではないだろうか、とエレナは思っていたりする。
一番昇馬というのは、確かに去年の段階では、一点を取るために必要であった。
だが今年は和真が入ってきて、完全に得点源となっている。
「カズに期待しすぎたらあかんよ」
聖子は厳しく言うが、あまり活躍してしまうと、かっこよく見えてしまいかねないから困る。
「アルトを一番にして、昇馬君の打力を活かしたり、あとはアルトと和真君を入れ替えたり」
このあたりエレナは、客観的な見方をしている。
アルトは重要な場面で打率が上がり、出塁率も上がる傾向にある。
初球から打っていったり、あるいは決め球を狙い打ちしたりと、本当に自由度が高い。
比べると和真は、確かに勝負強さはあるのだが、アルトほどの意外性はない。
また勝負強さも、アルトほどは高くないのだ。
どちらが攻めでどちらが受けか、ピンク色に考えていたエレナの姿はそこにはない。
妄想は妄想、現実は現実と、ちゃんと別に考えられるのがエレナである。
もっとも現実の男子には、あまり萌えないというのは事実であるが。
「和真君のおかげで、かなり楽になってるけどなあ」
エレナがそう誉めると、複雑な顔をする聖子である。
エレナは一応、ちゃんとした異性間の恋愛も、ちゃんと頭の中でカップルに出来るのだ。
それによると美少女の聖子と、年下ながら巨漢のワンコ系男子の和真は、ちゃんと推せる。
昇馬は現実では、全く女子を周囲に寄せ付けないので、また妄想の余地がある。
ただあれはそもそも、人間全体への興味が薄いのでは、とも思うが。
エレナはちゃんと、人間観察をしているのだ。
甲子園の決勝戦、そのスターティングメンバーのオーダー。
分析屋の彼女の意見も入ってくるのだが、それは色々と複雑な妄想をも含んだものである。
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