第71話 最後の夏の続きは
女子野球史上最強の選手は権藤明日美である。
男子に混じってプレイをして、初の選手県大会でグラウンドを踏んだのはシーナだが、誰もが認めるのは権藤明日美である。
他にも二人ほど異常な存在がいたが、彼女の場合は東大野球部で、リーグ戦を優勝手前まで持っていったという実績がある。
もっともその美貌と多才さゆえに、違う世界に飛躍してしまったが。
女子野球にプロなどはないのだし、タレントとしても短期間だが活躍し、そして今は四人の子供のお母さんで、捕まえた旦那が上杉勝也である。
代議士の妻というのは、大変に忙しいものであるが、将典は仲のいい両親の姿をずっと見ている。
高校野球最強の女子選手は、佐藤真琴と言えるのだろうな、と将典は思っている。
そもそもあの160km/hオーバーの速球を、女子の細腕でキャッチ出来るのが信じられない。
キャッチするだけであるなら、確かに捕れないことはない、と組んでいるキャッチャーも言うのだが。
その真琴がマウンドに登っているのを、待機している桜印の選手たちは見ていた。
「こうやって改めて見ると、やっぱり細いよなあ」
男子に混ざって甲子園でもホームランを打っているし、130km/hは男子でも高校一年生ならそれなりに珍しい球速だ。
そして1イニング、あの帝都一を抑えてしまう。
あと三人抑えれば、三季連続で甲子園の決勝進出。
桜印が第二試合に勝てば、またもや対決となる。
ただ今までと違うのは、これが甲子園での決勝戦ということである。
もちろんまずは、準決勝を勝ちあがることが重要であるが。
去年の夏は準々決勝で、ノーヒットノーランをされて1-0で負けた。
秋は一応勝ったが、それは昇馬の負傷のせいで、そのまま桜印は神宮大会まで優勝したのだ。
またセンバツには準決勝で対戦し、延長戦にもつれ込んでノーヒットノーランで敗退。
今度は決勝と、ステージは段々上がっている気がする。
「……何気に俺ら公式戦、白富東相手以外には負けてないのか?」
「今さら何言ってんだ」
逆に言えば一度を除いて、ずっと白富東に負け続けているということでもある。
そもそも甲子園などくじ引きはランダムなため、極端な話、一回戦で激突してもおかしくないのだ。
そこは野球の神様か甲子園のマモノが空気を読んで、ある程度は忖度しているのだろう。
「けっこう可愛いのに強いんだよなあ」
「三回戦でも5イニング投げて無失点だもんな」
「女子野球以外から女子日本代表にもなってるし」
「あ、でも俺はセカンドの子の方が好み」
「あのショートボブの子か。確かにあっちも可愛い」
「真琴ちゃんはよく知らないけど、聖子ちゃんはけっこう性格きっついとこあるぞ」
「なんだよマサ、いつの間にか連絡先交換でもしてたのかよ」
「いや、うちの母さんと聖子ちゃんのお母さん、同じ高校の同学年で友達だったから」
聖ミカエルの同じクラスで、しかも同じ野球部であったのだ。
あちらの方は他の部活と兼任であったが。
それを言うなら将典の母親は、試合ごとに助っ人に駆り出されるという、マンガのような運動神経を誇っていた。
時代が違うし、比べるステージが違う。
ただ将典の母親は、140km/hを投げる姿がしっかりと残っている。
もっとも真琴にしても、オーバースローなりスリークォーターにすれば、もう少し球速は出るのかもしれないが。
男共をなぎ倒すという意味では、どちらも男子投手からホームランを打っている。
なお真琴は甲子園でホームランを打っているが、その父である直史は甲子園でホームランは打っていない。
将典の場合は、両親の関係者が色々なところにいる。
父ははプロ野球界はもちろん、今は政治家だ。
母は元女優というかタレントで、運動神経も抜群である。
将典にしても兄は、生来肩が弱かったため、野球は早い段階で諦めた。
だが体格を活かして柔道の道に入っており、フィジカルモンスターと言われる将典が、全く歯が立たないものである。
しかしそんな兄からして、一ヶ月も練習すれば黒帯は取れるぞ、と将典は言われていたりする。
母は東大卒で、中高一貫の名門女子校出身で、そこから金持ちや芸術家の家系とつながりがある。
司朗のことについても、本来だったら佐藤司朗であったことを、知っている数少ない人間の一人だ。
当然ながら和真の母も知っているし、バレーボール日本代表よりもさらに、自分の母の方がフィジカルモンスターであった、ということも知っている。
母が同窓会のように友人と集まると、一番無茶苦茶なのは母であった、とはいつも言われるのだ。
母さんを怒らしたらいけないぞ、とは父がよく言うことだ。
いつもニコニコしていて、叱られたことはあっても怒られたことなどない気がするが、そこまで言われると怖くなる。
いったい何があったのやらと、母の友人に聞いてみても、知らない方がいいなどと言われたりする。
芸能界を生き、政治家の妻として生きる母は、確かにある種の怖さはあるのかもしれない。
本当かよ、と兄と共にいつも思うのだが。
将典には兄の他に、妹が二人いる。
三歳下と四歳下だが、どちらもフィジカルモンスターだとは言われている。
遺伝子というのは両方の親が優れていれば、ある程度は仕事をするものなのだろう。
十冠馬で検索してはいけない。
皇帝は帝王を残したが、そこでほぼ断絶しているのだ。
実際の話をすれば、真琴の弟の明史は、運動全般は苦手としている。
ただそれは幼少期から、激しい運動を止められていたためだ。
司朗の妹たちは、運動神経はいいが、芸術分野の方向に向いている。
長女はピアニストを目指しているし、次女も音楽関係の才能を伸ばしているという。
遺伝的な能力と言うよりは、両親の影響と環境が、子供の成長には関係するのだろう。
将典の場合は兄の代わりに野球で期待され、幸いなことに才能もあった。
だがシニアではそこまでの強豪に入ったわけではなく、桜印も神奈川の中で屈指のチームではあるが、四番手か五番手といったところであった。
もっとも今となっては、それが良かったのだと理解出来る。
父の勝也も無名のシニアから、公立の春日山に入学した。
それに比べれば自分は、学校が必死で集めた選手たちのおかげで、しっかり超激戦区の神奈川を勝ち抜いてきている。
全国制覇にも手がかかっているのだ。
実際に甲子園に比べれば注目度は低いが、全国大会である神宮大会では、帝都一も破って優勝している。
だがやはり目指すのは、甲子園での優勝である。
そのための最大の壁となるのは、帝都一よりは白富東か。
最終回にも、真琴はマウンドに登っていた。
一番の三浦をショートゴロに打ち取り、ランナーのいない状態で司朗と対決することになる。
だがテレビで見ていても、おそらくスルーだろうなというボールを、スタンドにまで運ばれてしまった。
「今日は四打数三安打で、ホームラン一本か」
本当に化物みたいなバッターだな、と打者としても優れている将典から見ても、司朗の勝負強さは突出している。
だが帝都一の反撃もそこまでであった。
二点目を取られてはいけなかったのだ。
スタンドを敵に回してでも、昇馬の打席は敬遠すべきであった。
もちろんランナー一二塁となったわけだが、あの状況では後ろのバッターと勝負するべきであった。
ジンはそう考えているが、昇馬がまさかあそこまで簡単に、ホームランを打つとは思わなかったのだ。
ホームランの数については、司朗よりも上の長打力を持っている。
あそこは歩かせれば、前に真琴がランナーとしているため、走力を活かすことも難しかったはずだ。
しかし甲子園は、ただ勝てばいいだけではないのが難しい。
甲子園に行くまでは、ただ勝てばいいのだが。
(結局勝てたのは、球数で降板した試合だけか)
桜印と二校がかりで、やっと昇馬を倒したというか、不戦勝にしたようなものだ。
決勝が桜印と天凜のどちらになるにしても、昇馬は余裕をもって投げることが出来るだろう。
この夏の覇者も、白富東となる可能性が高い。
センバツでこそ決勝で負けたものの、夏の連覇となるのか。
白富東は春夏春夏と、甲子園を四連覇した。
しかし夏三連覇は不可能であった。
(白富東もセンバツは負けてるけど、これはひょっとして夏三連覇出来るんじゃないか?)
それでなくとも四連覇したのは、白富東だけではある。
母校であることを考えると、複雑な気持ちになるジンである。
一応夏三連覇というのは、過去にも記録がある。
ただ当時は時代が違った、とも言えるのだ。
五大会のうち四大会で優勝し、一大会で準優勝なら、鬼塚自身の高校野球キャリアとも重なる。
一年の夏には春日山に負けて、そこからずっと負けなしであったのだ。
同時代に怪物は、複数現れるものらしい。
昇馬がいなければ少なくとも、帝都一は夏春夏の三連覇までは達成していたし、その次の春も勝っていた可能性は高い。
もっとも上杉将典がいなければ、センバツも白富東が勝って、空前絶後の五連覇を達成したかもしれない。
司朗という好打者の次に、昇馬という怪物が出てきて、その昇馬とある程度対抗出来る将典がいたからこそ、こういう結果になっている。
(来年からはまた、長期的に甲子園出場を狙っていくしかないか)
東京はセンバツに出場するのに、西東京都合わせた秋の都大会で、優勝する必要がある。
強豪の多い西東京と合同だと、神奈川や大阪で優勝するより難しいとも言われる。
ただしそのまま神宮大会に出場し、結果にもよるが準優勝でもセンバツに出場出来る可能性はある。
この秋の都大会で揉まれることにより、次の年の夏には、半分になった東京から出場することを狙う。
もっとも東は東で、それなりに強いチームもあるのだ。
それとチーム数の変化で、東西の区分けが変わってしまうこともある。
西東京のチームは、まだしも東東京より、グラウンドの設備を整えやすいとも言われる。
ただ使えるグラウンドの広さという点では、白富東は帝都一よりも上である。
グラウンドに試合観戦スタンドがあるかとか、その他の設備がどうかとかは、また別の話だが。
司朗にホームランを打たれても、真琴が崩れることはなかった。
最後にはスルーを打たせて、内野ゴロでスリーアウト。
二被安打の一失点と、合格点と言える内容であった。
これで昇馬を問題なく、決勝に使うことが出来る。
白富東は夏連覇へ、その道を順当に歩いていくことになるのだ。
高校野球最後の夏が終わってしまった。
司朗は一年の夏と二年の春、そして三年の春に帝都一を、頂点に導いたことになる。
主にバッティングでの貢献が大きいが、ピッチャーとしてもそれなりのイニングを甲子園でも投げた。
ただこの三年の春の制覇は、かなり桜印の将典のおかげだな、とは彼も思っていたが。
(でもバッターとしては結局、勝てなかったなあ)
本日の昇馬との対戦成績は、三打数の二安打。
普通に考えたならば、バッターの勝ちと言えるであろう。
だが重要なのは、勝ったと言えるような打球を打てたか、が問題であるのだ。
試合が終わっても、今年の三年生で泣いているメンバーは、あまりいなかった。
二年の春と三年の春、レギュラーで優勝したことがある、というメンバーも多かったからだろう。
この夏に初めてスタメンに入った、という三年には泣いているのもいて、またこれで野球は引退と考えている者も、ある程度は泣いている。
そこからのもらい泣き、という三年や二年などもいた。
司朗にとってはここからが、本格的な野球の始まりとも言える。
プロ入りの決心は、おおよそ決まっていた。
母の恵美理などは、東大に進学してあそこをリーグ戦で優勝させてから、大卒で行けば、などという頓珍漢なことも言っていたが。
それに反対しない、武史も武史である。
東大には推薦枠はない。
かといってものすごく頑張れば、一浪すれば行けるかな、というのが司朗の学力であるのだが。
大学に進学した選手と、プロ入りした選手を見てみれば、おそらく自分はプロでもう通用するな、とは思っている。
ただ結局、昇馬に負けたままで終わるのかな、という忸怩たる気持ちはある。
「今日は四打数三安打、一ホームランと爪痕は残せましたか?」
「いや、あのヒットは二本とも、打たされただけのものですから」
ちょっと考え事をしていたので、そんなことを正直に言ってしまった。
だが本心であるのは間違いない。
これでもう高校野球は終り、という気の弛みもあっただろう。
ここからは少し、注意していかなければいけない。
「打たされた、というのは」
「公式戦以外にも、監督同士が先輩後輩ですから、年に二回は練習試合していますから、だいたい手の内というか思考が読めるんですよね。だからもうあそこは、完全に手の内だったというか」
実際に打たれた直後、昇馬は全く動揺せずに、後ろのバッターを打ち取っていた。
放送後のインタビューでは、ジンはとにかく自分の判断ミスを責めている。
一点差だけであれば、どうにか出来た可能性は高い。
もちろん昇馬を敬遠していれば、野次などは飛んできたかもしれない。
それに後続のバッターもアルトと和真は、相当に難しいバッター。
真琴が二塁にまで進めば、ツーアウトからなのでワンヒット追加点という可能性はあったのだ。
白富東は今日、一番から三番までと、九番の真琴しかヒットを打っていない。
得点力が本当に、一部に偏っているのだ。
「打たせていった、というような発言が、あちらではあったようですが」
昇馬の方にそんなことを振られて、ちょっと困ってしまうのだ。
「まあ第一打席で外野まで飛ばされたんで、残りの打席は単打までに抑えるつもりで、欲はかきませんでした」
これまた昇馬の方も、正直に言ってしまうものなのだ。
日本的な言い回しが、あまり昇馬は得意ではない。
分からない時は素直に、よく分からないと言ってしまう。
「元々今日は、シロちゃんの様子を確認したら、単打か四球で一塁まで、というのは事前に決めてたんで」
「二打席目以降はあえて打たせていったと」
「う~ん、ナオ伯父さんと違って、打たせて取るなんてことは出来ないです。ただ三振は狙わずに、飛ばない組み立てはしていきました。普通ならゴロになるはずなんですけど、シロちゃんの場合は上手く打ってヒットにされました」
「三振を奪う力勝負はしなかったと」
「点を取られなければそれでいいですし」
「ですが今日も、20奪三振してますね」
「シロちゃんがランナーに出た後は、事故も怖いので確実に三振狙いで投げました」
つまり司朗以外であれば、確実に三振は取れるというわけだ。
実際にランナーとして出した後は、内野フライと三振というパターンになっていた。
ホームランについて、司朗は問われる。
「ジャイロボールは狙ってました。来るな、っていうのは雰囲気で分かりましたし。ただ今から考えると、あそこでホームランを打っても良かったのか……」
司朗は相変わらず、分かりにくいことを言う。
「ランナーに残って、後ろが打ちやすいように、色々仕掛けたほうが良かったかもしれないです。今さらですけど」
ただ真琴はしっかりと、打ち取るつもりで全力では投げたのだ。
両校の監督は、互いの主力の話に関して、ちょっとひやひやしていたりする。
放送席への中継は終わったが、それ以後もインタビューはあるのだ。
「ホームランを打たれたことに、敬遠するべきだったと仰いましたが」
「リードされている流れを、バッティングを抑えることで変えようと思ったんですけどね。決勝打を打つ時の昇馬君の勝負強さを甘く見ていました」
「白石君についてはスカウトもしていたそうですが、もし実現していたら甲子園を五連覇していたかもしれませんね」
「いや~、それはキャッチャーの真琴ちゃんを甘く見すぎでしょう」
ジンとしては自分の教え子のキャッチャーを、もちろんくさすつもりはない。
だがシニアの時代の真琴には、彼も少しは教えたことがある。
昇馬のストレートは、165km/hである。
もちろん帝都一のキャッチャーも、それをキャッチするぐらいには鍛えられるだろう。
だが真琴の場合は、リードも見事なのである。
ピッチャーのパワーに頼ったピッチングをしていないし、しっかりとボールを止めている。
それでいながら上手く、体の柔らかさを使って止めているのだ。
ジンとしては確かに、敵であるチームのバッテリーだ。
だが同時に、共に甲子園を制覇した、戦友の子供たちでもある。
「あちらは従姉弟同士ということもあるし、父親が引退していた間は、それなりに指導も受けていましたしね。あとは樋口選手からも教えられたことがあるそうですし、監督として上手くどこかで隙を作れればよかったんですが」
強いて言うならば、司朗の第一打席が、最大の得点のチャンスであったのだろう。
だが天才の司朗といっても、同じレベルの天才のボールには、合わせるのは簡単ではない。
打とうと思えばいつでも打てる、というのが司朗である。
そんな司朗が断言できないのが、昇馬であるのだ。
他に対戦して苦労したのは、やはり上杉将典ぐらい。
またしばらくは甲子園出場はともかく、全国制覇は遠ざかるかな、と考えるジンであった。
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