第68話 戦力構成

 白富東の戦力というのは、本当に歪である。

 歪と言うよりは、ほんの数人が突出していて、チームとして成立している。

 昇馬が投げて真琴が捕り、二遊間を聖子と鵜飼が守って、センターで外野をアルトがカバーする。

 これに一枚、和真が加わっただけ。

 一年生は他にも数人、ベンチには入っている。

 ただ鬼塚が守備力を重視したため、基本的には代打や代走で使われることが多い。

 昇馬は一点あればだいたいなんとかしてしまうのだから、無理に二点目を取ることはない。

 守備が優位な高校野球において、鬼塚もその原則を守っていた。


 弱点があると勝てないのが高校野球。

 ジンはそう思っていたが、実際は違うのである。

 いくら打線が強くても、まず守備がしっかりしていないと、どこかでこけるのが高校野球である。

 まずは守備、21世紀枠でも、守備力が低いと選ばれにくい。

 なぜなら一方的な試合になると、とんでもない点差がついてしまったりするからだ。


 白富東はその守備力を、ほとんどピッチャーの昇馬に依存している。

 おおよそ一試合に20奪三振もしていれば、それも無理のないことである。

 それなのにさらに内野の守備を考え、得点も一部に依存する。

 もっとも県大会などであると、余裕でコールドを狙えたりする。


 重要なのは状況に応じて、コールドを狙うのか守り勝ちを狙うのか、ベンチが区別しているということだ。

(鬼塚もプロの試合からシニアを通じて、そのあたりの按配が分かってきたのかな)

 プロ野球というのはジンが想像する限りでは、負けをどう受け止めるか、という世界だと思う。

 圧倒的に強いチームであっても、勝率は七割ほど。

 七割の勝率では、甲子園の優勝は出来ない。

 チームのストロングポイントを、はっきりと理解した上で、相手を攻略して行くのだ。


 昇馬と司朗との対決。

 帝都一の応援の声が、やや小さくなっているように思える。

 おそらくバッターボックスの司朗は、もう音が聞こえていないだろう。

 集中することによる、相手の心を読むという能力。

 聴覚に近いが、もちろん聴覚のはずはない。

 ジンも聞いた話ではあるが、母方の血筋から、この能力は遺伝しているらしい。


 舞台におけるイメージの共有、とでも言えばいいのだろうか。

 妹たちは音楽をすることによって、それを使っている。

 相手の音を聞くのではなく、自分の音を聴かせる。

 それで上の妹は、ピアノで世界的に有名になりつつあるのだ。

(ただ、この相手には通用するのか?)

 ジンが知る限りでは、上杉や直史といった、伝説に残るような高校野球のピッチャーだ。

 敗北を知らないという点では、直史をも上回る。

(ここでヒットを打てないと、ちょっとまずいんじゃないのか)

 そう思っていたジンであるが、確かにその通りではある。

 ここまで一人のランナーも出ていないというのは、昇馬にとってはよくある話。

 そんなところまで伯父に似なくてもいいだろうに。




 こういう時に思考が出る。

 司朗はずっと、日本流の緻密な野球を学んできた。

 スモールベースボールともいうもので、戦術的に考えた野球である。

 それに対して昇馬は、直感で野球をやっている。

 この打席は抑えられない、と感じたのだ。

 だが最低限の傷にすればいい、とは考えた。


 申告敬遠なり、あるいは普通にフォアボールにすれば、まだしもノーヒットノーランが残る。

 だがそんなところにはこだわっていないのが、昇馬の感性なのである。

 インハイに投げたストレートは、司朗にとっては打てるコースであった。

 判断などするまでもなく、反射でそれを打っている。

 しかし振り切るには、体感速度に差があった。


 ピッチャーの頭上を抜けていくボールは、しかしセンターの前に落ちる。

 クリーンヒットではあったが、司朗が求めていたものとは違った。

(内角なのに引っ張りきれなかった)

 それでもしっかりと、内野の頭は越えたのだが。

(スピードは……164km/hって、普通か)

 最速の165km/hに比べれば、普通と言えるのであろう。


 この試合初めてのヒットというか、初めて昇馬がクリーンにミートされた。

 しかしサウスポーの昇馬がどういう表情をしているのか、一塁からは見えたのだ。

(動じてない)

 この大会でも一回戦で、パーフェクトを達成した昇馬。

 だがその時もであるが、前からインタビューなどでも、笑顔になることは少ないのだ。

 ポーカーフェイスを貫くというか、今も動揺を感じない。

(このメンタルは分からないな)

 従姉弟同士であっても、かなり昇馬を理解するのは難しい。


 ただ確かなことは、今のボールはちゃんと読んで打ったこと。

 それでも押されてしまったことは、想定外ではあった。

(何かがまだ悪かったんだ)

 ワンナウトランナー一塁だが、昇馬はサウスポー。

 司朗の足であっても、盗塁は難しい。

 もっとも真琴はキャッチからスローの動作こそ早いものの、投げるボール自体はやはり女子。

(盗塁もありか?)

 この試合の前に司朗は、ジンとかなり話し合っている。


 昇馬というピッチャーから一点を取るのは、ひどく難しいことである。

 なんなら普通のチームなら、先制された時点で諦めてしまうようなものだ。

 だが帝都一の場合は、司朗という傑出したバッターがいる。

 二年の夏までは、勝負所で長打を打つ安打製造機であったが、三年の春には強力なスラッガーになっていた。

 純粋にパワーを増やしたので、打球の飛距離が伸びたと言える。


 ケースバッティングが出来る、強打者にして好打者。

 ただ今の場面は、長打を狙わなければいけなかったのではないか。

(盗塁をさせるか?)

 ジンが迷うのは、昇馬がサウスポーであるということ。

 牽制がしやすいので、迂闊にリードが取れない。

 またあまりやらないクイックも、しっかりと速いのだ。




 そもそも昇馬はランナーを背負って投げるということが、極端に少ないピッチャーだ。

 そして出たとしても、エラーやデッドボールなど、足で出たランナーは少ない。

 さらにサウスポーなので、盗塁をしかけることが前提として難しい。

 だから走った経験がなく、そのため走ってもいいのか判断がつきにくい。

 真琴の肩が男子よりは弱いといっても、130km/hは出しているわけだ。

 ただ女子にしては長身の体格を活かして、全身の連動から130km/hを出している。

 つまり肩の強さは、それほどではない。


 もっともキャッチャーからの送球を内野にする場合、そのタイミング自体は早い。

 上手くスナップを利かしているため、小さい動作で素早く投げる、というのが定着している。

 キャッチャーの肩の強さは魅力的だが、肩が弱いキャッチャーは通用しないのか。

 そんなはずはない。実際に日本野球史上最高とも言えるキャッチャーは、肩の弱さを自覚して、そこから今のプロでの常識を作り出していった。


 キャッチャーの肩によるわずかな差よりも、ずっと他に短縮した方がいい部分がある。

 ピッチャーとの連携により、盗塁をより阻止しやすくなる。

 それがずっと常識であったが、今はまたキャッチャーにもフィジカル、つまり肩も求められる時代。

 ただ初球に昇馬が、あっさりと司朗から目を切ってボールを投げたので、これは走れないと感じた。

 真琴の捕球体勢が、普段よりも少し変化していると、気づいたのはジンである。

(盗塁阻止もちゃんと考えてるわけか)

 結局盗塁のサインは出せなくなってしまう。


 やっと出たランナーなので、どうにか二塁には進めたい。

 そうは思っても中軸は送りバントなど、あまり得意ではない。

 高校野球は四番であっても、確実に送りバントを決めたい場面はある。

 実際にジンもバント練習をやらせていないわけではないが、そもそも昇馬のボールなど、送りバントすら難しいのだ。


 むしろバント名人でなければ、まともにバントも出来ないであろう。

(普通に打たせるしかない)

 だがゴロを打ってダブルプレイだと、どうにもならない。

(進塁打を狙って打たせられるほど、簡単なボールでもない)

 せっかくのランナーが出たというのに、ほとんど詰んでいる。

 ただ三番は、帝都一の打線の中でも、打率は司朗の次に高い。

 進塁打ぐらいは期待して、次の四番勝負になるか。


 ツーアウト二塁になれば、ワンヒットで帰ってこられる。

 司朗もセンターを守るだけに、相当の俊足なのである。

 だがそういった展開の想定は、全て無駄になった。

 昇馬がやや球数を多めに使いながらも、ストレートを決め球に使って二者連続三振。

 進塁打がどうのこうのではなく、当てることが出来ていない。


 球速はともかく、さらに上のギアがあったということか。

 ただ昇馬が司朗に投げたボールは、ほぼMAXであったはずだ。

(手元で動くボールでも投げたのか?)

 ならば司朗が、ミートしても長打にならなかったというのは分かる。


 ベンチに戻ってきた司朗は、差し込まれたと言った。

 164km/hというのは、昇馬のMAXよりはむしろ少し遅いのに。

(思ったよりも早く来た、ということか)

 それだけでジンは、おおよその推測が立てられた。

(鬼塚か、それとも昇馬君が自分でやったのか、それは分からないけど)

 なるほど自分もやらせたな、と思い出すジンであった。




 昇馬が司朗に投げたのは、種類の違うストレートである。

 普段は完全にバックスピンをかけて、ホップ成分を高めているストレート。

 ものすごい高レベルな相手にだけは、投げ分けで使うことが出来る。

 ホップ成分ではなく、ライフル回転をややつけたストレート。

 スルーのなりそこない、と言ったらいいであろうか。


 昇馬はスルーについて、少しは考えたことがある。

 沈みながら伸びるジャイロボールには、確かに魅力があったのだ。

 ただこれは少し練習して早々に、ストップがかかった。

 肘への負担が大きすぎる、というのが理由である。

 真琴が女子特有の、関節などの柔らかさを持っている、というのとはまた理由が違う。

 そもそもスルーを160km/hで投げるなど、肘への負担が大きすぎるのだ。


 ジャイロ回転を正確にかけようとすると、スライダーのようになってしまう。

 もっと単純に、少しだけスピン軸を傾けて、しかしスピン量は減らさないようにする。

 これによって球速はほぼストレートと同じで、だがあまりホップしないというストレートになる。

 おまけだがこれは、手元でほんのわずかに変化する。

 司朗が差し込まれたと言ったのは、キレは充分にあったからだ。

 そのスピン量というのが、キレにつながっているのだ。


 ストレートを投げ分ける、というのが昇馬のやっていることだ。

 これは高度なように見えて、実はそうでもないのである。

 ボールの握りだけを変えて、ツーシームを投げるのと同じことだ。

 フォーシームにならないように、それでいてわずかにライフル回転がつくように投げる。

 ストレートを投げているのと変わらない。


 普通のピッチャーであれば、あまり意味がない。

 だが昇馬がこれを投げると、わずかにミートのタイミングかポイントがずれてしまう。

 その結果として、スタンドには飛んでいかない打球になるわけだ。

 なおこのアイデアは、鬼塚でも昇馬でもなく、明史が残していったものである。

 昇馬のスピードがあってこそ、という前提がつくし、とにかくホームランは避けたい、という意図があってこその球種である。


 軌道でいうならば、ほんのちょっとだけ落ちる。

 ミートしたはずの司朗が、差し込まれたと感じる程度に。

 優秀であるからこそ、対応してヒットにまではしてしまえる。

 ほんのわずかな差が、むしろ得点を許さない結果とする。


 司朗が天性のスラッガーなら、あるいはファールにでもなって、ストライクカウントを稼いだだけになっただろう。

 だが基本的には好打者である司朗は、巧打でヒットを打ててしまう。

 昇馬のボールは、差し込まれたと思っても、全力で振り切るべきだった。

 確実にヒットに、という意識がセンター前の単打としてしまった。

 そして進塁さえされなければ、まず偶然が重なって失点になることもない。

 結局はヒットが一本出ただけ、というのがこの場合の事実である。


 昇馬がヒットすら打たせたくない、というピッチャーでは使えなかった。

 だが昇馬は勝負というのは、あくまでも試合の勝敗で決着する、と考えている。

 自分が投げている限りは、一点も許さない。

 そういう思考をしているからこそ、ここで失点することがなかったのだ。

「さて、どうやら二打席目が回ってきそうだ」

 五回の表、既にツーアウトである。

 しかし打席に入るのは、ラストバッターの真琴だ。

 第一打席は凡退しているが、それは相手のピッチャーの手の内を探るため。

 実のところ長打力はともかく、それ以外は和真よりも、信頼している昇馬である。


 ラストバッターで女で、侮る要素は存分にあっただろう。

 だがあまりにも不用意なピッチングは、真琴の読み通りにゾーンに入ってきた。

 以前に甲子園で、ホームランを打っているのだが、そういう情報をしっかりと頭に入れられないのか。

(まあ、侮ってくれた分、こちらとしては助かった)

 ツーアウトながら一塁で、昇馬の三打席目がやってくる。




 ここからどういう作戦を取るかは、決まっていることである。

 もちろん真琴は盗塁して、一塁を空けてしまうことなどはしない。

 そもそも盗塁の成功率が低い、ということもあるのだが。

 ランナーがいる状況で、果たして昇馬を敬遠出来るだろうか。

 確率の問題を考えれば、得点圏の二塁にまで真琴を進めれば、ツーアウトでアルトの打席となる。

 前の打席も、アウトにはなったがいい打球は飛んでいた。

 そしてアルトも、立派なクラッチヒッターなのである。


 逃げ気味ではあっても、昇馬と勝負するしかない。

 そう考えるのが、一般的な監督であろうか。

 ただ勝負に徹するならば、ここは敬遠すべきであろう。

 今日二度目の敬遠となれば、甲子園の空気は一気に白富東の味方となる。

 それを考えても、自分なら敬遠だな、と真琴は考える。

 帝都一のピッチャーもかなりいいピッチャーだが、昇馬ではないのだ。

 せめて上杉将典や、獅子堂に中浜といったレベルなら、まだ勝負してもいいだろうが。


 しかしここは高校野球である。

 ジンは勝算が低い上で、それでも勝負の背中を押した。

 長谷川はプロ志望であり、確かにその資質はある。

 今年のドラフトなどであれば、下位指名は充分に考えられた。

 そういう時に、昇馬との対決で、打たれることも重要だろう。

 もちろん抑えられれば、一番いいのだが。


 ここで打たれて評価が落ち、指名漏れということも充分にある。

 あるいは圧倒的な才能を前に、野球をやめることもあるかもしれない。

 またはまだ実力不足と考えるなら、大学で野球を続けるという選択もある。

(勝敗にこだわらなければ高校野球じゃないけど、選手の成長も考えないといけないからなあ)

 とりあえずホームランだけは避ける、そういうピッチングをしてくれればいい。


 低めに集める。

 昇馬はアッパースイングもするので、下手な低めは平気で打ってくる。

 それでも低めに集めて、高めの釣り球も使っていく。

 そういうリードをした帝都一のバッテリーは、おかしなものではなかった。

 おかしいのは昇馬であるのだ。


 低めに投げた、ワンバンするチェンジアップ。

 あくまでもカウントを稼ぐか、緩急をつけるためのボールであった。

 だがバウンドした後、そのボールはゾーンの高さにあった。

(打てる)

 考えるというよりは反射で、昇馬はスイングしていた。

 打った瞬間に真琴は、走る必要がないのが分かった。


 ワンバウンドして、反発力もそれほどなかったはずのボール。

 それがセンターのバックスクリーンにまで運ばれた。

 3-0というほぼ致命的とも言えるスコアにした、昇馬の一振り。

 ホームにまで戻ってきた昇馬は、先に帰っていた真琴と、ハイタッチで応えたのであった。

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