第67話 ピッチャーのくせに
帝都一が上手く、白富東の上位打線を抑えたため、序盤に動きがなかった。
また帝都一の方も、昇馬に少しでも対抗出来るのは、司朗ぐらいである。
帝都一は司朗以外にも、プロから注目されている選手はいる。
四番だけでは勝てないと、ジンが考えて選んだ打線である。
それなのに全く、昇馬に手も足も出ない。
(なんだかんだ言って、本当に危険なのは昇馬君一人だからな)
ジンはアルトのことも、帝都一のスタメンに入れるだろうな、というぐらいには評価している。
だがバッティングはまだ、そこまで超高校級なわけではない。
また和真にしても、確かにホームランを甲子園で打っているが、まだ一年生というところがある。
だから一番危険なのは、やはり昇馬一人であるのだ。
三回の表、白富東の攻撃。
ツーアウトから、昇馬の第二打席である。
ホームラン以外ならば、なんとか失点は抑えられるのではないか。
そうは思うが次のアルトも、相当に危険なバッターである。
甲子園でも既に、ホームランを打っている。
そしてこのアルトを避けても、まだ和真が強打者として控えているのだ。
単打で抑えられれば充分。
ジンはそう考えているが、その単打で抑えるのが難しいのだ。
もっとも比較的、ホームランにならない方法は分かっている。
高めに投げてしまうのだ。
本当なら長打になりやすい、高めのストレート。
だが大介と違って、昇馬はレベルスイングで、ジャストミートを狙うというタイプではない。
ややアッパースイングで、ボールをバレルで捉える。
しかし高めのストレートは、ミスショットの可能性が高くなる。
ただあくまでも比較の話で、高めを狙ったボールではなく、高めに浮いたボールは打たれてしまう。
それでも低めに投げたボールを、掬われてホームランにされるより、ずっとマシな話である。
第一打席は、申告敬遠を使ってしまった。
本当ならばボール球で、フォアボールにした方が、よほど安全ではあるだろう。
しかしそういった行為が、甲子園を敵に回すことを、ジンはよく知っている。
まだしも地元の近畿のチームなら、関東のチームを相手にやって、少しは許されることがあったかもしれない。
もしくはこちらが、公立校が私立を破って、などという条件がついていたら。
怪物であるバッターを、普通のピッチャーがという条件なら、まだしも理解されたろう。
しかし帝都一は、間違いなく今年のセンバツも制して、関東の強豪私立。
そこが昇馬を敬遠するのは、限界があるというものだ。
自分と直史であれば、平然と敬遠しただろう。
ジンはそう思うが、直史であれば敬遠の必要もないか。
技術ではなくメンタルの問題で、帝都一のエースに連続敬遠をさせるわけにはいかない。
そしてジンの期待に応える程度には、長谷川にも力があった。
ホップ成分の高いボールを、高めのゾーンに投げる。
昇馬の打った打球は鋭く、しかし弾道はあくまでも限定されている。
センター前の単打で、ツーアウトからランナー一塁。
これで胸を撫で下ろしたジンであったが、それにはまだ早いのであった。
単打までならOK、と考えるのは自然である。
昇馬は自分がどう警戒されているか、それはちゃんと分かっていた。
無理にホームランは狙わないが、しっかりとミートすることは考えていた。
もっともあまりに振り切ってしまうと、ライト正面のライトゴロになるかな、という程度のことも考えていたが。
ツーアウトながらランナー一塁。
あるいはランナーを出したが既にツーアウトと考えるべきか。
しかしここで単打までに抑えたのは、充分に立派なことである。
それでもアルトが長打を打てば、昇馬の足なら一気にホームに帰ってこられる。
厳しい状況ではあるが、ワンナウト一塁であった一回の表に比べれば、まだマシと言えるであろう。
まずは目の前のバッター集中。
「走った!」
そう思っていたところに、昇馬が走り出したのだ。
さほどのリードも取っていなかったのに、盗塁である。
だが気配を感じさせなかったことにより、ピッチャーのクイックは遅かったし、コントロールも乱れてしまった。
このままでは暴投になる、と判断して球種なども変えない。
外角に逃げる変化球で、ファーストストライクを取りに行く。
これにアルトは援護の空振りをして、さらにわずかに時間を稼ぐ。
ぎりぎりのタイミングであったが、盗塁は成功した。
ジンは走られてから、全てが正しいことに気がついた。
ツーアウト一塁であれば、アルトの単打までは許容内。
そして次の和真まで、ヒットが連続する可能性は低い。
それならばいっそのこと、アウトになる可能性があっても、走るべきだろう。
すると次はアルトが、先頭打者の打順から始まるのだから。
しかし、それにしても。
「ピッチャーが走るか……」
それもただのピッチャーではなく、絶対的なエースだ。
足から滑り込んだが、下手をすれば軽い捻挫などになっていてもおかしくない。
また盗塁はダッシュが必要なので、ピッチングに必要な足腰への負担もある。
それなのに走ったのが、昇馬の嗅覚と言うべきか。
ここでの盗塁は、見事に成果となる。
アルトの打ったボールは、左中間で外野が回りこんで捕るようなボールになった。
下手に前進守備などをすれば、アルトの長打力が問題となる。
自らがホームに滑り込んで、昇馬は一点を獲得した。
たった一点を先制しただけで、試合の流れは一気に白富東に傾く。
三回の裏は三者三振で、帝都一の攻撃は終わった。
(下位打線では当てることすら出来ないか)
マシンの160km/hオーバーには慣れさせたが、やはり人の投げるボールとは違う。
それにチェンジアップが混じっていると、もう下位打線は変化球を狙え、としか言いようがない。
140km/hオーバーのチェンジアップ。
落ちるタイプのものであるので、こんなものが打てるはずもない。
またツーシームなどを含んでくると、それも上手くは打てない。
まともな打球が飛んだのは、本当に司朗ぐらいというレベルだ。
帝都一には他にも、プロに行くだけのスペックを誇るバッターはいるのに。
昇馬と対戦したバッターは、どうしても評価が下がってしまう。
だが三振に抑えられなかったというだけで、評価が上がるのは皮肉であるのか。
四回の表、白富東の攻撃は三人で終了。
そして四回の裏、司朗の二打席目がやってくる。
どうにかして司朗の前に、ランナーを出したい。
だからこれまたプロ注目の一番三浦には、そのまま一番を打たせている。
さすがに三球三振はないが、変化球を二つ続けられた後に、ストレートを投げられると打てない。
ワンナウトで司朗の打席を迎える。
(申告敬遠をしてもおかしくないけど、してこないんだろうな)
司朗のことを警戒しているのは間違いない。
だがそれでも、昇馬は勝負をしてくるだろう。
第一打席は平凡な外野フライに終わったが、そもそもそこまで運ぶだけでも、充分に強打者の証明になるのだ。
実際に昇馬の球数は、一年生の頃よりも増えている。
つまり昇馬も成長しているが、それよりも対戦するバッターが成長しているのだ。
一人の特異点が生まれてしまうと、それに対抗するために多くの人間がレベルアップする。
かつての上杉のような存在であろうか。
順番は違うが、司朗はやや昇馬に適応しつつある。
安打製造機であったのが、長打も打てるようになったのは、昇馬に対抗するためと言えるだろう。
すると日本のどこかで、直史のようなピッチャーがまた生まれているのか。
ただフィジカルモンスターな上杉や大介と違って、直史の代わりは生まれるとは思えないが。
あれは特異点ですらない。
おそらく存在する、唯一のバグである。
チートですらないのだ。
司朗に対して果たして、どういうピッチングをするのが正解であるのか。
正直なところ真琴にも分からない。
データを色々と分析はしているのだが、確実に打ち取るのは難しい。
「なら面白いな」
などと昇馬は言ったのだが、司朗に一発が出れば追い付かれるのだ。
一点あれば大丈夫、とはさすがに言い切れない。
昇馬はここまで、一年以上もずっと、無失点の男ではあるのだが。
司朗ならば、と真琴も思ってしまう。
実際に昇馬にしても、司朗のことは警戒しているのだ。
第一打席は三振を奪うつもりで、最悪でも内野フラに収まるだろう、と思っていた。
だが実際には外野の定位置まで飛ばされている。
司朗は前の打席から、間違いなくアジャストしてきているだろう。
ならば打球の飛距離は、さらに伸びてくる可能性が高い。
スタンドにまで届かないにしろ、長打になれば。
帝都一の上位打線は、少なくとも当てる程度のことは出来ている。
エラーなどからの事故で、点が入ることはありうるのだ。
野球は偶然性のスポーツであるのだから。
だが昇馬はしっかりと、やる気になっていた。
野球をしっかりと、楽しむことが出来る。
それが司朗と対決した、昇馬を客観的に見た姿である。
熊や猪との戦いでないと、楽しめないのかと誤解しているのは真琴である。
熊や猪も基本的に、人間よりもはるかに強いのだと、昇馬は知っている。
熊はもちろん猪であっても、素手で勝負するのはかなり厳しい。
ただ、一番恐ろしいというか、手強いのは人間である。
この場合は野球という舞台において、司朗と戦う。
野生と違って逃げてもいいし、実際に逃げられる。
だがあえて戦うのを選択するのが、人間の勝負であるのだ。
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