第64話 一番面白い日
夏の甲子園の一番長い日は準々決勝である。
なにせベスト8に残ったチームが、この日に四試合戦うわけだからだ。
一番強く残ったチームが、四試合も行う。
そして桜印と帝都一が残った。
白富東が、尚明福岡とベスト4の座をかけて戦う。
(岡山奨学館との試合で42球投げたから、残り三試合で458球)
試合の前に鬼塚は、そんな計算をしていた。
(一試合150球あれば、昇馬なら決着がつく)
センバツで延長戦にもつれ込んだ時も、148球しか投げていなかった。
もし尚明福岡に点を取られたとしても、今の白富東なら、一点ぐらいは追いつける。
たぶん、きっと、めいびい。
五日間で中一日をフルイニング。
プロ野球の世界なら、ピッチャーが助走をつけて殴るレベルの日程だ。
しかしプロの世界を知っている鬼塚だからこそ、昇馬の実力と高校野球の平均を、ちゃんと計算して判断しているのだ。
高校野球が一番楽しく、そして一番長い日。
四試合のうちの二試合が、既に終了している。
ただ一番注目されているのは、この第三試合であろう。
第三試合というか、昇馬なのであるが。
怪物と言われるピッチャーは、年に一人ぐらいはいる。
毎試合二桁奪三振など、そういうレベルのピッチャーだ。
昇馬と同学年には、普通なら怪物と言われるピッチャーが、少なくとも五人はいる。
将典の他に、真田新太郎、獅子堂、中浜、中浦といったところだ。
超高校級と、二年生の時点で既に、呼ばれているのがこの五人。
だが昇馬はそういったピッチャーたちを、さらに二段階ほどは上回っているのだ。
また尚明福岡の風見も、スラッガーとして全国に知られている。
その風見をあっさりと三振で抑え、圧倒的にホームランを叩き出しているのが、昇馬という存在なのだ。
打撃においては高校時代の上杉を上回る。
ピッチングにおいては上杉の数字を、今のところは上回っている。
なにしろこれまで、点を取られたことがないのだ。
上杉も一年の頃などは、自責点0で負けていたりしたのだが。
点を取られず、自分でホームランを打つ。
一人野球に近いものだが、昇馬としては驕ることはない。
面倒な集団競技を選んだな、とも思わない。
野球は四番でピッチャーをやっていたら、一番活躍出来るスポーツだろう。
プロと違ってアマチュアの、高校野球レベルであるならば、一人のエースでかなり戦える。
もっとも近年は、技術の向上と夏の気温、さらに球数制限まであって、一人で投げぬくのは難しくなっているが。
昇馬はその部分で、生命体としての力が、既に高いのだ。
球数制限さえ気をつければ、どうにか投げてしまえる。
他の怪物と呼ばれるピッチャーたちも、その体力の部分だけは、本当に真似出来ないと感じてはいる。
スピードを生み出すパワー以前の、基礎的な生命力である。
だがこの試合は、強打の尚明福岡が相手であるのだ。
165km/hのストレートを投げる高校生。
別に異常なわけではなく、アメリカにもそれ以上のスピードを誇るピッチャーはいたりした。
そう、ただそのスピードだけなら、昇馬は唯一無二の存在ではないのである。
プロ入り後の話をするなら、上杉や武史は170km/hに達している。
蓮池なども165km/hまでは出していたのだ。
武史は現在、もう170km/hは出せなくなっている。
だが今年も普通に、ストレートは160km/h台を平均で出していた。
(プロに行けばこいつとは、何度も戦うことになる)
風見はそう考えて、バッターボックスに入る。
(俺も成長するかもしれないけど、こいつも成長する)
今が相手の全盛期などと、考えない方がいい。
160km/hのマシンであれば、普通に打ち込むことは出来る。
それ以上のスピードを出しても、目を慣らすまでしかしなかった。
機械と違って人間のボールは、160km/hで充分に打てなくなるのだ。
ずっと長い間、球速の限界は160km/h台の前半と思われていた。
しかし21世紀になってから、一人165km/h以上を出すと、次々とそれを上回るピッチャーが出てきた。
その中には日本人もいて、トップ10に二人がいる。
尚明福岡は風見を、四番として使っている。
それで本当にいいのか、と逆に鬼塚が心配になったものだ。
桜島はパーフェクトに抑えられ、名徳も二人しか出塁していない。
四打席目が回ってくると本当に考えているのか、それとも単なる思考停止なのか。
尚明福岡はここまで、余裕のスコアで勝ちあがってきた。
エースの宗像は相当に温存し、短いイニングを調整のように投げてきた。
バッティングの方でもクリーンナップであり、風見が敬遠された時には、それを返すホームランも打っている。
ドラフトの候補には当然のように上がっているが、果たしてプロではピッチャーなのかバッターなのか。
尚明福岡のエースなのだから、もちろんピッチャーではあるのだろう。
しかし野手転向も充分にありうる、と思われている。
サウスポーをバッターで使うことはないだろう。
その宗像が、初回から先発している。
とにかく尚明福岡としては、白富東に先取点を取られることは避けたいのだ。
そして今日は白富東が先攻。
一番バッターは、おそらく高校野球史上、最強の一番と言われることになるであろう昇馬。
四番打者最強論を潰すのは、昇馬自身のピッチングにもよるものだ。
尚明福岡を、ランナー三人までに抑える。
それに成功したら、風見に四打席目はない。
そもそもそこまで回らなければ、どのみち勝てないと考えているのか。
鬼塚としてはまだまだ、高校野球を指揮官として見るには、経験が不足している。
こんな怪物がいて、どうして負けることがあるのか。
多くの人間がそう思うだろうが、昇馬がピッチャーを出来ないか、負傷退場でもすれば、負けてしまうのがワンマンチームだ。
実際には昇馬とその他少し、というぐらいには他の選手もいる。
そもそも昇馬のボールをキャッチ出来るような、そんなキャッチャーが果たしてどれだけいるのか。
そう考えると女子の真琴が、骨折もせずにキャッチしていることが、どれだけすごいか分かるだろう。
球質が軽いのか、という話にもなってくる。
だが少なくとも、昇馬はまだ一本も、公式戦でホームランを打たれていない。
司朗に打たれたのも、あくまでも得点にもつながらないヒットだ。
空振りを奪えるストレートは、バックスピンが強烈にかかっているため、当てたら意外と飛んでいったりする。
しかしまともに当たりさえしなければ、それも分からない話である。
一回の表、白富東の攻撃。
先頭バッターの昇馬に対して、宗像の投げた第一球。
初球はとにかくストライクが取りたいのが、先発ピッチャーというものだ。
だが初球から昇馬にストレートでストライクを取りにいくのは、あまりにも敷居が高い。
宗像の選択というか、尚明福岡の選択は分からないでもない。
サウスポーが逃げるスライダーで、左のバッターボックスに入った昇馬に投げたのだ。
ボール球であるから、打たれてもファールになるだけ。
そういう甘さがあったのかもしれない。
だが両利きに訓練されている昇馬は、外角のボールをしっかり、広角で打つことが出来る。
打ったボールは飛距離は充分であった。
ポールの上部に当たって、グラウンド内に戻ってくる。
一点も与えないピッチャーが、まず自分で一点を取った。
そんな始まり方で、準々決勝の第三試合はスタートしたのである。
風見のスイングスピードは、160km/hのストレートをも打つものだ。
だが昇馬のストレートは、球速だけでも160km/hオーバーである。
最後の一押しをどうするかで、そのボールの威力は変わってくる。
第一打席を三振に打ち取られ、第二打席もわずかにかすったのみ。
デッドボールを一つ出しただけで、試合は進んでいった。
昇馬はこのデッドボールというのは、テイクワンベースだけでは割りに合わないな、と考えている。
過去にはMLBにおいて、死者すらも出したことがあるのだ。
もっともその時代は、ヘルメットも今のようなものではなかったそうだが。
デッドボールに関しては、バッターのトラウマになることすらある。
その時点でピッチャーは交代させるぐらいが、ペナルティとしては相応しいと、昇馬は思っているのだ。
昇馬にボールを当てられて、次の打席も踏み込めるバッターがいるだろうか。
少なくとも高校レベルでは、そんなバッターは見ていない。
風見に関しては三打席目まで、昇馬は速球主体で押していった。
彼は昇馬と同じ二年生である。
だからまだ、あと一年戦う機会があるのだ。
神宮大会にセンバツに夏。
あとは国体などというものもあるか。
力でねじ伏せる。
変化球なども使うが、ウイニングショットはあくまでもストレート。
それによって第三打席も、キャッチャーフライに終わらせた。
むしろそれだけ負けていたのに、最後までフルスイングを貫いたことの方が立派だ。
(折れなかったな)
ここで心を折っておけば、次の対戦は楽になったであろう。
ただここで折れなかった風見は、充分に精神が鍛えられている。
人は多くの場合、敗北や失敗から学ぶものだ。
野球などはどれだけ勝ち進んでも、優勝以外は最終的に負けるのであるから。
昇馬は自分には黒星はついていないが、試合自体には負けている。
だから集団競技は嫌だ、ということにならないのが、昇馬の少しだけおかしなところなのだが。
チェンジアップを打たれたヒットと、デッドボールが一個。
三振を20個も奪って、試合は終了した。
スコアは3-0と、昇馬の後ろの打線が点を取っている。
もっともピッチャーであるにもかかわらず、昇馬が盗塁などをしたからであるが。
疲労がたまるぞ、と鬼塚はハラハラしている。
ピッチャーが盗塁などするな、と当然の考えをしている。
だが昇馬は平然と走って、チャンスを拡大する。
その力を見せ付けるかのように。
三大会連続で、準決勝進出が決定した。
もっとも前の二大会は、決勝にまで進んでいるのだが。
そしてここで、準決勝の組み合わせが決まる。
また桜印か、となんとなく考えていた。
だが決定した対戦相手は、なんと帝都一であったのだ。
またも帝都一、と言うべきであろうか。
関東大会で当たる桜印ほどではないが、帝都一とは練習試合すらする関係だ。
そして第二試合は、これから始まる第四試合の勝者と、桜印との対決となる。
(難しいか)
帝都一の打線は、司朗は別格としても、尚明福岡などより、得点の平均は少ない。
もっともそれは東東京が、レベルの高い私立が多いこととも、無関係ではないのだが。
真琴の軟投派のピッチングで、抑えきることは難しいだろう。
すると中一日で、またも昇馬に投げてもらうことになる。
ただし本日も完封した昇馬は、けろりとしていた。
その基礎体力が、他の怪物よりもさらに怪物めいたところである。
決勝で当たるのは、果たしてどこになるのか。
(桜印の気がするなあ)
鬼塚はそんな予感がしていて、そしてその可能性は高いはずであるのだった。
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