第63話 正しい心の折り方
昇馬は体力的なことを言うなら、決勝までの全試合をフルイニング投げても、充分に余裕がある。
余裕がないのは球数である。
この三回戦を昇馬以外で勝てたなら、残り三試合を500球で抑えればいい。
一試合で130球以内には抑える昇馬の力を考えれば、さほど難しいものではない。
ただ鬼塚は、そこまで甘くは考えていなかった。
よって昇馬を先発で使い、相手の心を折ってから、他のピッチャーにつなげる。
そしてどうしたら折れるのか、ということも考えていた。
「ストレートだけで三振」
「お前なら出来るだろ」
「やってみないと」
特に鼻にかけることもない、昇馬の言葉である。
160km/h自体は、マシンを使えば体験できる。
もっとも昇馬のストレートは、160km/hオーバーなのだ。
こんなものをマシンで練習するのは、はっきり言って効率が悪い。
そもそも完全にタイミングを合わせていなければ、当てることが出来ない。
そして普通の高校生では、スイングスピードの問題で、最初からタイミングをストレートに合わさない限り、打てないのだ。
スイングスピードが圧倒的であった、桜島実業。
それが全く打てなかったというのは、そもそもボールを目で追えていないことを示す。
名徳がヒットを打ったのは、シャープなスイングで変化球を狙っていたため。
長打にはならなかったが、パーフェクトもノーヒットノーランも食らうことはなかった。
「まあ四番以外はどうにかなるだろ」
「そんなこと言って。ちゃんと考えるからね」
自分も投げると言われているので、真琴としては考えることが多い。
真琴が父と昇馬の似ていると感じるのは、無理と思われることでもやってしまうことだ。
スコアだけを見ても分からないが、過去の試合の映像は、高校時代から大量に残っている。
普通に始まって、普通に抑えていって、なぜか一点も取られずに勝っている。
ただ高校時代は、あまり公式戦に投げていない。
その少しだけ残っている試合が、とんでもない試合ばかりなのだが。
むしろ高校時代の試合の映像は、大介の化物っぷりの方が目立った。
高校時代の化物の歴史は、大介から昇馬への流れの方が大きい。
直史はたまに奇跡を起こすだけで、技巧派のピッチャーなどと解説されるのだ。
大学時代は専門チャンネルで試合が見られるが、ほとんどの試合でノーヒットノーランかそれと似たようなことをしている。
このあたりから解説が、ちょっとおかしくなってきたものだ。
自分が生まれる前のことだが、確かに高校時代のピッチングは、二年生ぐらいまでならなんとかすれば打てそう、と思えるものだった。
実際にはMLBの映像と比べても、勝つべき試合には必ず勝つ、という訳の分からないものである。
昇馬の負けたところも、今のところ真琴は見たことがない。
負けたのはあくまでチームであって、昇馬が負けているわけではないのだ。
団体競技であっても、昇馬は一人ならば悠々と勝利する。
個人競技をやっていた方がいいのでは、と思わないでもない。
もっともそれはスポーツ万能で、男子に混じれるレベルの真琴も、散々に言われていることだが。
結果である。
昇馬は岡山奨学館相手に、12連続三振を達成して、相手の心を折った。
五回からは真琴がマウンドに立ったが、その時点でスコアは4-0と、少し余裕がある。
また昇馬にマウンドに戻ってもらってもいい。
ピッチャーの集中力というのは、そうコロコロと代えられるものではないはずだが、昇馬はちょっと特殊なのだ。
甲子園のマウンドである。
勝つために、真琴はここに立っている。
関東大会でも全国レベルのチーム相手に、真琴はちゃんと投げている。
場合によっては真琴のサウスポーに慣れたところに、アルトを持っていってもいい。
そう言われているが、真琴のピッチングは打たせて取るものである。
魔球と呼ばれる、落ちながら伸びる球。
これにサイドスローの角度を利用したら、上手く凡打を打たせることが出来る。
左バッター相手には、ホームベースを掠めるクロスファイアー。
そして内角にスルーを投げると、上手く打ち取れるのだ。
女子野球は七回制であるし、シニアでも七回までの試合であった。
ここは五回を投げるわけで、全力で投げていく。
もっともそのあたり、真琴は直史の薫陶を受けている。
全力で投げるというのは、全力で考えるということだ。
単純に力いっぱい、放り込めばいいというわけではない。
遅いボールを自信を持って投げ込む。
それが本当の全力というものである。
力任せのピッチングは、ただの物理現象だ。
本当の力というのは、精神力も含めてのものであるのだ。
(暑い……)
いや、熱いのだろうか。
延長15回、翌日フルイニング完封。
直史の記録した不滅の記録である。
それに比べたら自分は、性別が違うとは言えとても敵わない。
(お父さんは凄いな……)
反抗期には当たってしまったものだが、それでも甘えというものであった。
直史は感情的になることはなく、娘の反抗を受け止めていたものだ。
明史の方もだが、真琴もまた心臓に持病があった。
それを明史と違い、赤ん坊の頃に手術したため、むしろ今では元気になっている。
明史は随分と身長も低いし、運動もあまり出来ない。
ただその分までも、色々と考えてくれたのだ。
直史も色々と教えてくれたが、トレーナーとなったのは明史であった部分が大きい。
そんな明史も、我がままとは言えない切実な願いを、直史に託したものだが。
直史がやってくれたことに比べれば、自分のやっていることに困難さはない。
打たれてランナーが出たとしても、ゴロをまた打たせるだけだ。
セカンドが上手く処理をして、4-6-3でダブルプレイを取る。
相手が焦ってくると、こちらはそれだけ楽に攻撃も出来る。
三試合連続となる、昇馬のホームランによって、この試合は決定した。
5-0とうスコアではあったが、真琴は疲れた試合になった。
そしてこの日の最後の試合で、準々決勝の相手が決まる。
先に前半の二試合のカードは決まっていた。
第一試合は滋賀の琵琶学院と、神奈川の桜印との対戦。
すると去年の神宮準優勝、そしてセンバツでベスト4だった上田学院は帝都一との対戦となる。
今年のセンバツも、帝都一と上田学院は対戦している。
その時には帝都一が勝ったのだ。
白富東と帝都一や桜印もそうだが、因縁の対決になっていた。
準々決勝の後半の二試合。
天凜、尚明福岡、白富東と残っているところに、やってきたのはやはり日奥第三。
西東京の強豪が、順当に上がってきた。
(出来れば尚明福岡の強力打線は避けたい)
鬼塚としては準々決勝も、数イニングは昇馬以外に投げさせたかった。
この三校に弱いチームなどは残っていないが、それでも打線の一番強力なのは、尚明福岡であろう。
去年の夏も、二回戦で当たっている。
その時のスコアは1-0であり、昇馬が19奪三振をしての勝利であった。
そして今年のセンバツも、二回戦で当たっている。
この時は2-0で16奪三振という内容であった。
尚明福岡は今年の一回戦から三回戦まで、五点以上の差をつけて勝っている。
だが昇馬が本気で投げれば、勝てることは勝てると思う。
嫌だな、と思っていたらだいたいそのようになるものだ。
準々決勝第三試合は、白富東と尚明福岡。
第四試合が日奥第三と天凜の対戦となったのである。
中一日は休みで、一番面白いと言われる準々決勝へ。
ちょっとこの試合は、昇馬以外に任せることは難しい。
前日には話してあるが、昇馬は特に緊張の色も見せない。
「なんかうちらの当たる相手って、いっつも強いところばっかやない?」
聖子がそういうのも仕方のないことで、強いてある程度弱かったところを挙げれば、センバツならば一回戦の紀伊高校、点差だけなら今年の桜島実業といったところか。
岡山奨学館も、5-0なのでそこそこ圧倒できたかな、と言えなくもない。
去年よりは楽になっている。
去年は一回戦から、いきなり上田学院が相手であったのだ。
当時はまだ上田学院が、ここまで強くなる途中であった。
ともかく上田学院と帝都一が潰しあってくれるだけで、少しは助かる。
鬼塚としてはある程度手の内を知られている、帝都一と桜印に潰しあってほしかったのだが。
琵琶学園は何度か甲子園に来ているが、ベスト8進出は初めてだという。
おそらくここは桜印が、自力の差と経験の差で、勝利してくるであろう。
帝都一と上田学院は、一応総合力では帝都一が上になっている。
もっともエースの格付けでは、上田学院の方が上になっているが。
「なんだか考えている間に、準々決勝になっちゃったぞ」
「いや、監督ちゃんと説明してたし」
鬼塚のボケなのかどうか分からない言葉に、ちゃんとツッコミを入れるのは聖子である。
準々決勝、一回戦は桜印が、将典を温存して勝っていた。
甘く見られたような琵琶学院であったが、おかげでそこそこの奮闘にはなった。
そして第二試合は、真田新太郎と、司朗との対決が全てであった。
150km/hオーバーを軽く投げ、将典ともいい勝負をしていたし、センバツでの雪辱を果たすつもりでもあったのだろう。
だが勝負をするには、ちょっと甘かった。
三打席を勝負して、ソロホームランを一本と、ヒットでの打点を一点。
他のバッターのところでも集中力が途切れて、3-1のスコアで帝都一が準決勝に残る。
ここで桜印と潰し合ってくれれば、まだしもありがたい。
だが準決勝の組み合わせは、今年は第三試合の終了後、クジを引いて決まるのである。
とりあえず尚明福岡と、どう戦うのか。
出来れば早めに点差をつけて、昇馬を1イニングでも温存したい。
桜島と比べれば、まだしも打線の強さには波がある。
なんだかもう、対決するのも飽きてきたが、尚明福岡との三度目の対戦となるのであった。
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