第60話 甲子園の怪物

 かつて甲子園の怪物と呼ばれた選手が何人かいた。

 上杉がそうであったし、大介もそうである。

 実は直史は意外と、そういう呼ばれ方はしていない。

 そもそも投げた試合が少なかったので、奇跡などとも呼ばれていたのだ。

 毎試合のようにノーヒットノーランや完封をした上杉に、それまでの甲子園のホームラン記録をダブルスコアで塗り替えた大介の方が、当時としては鮮烈であった。

 ただ今でも元から、それぐらい直史が認知されているように勘違いされているのは、瑞希が本などを出してしまって、そのベストセラーを元に映画が作られてしまったからである。

 かなり脚色があるのだが、あの頃は女子野球も面白くて、伝説の時代のように語られている。


 久しぶりに出た本物の怪物、と昇馬は言われている。

 直史はもちろん武史でさえ、ある程度の登板機会を分け合ったため、そこまでは呼ばれていなかった。

 やはり夏に全試合完封とパーフェクトにノーヒットノーランがあって、次のセンバツでは球数制限で負けたあたり、上杉を思い出させるのか。

 このピッチャーを攻略することを、まず第一に考えなければいけない。

 普通に160km/hオーバーを楽々投げてくるピッチャーなど、そう対応出来るはずもないのだが。


 現在の高校野球では、カットを狙っていると見られるスイングは、スリーバントを取られるようにルール改正された。

 青少年のピッチャーに球数を投げさせるのが酷であるというのが理由だが、実際には試合時間の短縮化も意図されている。

 とにかく甲子園は、試合を消化していくのに時間の問題がある。

 スピードが求められるのが、高校野球なのである。

 審判もほとんどボランティアであるのだから。


 県大会で消えてくれたらな、と思っていたチームも多いであろう。

 だがそう都合よくいかないのが、野球というものであるのだ。

 八月に入ってすぐに、甲子園に向かう白富東のベンチメンバー。

 怪我人なども出なかったので、背番号はそのままである。

 他の都道府県の代表などを見ていくが、それほど意外な名前は見つからない。

 名門の強豪がそのまま出てくるが、一つや二つは知らない名前もあるのだ。


 二度目の甲子園なので、二年と三年は特に緊張もしていない。

 しかし一年は和真でさえも、どこか気持ちが前のめりになっている。

 甲子園というのは球児にとっては、絶対的な憧れの場所であるのだ。

 そこに行けるということは、夢が一つかなったことになる。

 野球は高校までと考えていて、その最終目標が甲子園。

 そういう人間もたくさんいるのだ。




 二度目、あるいはセンバツも含めれば三度目のため、気分的に余裕がある。

 ただ宿泊所の近辺を下手に歩くと、関西の人間は関東と違って、気軽に声をかけてくるのだ。

 関西などと一括りにするな、と多くの人間は言うだろう。

 実際に同じ関西でも、大阪や兵庫あたりは、特に人懐っこいところがある。

 また兵庫にしても、日本海側ではかなり性質が変わってくる。 

 そもそも京都と大阪で、完全に感覚が変わるのだ。


 あまり出歩くなと言われているが、昇馬にそれは無理な話。

 それに宿舎の近隣には、両親の住んでいるマンションがあるのだ。

 この時期ライガースは、アウェイでの試合を戦っている。

 なのでマンションにも、椿しかいないのだが。


 普通に母と話して、それだけで帰っていく昇馬。

 他の子供たちはあまり意識していないが、昇馬は比較的弟妹たちが、どちらから生まれたかを区別している。

 昇馬の母は椿である。

 桜はあくまでも、本当なら伯母であるのだ。

 そもそも双子で、本人たちすら区別していないが、会う機会があれば普通に、こうやって気を遣うところがある。

 普段の昇馬からすれば、珍しいと言えるのかもしれない。


「それにしてもまた偏ったトーナメントが……」

 抽選会が終わって、賑わうのは選手たちである。

「一回戦から桜印に当たったのか?」

「いや、そんなひどいことはないけど」

 全く意識していない昇馬も、それはそれでひどい。


 白富東の一回戦の相手は、桜島実業である。

 これに関してはむしろ、監督である鬼塚の方にトラウマがあった。

 敵味方合わせて、ホームランの打ち合いとなった、とんでもない試合。

 大介の達成した一試合におけるホームランの記録は、あれから20年以上が経過しても、当然のように破られていない。

「それで次は、多分名徳なんだよな……」

 他にも色々と、一回戦から面白いカードがあったりする。


 ベスト8に上がってくるまでに、帝都一か瑞雲のどちらかが消える。

 チーム力としては帝都一が勝ちあがってもおかしくないのだが、上手く司朗を敬遠すれば、瑞雲にも充分な勝ち筋がある。

 一回戦飛ばしの二回戦初戦から、上田学院と青森明星の対戦がある。

 どちらも二年生エースを抱えていて、一位が昇馬、二位が将典とするならば、真田と中浦は三番手グループだ。

 当然のようにどちらも、150km/hを投げている。

 まだ二年生であるのに。


 ここで体力を使いすぎたら、刷新と仙台育成という、甲子園常連校の対決で勝ち上がったところと、三回戦を戦うことになる。

「まあそのあたりはどうでもいいとして、三回戦はどこが上がってきそうなんだ?」

「岡山、愛媛、静岡、山梨のどこかね」

 愛媛は意外というほどでもないが、人口の割には甲子園での実績が高い。

 ただそれを言うなら、岡山県も準地元と言ってもいいだろう。


 とりあえず確定しているのは、準決勝までは帝都一とも桜印とも、当たらないということである。

 だが準々決勝で当たる可能性のあるチームは、出場するチームの半分ほどにもなる。

「爺ちゃんのチームかもしれないのか」

 山口県は明倫館が出場してきていた。

 監督の大庭は、昇馬の祖父に当たる。

 昇馬の親戚に関しては、とにかく母方の佐藤家のつながりが強い。

 だが白石家や、さらに祖父の大庭家も、親戚ではあるのだ。

 ただ明倫館が勝ちあがるには、尚明福岡に二回戦で勝つ必要がある。


 大阪光陰に仁政学院という、ほぼ地元の二府県も、準々決勝で当たるチームの候補だ。

 もっとも仁政学院葉、去年パーフェクトで抑えているので、苦手意識などはない。

 出来れば帝都一と桜印には、潰しあってもらいたい。

 あまり変な期待は持たない昇馬だが、あの2チームは恐ろしい。

 正確には司朗と上杉将典、この両方と準決勝と決勝を戦うのが、かなり疲れるものになる。


 怪物と言われていようと、昇馬は将典から、センバツでホームランを打てなかった。

 だからこそ延長に突入して、結果として帝都一戦で途中交代となってしまった。

 一回戦まで試合があるのが、厳しいところである。

 運がよければ二回戦からの試合になったのに。

 さらに言えばその日程であると、一週間で三試合までに抑えられる。

 

 クジ運が悪い、ということは言えるのだ。

 去年もあと少し粘られていれば、球数制限に到達していた可能性がある。

 センバツは花巻平に粘られたのと、桜印との試合が延長に入ったのが痛かった。

 ゴロを打たれても失点する可能性があったため、普段よりも三振を意識して、球数が増えてしまったのだ。

 タイブレークも良し悪しである。


 今年はどうにか三回戦か準々決勝で、昇馬以外に数イニング投げてもらいたい。

 そうすれば準決勝と決勝は、フルイニング投げることが出来るだろう。

 結局最後には、昇馬に頼ってしまう。

 しかし頼られる昇馬の方も、完全にそのつもりで考えているのだ。

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