第56話 個人の力
例えば上杉なども、甲子園で野球を個人戦にしていた、と言われる。
自分で投げて、自分で打って。
もちろん他の選手が、働かなかったはずもない。
しかしほとんどのアウトを三振で奪い、そして打点もほとんどを叩き出す。
この上杉の極悪非道でありながら、神にも匹敵する所業に、甲子園は驚嘆した。
あれからもう20年以上が経過する。
とんでもないピッチャーはいたし、とんでもないバッターはいた。
だがその両方である選手は、果たしていたであろうか。
投げればほとんどの試合で、20個近くの三振を奪う。
自責点はまだ0のままである。
打てばホームランは、既に夏と春の大会で、五本もホームランを打っている。
昇馬は春のセンバツの時点でも、それなりに敬遠されることが多かった。
一点を争う勝負ともなれば、一人で一点を取れるスラッガーは、敬遠されても当たり前である。
しかし今年の白富東は、間違いなく打線というものが存在する。
だからこそ逆に、個人としての昇馬の力が、存分に発揮されるだろう。
ピッチャーとしてもバッターとしても、得点と失点に関わる力が、あまりにも強すぎる。
もちろんこれは、数字をそのままに見ただけであるのだ。
上杉と違い、一年の夏からちゃんと、全力投球をキャッチしてくれるキャッチャーがいた。
上杉と違い、他にも甲子園でホームランを打ってくれるバッターがいた。
また監督の指揮能力に関しても、格段の違いがある。
春日山の宇佐美は教育者としてはともかく、野球の指揮官としてはたいしたものではなかった。
選手集めにしても、上杉自身が動いたのと、上杉を慕って集まったのが、一歳下の学年である。
樋口と正也を含めてなお、春日山は全国制覇に届かなかった。
上杉が卒業して、トーナメントの運にも恵まれて、全国制覇を成し遂げたのだ。
おそらく今年も来年も、白富東の強さはそれほど変わらない。
いや、昇馬がまだ伸びていることを考えると、最後の夏が一番強いだろうか。
194cmという身長であるのに、既に体には厚みがある。
そのくせ特に、ウエイトなどのトレーニングはしていないのである。
ただひたすら、山を歩いていた。
中には野生の生物と、対決したりする経験もある。
必要な筋肉が、生活の中で鍛えられていった。
もっともピッチングというのは、本来よりも特殊な動作であるのだが。
人が一番最初に、武器にしたかもしれないもの。
遠距離攻撃手段として、岩で殴るのは効果的だ。
もっとも山に入るのなら、鉈に金属バットあたりは、装備しておいた方がよかったが。
昇馬は司朗を、全く甘く見てなどいない。
自分ほどではないが、相当に巨体であることは間違いない。
そのフィジカルを持ちながらも、普通に外野の広い範囲を守る。
司朗を敬遠してしまえば、おそらくはそれで勝てる。
ただ司朗の盗塁を防ぐのは、やや難しくなってくる。
真琴は女子にしては充分というか、日本代表レベルに肩が強い。
テニスでもやっていれば、今頃どうなっていたか、などとも言われるぐらいだ。
それでも盗塁を阻止するのは、左利きのキャッチャーとしては難しい。
普段のピッチングでは、サイドスローをしているというのもある。
ここは一点のリードもあるので、勝負させてもらう昇馬である。
(シロちゃんにだけは、しっかり打たれたからなあ)
クリーンにヒットを打たれた記憶など、ほとんどない昇馬である。
そしてここでは左バッターに対して、有利なサウスポーで戦っていく。
以前は右の荒れ球で勝負した。
ただそれは必要に迫られたからで、本意ではなかったのだ。
もっとも昇馬は、これまた野球少年らしくはない。
勝つためならばなんでもする、というのがその本質にある。
その昇馬から感じるのは、まさに殺気。
司朗の読みを上回る、猛烈な殺意。
(いや、これは違う)
殺意も同然であるが、それと同等の闘争心というべきであろうか。
生存競争。
昇馬の持っているそれは、当たり前の殺し合い。
縄張りに入ってしまえば、逃げるしかない生物がいる。
だがそれとも、石と棒で戦うのが昇馬なのだ。
この石のようなボールを、どこに投げたらアウトが取れるのか。
考えながらもまずは先に、生き残るための意志が働く。
従兄であろうが関係ないぞ、と内角にえぐりこんでくるストレート。
しかし司朗は、それを打てたのだ。
初球打ちはバッター有利。
ファーストストライクの内角を、司朗はしっかりと打っていった。
ただし打球は、期待したようには飛んでいかない。
「バットの根元で、あそこまで持っていくか」
センターのアルトが追いついたが、定位置よりもかなり下がった。
初球からのコンタクトと考えれば、やはり侮れないのが司朗である。
この試合を当然のように、プロのスカウトは見に来ている。
球速表示は出ていないが、持ってきたスピードガンには、驚くべき数字が出ていた。
「165km/hって……いくらなんでも間違いですよね」
「出てるんじゃねえの」
12球団が総出で、ここまでやってきている。
球団によっては部長クラスまでもだ。
今年の競合一位指名と、来年の競合一位指名。
既に調査書は、どのチームも準備しているはずだ。
去年の秋までなら、まだしも数球団の競合で済んだだろう。
しかし今年の春からは、完全に10年に一人のレベルの選手となっている。
それが二年続けて出てくる。
ただ昇馬の年代は、他にも怪物クラスの素材が揃っている。
「高卒野手で、ほぼ即戦力間違いなしだからなあ」
本人はプロ志望について、まだなんとも言っていない。
「今年のピッチャーにも、それなりに良さそうなのはいるんだが」
毎年どのチームも、必ずピッチャーは獲得していかないといけない。
だが司朗を獲得せずに、ピッチャーを一位指名していくのか。
バッティングに優れたチームは、セならライガースにタイタンズ、パなら福岡といったところ。
しかしこれらのチームも、打線の中核は高齢化してきている。
司朗のアスリート能力は、センターの守備を見ても明らか。
またピッチャーをやらせれば150km/hを投げてくるため、守備の評価も高い。
「最後の冬で、一気にパワーを上げてきたからな」
「後は甲子園でどうなるか、ですか」
「いや、むしろ何かの間違いで、甲子園に出てこない方がありがたい」
そうすれば競合での一位からは、外れてくるチームも出てくるであろう。
単純に長打力が、抜群に増してしまった。
そして守備と走塁、肩やミートといったあたりは、完全に高校生離れした能力ではあったのだ。
身長も188cmあって、それでいながらしなやかに外野を駆け巡る。
さらにこの冬で伸ばした長打力は、プロ入りまでにさらに成長しそうである。
司朗を打ち取った後に、続く五番と六番も、160km/hオーバーを混ぜながらあっさりとアウト。
「これは白富東有利、ですか?」
「勝敗だけを考えるなら、もう勝ったも同然だろ」
そしてベテランスカウトは、白富東の打線を指差す。
「二番のコインブラ、日本の高校卒業だから、日本人扱いでドラフト指名が出来る。こいつも来年までには、普通にまだまだ伸びそうだしな」
さらにわずかに指をずらす。
「三番の一年の西も、二年後にはドラフト指名される可能性がかなり高い」
「この関東大会でも、ホームラン打ってますしね」
「俺はあれの父親から、知ってるんだよなあ」
「父親も元プロですか?」
「いや、結局は志望届を出さなかった。けどうちも含め、数球団は調査書を出してたはずだ。下位指名なら充分にあったと思う」
「自信がなかった、ということですか?」
「佐藤直史と同じ年齢で、早稲谷の選手層を見てたからな」
「ああ……」
プロ野球より強いと言われていた、黄金時代の早稲谷大学。
どの学年で切るかにもよるが、西郷、直史、樋口、武史といった感じに名球会入りの資格を取得した選手が同時にこれだけいた。
「それと付き合っていた彼女と結婚するのにも、プロ野球は無理だったらしい」
「今はプロに憧れて、って時代じゃないんですかね」
「西は白富東の一強時代の千葉で、甲子園を経験している珍しい一人だぞ。同期に星もいた」
実際にWBCの壮行試合では、大学選抜に選ばれた早稲谷の中心選手の力で、大学生側が勝ってしまったりしている。
父親の果たせなかった夢を、ということだろうか。
「それに遺伝子エリートという点では、母親の方の血も、かなりの良血だからな」
まるでサラブレッドのように、和真は説明される。
「バレーの全日本に選ばれるぐらいの母親なんだ。上杉や白石の方も、母親の運動能力がものすごく高い。
旧姓権藤明日美は、女子野球の日本のエースであり、昇馬の母と共に世界一になっている。
この二人の子供は、母親に似ていたとしても、運動能力が高いのは間違いない。
ただ野球に関して言うと、二世選手で成功しているのは、あまり見られない。
日本に関しての話であって、アメリカならそれなりに存在する。
まあ日本の野球の場合は、かつてはアイドルなどと結婚したり、女子アナと結婚したりと、トロフィーワイフ的な部分が大きかったというのもあるだろう。
また成功に導く手段が、親から子に教えることが出来ない。
プロアマ協定というものがあるからだ。
「日本の場合はそうですね。そういや神崎君のところなんかも、親に野球経験があったりするんですか?」
「お前、そういうのは自分で調べろ」
スカウトマンにとって情報というのは、とんでもなく大切なものだ。
試合は進んでいく。
だがスカウトマンにとっては、試合の結果自体はさほど関係がないのだ。
もっとも昇馬を見ていると、本当に支配的なピッチングというのが、どういうものかを感じさせる。
「まるで上杉の高校時代だな」
あるいはそれ以上か、とさえ思えてくる。
戦力的な差があったとはいえ、昇馬は一年の夏に、甲子園を制しているのだ。
そして二年になった今、新入部員の力が、チーム全体を強くしている。
試合の展開は、なかなか見所がある。
司朗も一方的に、昇馬に抑えられるわけではない。
ポテンヒットを一本打って、かえって塁上で悔しがったりしている。
やはりジャストミートして、長打を打たなければ点につながらないのだ。
「終わったな」
「え、でもまだ二点差ですよ」
「白石は高校入学以来、自責点が0なんだぞ。まあ帝都一の打線を考えれば、一点ぐらいはとれるかもしれないが」
それでも今日の昇馬の調子から、それはないだろうと思わせる。
あとの興味となるのは、残る昇馬と司朗の対戦ぐらいか。
どうも四打席目が、回ってくるようには思えない。
そして三打席目は、インハイに投げたボールが袖に当たり、デッドボール出塁というしまらない結果に終わった。
サウスポーの昇馬から、盗塁をするのは難しい。
試合の結果はもう、見えているというのは確かであったろう。
二打数一安打なので、五割を打っていた。
出塁したのは二度なので、司朗の勝ちといっていいのかもしれない。
しかし昇馬は、これ以外にはヒットを一本打たれただけで、あとは司朗に四打席目を回さなかった。
春の関東大会は二年連続で、白富東が帝都一を破り、勝利したのであった。
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