第55話 右

 ピッチャーは九人のバッターと対戦しなければいけない。

 もちろん背後を守るのは、七人の味方である。

 しかし意識としては、まず自分がバッターたちに投げて、そこから試合が動くのだ。

(シロちゃんは今日も四番か)

 これでは四打席目が回ってこないのではないか。

(二番を打つようになったら、本当に厄介なんだけどな)

 司朗の足を考えれば、一番を打ってもいいであろうに。


 一回の表、先頭の左打者に対し、昇馬はグラブを左手にはめていた。

 つまりこれから最低一打席は、右手で投げるということである。

 左バッターに対しては、サウスポーが有利。

 これは当たり前の理屈ではあるが、それを破ってしまっている。

(確かにブルペンでは、両方で投球練習してたけど)

 マウンドに登ってからは、左で投げていた。

 その投球練習が終わってから、右に代えたというわけである。

(どういう理屈だ?)

 理屈が通っていないと、ジンは判断が出来ない。


 ただ昇馬の右は、ゾーンの中に散る程度には荒れて、そして手元で変化する。

 一番の三浦はこれまたドラフト候補の選手であるのだが、サードゴロであっさりと倒れる。

 ツーストライクになってからは、上手くカットも出来なかったのだ。

(そういえば球数制限って、両投げの場合はどうなるんだ?)

 左右で投げ分けても、関係なく500球であるのか。

 実際のところ肩と肘が、ピッチャーの消耗するところだ。

 それ以外の部分を考えたら、両方を合わせて700球以内、とでも制限を変えればいいと思う。


 もっともたった一人の選手のために、そんなルールが作られるとは思わない。

 高校野球が保守的なのは、よく分かっているつもりのジンだ。

 選手を搾取して、利益を出しているのが高校野球。

 もっとも高野連は頭が堅い権威主義者ではあるが、少なくとも搾取と言うほどの利益は得ていない。

 だからこそ逆に、性質が悪いとも言えるのだが。

 商業的に成立していないものを、無理に成立させる。

 強豪私立の強さというのは、おおよそ選手の親のバックアップがあってこそ成り立つ。

 さらにはシニアの時点から、それを行い続けているのだ。


 とっくの昔にWBCなどでは、球数制限は決まっていた。

 なのに高校野球では、それがないというわけである。

 しかしあくまで試すのが目的といっても、まさかこの関東大会の決勝で試すとは。

 平然と従う昇馬もであるが、要求する鬼塚の方も、かなり無茶な人間である。




 無茶と思われる鬼塚だが、実際のところはかなり、クレバーなところがあるのだ。

 無茶なだけの選手が、プロの一軍で10年以上もスタメンに座れるはずもない。

 これにはいくつかの計算と、そして実験があってのことである。

 夏の甲子園を、最後まで勝つことが出来るか。

 この右腕の活用が、それを握っているかもしれないのだ。


 いい感じで荒れた球によって、まずは三者凡退で抑える。

 次の回の頭には、司朗の最初の打席が回ってくるのだ。

 そもそも司朗も左バッターであるが、それを封じるためにあえて、荒れる右を使ったことがあった。

 身内特権で真琴と共に、昇馬は司朗の読心能力を知っている。

 普通のピッチャーであれば、ある程度の読みが正確であっても、むしろコントロールがつかなかったりする。

 ただ昇馬のサウスポーであると、充分に意味があることになるのだ。


 そして一回の裏、帝都一の先発はエースナンバーの長谷川。

 しかし去年の轟と比べると、二番手ピッチャーとの差はあまりないと言われている。

 全国クラスのピッチャーを、平気で二枚以上は揃えてくる。

 その中に一年目からプロの一軍で投げる高卒ピッチャーを入れてくるのが、全国レベルの超強豪というものである。

 今のピッチャーもおそらく、高卒の時点でプロ指名を受けるであろう。

 ただその順位は、間違いなく下位指名になる。


 高校生は甲子園で、一気に成長することが少なくない。

 なのでここでいちがいに、甘く見てしまうことはしない方がいい。

 しかし甘く見たというか、感覚を確かめにきたのは、向こうも同じであった。

 センバツで既に一度は当たっていたが、重要なのは和真をどう扱うか。

 超強豪の義務として、下手な敬遠の連発は出来ない。

 そもそも敬遠は昇馬に使うもので、他のバッターには使いづらいのだ。


 初回からいきなり、昇馬の打球はフェンス直撃のツーベースであった。

 続くアルトもライトに打ち上げて、これでタッチアップで三塁に進める。

 三番に和真は置かれている。

 なんならこの場面、歩かせ気味のピッチングでもいいはずだ。

 しかし勝負を仕掛けるのが、帝都一のエースナンバーの重みである。




 和真はちゃんと、己の役割を心得ている。

 ここでの選択は、スクイズであった。

 いや、スクイズと言うよりは、バントをしてからのランになるのか。

 充分にありうるはずの選択であろうに、帝都一の内野はそれを頭に入れていなかった。

 ジンとしてはそういう選択もあるとは思っていたが、本当にやってくるとは思わなかった。

 ただ昇馬が投げるなら、一点のリードは大きなものになるのだ。


 ホームは間に合わず、一塁でもぎりぎりのアウト。

 ランナーはいなくなったが、まず先制点は取れた。

 白富東としては、真琴が今日は九番に入っているため、一回の攻撃で点を取るには、三人でチャンスから得点に結びつける必要があったのだ。

 高校野球でも、フィジカル重視が今の主流。

 しかし鬼塚は、しっかりと送りバントなども考えている。


 基本的には得点の期待値を減らすのが、送りバントである。

 しかし状況によっては、一点だけを取る可能性は、高くすることがあるのだ。

 こういった取捨選択こそ、指揮官のやるべきことである。

 もっとも昇馬には、基本的にバントは求めていない。

 明らかに打たせていった方が、得点につながる効率が高いのだ。


 まずは一点を取ることに成功。

 もっともそこから、さらに乱れて追加点、ということはなかった。

 白富東の打線も、バッティングピッチャーとマシーンによって、かなり打率などは上がってきている。

 しかしそれでも全国トップクラスのピッチャーからは、そうそうヒットは打てないのだ。


 一回の攻防で、試合は動いた。

 そして次は、二回の表である。

 昇馬と司朗の最初の対決だが、果たしてどのような選択が正しいのか。

 少なくともこの回、頭から昇馬は、サウスポー用のグラブを持ってマウンドに上がっていた。


 一度でもその打者に投げると、その打者が終わるまでは、投げる腕を変えることは出来ない。

 司朗を攻略するコツは、下手に配球を考えたりすることではなく、とにかく力で抑えることだ。

 もっとも司朗は最後の冬を越えて、強力にパワーアップしている。

 夏の結果次第だが、甲子園でのホームランの記録、トップ5に入るかもしれない。

 大介の記録を上回ることは、絶対に無理であろうが。


 そう、最後の夏が重要なのである。

 センバツでは一応勝ったが、あれはルールに助けられた勝利である。

 あのまま昇馬が投げていれば、打てたかどうかはかなり微妙なところだ。

 なにしろ高校入学以来、公式戦無失点の男であるのだから。

(それにしても、左で来るのか)

 163km/hは出ていたが、さらにそれをも上回ってくるのか。

 センバツから数えると、まだ二ヶ月も経過していない。

 いくら高校生といっても、この短期間で伸びるとは思えないのだが。


 まずはお互いに、全力で探り合う。

 夏の甲子園での予行戦が、この試合になる可能性は高いのである。

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