第39話 こちらとあちら

 甲子園に行くことによって、その後の人生もかなり変わる。

 これは野球派閥というか、人脈のことを述べるのであれば、いまだに残っていることである。

 高校野球で活躍し、大学にも野球で進学し、そしてプロへ。あるいは社会人へ。

 下手にプロに進むよりも、野球人脈で優良企業に就職すれば、というのは確かに存在するものなのだ。

 だがこのルートを外れてしまうと、途端に野球以外何も出来ない人間、というのも生まれてしまう。


 勉強も出来るのであるなら、素直に有名大学に進学しておいた方がいい。

 そのために高校も進学校へ。

「今は根性でどうにかなる時代じゃないからなあ」

 紀伊高校の畠山は、その甲子園に行った叔父から、何度も言われたものだ。

「野球で根性が鍛えられるとかいっても、それとは全く別のものだし」

 あるいはプロさえも目指していながら、結論はそうなったのだ。


 大学まで野球で進学し、そしてプロへの道も考えていた。

 だがプロに行くような人間は、本当に限られている。

 名門から多少の声はかかったが、叔父の中学時代に比べれば、とてもたいしたものではない。

 そう思って無難な道を選んだつもりが、甲子園につながっていた。

 確かに今は試行錯誤し、頭を使って野球をやっている時代ではあるのだ。

 フィジカル重視なのと同じぐらい、思考も重視している。


 高校二年の春あたりから、本格的に球速が上がってきた。

 元は内野であったのだが、ピッチャーが足りないと言われたのである。

 そして二年の秋、和歌山県大会を勝ちあがり、近畿大会へ出場。

 このあたりになると本格的に、監督にも球団のスカウトが接触してくるようになったらしい。


 高校生で150km/hというのは、今でも相当のものである。

 成長曲線次第では、そこからまだ先に上がっていくのだ。

 ただセンバツの前には、既に推薦で大学進学がほぼ確定していた。

 不思議なもので、結局は地元に戻ってきている叔父と同じ、早稲谷大学である。


 白石昇馬の去年の夏を、畠山はテレビで見ていた。

 新チームになって、キャプテンにも選ばれてからである。

 一年生のピッチャーが、全試合を完封して全国制覇。

 プロのスカウトから注目されているという点では、自分とは比べ物にならない。

「佐藤直史は晩成型の選手だった」

 大学で同学年であった叔父はそう言っていった。

 もっとも叔父との間に、接触はほとんどなかったのだが。

 同じ大学の野球部で、同じく特待生であったはずだが、完全に扱いは違ったのだ。


 甲子園の決勝で15回をパーフェクトに抑えるようにピッチャーが、晩成型であったとは。

 ただ実際にプロいりも遅かったし、未だにほぼ全盛期の力を保っている。

 白石昇馬はその佐藤直史の甥にあたる。

 大学同期の甥っ子対決。

 そもそも白富東も、SS世代が入ってくるまで、甲子園とは無縁の進学校であったのだ。




 ここで勝てるようならば、自分もプロで通用するのではないか。

 もちろんすぐプロ入りするのではなく、大学で四年間さらに鍛えてからでもいい。

 ピッチャーとしての成長は、自分もどちらかというと晩成型であったろう。

 今でも投げていない時は、内野に入ってはいる。

 紀伊高校の選手層は、その程度であるからだ。


 一回の表、白富東の攻撃。

 一番打者はその白石昇馬。

 ここで力で勝てるなら、試合の行方も分からない。

 そう思って投げ込んだ151km/hのストレートは、あえて投げ込んだ高めであった。

 それを昇馬はすこんと打ったのである。


 スタンドに入ったのは、甲子園ではこれが第三号。

 一年の夏の時点で既に、かなり勝負を避けられてはいた。

 だが向こうのピッチャーは、甲子園に勝ちに来たわけではないらしい。

 戦意はあったが、隙もあった。

 戦う準備はしていたが、殺しあう準備はしていなかったとでも言うべきか。


 物騒な話だが、昇馬は野球の試合においても、そういった精神性で投げているし打っている。

 このあたりのピッチングは、まさに伯父の直史に近いだろう。

 そして一回の表、白富東はさらに一点を追加。

 甲子園での戦い方を知らないと、一気に点が入ってしまうかもしれない。


 150km/hオーバーのボールであっても、アルトや真琴は打ってしまう。

 そしてランナーを進塁させることについては、白富東はかなり作戦を立ててやっている。

 だが二回以降、向こうのエースも立ち直った。

 中盤に入って、二打席目の昇馬はミスショット。

 それでもライナー性の打球ではあったのだが、公立であってもしっかり守備は鍛えているらしい。




 鬼塚も集められる限りでは、情報を集めた。

 簡単に分かる試合の数字だけではなく、学校の状態なども含めてだ。

 はっきり言って学校の設備なども、そこまで立派なものではない。

 しかしそこで工夫を凝らして、甲子園までやってきたのだ。


 もっとも純粋に、向こうの打線には昇馬を打つ力がない。

 もう一点ぐらい入ったなら、アルトか真琴に交代してもいいな、と思えるぐらいである。

 三点差は満塁ホームランで逆転される点差。

 しかしそんな状況になったら、また昇馬をマウンドに戻してもいい。


 これまで昇馬は、甲子園で連続完封を果たしてきている。

 だが鬼塚はそうであっても、休めるところは休んだ方がいいと思っている。

 もっとも追加点が入らないのが、もどかしいところではある。

 それでも紀伊高校の打線は、完全に昇馬に封じ込まれてしまっていた。


 畠山はエースで四番である。

 高校野球であれば、別に珍しいことではない。

 ただピッチングはともかく、バッティングでは完全に昇馬に抑え込まれてしまっている。

 毎回奪三振で、おおよそ1イニングに二つは三振を奪うペース。

 去年の夏を考えれば、別におかしくもない数字だ。


 ただ終盤に入っても、まだ一人もランナーが出ていない。

 去年の夏の準決勝もやったが、またもパーフェクト達成なるか、というところに来ている。

 直史の非常識な擬似パーフェクトには及ばない。

 だが完全にボールの力だけで、紀伊高校打線を封じ込めているのだ。


 160km/hオーバーの数字が、何度も測定されている。

 今日の最高速は162km/hで、畠山を打ち取る時に発揮された。

 四番に四番の仕事をさせないこと。

 これによって昇馬は、紀伊高校のチーム全体を、心理面から折りにいったのだ。




 七回にまでなると、畠山の球数も増えてきて、フォアボールのランナーなども出た。

 どうにか抑えたとしても、八回には明らかに球威が落ちてきた。

 スタミナ不足と言うよりは、これはメンタルの問題だ。

 昇馬が一人のランナーも許さないことによって、ピッチングの方にも虚しさを感じてしまう。

 そこで連打を食らってしまった。

 どのみち紀伊高校は、畠山以外のピッチャーはかなり落ちる。

 しかし白富東も、打てる選手はごく限られていたのだ。


 甲子園の常連校レベルであれば、まだ話は違っただろう。

 そのあたりは経験というものが、選手になくても指導者にあればいい。

 九回の表には、追加で二点を取られる。

 完全に限界を迎えていたが、それでも最後まで投げきったのだ。


 紀伊高校は最後の九回裏、代打攻勢をかけてきた。

 私立にいるような打撃に振った選手ではなく、思い出代打のようなものだ。

 夏には和歌山の代表になるのは、もう難しいだろう。

 しかしこの春であっても、甲子園に出場出来たことは、多くの人間にとっての思い出になる。


 さほどの打撃力があるチームではない。

 しかしそれでも、限度というものはあるだろう。

 最後の代打も、三振でパーフェクト達成。

 奪った三振の数は、23個にもなっていた。


 白石昇馬は完全に、パワーアップして来ている。

 単純に球速もそうであるが、今日はほとんどボール球がなかった。

 そもそもバットに当たった回数が、数えるほどしかない。

 パーフェクトをやっていても、もう最後は代えてもよかった。

 ただ代えられる方としては、たまったものではなかったろう。

 わずか90球を投げて、けろりとしていた昇馬。

 白富東の初戦は、まさに昇馬の無双で完結したのである。




 あれがプロに行くような素材。

 そもそも和歌山や近畿の大会でも、あれだけの選手とは対戦しなかった。

 大阪などの超強豪地区とも当たったが、それでも格の違いがあったと言おうか。

(とてもプロなんかには行けないよな)

 そう考えた畠山は、無難に進学を目指すことにする。


 野球をやっていれば、どうしても甲子園やプロを考えてしまうのだろう。

 成長期に一気に成長しただけに、畠山は考えが揺らいだのは確かだ。

 しかしもう野球推薦ではなく、学校推薦で行けないものであろうか。

 もっともそうなると、学費や下宿費がかかってくる。


 野球をやることで、充分に自分の道は開けたのだ。

 あるいはいっそのこと、関西の私立になら通えるのではないか。

 プロをほとんど意識していなかった選手が、まだ揺らいでいる。

 しかし甲子園の舞台で、ついにとどめをさされてしまったらしい。

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