第36話 狩りの季節

 対外試合禁止期間に入る。

 現在は12月からであり、それは昇馬には都合が良かった。

 千葉県では猟期が11月15日からとなっている。

 狩猟免許は持っていない昇馬であるが、持っている母方の親戚に付いて、山々を歩いていく。

 それによって他の高校球児では、鍛えられないような部分を鍛えていくのだ。

 

 野球選手の中でもピッチャーなどは、特に投げるのに肉体が特化した存在だ。

 しかしそれがかえって、故障が多くなっている原因になっているのではないか。

 確かにトレーニングによって、フィジカルの筋肉は増えている。

 だが筋肉というのは、あくまでもパワーだけなのだ。

 アマチュアでは成長中の選手に、無理な筋トレなどはさせない。

 それによって筋肉のパワーが、骨や腱を破壊してしまうかもしれないからだ。


 MLBにおいて多くの選手が、NPBよりも高い年齢から活躍し始める理由。

 それはルーキーリーグを含めて、マイナーを何段階も経てから、メジャーリーガーになるためだ。

 しかしこのマイナーというのは、耐久力のテストに見えなくもない。

 そもそも高校生の時点から、既にトミージョンをするのがアメリカである。

 エンジンのパワーに対して、シャーシの強度が足りていない状態だと言えようか。


 昇馬の行っている山歩きなどは、全身運動である。

 これによってピッチングに最適化したというよりは、全身をバランスよく強化する。

 特に山道を歩くというのは、足首や膝に負担がかかるが、同時に柔らかな肉体を作るのにも役立つ。

 田舎の山の中を歩いて、罠にかかったキョンなどを撲滅していく。

 今の千葉は特に南方は、このキョンの被害が大きくなっているのだ。


 元はと言えば施設に、外来種が持ち込まれた。

 それが管理しきれず脱走して野性化したのがキョンである。

 農作物だけではなく、森の樹皮なども食べてしまうのがキョンだ。

 だがやはり味のいい、人間の作る果実などを優先する。

 もっともキョンが目立つだけで、それ以外にも猪など、多くの害獣がいるのが千葉の山中だ。

 その中でも特にキョンは、新しい害獣と言える。

 問題なのは殺しても、可食部があまりないところか。

 ただ肉の味自体は美味い。


 外来種のひどさというのは、その生命そのものではなく、それをもたらした人間の醜さとも言える。

 ブラックバスなどについても、向こうが勝手に渡ってきたわけではない。

 一説によるとその釣りを楽しむために、外来種をわざわざ放流した、というのもあると聞く。

 別にブラックバスなどに限らず、島国である日本においては、外来種の生物がひどい被害をもたらすのは、古い頃からあった。

 ただブラックバスはブルーギルなどと比べれば、比較的可食部が多い。

 ギルは小骨が多いため、ちょっと食べるのには問題があるが。




 とにかく昇馬としては、野生の中で体を動かしている。

 実際のところはこんなもの、別に野生でもなんでもない。

 また科学的なトレーニングの方が、出力を上げるのには適している。

 ただ柔軟性などを上げるのには、あえて非科学的なトレーニングも必要になる。 

 むしろあまり筋肉の一部分だけを意識しないのが、全体を鍛えられるのでいいのかもしれない。


 バランスが重要なのだ、とはよく言われる。

 ピッチングにしても投げることばかりを意識していると、右ピッチャーの場合は左肩の開きが早くなる。

 するとリリースポイントも見えやすくなり、打たれやすくもなるのだ。

 バランスのいいフォームを作ることが、打たれないためのコツである。

 もっとも異質のフォームから投げるボールも、それはそれで打ちにくいのだが。

 たとえばトルネードとか。


 週に一度の県外強豪との練習試合は、昇馬もしっかりと部活に来ていた。

 だが自主トレの時間になると、もうさっさと消えてしまう。

 そして対外試合禁止期間になると、土日のどちらか、あるいは両方まで休むようになってきた。

 ただそれは母方実家の周辺で、罠にかかった害獣を、駆除するのを手伝っていただけなのだが。


 18歳になったら狩猟免許を取ろう、と考えているのが昇馬である。

 そして20歳になったら、猟銃の免許も。

 そう思うと千葉県という場所は、国際空港もあれば山林地帯もあり、かなり理想的な場所である。

 危険な猛獣である熊がいないというのも、狩猟の上では重要なことだ。

 ただ熊被害はそれなりの街中でも起こり始めている。

 昇馬としては危険だな、と思っているのだが、どうにもアメリカと日本では、考え方に違いがある。


 昇馬はアメリカ時代、法律に違反するとしながらも、ニューヨークで銃を携帯していることが多かった。

 それはアジア人であると、それなりに危険な事態に遭うことが多いからだ。

 昇馬ほどの体格でも、相手が銃を持っていたら話は別。

 なので護身のためのものである。

 法律を守って殺されるより、自分の身を守るために法を破る。

 アメリカの自己責任論というのは、極端に言ってしまえばそういうものである。


 このあたりはアメリカは、別に自衛のみの話ではない。

 そもそもの人間関係からして、マウントの取り合いが強い。

 最初から人種差別的なところはあり、ポリコレでかえってそれは大きなことになっている。

 日本の場合は治安の維持が、かなりしっかりとしている。

 アメリカで銃の保持が完全に禁止にならないのは、どうしても治安の維持が、完全に間に合わないからだ。


 もしも日本の金持ちなどが、アメリカにおいて日本と同じイメージで、暮らしていたとする。

 あっという間に強盗に遭うので、相当に気をつけなければいけない。

 直史が大介がアメリカに澄んでいた頃は、それぞれセキュリティの高いマンションに住んでいた。

 フロリダに買ったキャンプ用の別荘にしても、しっかりと警備がしてあるところであったのだ。

 それでもイリヤは死んだ。

 彼女の場合はもう、一人で外を歩くことさえ、アメリカではしてはいけなかったのかもしれない。




 日本の治安というのは、基本的に日本人がいる限りは、ヤクザであってもそこまでひどい話にはならなかった。

 もっとも最近は暴対法のせいで、かえって素人が暴走しているというところがある。

 また移民であったり出稼ぎであったりと、そういった人種が集まってくる地域がある。

 基本的に政治家が勘違いしているのは、まず日本人のモラルは特に昭和時代まで、根本的に高かったこと。

 そして本国で普通に生きていけるような層は、今の日本には働きになど来ないということだ。


 国家を維持する上で、一番重要なのは、治安の維持である。

 経済の発展などというのは、最低限の治安が維持されていなければ、そもそも資産が蓄積されない。

 インフラを整備しようとしても、電線などが盗まれてしまったりする。

 必要最低限の食事でさえ、略奪の対象となってしまうのだ。

 治安の維持があって、二番目が最低限の食料の配給。

 ここまでが生きるための最低条件であって、ここからインフラの整備が経済発展のための、三番目の事項になってくるのだ。


 ただ千葉の田舎であっても、完全に安全なわけではない。

 実家の近くにやはり旧家があるのだが、直史が子供の頃に蔵に泥棒が入って、それなりのものを盗んでいったりした。

 それでも基本的に、直史の実家のあたりであると、外出時にも鍵などはかけない。

 そもそも縁側がずっと開いているので、いくらでも他人が入ってこられるのだ。

 ただ田舎だけに、全く知らない人間がいれば、それこそ目立ってしまう。


 もっとも農作物の窃盗など、そういうことをする外国人はいたりする。

 そんなことをしても収穫の時期は外れているし、まともに売れるものでもないのだが。

 直史の実家の周辺は、まだしもそういう被害などはない。

 ただ街中からちょっと車で運転出来る距離の田舎だと、そういう被害はしょっちゅうあるのだ。


 そもそも日本のヤクザの母体は、戦後すぐに治安が維持できていなかったころの、青年団なのである。

 警察が機能していなかったころは、まさに自衛のために存在していた。

 戦後すぐであると、普通に銃と弾薬なども、家にあったりした。

 下手にヤクザを抑えすぎて、チャイニーズマフィアが勢力を伸ばした時代もある。

 同じ日本人でないだけに、ヤクザよりも性質が悪いなどと言われたものだ。


 野生の生物と人間、果たしてどちらが危険なのか。

 昇馬としては基本的には、野生の生物の方が安全であると思う。

 人間は意志を持って、害を加えてくる。

 それに対して野生生物は、基本的にパターンが限られてくるのだ。

 凶暴な野生動物であっても、基本的に熊などは、人間との接触を回避する。

 それが市街地にまで下りてきてしまうのは、また他の理由があるのだが。

 猪なども熊に比べればマシだが、突進を受ければ普通に足は骨折する。

 基本的に人間が、勝てる生物ではないのだ。




 昇馬という人間は、実際のところ才能はありすぎるが、執念や野望といったものが足りない。

 目標を定めて、それに向かって努力することは、普通にやってしまえる。

 また集中力自体はあるので、やればやるほどしっかりと身についていく。

 こんなメンタルの状態で、果たしてプロで通用するのかどうか。

 それを自分では、あまり自覚していない。

 そもそもプロを、完全には目標としていないからである。


 そんな昇馬であるのに、誰よりも才能があるように見えるのは、皮肉なことである。

 実際には母親の、婉曲なエリート教育によって、様々な分野の能力を伸ばしていた。

 普通に育っていたのなら、スイッチバッターはともかくスイッチピッチャーなど、誕生するはずがないのだ。

 それでも頂点に立ってしまえるところが、不幸と言ってもいいのだろうか。

 だがそういうった人間性は、プロのスカウトの間にも、徐々に広まりつつある。


 基本的にプロで通用するのは、強烈な目的意識がある人間だ。

 言葉を変えればエゴイストでなければいけない。

 そして同時に、猛烈な野球馬鹿でないといけない。

 昇馬の場合後者の能力が足りていない。

 野球はあくまでも、選択肢の一つとなっているのだ。


 ただ昇馬の場合は、環境もあった。

 いくら実績を残しても、本当の自信にはならない。

 なぜならアメリカにいた頃は、オフの大介に投げては、ボコボコに打たれていたからである。

 ちょっとは手加減しろ、と珍しくツインズが二人で大介に詰め寄ったものだ。

 そういった本質的な自信のなさが、昇馬の進路を決め付けない方向に向かっている。

 少なくとも今のままでは、高卒でプロ入りするというのは、あまりいいことではないのではないか。

 スカウトとしての鉄也は、そんなことを言っていた。


 鬼塚としても、難しい問題ではあるのだ。

 昇馬をしっかりと育てることは、監督としての最大の責務である。

 もちろん他の選手を、ないがしろにしてもいいというわけではない。

 だが日本中の野球関係者が、昇馬に期待しているものは大きい。


 本当の実力を、自信をつけてもらう。

 それはもう、高校野球では無理なのではないか。

 実際に桜印に負けても、全く悔しそうな感情は見せなかった。

 残念だな、とか自分のミスに関しては、そこそこ後悔していたようだが。

「大学に進学して、特例でWBCにでも出たら、プロとの本当の距離感が分かっていいんじゃないかな」

 鉄也のアドバイスは、鬼塚にとっては重要なものであった。




 プロ野球も日本シリーズが終わったので、鬼塚は直史に相談に行ったりする。

 オフシーズンも忙しい直史であるが、自分の甥っ子のことだけに、ある程度の心配はするのだ。

 ただ直史からしてみれば、別にプロ野球だけが人生ではないだろう、という言葉が出てくる。

「人生っていうのは衰えてからの方が、案外長いもんだって誰かも言ってた」

 実際に直史は、プロを引退したとして、そこから30年は平均寿命まであるのだ、と思っている。


 30年というのは長い。

 年を取ってくると、一年が短いように感じるが、それでも充分に長いものだ。

 もっとも直史の場合、かなり脳を酷使しているので、平均よりも長生きできないかも、と思ったりはしている。

 野球選手というのは相撲取りほどではないが、やや平均寿命が短くなる傾向にある。

 ただ節制して生きている直史は、逆に長生きするかもしれない。


 昇馬に対して直史が考えていること。

 それは何か、強烈なモチベーションがなければ、大成はしないかな、とは確かに思っている。

 直史もあまり、モチベーションが強烈なタイプではない。

 だが本質的に負けず嫌いであることが、ここまでのピッチャーとしての記録を残させた。

 ただ直史の場合、本当に人生でやりたいことは、他にあったのだが。

 MLBという迂回路を辿ったことによって、むしろ選択肢は増えた。

 おおよそ金銭的な話である。


 昇馬に必要なものは、やはりモチベーションを高めるライバルの存在ではないか。

 同じピッチャーとしては、将典がかなり頑張ってはいる。

 そしてバッターとしては司朗に期待したいが、二人は関係があまりにも近いので、敵愾心を持ちにくいかもしれない。

 大学でまでプレイすれば、日米野球やプロ二軍との交流戦など、かなりの強打者と当たる可能性も高い。

 もっともそこに行くまでに、随分と時間はかかってしまうが。


 直史としては、別にプロにこだわらなくても、とは本当に思っているのだ。

 昇馬はどうも、100年前であれば冒険家にでもなりそうな、そんな気質をしている。

 あるいは頭も悪くないので、フィールドワークを主にする学者などか。

 昇馬には選択の余地があるのだ。

 大介のように、野球をとにかくやりたかった、というわけではない。

 また直史のように、完全に計算で出来るというわけでもないだろう。

 それなのに素質が充分なところは、かえって不幸であるのかもしれない。


 スポーツ選手は確かに、一攫千金の夢がある。

 だがそういった特殊な人間は、本当に一握りなのだ。

 昇馬にしてもほんのわずかな故障で、通用しなくなってしまうことはある。

 そういったことを全く考えず、プロの世界に入っていける.

 そんな確信があってこそ、プロでは通用するのではないか。


 鬼塚もプロであったので、今の昇馬には違和感がある。

 ただ才能の絶対値が違うので、確実にどうだとは言えない。

 普通に大学にも入って、やりたいことを見つけてもいいのではないか。

 もっとも昇馬のやりたいことなど、ハンティングに近いことだとも思うのだが。




 プロ野球のシーズンも終わって、大介もこちらに戻ってくる。

 鬼塚としては昇馬は両親を加えて、どうすべきか話すべきかと思う。

 プロの世界から見れば、あの素質がプロ入りしないなどというのは、許されざることに思える。

 才能を持って生まれた者は、その才能の奴隷となる必要がある。

 とは言っても昇馬の場合、才能は野球だけのものではない。


 極端な話、これから何か格闘技などをやったとしても、相当のところまで行きそうなのだ。

 190cmという体格に、長い手足。

 フィジカルだけで既に、おおよそのスポーツでは通用する。

 バスケやバレーといった、2mあって普通という世界は、ちょっとまた変わってくるだろうが。


 果たして何がやりたいのか。

 鬼塚は監督であるので、選手のことを考えなくてはいけない。

 ただ教師ではあるので、その選手の進路にまで、相談に乗る必要はない。

 もっとも昇馬の素質を見れば、それがどこまで成長するか、見てみたいと思うのは野球ファンとして当然のことである。


 この冬のオフシーズン、どれだけ成長するのか。

 とりあえずはそこを見るべきであろう。

 そして春のセンバツで、どういった結果になるのか。

 おそらくチームとしては、優勝には届かないだろう。

 しかしそこで負けることによって、モチベーションが上がるのかどうか。

 心底からの負けず嫌いであれば、むしろここで負けるのはいいことだ。

 桜印戦はアクシデントによるものなので、負けたという意識は弱いであろう。


 そんなことを考えつつも、チーム全体も見なければいけない。

 また来年の春に、入ってくる新戦力にも期待する。

 昇馬の他にもピッチャーがいて、しかしながら選手層は薄い。

 単純に甲子園に行って、ベンチに入るだけならば、かなり簡単そうなチームなのだ。

 本気で強豪から、プロ入りを目指すような選手は来ないだろう。

 だが甲子園を最終目的にする。

 その程度の選手であれば、何人か来てくれるのではないか。

 大学への推薦枠を持つ、白富東。

 そのあたりも計算してやってくる、新戦力には期待する鬼塚であった。

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