第30話 後継者
直史と大介の記録は、おそらく人類には更新不可能なものである。
ただどういった方針で鍛えればいいのか、そのヒント程度にはなった。
白富東が勝った日に、別球場で一回戦を戦っていた桜印。
既に白富東には、春と夏の公式戦で、二回も負けている。
その点では帝都一も同じであるが、違うのは桜印の場合、上杉将典がそのキャリア丸々、昇馬と重なっていることだろう。
既に各球団のスカウトたちは、今年ではなく再来年のドラフトも見込んでいる。
昇馬は絶対に競合して一位になる。
その隙を突いて、将典を一位指名するという選択もあるだろう。
もっともあと二年もあれば、成長曲線がどうなっているか、楽しみな話ではある。
桜印は既に、準決勝での白富東戦を見込んで、データ収集をしっかりとしている。
夏に比べてもやはり、攻撃力は落ちている。
昇馬のピッチングを見て戦意喪失さえしなければ、充分に勝ち目はあるだろう。
しかしここまで、昇馬は公式戦においては、無失点記録を作り続けている。
実は練習試合では、守備の練習をするために、ある程度は打たせて点を取られていたりする。
勝たなければいけない試合と、そうではない試合をちゃんと理解しているのだ。
そのあたりのピッチングは、内容は全く違うが、直史に似ている。
桜印は春から秋まで、ずっと神奈川県の大会を制している。
もっとも時期の都合で、将典は春の県大会は、ブロック予選は投げていない。
関東大会で初めて対戦した、白富東のエースで主砲。
将典もたいがい、スピードの出る肉体を持ってはいるが、既に厚みが全く違う。
それでいて鈍重なわけではなく、バッティングの後の走塁も速い。
どうやって勝てばいいのだろう、とは思っている。
甲子園の決勝にまで行けば、おそらくまだ勝ち目はあると思うのだ。
白富東の弱点は明白だ。
昇馬がどれだけ怪物であっても、選手層がとにかく薄いのだ。
県大会の時点で、既に完投が多い。
準決勝と決勝を、フルイニング投げて完封しているのだ。
他人事ながらあれでは、高校時代で壊れてしまうのではないか、などと思ったりもする。
しかし球数を見てみれば、それほど危険なものではない。
100球前後で試合を終わらせて、一番投げたのは甲子園で将典と戦った、桜印戦の120球だ。
ただそれでも、体力の限界を感じさせなかった。
おそらくあのピッチングを見て、新入生にはレベルがそれなりの選手もいるだろう。
すると夏の甲子園では、また対決するのが厳しくなる。
勝つとしたらこの秋の関東大会か、あるいは春のセンバツだ。
そこを逃したらチーム力が、一気に上がる可能性が高い。
それでこそ、などと闘志を燃やす余裕はない。
勝てる時に勝っておかなければ、三年間完全に、昇馬の陰に隠れてしまうことになる。
将典は傲慢ではないが、それなりのプライドは持っている。
シニア時代は親の人間関係などから、横浜シニアには入らなかった。
しかしシニアナンバーワンピッチャーなどとは言われていたのだ。
最後の一年に突然現れて、日本中の高校のチーム事情を全て変えさせてしまった。
それだけの素材でありながら、公立の進学校に入るという無造作さ。
父である勝也に、それは似ているかもしれない。
勝也は高校三年間、五回の甲子園に出場している。
そして決勝まで四回進んだが、優勝は出来なかったのだ。
兄のなしえなかったことは、弟がなした。
その時の相手も、白富東であった。
上杉一族と白富東、そして佐藤家の間には因縁がある。
もっとも悪い関係というわけではなく、むしろ同じ日本人として、国際大会では力強いチームメイトであったりしたのだ。
将典もなんとか、甲子園で優勝したい。
そのための戦力は、充分に揃ってきている。
今年の夏にしても、桜印は優勝してもおかしくない戦力であった。
白石昇馬の存在が、とにかくイレギュラーであったのだ。
だがこの秋季大会、白富東の選手層は、明らかに夏よりも落ちている。
センバツもまだ、戦力の追加はない。
ただ春までの三ヶ月以上を思えば、その間に既存の戦力のレベルアップは考えられる。
白富東に勝つとしたら、ここが一番可能性が高い。
そもそもあちらも、ベスト4まで進めばセンバツは確定と言えるので、無茶はしてこないのではないか。
そういった甘い考えであると、むしろこちらが足元を掬われる。
そんな将典は、テレビで日本シリーズの中継を見ていた。
本日も忙しい父は外出しているが、母は家にいる。
大学の寮に入っている兄はともかく、下には二人の妹たち。
この妹たちも、それぞれスポーツなどはしているのだ。
もっともテニスをしている長女の方はともかく、次女の方はダンスなどに興味があるらしい。
父親の活躍を、去年までは見ていた。
日本プロ野球史上、最強のピッチャーとも呼ばれた上杉。
将典は野球を続けていく上で、必ずそれと比べ続けられる。
ただこの葛藤は、叔父の正也なども感じていたらしい。
それでも立派な殿堂入り候補として、選手生活を終えた。
将典のピッチングスタイルは、むしろこの叔父の方に似ている。
だが、今日の日本シリーズは、やはり特別なものであった。
パーフェクトを去年の今頃、直史はレギュラーシーズンでやっている。
ポストシーズンでも一試合、パーフェクトをやっていた。
しかし今日の試合は、11回まで延長して、なお一人のランナーも出さなかった。
ちょっと同じピッチャーとして、どうしたらそんなことが出来るのか、さっぱり分からない。
「相手が狙ってないところに投げればいいでしょ?」
母である明日美は、そんなことを言ってくる。
それが分かれば苦労はしないのだが、高校時代に組んでいたキャッチャーは、完全にそれを読んでいたらしい。
「確か神崎恵美理さん」
「今は佐藤だけどね」
「……神崎?」
神崎司朗との関係はあるのか。
いや、神崎はよくある名字ではないが、それほど珍しいというほどの名字でもない。
「今でも東京に行くと会ってるんだけど、今度一緒に行ってみる?」
「あ、東京に行くならあたしも行きたい」
妹がそう言ってくるが、今年は果たしてどういう年末になるのか。
少なくとも去年までに比べると、父はプロを引退したことで、忙しさはなくなった。
ただ別の方向の忙しさはあり、母もそれに付き添っていくことが多くなったが。
バッターの狙っていることを、どうやったら読めるのか。
確かに佐藤直史は、それをやっているようなところがある。
もっともそれが分かっても、完全にボールをコントロールするのは、人間であればミスもする。
将典であっても一試合投げれば、少しは失投があるものなのだ。
「ちょっと話は聞いてみたいかな」
自分にはおそらく、160km/hはまだしも170km/hなどは目指せないだろう。
ならば磨くべきは、投球術の方である。
野球選手としてのキャリアはどうであれ、今はとにかく昇馬に勝ちたい。
そして出来れば、帝都一にも。
甲子園の頂点を争うのに、帝都一はまだ、神崎司朗が一年上である。
しかし昇馬は同学年で、最後まで立ちはだかる壁となるかもしれないのだ。
さしあたって、関東大会で対戦するまでには、何か特別なことをするのにも、間に合いそうにはないのだが。
(チーム力で、どうにか勝てないかな)
自分が投げれば、おおよそのバッターは打ち取れる。
ただ昇馬はバッターとしても規格外であるし、もう一人のアルトも厄介なバッターだ。
実際に今日の一回戦は、アルトのホームランで点を取っていた。
将典が意識するのは、スーパースターの陰になってしまう選手だ。
後にプロで200勝し、間違いなくレジェンドと言われた真田なども、高校時代は白富東のせいで、一度も甲子園の頂点に立つことは出来なかった。
それを阻んだ佐藤兄弟は、二人ともまだ現役である。
(父さんもだけど、この二人もたいがい化物なんだよなあ)
同世代からは化物扱いされる将典であるが、上には上がいるというものなのであった。
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