第29話 まりすた
関東大会の一回戦が終わって、そのままバスで帰還。
二回戦は平日で、学校は公欠で休むことになる。
秋季大会は基本的に、土日や祝日を使って行われる。
だがどうしても平日を使って、試合を行わなければいけない日も出てくるのだ。
そしてその一回戦を、白富東は勝利した。
これで関東ベスト8であり、運がよければこれでもセンバツに出場することは出来る。
だが確実を期すのであれば、もう一つは勝っておきたい。
その二回戦の相手となるのが、群馬の桐生学園であった。
今年の夏の甲子園にも出場していた、群馬の名門強豪校。
部員の数などは三年生が引退したのにもかかわらず、白富東の三倍以上もいる。
ドラフトでも注目されている、エースの相馬の後にも、また新しい特別製のピッチャーがいる。
もっとも相馬に比べれば落ちるし、何より白富東は、優勝投手である昇馬がいるのだ。
ここはまだ勝てるだろう、と試合から戻るバスの中で、鬼塚は考えている。
問題は準決勝だ。
順当なら桜印と当たるわけであるが、春の大会から数えると、公式戦ではもう三度目の対戦となる。
神奈川の強豪校であるので、さすがにもう攻略法を考えているかもしれない。
それに対して白富東は、将典を打つのには昇馬の個人技に期待するぐらいしかない。
実際に将典以外のピッチャーであれば、昇馬は勝負さえしてくれればそれで勝てる。
ただあちらの県大会のデータなどを見れば、将典以外のピッチャーも、充分すぎるほどに活躍している。
今日は一回戦を、県立野球場で栃木の二位チームと行っている。
結果としては10-1の七回コールドで、圧勝と言える内容であった。
しかもこれで将典は投げていない。
二番手以降のピッチャーも強く、そして打線の力が白富東をトータルで大きく上回る。
これに今の白富東で勝つのは、かなり難しいと思わせるのだ。
もっとも春までの時間があれば、話は変わってくる。
パワーを一段階上げるには、おおよそ二ヶ月は必要だ。
無理のないように、全体の戦力を上げる。
それでもセンバツで頂点まで行くのは難しい。
夏ならば新しく入ってくる戦力次第で、どうにかなると思う。
しかし今の白富東に、どれぐらいの有望株が入ってくるだろうか。
鬼塚の時代でも、甲子園に行くには学校を選ぶ必要があった。
今はさらに、その傾向が強くなっている。
大学進学まで考えた場合、甲子園に出場するというのは、大きなキャリアの勲章になる。
プロまでは考えなくても大学野球や社会人など、人生のキャリアとしては大きなものとなる。
もっとも白富東は、それを別にしても学校に、指定校推薦というものがたくさん持っている。
それを目当てに入ってくる生徒がいてもおかしくないし、鶴橋などは実際に、鬼塚にそういった話をしている。
基本的に県外からは、ごく一部しか入学出来ない。
だが地元の人間にとっては、学校の名前だけで進学校と分かるぐらいの知名度はあるのだ。
鬼塚が明後日の準々決勝と、来年の新戦力に頭を悩ませる中、真琴は全く違うことを考えていた。
今日はこれから帰って試合の反省。
その後は比較的早く解散となる。
野球部としてはそういう流れだが、佐藤家はちょっと別だ。
日本シリーズの第一戦、マリーンスタジアムに観戦に行くのだ。
当然ながら、父である直史が投げる、千葉では珍しい試合だ。
子供の頃はよく、父の試合を地元では見ていた。
だが真琴が本格的な野球をやる前には、直史はもう引退していた。
それが去年は復帰したのだが、真琴としてもシニアの最終年に受験もあって、あまりしっかりとは見れていない。
日本シリーズに限らず野球の試合は、テレビで見た方が見やすい、などという人間もいる。
真琴もそれは否定しきれないが、球場でしか感じないのもあるのは確かなのだ。
「うちも見たかったけどなあ」
聖子の場合はおおよそ物心がついた頃には、父は引退していた。
一応は見たことがあるはずなのだが、あまりはっきりとはしていない。
「けれど一緒に行くで」
友人としての付き合いから、聖子も一緒についてくるのだ。
一方で昇馬などは、一緒に球場には来ない。
テレビを見ながら、普通に解説を聞くつもりだという。
今の昇馬にとっては、直史のピッチングというのは、あまりにも不可解なものである。
フィジカル馬鹿の昇馬には、必要のないピッチング。
だが今の自分でも、真琴のリードがなければ、もっと打たれるのは分かっているのだ。
球場の雰囲気を感じるなら、別にレギュラーシーズンでもいい。
ただ直史のピッチングは、カメラがはっきりと映してくれる、テレビで見たいというのが本音なのだ。
父が負けたのが悔しい、とかそういうものでは全くない。
むしろあの父を封じたのだから、そこを見習うべきであろうと思うのだ。
昇馬がピッチャーに専念しないのは、単純に白富東の選手層が薄いからではない。
父の影響でバッティングでも、充分な才能があるからではない。
単純にピッチャーとして対戦した場合、全く父に勝てないからだ。
ならばその父に勝てるピッチャーから、学ぶことは多いであろう。
瑞希と真琴に聖子と、次男が加わった四人で観戦に訪れる。
このあたり明史はドライで、昇馬と同じくテレビの方が見やすい、と感じるのだ。
もっとも彼は、中学受験に向けてもう、色々と勉強で忙しい。
おそらくは合格するだろう、というラインはとっくに越えている。
だが何があるか分からない、という準備万端に整えるあたりは、父親に似ているのだろう。
マリスタに佐藤直史が戻ってくるということで、完全にチケットはソールドアウトしていた。
関係者でなければとても、買えなかったであろう。
そしてレックス先攻で試合が始まるのだが、不思議な試合の展開となった。
マリンズのエース溝口は、今年18勝3敗という成績を残していて、これがMLBであればパ・リーグのサイ・ヤング賞を取っていたであろう。
だが直史の24勝0敗に、勝てるはずもないのだ。
160km/hオーバーのボールを投げて、少しは粘られても最終的には、レックスのバッターを打ち取っていく。
「高校野球だとカットでアウトかな?」
「せやな。けどあれをようカット出来るわ」
瑞希が高校生であった頃には、カットをしてスリーバント扱いというルールはまだなかった。
二人の会話を聞いていて、少し不思議に感じる。
溝口に対して、直史はどうであるのか。
一回の裏のマウンドに立った時、スタンド全体が揺れた気がした。
自分も夏には、あそこでプレイしたのだ。
真琴はそう思っているが、今のこの空気は全く違う。
もちろん甲子園を目指して、必死でプレイをしていた。
一つ負ければそこで終わりというのを、対戦相手から何度も感じていたものである。
この空気はそれとは違う。
レギュラーシーズンの空気とも、全く違うのだろう。
そもそも先ほどまで、溝口が投げていてものとも、全く違うものになっている。
かつてMLBのスタジアムで、こういった空気を感じていた。
真琴はそれを、しっかりと思い出している。
去年の試合とも、これは違うものである。
そもそも去年は、日本シリーズまで進めていない。
(こんな雰囲気の中で投げるの?)
甲子園の準々決勝あたりからも、これぐらいのプレッシャーはあっただろうか。
だがその性質が違うな、というのは確かに感じられる。
プロの世界ではこうなのか、と真琴は感じている。
そしてそんな空気の中で、平然と直史はピッチングを開始した。
点が入らない。
溝口は今年、二試合も完封しているピッチャーであるが、それは直史と比べればたいしたことではない。
そもそも完投自体が、ほとんどなくなっているのが現代の野球なのだ。
それなのに直史は、平然と完封を繰り返す。
圧倒的なピッチングをしながらも、昔よりは衰えたなどと言われる。
今年はポストシーズンも含めて、パーフェクトとノーヒットノーラン、ノーヒッターを一度ずつ記録しているのだが。
しかし確かに、去年に比べれば落ちたのだろう。
そしてMLBでやっていた頃は、さらに凄かった。
アナハイムは比較的治安も良かったが、それでもポストシーズンのワールドシリーズなどは、お祭り騒ぎになっていた記憶がある。
そんな中で直史は、平然と完封を繰り返していたし、パーフェクトも何度も達成しているのだ。
昇馬も高校に入学し、既に複数回のパーフェクトを達成している。
特に甲子園でもパーフェクトを達成したのは、記録される出来事である。
だが直史は、それをプロのステージでやっているのだ。
それも一度や二度ではなく、両手の指を使っても数えられないぐらいに。
試合が進んでいっても、全くランナーが出ない。
溝口のピッチングにも、とんでもない圧力はあるものの、そこまでの圧倒的なものは感じられない。
しかし直史が投げると、まるで時が止まったようになる。
その多彩なピッチングによって、マリンズは凡退を繰り返すのだ。
こんなピッチングが、どうして出来るのか。
真琴は今までにも、多くのアドバイスを受けてきている。
今の自分の、左のサイドスローというスタイルも、直史のアドバイスから生まれたものだ。
球威ではなく、コンビネーションで相手を打ち取る。
実際にそれで、男子に混じった高校野球で、真琴は通じているのだ。
ただ、甲子園では登板機会がなかった。
昇馬が見事に、球数制限内で投げて、中一日でもへっちゃらということはあった。
だが最大でも二点差までしかつけられなかった、決勝までの試合を考えれば、真琴に投げさせるのは難しかっただろう。
全試合を完封したという、昇馬の体力が化物なのだ。
そして昇馬でもやれないことを、直史はやっている。
誘ったのだがテレビで見ると言っていた昇馬は、これを見ているはずだろう。
三振を取る必要など、さほどないのだと感じさせるピッチング。
あまりにも支配的なピッチングは、まるで奇跡のようにしか、真琴の目には見えなかった。
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