第21話 監督の苦悩
高校野球の監督というのは、色々と大変なものである。
甲子園出場が決まった時は、本当に色々と周囲がうるさくなった。
そして全国制覇を果たした時は、これまたさらにうるさくなった。
選手としても全国制覇をし、またプロの舞台にも立った鬼塚であるので、下手に調子に乗るようなことはなかった。
だがあの頃の監督たちが、こういうことに対応していたのかと思うと、大変だったのだなと素直に感心する。
早大付属との練習試合、敗北したために呼び出されたりもした。
完全に無視した上で、秋の大会を戦うことを考える。
周囲の雑音に対応していたとして、それでチームが強くなるわけではない。
重要なのはチームを強くして勝利することで、周囲の雑音に対応することではない。
そちらはもう、校長や教頭、そして部長に任せてしまって、完全に鬼塚は選手たちに向き合う。
強豪相手とはいえ、二軍に負けた。
それも二試合行って、昇馬が投げた試合でも負けたのだ。
だが選手たちは特に悔しい様子なども見せていない。
この敗北を、素直にそのまま受け止めていた。
「得点力と、あとは守備か」
「守備のエラーを0にするのは、理想だけど現実的じゃないんじゃないか?」
「とはいえ守備は、反復で上手くなるポイントではあるしな」
「それよりもまずは得点力だな。ヒットを打つ以外でも、どうにか点は取っていかないと」
敗北はあくまで結果であり、それに対する感情はただの雑音。
そういえばこの学校はこういうやつ多かったな、と今さらながら思い出す鬼塚である。
得点にそのままつながる打撃力に関しては、完全にパワー不足が上げられる。
だが秋までの短期間に、パワーが付くかというとそれは無理だ。
精神性の問題ではなく、物理的な限界である。
春までにはどうにか出来る時間があるが、秋は戦術で点を取っていかなければいけない。
「というわけで、バントの練習を死ぬほどやるのがいいかと」
「短期的に考えれば、現実的なところだな」
なお鬼塚は現役時代、プロ野球選手の中でもトップレベルに、バントの上手い選手ではあった。
土日を使って行われる、県大会本戦がやってきた。
シードである白富東は、四回勝てば決勝進出で、関東大会に出場できる。
対戦相手は公立校で、一回戦は同じく公立校を相手に、一点差のゲームを制して勝ってきている。
千葉の公立校は、国立や星、あとは北村なども積極的に赴任して鍛えているため、やたらと一定以上の強さを誇っていたりする。
それでも私立が有利なのは、設備などの点からも明らかではある。
結局は資本があれば、選手にはいい環境を提供できるのだ。
そこを工夫して、私立に勝たせてしまうのが、国立などの仕業である。
中にはちょっと、私立から誘われているが、特待生には届かない選手が、監督で選んで公立に進んでしまったりする。
それが本当に、大学を経由してプロ入りまでしてしまったりするので、ちょっと私立は困ったことになる。
県外からの特待生が、主力として期待されているのは確かだ。
しかし出場機会を求めて、また優れた指導を求めて、公立に進学してしまうそこそこいい選手。
これが今の千葉が、一応私立が強いことは強いが、関東大会や甲子園であまり結果を出せない理由である。
特に来年は、甲子園にも行ってみたいが、将来的にはやはり大学を狙う、という学力の持ち主が大量に、白富東に入ってきてもおかしくない。
既にそういう動きはあるのだと、鬼塚は鶴橋から聞いていたりする。
思えば自分もそうだったではないか、というのが鬼塚の記憶だ。
地元の公立の中では、毎年のように東大数人を出している進学校。
それが夏の大会で、甲子園まであと一歩というところまで勝ったのだ。
また秋の大会では、関東大会の決勝まで進み、センバツ出場を確定させた。
あれでさらに志望を決めた、選手たちは多かったはずだ。
おかげで本来はそこそこ余裕があったらしい武史は、必死で勉強して進学したらしいが。
そして一緒にバスケをやるはずだった、他の学校の選手が進学出来なかったため、野球部に入ることとなった。
まったく甲子園というブランドは、本当に巨大なものである。
来年はいいのだ、来年は。
重要であるのは、この秋なのである。
センバツ出場まで進むことが出来れば、冬の間に丸々四ヶ月はみっちり、フィジカルも鍛えることが出来る。
ぴったり20人というこの、ベンチ入りメンバーの競争がないというチーム。
正直なところ監督としては、色々と苦労するところがある。
まだしも夏は、一年生に怪物がたくさんいたので、ある程度の競争意識はあった。
それでも研究班がいたので、三年生は普通にベンチ入りまでは出来たが。
しかし県大会はともかく甲子園は、完全にバッテリーの力で優勝したと言ってもいい。
スーパーつよつよ一年生に、他の選手たちが依存していないか。
その点では先日の練習試合、負けてしまったのは良いことであろう。
危機感に欠けていたわけではないが、しっかりと話し合うことを積極的にするようになった。
元々ブロック大会で集めていた対戦相手のデータにも、ちゃんと目を通すようになった。
ただ敗北したことによって、特に私立の強豪などは、充分に勝ち目があると思ってしまったかもしれない。
最初から戦意を喪失している相手が、一番簡単に勝てるのだ。
昇馬は凄いが、完全に勝てるわけではないと思われれば、開き直って勝負してくるかもしれない。
そのあたりの微妙さが、鬼塚を困らせている。
超一級品のピッチャーがいる。
そしてそれを活かすリードの出来るキャッチャーがいる。
一点ぐらいは取れる打線がある。
なのであとは、どれだけ監督の采配が、試合をしっかり認識しているかが問題だ。
守備は元々、それなりにいいのだ。
白富東は守備で勝つ、というのはずっと言われていた。
また今年は例外であるが、継投でも勝ってきた。
ミスは必ず出るものと計算し、統計的に勝たなくてはいけない。
だがいざという時は、昇馬の個人技に任せてしまうしかない。
昨日の土曜日に、既に一度勝っている相手。
その勢いを止めるため、この試合は昇馬を先発させている。
相手としては、この間の甲子園で、一点も取られずに優勝したピッチャーとの対戦となる。
果たしてこの事実が、どういうように精神的に作用するか。
鬼塚は表面的にはともかく、内心ではかなり心配していた。
ただ先攻を取れたことは、やはりまだツキはこちらにあるということだろう。
一番バッターの昇馬に対して、なんと相手のピッチャーは普通に勝負してきた。
それを初球から当たり前のように、昇馬はスイング。
湾岸球場のバックスクリーンに、ドカンと入ったホームランで試合は始まった。
まあこの試合を勝ったとしても、関東大会まで残るのは難しいチームではあった。
なのでこの機会に、昇馬を経験しておくというのも、一つの考えではあったのか。
来年の夏までを計算に入れるなら、これが頂点の投打だと、選手たちが体験するのも悪くないのかもいれない。
それでも今の戦力で、どうにかなるものとは思っていなかったが。
考えてみれば国立や星が鍛えていくということは、安易に敬遠をしないというチームにもなっているのだ。
もちろん勝利を最優先し、勝つための野球も伝えていたのかもしれない。
だがこのチームには、その伝統だけが残っていたのか。
正面から勝負して、勝てるはずはなかろうに。
いや、ここで最初の賭けに勝って、ようやく勝算があるとでも思ったのか。
賭けは最初にやるものではない。
趨勢が決まりそうなところで、しっかりと判断して行うものだ。
昇馬は一球目から、普通に振っていってしまうバッターなのだ。
ピッチャーもやっているため、初球でストライクがほしいという心理が、はっきりと分かっている。
そもそも普通の公立のピッチャーであれば、そこまでのコントロールも求めるのは難しいだろう。
(申告敬遠が多くなりそうだな)
鬼塚が思ったとおり、その後の打席では勝負を避けられる昇馬である。
ただ、この一回にはさらに追加点をとったため、試合の勢いは完全に一方的なものとなった。
昇馬はあえて八分程度で、相手を抑えこんでいく。
それでもいくらでも三振が取れるのが、今の昇馬であるのだが。
勢いが一方的になれば、もう監督のする仕事はない。
12-0の五回コールドで、白富東は秋の初戦を突破したのであった。
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