第11話 価値観

 アメリカとの対決の前には、相手のデータなどを当然ながら確認している。

 フィジカルに関しては、向こうの方が上であろうか。

 日本の女子選手も、それなりに平均以上の身体能力を誇っているが、それはさすがに当たり前の話。

 やはり平均的な体格が、最初から違うのである。

 そもそも日本の女子選手にしても、本物のフィジカルエリートはもっと違うスポーツを選んでいるだろう。

 野球という選択は、女子のスポーツの中では、まだ下にあるのだ。


 実際に試合が進んでいくと、選手たちの交流も深まってくる。 

 影響が大きいのは、やはり父親であったりする。

 父親が野球をやっていても、わざわざ娘にまでやらせるかというと、真琴にしても直史から勧められたわけではない。

 父の背中を見て育って、自然と野球をやるようになったのだ。

「まあ女子のスポーツならテニスとかゴルフ、あとはちゃんと実業団チームのある競技を選ぶやろな」

 聖子にしても父親がプロ野球選手でなかったら、野球との接点は薄かっただろう。

 母親も野球をやっていたが兼部であり、本命は水泳であったのだ。


 一つ下の和真なども、父親が大学野球まではやっていた。

 母親はそれこそバレーボールの実業団チームに入っていたのだが、故障して引退することになったのだ。

 もっとも出産後にはコーチなどもしているため、娘であったらバレーボールをしていたかもしれない。

 上杉のところも女の子はいるが、野球はしていない。

 また昇馬の妹たちにしても、野球をしようとはしていないのだ。

 昇馬にしても野球だけをしているわけではないのだし。


 真琴の場合も、明史は病気のこともあったが、スポーツ全般をやらなかった。

 今ではほぼ健康体だが、やらないということは変わらない。

 一番下がどうするかは、まだ分からない。

 ちなみに武史のところも、娘たちは野球をやろうとはしない。

 楽器を持って応援に合流したりはしているが。




 対戦相手がアメリカであっても、それほど観客が多かったりはしない。

 せいぜい100人ぐらいであり、それも関係者が多いだろう。

 地元の台湾が戦う試合は、それなりに入るのかもしれない。

 だがここまでの試合を見ても、1000人はとても入っていないという状況だ。


 普通に一万人ぐらいは、収容できる球場である。

 プロ野球のある国であり、それなりのステータスにもなっている。

 だがやはりプロとしての経済規模は、アメリカがダントツであり、二番目の日本も続く韓国よりはるかに上。

 女子野球にこれを使うというのも、贅沢な話である。

 もっとも日本においても、神宮などは神宮大会においても、さほどの客が入るわけではない。

 高校野球の都大会だと、かなりの観客が入ったりしていたが。


 千葉のマリスタにしても、三万人以上入るものであったが、おそらく2000人ぐらいしか入っていない試合が多かった。

 決勝はさすがにそれより多かったが、5000人には絶対に至っていない。

 真琴や聖子は甲子園で、大観衆の応援を経験している。

 女子野球も決勝は甲子園で行われたが、とてもそこまでの観客は入っていなかった。

 男子の高校野球が、あまりにも特別すぎるというのも事実であるが。


 体格的にアメリカのピッチャーは、女子にしては相当のスピードで投げてくる。

 日本の場合は男女の能力差で、スモールベースボールを選択する。

 しかしアメリカは女子であっても、大味なベースボールを選択しているらしい。

 だから勝てる試合も落とすのでは、と日本のコーチ陣などは分析していた。


 試合が始まったが、まずはアメリカの攻撃。

 これに対して佐上は、しっかりと息の合ったバッテリーの呼吸で抑えていく。

 純粋にピッチャーとしてなら、真琴は佐上に負けているとは思わない。

 だが慣れたキャッチャーと組んでいると、それだけ大きな力を出せるというのも確かだ。

 もっともこの二人がバッテリーを組んでいると、二人ともそれほどバッティングが優れてはいないので、得点力は落ちてしまう。

 他のピッチャー兼主砲という選手と比べた場合で、打率やパワーがものすごく低いというわけでもないのだが。


 真琴は最初の打席から、ガツンとヒットを打っていった。

 初回は三者凡退をしてしまっていたが、いくらスピードがあると言っても、男子と比べればいくらでも打てる。

 むしろ反発力がないから、ジャストミートしてもあまり飛ばなかったりする。

 序盤は両チーム得点なし。

 だがここから小技を使っていくのが、日本という国の野球なのである。




 アメリカのピッチャーの特徴は、ゾーンに投げるコントロールはあるものの、ぴたりと構えたグラブに投げるだけの、コマンドは持っていないということだ。

 ピッチャーの質が、日本代表よりも劣っている。

 文化的な背景から、フィジカルエリートが野球には集まらず、またエンジョイが多くてガチというわけではない、というものだからだろう。

 日本の場合は滅私奉公。

 基本的にチームのためには、自分を殺すのを美徳としている。

 このあたりアメリカにも、チームワークがないわけではない。

 だが日本と違って、まずは楽しめないとダメではないか、と思われているらしい。


 結局プロのリーグもなく、スポンサーが選手につくわけでもない女子野球に、どれだけの才能が集まるというのか。

 それがアメリカにおける、シビアな現実だ。

 日本もそれは同じなのだが、コーチ陣がまずガチである。

 プロ出身などが監督やコーチにいるため、その前提の高校野球のノリで、勝負をしにいっている。


 高校野球というのは、つまり一発勝負のトーナメント戦だ。

 この大会はほとんどがリーグ戦であるのだが、それでも目の前の一試合を勝つために、小技を使って相手を撹乱する。

 ヒットが一本も出ないのに、一点どころか二点も取ってしまう。

 それが日本の、緻密な高校野球である。


 結局アメリカで発生した野球であるし、技術や理論はどんどんと輸入されてきた。

 しかしそれでも、精神の根本的なところは、日本の野球であるのだろう。

 これは野球に限らず、鎖国から開国した明治日本の時代から、同じ感性がずっと続いているのかもしれない。

 根本的には日本の思考があり、他国からの輸入品を魔改造する。

 スポーツである野球ばかりではなく、機械や商品についても同じことが言える。

 だが全体をみれば、下手なグローバル化などによって、その日本の良さは失われるるあるとも言えるが。




 フォアボールで出たランナーを、送りバントで二塁に送り、フィルダースチョイスでチャンス拡大。

 そこからさらにバントをして、相手のエラーで満塁。

 最後にはスクイズを決めて一点と、本当にヒットなしで、下位打線で一点を取ってしまった。

 日本はこの大会、ここまで極端な作戦は、やってこなかったのである。

 だがアメリカや、台湾に関しては、それで勝っていくべきだと考えている。


 プレイボールの呼称のように、野球を、いやベースボールを楽しむのなら、それはそれで向こうの勝手。

 だがこちらは、勝たなければ楽しくないという感覚で、野球をやればいいのだ。

 日本代表という看板を背負っているのだから、まずは勝利を目指すべき。

 この考えが選手たちの間にも、ほぼ浸透している。


 またそこから、上位打線に回って、今度はヒットがつながって一点。

 2-0とスコアが変わるが、日本のピッチャー佐上は、連打を許さないピッチングをしている。

 むしろピッチャーとしての能力は、真琴を除けば一番とも言われていた。

 実際に球速もあるのだが、それ以上に感じるのは、躍動したピッチングである。


 結局は最後の年も、甲子園のマウンドに立つことは出来なかった。

 それでも高校野球生活の最後に、こんな機会が回ってきたのだ。

 大学でも野球をやろう。

 そう考えて佐上は、今日の試合も投げている。

 投げるのが好きでたまらない。

 バッティングはともかく、そのピッチングに関しては、本当にいいボールを投げていく。


 試合の流れは、日本に一方的なものではない。

 だがアメリカが流れを取り戻そうとしても、それは許さない。

 この流れのまま、試合は終盤にまで到達する。

 そして日本は、決定的な三点目を奪った。

 スーパーラウンド第一戦、日本はアメリカに勝利。

 佐上は完投し、3-0と完封までしたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る