第3話 女子の技巧

 真琴が野球を始める時に、直史は左利きにするようにアドバイスした。 

 それを素直に聞いた真琴は、実は右手でもある程度は投げられる。

 本来そもそも右利きであるが、父親の言うところの体軸を保つため、右手で投げる練習もしているのだ。

 だが現在試合では、完全に左で投げるようにしている。


 そんな真琴と現在のバッテリーを組んでいるのは、今年ベスト4にまで進んだ埼玉のバッテリーのキャッチャーであった。

 女子野球は120km/hが投げられれば、相当の速球派である。

 そんな中で真琴の130km/hに及ぶピッチャーは他にいないが、外国の選手までは分からない。

 また過去を見れば権藤明日美という、オーパーツのような存在がいたりもした。

 彼女の場合は野球のみならず、運動神経全体が、おおよそ人間の上限ぎりぎりであったような気もするが。


 真琴は父親から、散々に言われている。

 球速が全てではないのだと。

 それでも150km/hは投げられたし、魔球は持っているし、球種は世界で一番多いではないか、と言えなくもない。

 だが野球を始めた当初の真琴は、父の言うことは絶対だと思っていた。

 だからこそ男に混じって、今も通用したりしている。


 キャッチャー産原はピッチャーの佐上と共に、埼玉のチームでベスト4にまで残った。

 あと一試合勝てば甲子園で試合が出来たのだ。

 そこが悔しいが、今は日本代表としてワールドカップに挑むことになっている。

 ただエースが自分と組んでいる佐上でないというのは、少し悔しい。

 それでも男子相手にあそこまでやっていたのだから、実力に文句を言うわけにはいかない。


 真琴は本業はピッチャーであるが、甲子園ではキャッチャーとして全試合に出場している。

 そして160km/hをキャッチしているのだから、キャッチャーの控えとしての役割も出来なくはない。

 もっともピッチャーとしての役割が第一で、バッティングも優れているので、それ以外の時は外野かファースト。

 外野を守らせるにしても、男子の中に混じったらともかく、女子の中ではトップクラスの足の速さを見せ付けてくる。


 今年の甲子園は、白石昇馬の全国デビューであった。

 だがそれとバッテリーを組んだ真琴が、女子でしかも左利きであったというのは、なんというか色々とおかしい。

 160km/hというのは、女子にキャッチ出来るスピードではない、などと考える者も多いだろう。

 しかし実際に、キャッチしているという事実がそこにはある。


 台湾に到着後、ほんのわずかな練習時間が取られた。

 そこで真琴は久しぶりに投げるのだが、女子の捕手相手に投げるというのは、たまに聖子がキャッチャーをしてくれていたので未経験なわけではない。

 おそらく女子野球では未体験のボールであろうが、そもそも選考会の時も、少しだけだがバッテリーを組んだのだ。

 指先の感覚がちゃんと機能しているのを、真琴は確認した。




 今年は台湾で行われる大会だが、過去には日本や韓国で行われたこともある。

 アメリカやカナダでも行われたが、基本的に東アジアが強国である。

 と言うか、日本が圧倒的に強いのは、本当に女子野球ぐらいではないか。

 本場のアメリカでも日本に敵わないのは、男のスポーツと認識されているからであろうか。

 アメリカンフットボールでも、男の世界である。

 ただバスケットボールは女子もそれなりに盛んで、接触プレイが多いスポーツは、やはり危険と思われている。

 そのくせトランスジェンダー女子が、大会を上位独占して、当たり前のような顔をしているのが、アメリカの奇怪なところか。

 文化、文明の最先端を走ろうとして、明後日の方向に行っているのも、アメリカという国である。


 真琴はアメリカで暮らしていた記憶がそれなりに残っており、英語は今でも得意である。

 実際のところ日本の英語教育は、実務で使えるようなものではないという期間が長く、今でもその傾向はある。

 ただ真琴は圧倒的に苦手意識がなかったため、英語に関してはいまだに使える。

 もっともアメリカ勢ならともかく、台湾ではあまり使えない。

 台湾の公用語は中国語であり、英語力も比較的低いのだ。


 治安は基本的に悪くない。

 だが観光客のいるところなどでは、スリや置き引きなどが、それなりにあるという。

 日本の治安と比べたら、どんな国でも危険ではないのか。

 もっとも選手たちは観光ではなく、試合をしに来たのである。


「観光する時間ってないんだ」

「しゃあないんちゃう? お金もかけられへんやろし」

 真琴としてはアメリカ以外では、初めての海外である。

 親日の国家であり、英語が通用するなら観光もしてみたかった。

 もっとも今の時代は、スマートフォンがあればどうにか、翻訳はしてもらえる時代。

 とはいってもさすがに、一人や二人で出歩くことなど考えられない。

 大会が終わればすぐに日本に戻って、学校が待っているのだから。




 最強女子野球国家である日本は、決勝まで進むことから逆算して、ピッチャーを運用していく。

 真琴の場合はバッティング練習の方でもガンガンと飛ばしていたため、ピッチャー以外での活躍も期待されている。

 ちなみに女子野球は本当に予算が限られているのか、日程も詰め詰めである。

 一日二試合のダブルヘッダーがあるため、球数制限などもかなり苦しくなる。


 初日には試合がないが、翌日はドミニカと、その次の日は中国との試合。

 一日は休んで、カナダ、翌日にプエルトリコとの試合、続いてオーストラリアとの三連戦となる。

 あとはスーパーラウンドという、勝ち残ったチームによるリーグ戦があるのだが、ここでダブルヘッダーが一試合。

 一日だけ休みはあるが、そこから決勝か三位決定戦に進むことになる。


 はっきりいって甲子園よりも、よほど厳しい日程である。

 もちろん各国の代表ということで、ピッチャーも多いことが前提に、組まれた日程ではあるのだが。

 日本代表のエースは、当然のように真琴となっている。

 そして投げる対戦相手は、強いところが相手。

 台湾に韓国と当たるならば、この片方かあるいは両方と投げてもらう。

 それでも甲子園の負荷に対すれば、日程はともかく楽なのでは、と思う真琴であった。

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