第27話 うわさと真実


「……いっ、いやああああ!!」


 先ほどまでの威勢を忘れ、ミレイユは絶叫した。

 復讐に燃えるお嬢さまも、この見た目は怖かったようだ。自分が生み出したモンスターだというのに無責任な話である。


 だがこれは好機。ウィンはヤケクソに羽根を広げて威嚇いかくした。


「ぽっぽぉーっっ!!」

「きゃーっ! きゃーっ!」


 効果は抜群。ミレイユは悲鳴を上げながら2階へと駆け上がっていく。

 ウィンはそのあとを追って階段をしゅたたっと走る。なにせ2度目の変身、羽根のついた体のバランス感覚は完璧、全力疾走もお手のものだ。

 2階の階段を駆け上がったミレイユは、やみくもに走って右側のガラス扉を開けて外に飛び出した。

 だがそこで彼女を待っていたのは、冷たい風の吹く逃げ場のないバルコニーだ。


「あ……」

「ぽお、ぽぽぉー(諦めなさい)、ぽう逃げぽうは無いぽう」


 ウィンは自分の鳴き声が人のそれに戻りかけていることに気が付いた。


(鏡石の指輪の力で、少しずつもとに戻ってきてるんだわ)


 ウィンには自分の姿は見えていない。だから自分がどんな風にハトから人間に戻っているのかは分からなかった。

 そして見えないほうが良かっただろう。なぜならウィンの顔は現在、ハトの頭から羽がばっさばっさと抜けていき、少しずつ人の肌が浸食していっているという、大変ホラーな現象が起きていたからだ。

 真正面からそれを見せつけられていた気の毒なミレイユは、卒倒しそうになっていた。


「観念しなぽう、ミレイユ」

「戻るんだか喋るんだかどっちかにしなさいよ!!」


 ミレイユは恐怖をはらうように絶叫した。

 下から冷たい風が吹き抜けて彼女の金の髪を揺らし、ハトの羽を散らす。


「ミレイユ。諦めて捕まりなさい。どうせもうすぐ、キャンベル家の者たちがここにやってくるわ。彼らまでハトにし続けるなんてできないでしょう?」

「……くっ」


 ミレイユは青ざめながらも、せめてもの虚勢で歯を食いしばりウィンを睨みつけた。


「これで終わったと思わないことね。私は何度でもサン・キャンベルに復讐してやるわ」

「……そう」


 ミレイユの目に宿った強い怒りの炎は、きっと消えない。

 これからも何度でもキャンベル家に害をなそうとするのだろう。どんな手段を使ってでも。


 ならば、その復讐の炎を消さなければならない。


 ウィン・キャンベルはその方法を知っていた。

 彼女は8年前からキャンベル家の長女として勉強を続け、たくさんのことを学んできた。

 キャンベル領の主な経営手段や、貴族同士のつながり、領内の農民たちとの関係。

 そして、サン・キャンベルが領地を拡大してからどれほど苦労していたかも知っている。

 ──前領主が没落したその理由も、知っている。


「あなたの復讐は間違ってるわ。私の父は何もしていない。あなたのお父さんは自滅したのよ。ミレイユ・ミラージュ」

「……なんですって?」

「あなたのお父さんは、誰かにそそのかされて芸術家のパトロンになり破産した。それはその通りかもね。でも、だましたのはサン・キャンベルじゃない」


 ウィンは知っている。

 キヌ・ミラージュが没落したその理由を。

 だけど父がそれをおおやけにしないようにしていたことが分かったから、自分も今まで黙っていた。


「あなたのお父さん、キヌ・ミラージュはね、芸術家の妻に恋をしたの」

「……は?」

「だから芸術家のパトロンになったのよ。奥さんを手に入れるために」


 サン・キャンベルとキヌ・ミラージュは友人だった。

 ウィンも父とともにその芸術家のアトリエに遊びにいったことがある。そこでキヌ・ミラージュと芸術家の妻が仲睦まじく話しているのも見たことがあった。

 そのときは何も気にならなかったが、あるとき父がキヌ・ミラージュと口論になり、それからその芸術家のアトリエに行くことはなくなった。

 ……それらの意味をようやく理解したのは、10歳になったウィンが、サン・キャンベルが領地を買い取った理由を調べたときのことだった。

 サン・キャンベルはキヌ・ミラージュの踏み外してはならない恋に気が付き、諫めていたのだ。だがキヌ・ミラージュが忠告を聞き入れることはなく、夫のいる女性との恋におぼれていった。

 恋の衝動のまま金を使い続け――、ミラージュ家は没落した。



「う、嘘よ……、そんな、そんなの」


 ミレイユは声を震わせながら必死に否定する。


「8年前の領土拡大のとき、父はたくさん批判されたわ。成功を妬む人と、不満を募らせた領民の間で、根も葉もない悪いうわさもたくさん広がった」


 サン・キャンベルは領地を手に入れるため友人を蹴落とした。

 領民の苦しみなど知らず、税金で豪華な暮らしをしている。

 サン・キャンベルは欲の皮をかぶった悪魔だ。

 父がそんな風に言われるのが悔しくて、ウィンは領地を買い取った理由を調べた。そして真実を知ったのだ。


「それでもお父様は誰にもそのことを言わなかったのよ」


 心ないうわさの中心に置かれたサン・キャンベルは、誰になんと言われようと、決して真実を話そうとしなかった。ただただ、自分の領地で暮らす人々のために尽力した。だからウィンも何も知らなかったことにしようと決めたのだ。

 だからそんな父をおとしめようとした彼女に、ウィンは同情しない。

 ウィンはミレイユをまっすぐ睨みつけ、残酷な真実を突き付けた。


「結局あなたが1番うわさに振り回されていたのよ、ミレイユ・ミラージュ」

「……う、うわああああ!」


 ミレイユは頭を振り乱し、髪の毛をかきむしった。

 ミレイユの身体がバルコニーの手すりにぶつかり、朽ちかけの柱がばきりと折れる。


「あ……」


 ミレイユの身体はその勢いでぐらりと傾き宙へと投げ出され、重力に従って落下していく。


「!」


 ウィンは反射的にバルコニーに飛びつき、その腕を掴んだ。

 だが令嬢の細腕で、人1人の体重が支え切れるわけもなく。2人はそろって地面へと落下していく。


「きゃーっっ!」


 ウィンは完全に人の姿に戻っていたことをちょっと後悔した。羽根さえ残っていれば飛べたかもしれないのに。


 地面まであと少し。体勢を変える余裕もない。

 観念してぎゅっと目をつむった途端、頭に走馬灯が流れていく。


 恋人をアッパーカットする妹の背中。

 自分がハトになったと思い気絶する母の顔。

 ハト人間になった自分を始末しようとするメイド長アリエラの無表情。


 嗚呼、もうちょっと良い走馬灯はないものかと嘆いたところ、最後に浮かんだのは昔ののみの市の記憶だった。

 自分に錬金術を見せてくれた、顔も思い出せない少年の姿。


(叶うのなら、もう一度あの少年に会ってみたかったなあ)


 そして。

 ウィンの体を、真っ白い大量の羽が包み込んだ。


「!?」


 よく見ればそれは羽ではない、紙だ。

 何百とある白い紙。それらはみな鳥の形をしていた。 

 そう、まるであの日に少年が見せた、空を飛ぶ紙の鳥のような。


「あ……」


 ミレイユとウィンの体を受け止めた紙の鳥たちが、ゆっくりと地面に落ちていった。

 ミレイユは気絶してしまったらしく、地面に転がったまま動かない。

 ウィンは地面に寝転がったまま、茫然と白い鳥たちが舞う空を見上げていた。

 そんなウィンに、誰かの影が覆いかぶさった。リオだ。ウィンを見下ろした彼は、ぜいぜいと息を切らせている。


「けがは!?」


 ウィンはぽかんと口を開けたまま首を横に振る。

 リオははーっと大きく息をついた


「よかった……。はあ、外から見まわろうとしたらいきなり落ちてくるから驚きましたよ」


 地面に座り込み額を抑えるリオ。

 ウィンは口を開けたまま体を起こし、リオを見つめる。

 リオは空から降ってくる紙の鳥を1枚掴んだ。その姿が、あの日の少年と重なる。


「あ、あの。リオ、リオさん」


 ウィンは紙の鳥とリオを交互に指さしながら、あわあわと尋ねる。


「もしかして、あの、その、市場で、あの」


 ウィンのはっきりしない問いかけにリオは首を傾げていたが、やがてぴんと来たのだろう。

 片膝を折って目線を合わせると、いつもの意地悪そうな笑みを浮かべこう言った。


「結婚の申し込みでも、しときます?」


 ウィンは過去の自分の発言を思い出し、真っ赤な顔を両手でおおって地面に転がったのだった。



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