第17話 □■10年前の話をしよう■□


【10年前の話】


 それは記念日でもなんでもない日。しかしウィンにとっては、錬金術と出会うきっかけになったとても大切な日だ。


 父サン・キャンベルに連れていってもらったのみの市。

 色とりどりのテントを張った出店。地べたや木の机に並べられたたくさんの雑貨。

 統一感のないごちゃごちゃ感が逆に楽しい。そんな空間に、6歳のウィンはたいそうはしゃいでいた。

 隣のテントの織物、あっちのテーブルに並べられたキャンドル、こっちのテントの奥に吊るされた変な仮面。

 道行く人々を追い越して興奮しながら走り回っているうちに――、気が付けば、父とはぐれてしまっていた。

 ウィンは両手でほおを押さえて声を上げた。


「大変! お父様が迷子になっちゃった!」


 迷子になったのは自分の方だとはまったく思っていない。


「どうしましょう。周りの人に、サン・キャンベルが迷子ですって言って、探すのを協力してもらおうかしら……」


 サン・キャンベル、領主の威厳失墜のピンチ。

 だが実行に移そうとしたウィンの行動は、すぐそばから聞こえてきた声によって止まる。


「おいおい! 一体誰だ、こんなとこにガラクタ並べてんのは」


 お世辞にも上品とは言いがたい怒鳴り声。

 見ると、小さな屋台にごろつきが2人難癖をつけている。

 店番は驚くことに、ウィンと同じ年頃の小さな少年が1人きりだった。

 ごろつき2人は少年を囲み、ニヤニヤと笑う。


「なあ、ぼうず。ここはキャスパー領の人たちのための市場なんだよ」

「そこにこんなガラクタを持ち込まれたら、困るんだよなあ?」


 周囲の人たちがざわめき始めた。凶悪な男たちにあんな風にすごまれたら、子どもは泣いてしまうだろう。

 しかし自分が止める勇気はなく、お前が行けよ、お前こそ、とゆずりあって誰も動こうとはしない。

 そんな中、なんと少年は怯えることもなく、うっとうしそうに男たちを睨みつけた。


「ガラクタじゃなくて、錬金術のお店です。店主がいない時じゃないと話しかけることもできない冷やかしは、帰ってもらえます?」

「なっ……!」

「領主に雇われたんですか? はあ。嫌がらせするにしたって、もうちょいまともなチンピラをよこせばいいのに」

「こ、こ、このガキ!」


 言いたい放題言われたごろつきが、怒りに任せて拳を振りかぶろうとした時だった。


「わあ! すごいすごい!」


 一体いつの間に近づいたのか。

 ウィンが少年の店先を見て歓声を上げた。

 光る色ガラスが埋め込まれたランプや、澄んだ水が踊る水晶。

 好奇心旺盛な子どもの目には、どれも宝物に見えた。


「ええと、どちら様ですか?」


 困惑した少年の声にウィンはくるりと振り返り、ドレスの裾を持ち上げてお辞儀した。


「ウィン・キャンベルと申します、よろしくね! ねえ、店員さん。とっても素敵なお店ね。これはどんな品物なの?」


 嬉々として商品のランプを指さし、少年に尋ねるウィン。

 この時点で父親のことはすっかり忘れ去っていた。

 そして同じく存在を無視されたごろつきの男が、怒りに任せて怒鳴る。


「おい、ガキ共。無視してんじゃ……」


 だが怒鳴るごろつきを止めたのは、意外にも仲間の1人だった。


「おい、やめとけ」

「ああ!?」

「今あいつ、キャンベルって名乗ったぞ。領主の娘だとしたら、近くに関係者がいるかもしれない。ここはいったん引いとくぞ」

「……ちっ」


 ごろつきは忌々しげに少年を睨め付け「次に来る時までにガラクタを片付けておくんだな!」と捨て台詞を残して去っていった。


 少年は大きく舌を出して彼らを見送った。

 そして、店先で商品にぺたぺたと触るウィンに向き直る。


「あのぉ、商品にあんまり触らないで欲しいんですけど」

「あっ、ごめんなさい!」

「いえいえ、助けていただきありがとーゴザイマシタ。お貴族さまのくせに、お優しいことで」


 あまり感謝しているとは思えない刺々しい物言いだった。


「さっさと離れた方がいいですよ。またさっきのやつらみたいなのが来て、巻き込まれるかもしれないんで」


 そう言った少年の顔にはありありと「どっか行け」と書かれていた。

 だが幼く図太いウィンには、遠回しな拒絶はさっぱり伝わらなかった。


「大丈夫大丈夫! それより、これはなんに使うものなの?」


 ウィンは店先の商品を指差して、目を輝かせて尋ねた。

 追い払うのは難しいと判断したのだろう。少年はため息混じりに、商品の説明を始めたのだった。



 □■□■□■



「これは?」

「これはアメフラシの小瓶。ここに水を垂らすことで、少しだけ雨を降らせることができます」

「すごい! こっちは?」

「そっちはナカム草の傷薬で……、あの、まだ続くんですか?」


 実演販売も、はや10品目。

 どっかに行って欲しいオーラを5割増しにしているが、ウィンにはまったく通じていない。


「うん、まだ聞きたい商品、いっぱいあるよ」

「お貴族さまからしたら、貧乏人の作ったうさんくさいアイテムなんて、使わないでしょうに……」

「? アイテムがすごいことと、身分は関係ないんじゃない?」


 心底不思議そうに首を傾げるウィン。

 そんな彼女を、少年は不思議な生き物を見る目で見た。


「ほんとにそう思ってます?」

「うん。ね、それより、ここにある商品、もしかしてみんなあなたが作ったの?」

「んなわけねーです。師匠が作ってるんですよ」

「ふーん。じゃあ、あなたが作ったものはないの?」

「……まあ、あるにはあるけど」

「えーっ、すごい! 見せて見せて」

「師匠の品物を見た後じゃ、しょぼいと思いますよ」


 そう言いながら、少年は屋台の裏手で道具箱を漁る。

 取り出したのは、鳥の形に切った1枚の白い紙だ。


「いいですか? この紙に、こっちの粉をかけると……」


 さらさらと薄緑の粉を紙に振りかける。すると紙の鳥が男の子の手から離れて空を舞った。


「う……わあ!」


 ウィンは手が痛くなるほど拍手し、盛大な歓声を上げた。


「すごい! すごい!」

「いえいえ、師匠のすごいアイテムの後に、しょぼいものを見せてしまって申し訳ございません」

「しょぼくないよ! とってもすごい。あなたはこれからもっとすごくなるんだねえ」

「う……」


 自虐の言葉に満面の笑みで返されて、少年はそっぽを向いた。


「大きくなったら、すごく有名な錬金術師になれるね、きっと」


 少年は皮肉そうにはっと笑った。


「俺が? 貴族さまでもないのに?」


 だがウィンは、満面の笑みで太鼓判を押した。


「うん! なれる!」

「……っ」


 とても無責任で──、けれど、まっすぐなその言葉が、確かに少年の心を撃ち抜いた。


「ウィーン! どこにいるー!?」

「あっ、お父さんの声だ」


 必死の形相で自分を呼ぶ父親を見つけ、ウィンは走り出した。

 最後にくるりとお店の方を振り返り、男の子に手を振った。


「素敵な錬金術を見せてくれて、ありがとう! これからもがんばってえ!」



 □■□■□■



 客のいなくなった店先で、少年は自分の手のひらを見つめていた。

 手のひらには、先ほど少女がすごい錬金術師になれる、と太鼓判を押した白い紙の鳥が乗っている。


「おう、リオ。帰ったぞ」

「あ、師匠。おかえりなさい。さっきごろつき共が来ましたよ」

「ああ? めんどうだな。しゃーねえ。適当なところで店を畳んで……、ん? お前なんか嬉しそうだな」

「いえ、……ちょっと変な子どもに会っただけですよ」

「お前も子どもだろーが」


 空を飛ぶ鳥と、錬金術師の少年。

 この日の出会いはウィンの心に大切な想い出として刻まれた。

 きっと、その少年にとっても。



 □■□■□■


 ──そして、現在。

 若草色の髪がふわりと揺れる。

 ウィンがおそるおそる自分の顔に手を伸ばす。ぺたりと触ると、肌の感触が伝わってくる。

 もふもふ、ではなく、むにむに、だった。


 自分に指輪をはめた青年のヘーゼル色の瞳には、ぽかんと口を開けた女の子が映っている。

 間抜けなその顔はまぎれもなく、鏡で毎日見ていた自分の顔だった。

 ウィン・キャンベルは、確かに元の姿に戻ったのだ。


「……ど、どうして?」


 なぜ彼女がウィン・キャンベルだと分かったのか。

 どうして大嫌いな貴族だと分かっていたのに助けてくれたのか。

 分からないことだらけで混乱するウィンを見て、リオは意地悪く笑った。

 その目元を、ほんの少しだけ和ませて。


「さて、どうしてでしょう?」


 なにはともあれ。

 ようやくウィンは人の姿を取り戻すことができたのだった。

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