第13話 □■その頃のジェオジュオハーレー■□
ハイル領。領主の屋敷。
ジェオジュオハーレーは窓の外を見ながら、芝居がかった仕草でため息をもらした。
ため息の理由は「ウィン・キャンベルが婚約破棄のショックでハトになった」という噂が爆発的に広まったことだ。
これによりウィンに同情する声が一気に高まり、反対にジェオジュオハーレーとその恋人を非難する声が高まった。
特にキャンベル領と交流のある農家や商人からはかなり批判の声が上がっていた。
「民衆はいとも簡単に手のひらを返すものだな……」
ジェオジュオハーレーは
しまいには「ジェオジュオハーレーがウィンを邪魔に思いハトにした」というような根も葉もないうわさまで出回る始末だ。馬鹿げたうわさを誰も否定しないことを、ジェオジュオハーレーは本当に嘆かわしいと思っていた。
ちなみにそんな彼は、ウィンに関するデマが出回っていた時にはなんとも思っていなかったし、否定しようとも思わなかったのだが。
「真の愛の前には、どこまでも障害が立ち塞がるものなのか……っ」
青白い顔でため息をつくジェオジュオハーレー。ある意味でメンタルが強い男である。
(ああ、ミレイユは大丈夫だろうか)
ジェオジュオハーレーは愛しい女性を思い浮かべる。
キャンベル家と交流を始めた頃、自分の前に現れた娘。
無垢で純真なその姿は、まるで湖のほとりで見る妖精のようだった。
自分でも気がついていなかった心の奥底に気づかせてくれた愛しい人。彼女がいなければ、自分は家の言いなりになって、ウィンと結婚していただろう。そうして愛の無い結婚をし、虚しさの中、幽霊のように生活をしていたに違いない。そうならなかったのは彼女のおかげだ。
本当なら、今すぐにでも家を飛び出して会いに行きたい。
ジェオジュオハーレーは固く拳を握った。
なぜ彼は外に出ていかないのか。
それは「こんな悲劇の主人公ぶっている男を外に出せば余計炎上する」と考えた両親が、ジェオジュオハーレーに自宅謹慎を命じたからだ。
「お前はもう余計なことはするな」と散々説教をして、使用人たちにしっかりと見張らせている。
おかげで彼は、ここしばらくミレイユと会えていない。
(ああ、ミレイユ。きっと私を思い、毎日涙で枕をぬらしているに違いない)
彼が心臓をおさえ、大げさにポーズを取ったその時だ。
こんこん、と控えめなノックの音が響いた。
「誰だ」
「ジェオジュオハーレー様、私でございます」
「っ、ミレイユ!?」
ジェオジュオハーレーは慌てて扉を開けた。
そこに立っていたのは、フードで身を隠した女性だった。ミレイユは音を立てず部屋の中へ入ると、するりとフードを脱いだ。
美しくなびく金の髪。愛くるしい顔にジェオジュオハーレーは胸をかきたてられる。
「一体どうやってここに」
「メイドが手引きしてくださったのです」
彼女はそっとジェオジュオハーレーにすがりついた。
「お会いしたかった……。ジェオジュオハーレー様」
涼やかな声が体に染みわたり、ジェオジュオハーレーの心が震える。
「すまないね、君に苦しい思いをさせて」
「そんなことはありません。ですが、どうやら良からぬうわさが出回っているようです。ウィン様がハトになったとか」
ミレイユの表情に暗い影が差す。
「先日街を歩いていたとき、見知らぬ方に突然責め立てられたのです。お前の恋人がウィン様をハトにしたのだろう、と」
「なんだって!」
まさか恋人であるミレイユにまで被害がおよぶとは。
ジェオジュオハーレーの中で、見知らぬ人間に対する怒り、そしてその原因を作ったウィンへの怒りの炎が宿る。
さらに原因を突き詰めればそもそもは彼の婚約破棄のせいなのだが、彼はそこまで掘り下げることはしない。
「……ですが、本当にウィン様はハトになってしまわれたのでしょうか」
「? どういうことだ、ミレイユ」
「令嬢がハトに変身する」。その突拍子もないうわさが信憑性を持って広まったのには理由がある。
その日はたまたまキャンベル家を訪ねた客人がいて、彼らはウィンがハトになった直後の現場を目撃しているのだ。
爆発音、ハトに変身するための道具、1羽のハト、そして家族たちのパニックぶり。
その一部始終を目撃した第三者は、すぐさま他の人たちに吹聴した。
それがジェオジュオハーレーとの婚約破棄の時期と一致したことで、この話はかなり信憑性が高いものとなった。
ジェオジュオハーレーも最初は信じられなかった。ハトのうわさは自分を貶めるためにキャンベル家が企てた狂言ではないかと思ったほどだ。
だが、実際に目撃した客人に話を聞く機会があり、そのときにきっぱりと否定されたのだ。
「あの家族たちの混乱ぶりは、演技ではない」と。
「もしかしたらその客人さえも、協力者かもしれませんよ」
「なんだって?」
「実は私、見てしまったのです。キャンベル家のメイドが人目を忍んで彼女のお屋敷を出ていくのを」
「キャンベル家のメイドが?」
「ええ。気になって思わず追いかけたところ、彼女はキャスパー領の森に行きました。あんな森の中に、どうしてでしょう」
「……まさか、そこにウィンを匿っているのか?」
このうわさが皆に信じられている理由はもう1つある。
ウィンがハトになったと言われて以来、誰も彼女の姿を見ていないのだ。
だがもしうわさを信じさせるため、キャスパー領でかくまっているのだとすれば。
「ウィンは婚約破棄のショックでハトになったという嘘のうわさで、ハイル家の評判を落とし、僕に復讐しようとしているということか……、なんて卑怯な手を!」
「……ジェオジュオハーレー様」
ミレイユがそっとジェオジュオハーレーの手を握り、もう片方の手を胸元でぎゅっと握りしめた。
心細げに揺れる眼差しがジェオジュオハーレーを捕らえる。見上げてくる彼女から、甘い香りがした。
「このままでは、間違ったうわさで暴動が起きかねません。どうか、どうかあなたの手で、真実を見つけ出してください。これはあなたにしかできないことです」
彼女の声が、頭の中でくわんと響いた。
そうだ、自分が彼女を守らなくては。
胸の内で炎が燃える。熱い使命感にとらわれたジェオジュオハーレーは大きく頷いた。
「待っていてくれ、ミレイユ。僕が必ず真実を見つけ出してみせる」
そうして彼は使用人たちの目を盗み動き始める。
目指すは自分たちを苦しめる元凶、ウィン・キャンベルの元である。
使命に燃え、歩み始めた彼の周りに、ふわりと甘い香りが漂っていた。
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