第8話 はぐれ錬金術師の家
錬金術師の作ったアイテムは数あれど、その中でも社会に深く貢献したのは「転移魔法陣」だろう。
特殊な調合で作られたインク。それで描いた巨大な魔法陣。これがあれば指定の場所に一瞬で移動できる。
交通・貿易・医療など、ありとあらゆる面で役立つ優れモノだ。
もちろんお忍びで長距離を移動したい時にも、大変お役立ちとなっている。
たとえばハトになった見た目を隠しながら、こっそりと隣の領地に行きたい時とか。
時刻は早朝。
アリエラの手引きで、ウィンは自宅の転移魔方陣からこっそりキャスパー領へと向かった。
キャンベル領を統治するウィンの家には、キャンベル領の各地につながる転移魔方陣が用意されているのだ。
しかしまさか、娘がこっそり家出するのに使われるとは思ってもみなかっただろう。
時刻は夜中の3時。
フードに身を隠したウィンは、アリエラの後ろについてそっと部屋を出る。
暗くなった廊下を小さなカンテラを照らしながら2人は進む。
「ウィンさま、足音をあまり立てないでください」
『気を付けてるよ。むしろアリエラはなんで無音で歩けるの』
「背後からこっそりと近づいて相手を締め上げる時に便利ですよ」
『今後私の背後に立たないでね』
こそこそと2人は階段を下りていく。ウィンが足音をきしませるたびに身を縮こまらせながらも、なんとか階下に辿り着いた。
そのまま客間を通り抜け、転移魔方陣のある部屋へ。
アリエラは腰元から鍵を取り出し、そっと部屋の扉を開ける。
他の部屋との違いが一目で分かる異質な造りだ。絨毯と壁紙の代わりに特殊な材質の板が組み込まれた部屋。壁や床のいたるところに、インクで描かれた魔方陣が連なっている。
右端の魔方陣にアリエラが素早く飛び乗り、ウィンも慌てて陣の中に走り込む。
ウィンが懐からガラスの小瓶を取り出した。中には夜空を切り取ったような、濃紺の液体が入っている。
瓶を開けようとしたウィンだが、すぐにアリエラにその役目を投げた。羽根のついた腕でうっかり瓶を落として割りかねないからだ。
アリエラはそれを受け取ると、ふたを引っこ抜いて瓶を傾ける。
濃紺の液体が瓶のふちから
魔方陣が輝きを帯び、その眩しさに思わずウィンは目を閉じた。
一瞬の浮遊感のあと、再び目を開けると、また魔方陣が書かれた部屋が視界に入ってきた。
だが、さっきとは若干部屋の様子が違う。
いたるところに魔方陣が書かれていた先ほどの部屋とは異なり、今いる場所は床に4つほどしか魔方陣が書かれていない。転移に成功したのだ。
「ウィンさま。フードを取らないでくださいね」
「ぽう」
「怪しまれそうな挙動もつつしんでください。身じろぎせず、鳴かず、なるべく息も止めておいてください」
「ぽ、ぽう」
これでもかと言うほどメイドに釘を刺され、とりあえずウィンは頷いた。自業自得とはいえ、まったく信用してもらえない。
キャンベル家の魔方陣の先に続いていたのは「転移標」と呼ばれる石造りの小屋だ。
その小屋は、おもに4つの部屋で構成されている。魔方陣の描かれた部屋、門番が検閲をする部屋、門番たちの休息をとる部屋、不審者を捕縛する部屋の4部屋だ。
このまま普通に通ろうとすれば、ウィンは怪しいハト人間として、そのまま捕縛部屋に連れて行かれてしまう。
ここはアリエラにうまくごまかしてもらわなければならない。
アリエラは先に部屋の外に出て、門番と何やら話し始めた。
ウィンは扉にぺたりと頭をつけ、隣の会話を盗み聞きする。
「キャンベル家のものです。通行証はこちらに」
「拝見します。お連れの方は?」
「ウィン・キャンベル様です」
「えっ! ……あの、ウィン・キャンベル様ですか?」
(「あの」ってどの)
ウィンはとても気になったが、扉を開けるわけにもいかないのでぐっとこらえる。
「ええ。何か問題でも?」
「いえ、その。……ハ、ハトになったといううわさを聞いたものですから」
「ああ、婚約破棄のショックでハトになったというあの馬鹿馬鹿しいうわさですね。まったく、聡明なウィン・キャンベル様がそんなことをするはずがないのに」
「そ、そうですよね。はは」
「本当に……、そんな……、軽率な……馬鹿……阿呆……」
「?」
アリエラが絞り出すように単語を並べている。
多分今、
ウィンはひしひしとそう感じた。
「とにかくウィン様は、婚約破棄で傷心の心を癒すためにお忍びで外出されていらっしゃいます。ここも静かに通していただけると助かります」
「しょ、承知しました」
門番を納得させ、ウィンはフードを被ったまま、小走りでアリエラの後をついていった。
不審者をチェックするはずの門番は、きっちり壁の方を向いている。おかげでこんなにも怪しい不審者は見逃された。
転移標の外に出たアリエラとウィン。2人の前には、薄暗い森が広がっている。
『よくノーチェックで通してくれたねえ』
「不審者がキャンベル家の魔方陣から来ることは早々ないと判断したのでしょう。通行証も本物、キャンベル家のものですから」
『なるほどね』
ウィンは薄暗い森を見上げた。
鳥は夜目が見えない、という話を聞いたことがあったが、ウィンの目は夜もちゃんと機能していた。
森の入り口には栗色の木の柵が囲っている。一見なんてことのない柵だが、これは魔物避けのアイテムだ。
この柵が真っ赤に塗られている場合は「猛獣や魔物に注意」という意味が込められている。栗色の場合は「人が入っても大丈夫」だ。
「さて……、ウィン様。例の錬金術師は、この森の中にいるはずです」
「ぽっ」
ウィンはフードを被りなおした。万が一人に見られたら、自分が魔物と間違えられかねない。
柵を超えて、草むらを注意深く見ながら歩いていく。
伸び放題になっている草むらだが、比較的草の少ないところがある。
おそらく人が何度も行き来するので、草が何度も踏みつけられ、伸びきっていないのだろう。つまり草の伸びていないところが、錬金術師の家に通じる道となっているはずだ。
2人は慎重に歩みを進める。そうこうしているうちに日も出てきた。小鳥たちも目覚めたのか、ときおり鳴き声が聞こえてくる。
小鳥のさえずり、柔らかいこもれ日、なんとも癒される風景だ。これで頭がハトでなければ完璧だった。
そうして道を探しながら歩いていくと、目当ての家が見えてきた。
森の中だというのに、木材ではなく赤レンガを積み立てて作られている。
2本のえんとつからぽくぽくと出ている白い煙。
そのそばには大きな井戸と小さなログハウスが2つ、石造りの古屋が2つ。
家の周りの草はきれいに刈り取られており、小さい畑があった。実っている赤の実が熟れていて美味しそうだ。
(これが錬金術師の家かあ……)
ウィンは好奇心満々であたりを見回す。
「ウィンさま。私はもう戻らなければなりません。打合わせは覚えていますね」
「ぽっ」
ウィンは画板をさっと胸元に上げた。そこには「私は普通の街娘です」と書かれている。アリエラは大きく頷いた。
「よし。くれぐれも貴族だとはバレないように気を付けてくださいね」
アリエラはウィンを1人にするのがよほど不安なのか、何度もウィンの方を振り返りながら帰っていく。
ウィンは何度も振り返るアリエラに翼、もとい手を振りながら見送った。その姿が見えなくなったところで、くるりと反転し、小走りでレンガの家の入口に向かう。
朱色に塗られた木製の扉の前に仁王立ちして、ウィンはよしっ、と意気込んだ。
(第一印象が肝心よ、私)
すちゃっ、と画板を用意してカンペを書く。
書いた言葉は一言「助けてください」。こういうときはシンプルイズベストだ。
最初は「怪しいものではありません」と書いたが、ビジュアルから無理があったのでやめた。
背筋を伸ばしてはと胸を逸らし、大きく深呼吸。翼のついた手で丸い取っ手を扉に2回打ちつけた。
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