第9話 初めまして錬金術師
かんかん、と錬金術師の家の扉の取っ手を鳴らす。
「はいはーい、お客さんですかあ」
家の中から、明るい返事が返ってきた。
声と同じく軽快な足音が玄関扉に近づいてくる。
「ちょーっと待ってくださいね。この扉、木のわりに重たいんですよ、っと」
がたんと大きな音。おそらく、扉のかんぬきを外した音だ。
ぎいい、と少しずつ開いていく扉。
その隙間からのぞいた青年の笑顔。
「どちらさ……」
青年が笑顔のまま停止した。
彼は目撃してしまった。
ぎいいい、と重たい音と共に少しずつ開かれる扉。
その隙間から少しずつ見える扉の向こうの――、羽毛に包まれた人ではないナニカ。
扉の隙間からのぞく丸く赤い目と目が合った。
時が止まった。
恐ろしいほどの静けさの中、扉の向こうの生き物がやおらくちばしを開き――。
「……ぽぉう」
鳴いた。
それを合図に。
止まっていた彼の意識が動き出した。
「ぎぃやああーーっっ!!!」
絶叫とともに本能で扉を閉めようとする青年。
しかしハト人間は扉に足を挟んで踏ん張った。わずかに開いたこの希望、決して離してなるものか。
はたから見ると完全にホラー映画でモブが死ぬ5秒前の光景である。
「ぎゃーっ! ぎゃーっ! 鳥の魔物だああああ!」
「ぽーぽぽう! ぽぽー!」
ウィンは必死に「助けてください」画板をかかげるが、叫び続ける彼にはまったく見えていない。
「ぎゃー! 兄弟子、兄弟子いいい!! 助けて死ぬー!!」
「ぽー!!」
両者一歩も譲らず、ドアの取手がきしみはじめたその時だった。
「うるさいっすよ、あほう」
「あだっ!?」
叫んでいた青年の後頭部に、すこんとなにかが直撃した。
その隙を見逃さず、ウィンは騒ぐ青年を押しのけて部屋の中へと飛び込んだ。
その手口は強引な押し売り訪問販売である。
そしてウィンは、部屋にいたもう1人の青年と相対した。
日焼けした肌に、少し青みがかった黒の髪。こちらを見つめ返す柔らかなヘーゼルの瞳は、なんとも気だるそうだ。
低血圧そうな青年はハト人間ことウィンをじっと見つめ、淡々と言った。
「なんだ、お客さんじゃないっすか。ご用件は?」
「うっそでしょ兄弟子!」
絶叫したのは、扉で押し問答した青年の方だ。
こちらはわりと色白で、黄金色の麦のような金の髪と緑の瞳をしている。これだけ聞くと物語の王子様になれそうだが、血の気の引いた顔で鼻水を垂らし半泣きで絶叫するその様は、あまりにも優雅さからはかけ離れていた。
彼はウィンをびしっと指差しなおも叫ぶ。
「よく見て! ハト! 頭がハト!」
「呪いの類っすかねえ。それを治して欲しい、とかっすか?」
「ノーリアクション!? 感情死んでる!?」
なんともリアクションが対極な二人である。
ウィンはとりあえず2人の話し合い(もとい片方の青年の叫び)が落ち着くのを待つことにした。
手持ちぶさたになったウィンはあたりを見回す。
窓に吊るされたたくさんの乾燥植物、色とりどりの砂の瓶、何かの生き物の牙、角、羽。
棚には金属製の高価な秤と、出来上がったものを保管するため、ところ狭しと並んだガラス瓶がある。
垣間見える錬金術師らしさに、ウィンは目を輝かせた。幼いころに市場を回った、あのわくわくを思い出す。
そうこうしているうちに、騒いでいた青年が静かになった。正確には騒ぎすぎて息切れしすぎたため大人しくなったのだが。
ヘーゼルの瞳の青年が、ゆるりと窓際のテーブルを指さした。
「えーと、じゃあとりあえずお茶でも入れるんで、そこ座ってください」
「あっ! 兄弟子、俺やりますっ、だからあの子と2人にしないで!」
叫んでいた青年が光の速さで隣の部屋に消えていく。
あそこまでストレートに怯えられるとは思わなかった。ちょっと悲しい。
(やっぱりこの見た目、結構怖いのかしら)
何事にも動じないアリエラとずっと一緒だったので気にしていなかったが、頭がハトで身体が人間というビジュアルはやっぱり怖いのだろう。
ウィンはてぺてぺと歩き、日当たりのいいダイニングテーブルへと向かって席に着いた。その真向かいに感情が死んでいるほうの青年、兄弟子が座る。
ややあって騒がしい青年(おそらく彼が弟弟子になるのだろう)が、飲み物を乗せたトレイを持って戻ってきた。
「どどど、どうぞ」
弟弟子が震えながらカップを差し出す。がたがたと揺れながら木製のマグカップがウィンの目の前に置かれ、中に入っていたはちみつ色の飲み物が周囲にこぼれた。
兄弟子が片目をすがめた。
「お前ね。飲み物くらい落ち着いて運べないんすか」
「うるさいなもー!」
「まあ、お客さん。とりあえず飲んでください。……飲めます?」
ウィンのくちばしを見て、彼は若干疑問符をつけながら聞いてきた。
確かに普通であれば、突然ハトのくちばしで飲み物を飲むのは至難の業だろう。
だがウィンは自信満々に頷いた。
何食わぬ顔でクチバシとマグカップの距離をはかり、こくりと一口。そしてドヤ顔。
クチバシにカップの縁が当たって、お茶をこぼしてびっしゃびしゃになっていたのは初日のこと。ハトになって1週間のウィンには、この程度の日常動作は造作もないのだ。
「はー、上手ですねえ」
怖がっていた青年が、思わず恐怖を忘れ感心した。
ウィンは得意げになってどんどん飲み物を飲んだ。
花の香りがふんわりとして心が落ち着く、優しい味だった。
美味しいお茶で一服。日当たりのよさも相まって、このまま日向ぼっこしたくなる。
だが、そんな呑気なことは言っていられない。
「さて。じゃあそろそろ話しましょうか。俺はリオ。この騒がしいのは弟弟子のレグルスです。錬金術師のおやっさんに弟子入りして修行中の身です」
感情が死んでいる方の青年、もといリオは、自分と弟弟子を交互に指差して自己紹介する。今の話からすると、2人はうわさの貴族嫌いの錬金術師その人ではないらしい。
とはいえ、一緒に住んでいるのなら、同じように貴族を嫌っている可能性は高い。
彼らにも、自分の素性がバレないようにしなくてはならないだろう。
リオのヘーゼル色の瞳がすっと細められた。客の品定めを行う鋭い視線だ。
「じゃあハトさん、あんたの事情を伺いましょうか?」
ウィンはごくりとつばを飲み込んだ。
いよいよ交渉の始まりである。
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