第5話 メイド長との遭遇
予想以上の大事になってしまったが問題ない。なにせこの変身は1時間で解けるはずなのだ。
ウィンは1時間後に何食わぬ顔で皆の前に現れればいい。それだけでこの誤解は解ける。「紛らわしいことをするな」とものすごく怒られるだろうが、それで解決だ。
この件は終わり。めでたしめでたし。
そんなことを考えながら、クローゼットの中で息をひそめること1時間。
(戻んないじゃん……)
ハト人間になったウィンは絶望していた。
時刻は先ほどの騒動から1時間ほど過ぎた頃。
先ほどまで騒々しかった自室にも、今は誰もいない。
他の皆は気絶したウィンの母親を介抱するため下に降りて行った。
ついでにウィンと勘違いされた白ハトのリリーも連れていかれてしまった。今頃はウィンの代わりに手厚い獣医の看護を受けているのだろう。
ウィンはそろそろとクローゼットから這い出た。もう一度姿見を確認し、まったく変わらないハト人間の姿に絶望した。散らかった床に体育座りをして、1人途方に暮れる。
顔はふわふわのもふもふで、ちっとも戻る気配がない。しかも、視界がなんだか眩しい。暗いクローゼットの中から出てきたから、ではない。
いつもは見えない光まで見えているような、そんな感じがするのだ。これはハトの頭、もとい、ハトの目になった効果だろうか。
と、今はそんなことを考えている場合ではない。どうやってこの姿から元に戻るかが問題だ。
(こうなったら、諦めてみんなに事情を話すしかないわね)
ウィンは荒れた部屋の中で、地面に散乱した紙と羽ペンを手に取った。彼女は今、「くるっぽう」としか喋れない。筆談に頼るしかないのだ。
羽がもさもさとついた腕が動かしにくいが、筆談はなんとかできるはずだ。手指が人間のまま残っていて良かった。
ウィンが紙に自分の現状を書こうとしたまさにそのとき、自室の扉ががちゃりと音を立てた。
「ぽっ」
「は?」
後片付けをしようと戻ってきたのだろう。中に入ってきたのはメイド長のアリエラだった。
彼女はほうきを持って部屋の扉を開け、そして固まった。
何故なら誰もいないはずの部屋に、謎のハト人間がいたからだ。
ウィンは慌てて筆談しようとした。
「私はウィンです」と伝えようとしたのだ。
普通のメイドなら、ハト人間を見た時点で怯えて泣き叫んだことだろう。
だが、武闘派サン・キャンベルのメイド長は一味違う。泥棒も撃退したことのある強きメイド長アリエラは、ハト人間ごときの怪奇ではびくともしない。
アリエラは表情を消して手に持ったほうきを槍のように構えた。
その佇まいは、さながら歴戦の槍兵。
ウィンの産毛ならぬ羽毛が逆立った。
(こ、殺される!)
自分の名前を書くはずが、恐怖のあまり「殺さないで」と書いてしまった。
書き直すより早く、アリエラが迫る。立ち上がって逃げようとしたが、遅い。ほうきで足払いをかけられ、バランスを崩したところで胸倉をつかまれた。
ウィンの体がぐるんと宙で一回転する。
「ぽぉーう!」
地面に叩きつけられたウィンに、そのままメイドのホウキの先端が迫る。
絶体絶命。
このハトの顔のまま死ぬ。
ウィンが死を覚悟したそのとき、メイドの動きがピタッと止まった。
「……お嬢様の、服?」
そう、ハト人間はウィンの服を着ていたのだ。
ウィンは未だかつてない必死さで自分を指差し、着ていたワンピースを引っ張った。
そして床に落ちた「殺さないで」の紙を羽でばしばし叩く。
それを3回ほど繰り返したところ、アリエラの目がみるみる見開かれていった。
「……お、じょ、さま?」
アリエラが半信半疑で口にした正解に、ウィンは全力で頷いた。
□■□■□■
「なにをやってるんですか、お嬢さま」
「ぽぉう(面目ない)」
筆談でことのいきさつを聞いたメイド長アリエラは、顔を両手で押さえて一言絞り出した。
ウィンは首を縮めてしょんぼりと肩を落とす。
「いえ、申し訳ございません。私にも責任はありますね。お嬢様に趣味を楽しめ、なんて言ったから……」
「ぽ、ぽおう(そんなことないよ)」
「でもまさかハト人間になるとは思わないじゃないですか……っ」
それは本当にそうだった。
「他の方には、あのハトがお嬢様だと思わせておいた方がいいですね。奥様がまた倒れかねません」
「ぽぽ(そうだね)」
キャンベル家で一番神経の細い母をこれ以上悩ませるのは、ウィンとしても遠慮したいところだ。
「本来であれば、変身は1時間でとけるはずだったんですよね。なら、何日か待ってみましょう」
悠長だと思われるかもしれないが、これは普通の対応だ。
錬金術で作ったアイテムは、その時使った材料の品質や使用者の体質など、さまざまな理由で効き目が変わることがある。
そのため、薬の効能が予定より長引くことは珍しいことではない。
1時間で元に戻る変身薬の効果が1日続くことも珍しくはないのだ。
冷静になったアリエラは、素早く今後の行動を示す。
「それまでは私の部屋にいてください。不便もあるでしょうが、我慢していただければ」
「ぽう(うん、分かった)」
「あまり物音を立ててはいけませんよ。廊下に人の気配を感じたときは、ベッドの下にもぐって息をひそめてください」
ウィンは住処を追われた逃亡者の気持ちになった。実家なのに。
けれど、いつ他の人に見つかるかという恐怖にさらされるよりはずっと良い。ウィンは素直に頷いた。
こうして、ハト人間ウィンは、メイド長に匿われることになる。
この時は2人とも「まあ1日か2日くらいたてば、ウィンの姿も元に戻るだろう」と、割と楽観的に考えていた。
その考えが甘かったことに気づくのは、ここから7日目くらいのことだった。
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