第6話 もう一人の武田信玄
時代小説を書いていると、パラレルワールドを思い浮かべてしまう。パラレルワールドについての勘違い、そこが、時代小説の限界を感じさせるのではないだろうか?
パラレルワールドについて最初に考えていたのは、今まで散々書いてきた、
「無限」
という問題であった。
無限というものは、前述の、
「過去と、未来にあり、現在だけは、有限である」
と考えたが、その無限という発想として、ここでの勘違いをしてしまったのは、
「未来」
という問題であった。
最初は、パラレルワールドという言葉に対しての勘違いがあったのか、未来というものが、
「はるかに広がるという意味のパラレルだ」
という風に思い込んだので、未来という次の瞬間に広がっている果てしない、無限という世界を、
「すべて存在する世界だ」
と感じたのだ。
だから、その次には、さらに無限が広がっている。
しかし、
「無限×無限というのは、無限でしかない」
という、一種の矛盾のような計算式に、何か違和感を感じ、そこで考えたのだが、
「最初に生まれた次の瞬間の無限というものは、実際に次の瞬間に、現実になると、怒ってしまったこと以外はすべては消えてしまい、さらにそこから無限が生まれる。つまり、一度生まれた無限であっても、可能性でしかなく、次の瞬間、現実として生き残れなければ、それが消えてしまう。それが運命というものだ」
ということで、これが、今実際に起こっている世界だということだ。
たとえとしては、
「一つの目標物に対して、無数の可能性が進んでいき、そして、それを一つが突破すれば、門が攀じてしまい、入れなかったものは、そこで死滅する」
というもので、生物学的なたとえ話となったが、
「まるで、男子から放たれた精子の群れが、女性の卵子に付着するための、生命の誕生というものだ」
と思ってくれればいいのではないだろうか?
いくらたくさんの可能性があっても、
「運命の一体」
が入り込んでしまえば、あとは、死滅するしかない。
その運命の一体が、現在であり、そして過去になっていくうちでは、ひょっとすると、「別のところから、未来として飛び込んできた世界もあるのではないか?」
ということで、
「過去も、無限に広がっている」
という考えに至るのだった。
パラレルワールドの考え方の一つとして、
「この無限に広がったものが、一つの現在に向かって飛び込んできた世界のことをいうのではないかという発想である。
もちろん、この発想には、かなりの無理がある。普通は、
「未来に向かって、無限の可能性がある」
とはよく言われるが、
「現在というものが、一つにまとまるために、別の世界の現実からの可能性も無限にあったのではないか?」
と考えることで、おおよそ、前しか見ない、いや、見ることのできない人間にとっての、できる限りの発想が、この過去の無限性ということであり、それがパラレルワールドではないかと思っていた。
普通の人だったら、未来に広がる世界の一つ一つが、
「広がる可能性」
としてのパラレルワールドではないかと思うのだが、過去から繋がったものであれば、今を結果と考えた場合の過去が、無限の可能性を持っていると考えれば、ドッペルゲンガーであったり、本来言われている、
「パラレルワールド」
というものの、何たるかということを考えることができるのではないだろうか?
「並行宇宙」
としてのパラレルワールドが、広がっているということであれば、そこには、確かにもう一人の自分が存在しているということも言えるだろう。
そんな並行宇宙というものは、一つではない。ある瞬間から別れた世界ということであるので、今の現実から存在するパラレルワールドというのは、
「ひとつ前に現実であった瞬間」
しかない。
つまりは、
「一瞬一瞬のうちに、パラレルワールドというものは変わってしまっているのではないか?」
といえるのではないだろうか?
つまりは、瞬間ごとに変わるのが、未来というものであると同じで、あくまでも、パラレルワールドというものは、
「未来にしか開けていない」
ということになるのではないだろうか?
パラレルワールドというものが、
「タイムパラドックスの証明」
だという話があるが、これは、正しいとみるべきなのだろうか?
というのは、
そもそもタイムトラベルというものが、未来に行く場合と過去に行く場合とで、その可能性が違うということになる。
つまり、タイムトラベルで過去に行った場合、未来、つまりは、現実を変えてしまうという可能性を考えるからである。
「過去を変えてしまう」
ということになれば、そこから本来であれば、辿り着くはずの、
「過去に旅立った現在」
つまりは、辿り着くはずの未来が変わってしまうということになり、過去に向かうという行為がなかったことになる。
そうなると未来が変わることもなく、過去に行くことになるという発想である。つまり、過去が変わってしまえば、未来が変わる。しかし、その変わった未来が過去に来るという現実を消してしまう。
「それこそが矛盾であり、パラドックスとなり、説明がつかない、一種のメビウスの輪のような、別次元の発想のようなものになる」
といえるのではないだろうか。
しかし、パラレルワールドというのは、変わってしまったという過去が、現在に来る間に元に戻るというもので。
「変えた過去というのは、結局はまた過去に戻るための歴史である別の並行世界の道を選ぶ」
ということで、
「世の中というのは、最後には辻褄が合うようになっている」
という。かなり強引な考え方になるのであった。
本当に都合のいい考えで、
「パラレルワールドというのは、あくまでも、タイムパラドックスの辻褄を合わせるがために考えられた都合のいい世界」
ともいえるであろう。
だが、一見そう見えはするが、何かの仮説があり、それを証明するために、新しく創造するというのは、普通にあることで、ただ、今度はそのパラレルワールドを証明しなければいけないということで、ひょっとすると、また別の世界を作ることになるかも知れない。
それが無限に広がっていくものだとすれば、それこそ、
「無限へのマトリョシカ人形のようなものだ」
といってもいいだろう。
マトリョシカ人形というよりも、もっと科学的な発想をしようとするならば、
「合わせ鏡」
という発想である。
自分の前後か左右に、鏡を置いて、自分を写した時、そこに写っている自分はまた反対側の鏡に写り、どんどん小さくなりながら、遠ざかっているように見える。
その発想は、
「限りなくゼロに近い」
という前述の発想に似ているものだといえるのではないだろうか?
「どんなに細分化したとしても、存在するものは、ゼロにはなることはない」
という考え方であった。
そんなパラレルワールドであるが、もう一つ考えていたのが、
「もしも」
という考え方であった。
歴史に、
「もし」
ということはありえないというのが通説で、それでも考えてしまうのは、
「架空の話であれば、ありではないか?」
ということであった。
確かにフィクションであれば、何でもありで、それを、
「時代小説というのではないか?」
ということになるが、いくら時代小説でも、そこにタブーと言われるような話が入ってくれば、それは、
「すでに、時代小説ではない」
といえるのではないだろうか?
特に最近は、ドラマ、映画、アニメなどでよく使われる手としてあるのが、
「タイムスリップもの」
ではないだろうか?
そうなってしまうと、次代小説というよりも、SFであったり、ファンタジー小説という形になりがちだが、それでも、
「時代小説だ」
と言いたいのであれば、時代考証くらいは、しっかりしておかなければいけないだろう。時代考証まで変わってしまうと、そこは、パラレルワールドということになり、SFに入ってしまうのではないかと思うのだ。
「タイムスリップにしてまで、時代小説をどうして描くのか?」
ということを考えてみたが、
「最近の若い連中は、興味のあること以外は、見ないという傾向にある」
といえるのではないだろうか?
特に歴史などというジャンルは、好きな人は徹底的に好きなのだろうが、学校の授業で暗記の部分が覚えられなかった場合、テストが散々だったりすると、
「歴史なんて大嫌いだ」
ということになるだろう。
すると、歴史ものの小説や、マンガは見ないようになる。これが映像化されてアニメや映画になったりすると、興行問題にかかわってくるだろう。
そのため、最近では、歴史というものを、ファンタジーと結びつけることで、
「異時代ファンタジー」
であったり、
「異世界ファンタジー」
と呼ばれるものが生まれてくるのだ。
あまりその手のジャンルを見ない人には分からないが、ここ10年くらいの間に、急激に伸びてきたジャンルであった。
特に、若い作家が圧倒的に多く、一つの無料投稿サイトでは、投稿小説のほとんどが、ファンタジー小説ということで、
「そのサイトは、ほとんどファンタジー以外にはないのではないか?」
と言われるくらいまでになっていた。
そんなサイトであるが、小説を書いていく中で、最初に売れたとされた話が、タイムスリップものであった。
内容としては、時代小説にほぼ似ているものであったが、一番の違いは、主人公が、高校生の少年で、彼がタイムスリップした先で、有名武将になりきってしまい、大活躍をするというものであった。
彼がタイムスリップをした先が戦国時代で、本来であれば、歴史の勉強が苦手あ自分でも分かるくらいの有名武将が、天下を統一しているはずだったのに、その時代には、なぜか存在していないという。
主人公は、歴史は苦手だったが、ファンタジー系の話は好きで、よくマンガを見ていたりした。
そのマンガが、自分がタイムスリップした時代に似ているというのだ。
だから、彼は、学校で習う、いわゆる、
「史実」
として言われてきたことを知っているわけではなかった。
何も分からない中で、どうすれば、いいのかということを模索していくことになるのだ。何と言っても、いきなりタイムスリップしてしまい、群雄割拠お戦国時代に来ることになったのだから、普通なら頭の中がパニックになってもおかしくはないが、どこかサバイバルな精神を持ち合わせている主人公は、
「このまま何もせずに、死んでいくというのは、もったいない」
と考えるようになった。
必死になって、そのマンガで起こったことを思い出そうとしていたが、不思議と頭の中にインプットされていたのだ。
「そんなに何度も読みなおしたという感覚があるわけでもないのに、実に自然に思い出すことができる」
と思うようにあると、
「俺がこの時代に来たというのも、何かの理由があってのことなんだろうな?」
と考えるようになった。
それが、彼にとっての、
「覚悟」
だったのかも知れない。
彼がいたのは、現代では東京だった。しかし、タイムスリップして出てきた世界は、甲斐の国だという。
歴史が苦手だった主人公ではあったが、
「甲斐の国というと、武田信玄」
ということくらいは知っていた。
確かに、そこには、武田氏という大名がいて、しかし、まだ甲斐すら統一しているわけではなかった。
だが、自分が読んだマンガの主人公も武田信玄であり、マンガが始まったところと、実に似ていたのだ。
しかも、そのタイムスリップでは、武田信玄が存在していたというわけではなく、その主人公が武田信玄として、その時代を生きていくというものだった。
ただ、そこで、マンガを読んでいる主人公は、マンガの中に、一つの矛盾を感じていた。
というのは、
「この主人公が登場する前は、そもそも武田信玄として生きていくはずの自分は存在していなかったはずなのに、急に息子が一人増えたということを、どうして疑問もなく受け入れることができたのだろう?」
というものであった。
これを、
「マンガの世界で、しかも、タイムスリップした時点で、このお話はSFとなったのだから少々話が変わっているとしても、矛盾があるわけではない」
といえるのではないだろうか?
という理屈をマンガを読みながら感じたのだった。
小説の主人公は、タイムスリップした先では、ほとんどの人が、違和感なく受け入れているのだが、一部の人は、主人公の存在に違和感を感じているようだった。
「あなたは、一体誰なんですか?」
と言われたことも何度かあったのだが、それを言ってきたのは、最近結婚したという奥さからであった。
結婚した相手は、
「あなたは、そんな人ではなかったようい思うですが」
ということをちょくちょくいうのだ。
さすがに、主人公も、
「まずい」
とは思ったが、彼女から何かを聴けるのではないかと思い、
「じゃあ、あなたが抱いている私という人間はどういう人だったのですか?」
と聞いてみると、
「それは漠然としてしか思い浮かばないんですが、あなたが一体どういう人だったのかということを考えると、正直好きになれるタイプのお方ではなかったんです。でも、今のあなた様は、私が望んでいた殿という感じなんですよ。だから、私はあえて、この気持ちの違和感をあなたにぶつけてみたんです」
というではないか。
どうやら彼女は最初から違和感を感じていたようで、その気持ちをぶつけることで、さらなる絆をもとめようとしているのか、それとも、自分の未来について、真剣に考えているのかと思うようになった。
現代人から見れば、戦国時代というと、
「戦に明け暮れた時代」
であり、いつ殺されるか分からない時代だった。
それは、
「戦場での討ち死に」
「下克上などによっての、暗殺」
などを含めてのことであった。
だから、この時代に生きる人は、
「その瞬間瞬間を生きるのが精いっぱいで、将来のことなど考える暇はないだろう」
という思いが強かったのだ。
だが、嫁と話をしていると、
「その考えが間違いだったのではないだろうか?」
と思うようになってきた。
どうしてそう感じるようになったのかというと、嫁の話を聴いた後で自分のことを考えてみた時、思い浮かんだのは、実際に自分が生きてきた、タイムスリップする前の、
「現代」
においての自分だった。
「あの時の俺は、未来のことなんか、まったく考えていなかったな」
と思った。
まだ高校生の少年といってもよくて、将来への漠然とした考えを思い出してみようと思うと、
「大学受験」
というものが目の前にあるのは分かっていたが、
「では、大学というところがどういうところで、どういう勉強をして、その後の人生を生きて行こうか?」
ということがまったく見えてこなかったのだ。
現代にいれば、実際に見えてこなくても、
「大学生というのは、どういう人たちで、どんな勉強をしていて、そしてサラリーマンがどういう格好をして会社に行くのか」
ということくらいは、分かっていたはずだ。
しかし、こっちの時代に来ると、まったく思い出せない。タイムスリップしたことで、「過去の記憶を失ったのか」
あるいは、
「過去の記憶が封印されただけのことなのか」
ということは分からなかった。
だが、そのどちらかも分からない中で、嫁の話を聴いているだけで、主人公は、自分の将来まで見えてくるかのようだった。
それは、マンガで得た、
「マンガ世界の中での、武田信玄像」
なのかも知れない。
しかし、その像が浮かんでくるというだけで、武田信玄になったかのように思えてきたことは、主人公に、一つの覚悟を与えることになった。
「どうせ現代に戻っても、先の見えない世界。だったら、こっちの世界で一旗揚げて、俺が武田信玄になってやろうじゃないか」
と思ったのだ。
もちろん、よほどのポジティブな考え方でなければ、そんな考えに至るわけはないだろう。
いくら、タイムスリップしてきて、戻り方も分からないという感覚だったとしても、群雄割拠の戦国で、逃げ出したい衝動に駆られているのは間違いないが、なぜか、混乱している頭が、冷静になってきているのを感じた。
「まるで、脳が二つあるかのようだ」
と感じた。
その時、
「もう一人の自分が存在しているのではないか?」
と感じたが一瞬だった。
もう少しいろいろ考えられれば、その先が見えたかも知れないと思ったのは、もっと後になってからのことだった。
「ひょっとすると、帰れるタイミングだったのかも知れない」
と感じたからだった。
だが、忘れてしまったものはしょうがない。違和感がありながらも、先に進むしかなかった。
ただ、一つ言えることは、
「この時代において、今の立場を失えば、その瞬間から生きていくことはできないのではないか?」
ということであった。
冷静に考えればすぐに思いつく。
何と言っても、自分という存在はこちらの世界では、存在しないのだ。
「武田信玄としてであれば、存在も違和感を持つ人はおらず、持ったとしても、まわりすべてに違和感がないのだから、一人がワイワイ言っても、どうなるものでもない」
といえるだろう。
「気が狂った」
と思われても仕方なければ、違和感を口にすることは自殺行為でもあった。
何しろ違和感を持った相手が主君であれば、それも仕方のないこと。武田信玄の否定は、
「死を意味する」
ということになるのだった。
ちょうど高校生の時の武田信玄というと、まだ、武田晴信といっていた時代であり、元服はしていたが、当主は父親の信虎だった。
マンガで見た知識がそのまま、この時代背景になっていた。史実と言われているものと若干違っているということは分かっていたが、そもそも、史実をまともに勉強しいたわけでも、武田信玄にそれほど興味を持ったわけではないので。特にハッキリと分かるものではなかったのだ。
「確かマンガでは、武田信玄は、この後、重臣たちと図って、父親を追放するんだったな」
ということが頭にあった。
なるほど、父の信虎は戦好きで、戦になると、
「人間が変わる」
と言われるほどに、戦場では荒れ狂うということであった。
重臣たちの話によれば、
「殿は、いつもいくさになると目の色を変えて一番に切り込んでいかれようとするところがあって、我々がいつも必死でお止めしているんです。大将たるもの、陣にどっかりと座って、指揮を執っていただかないと、我々が動くことができません」
ということであった。
その時、主人公は、教科書に載っていた武田信玄の肖像画を思い出した。その肖像画では、椅子に座って、手には軍配がもたれていて、さらに、その眼光の鋭さには定評があった。
同じようなシーンをマンガで何度も見ていたが、
「あれ? 武田信玄って、こんな感じだっただろうか?」
ということを思わせたのを思い出した。
というのは、教科書に載っていた信玄の肖像画と、マンガとでは違っていたという思いがあったからだ。
だが、あくまでも、
「マンガだからしょうがない」
とすぐに感じたことで、余計な違和感を感じることはなかったのだ。
武田信玄は、今聞いた父親の信虎とは違い、明らかにどっしりしていた。どちらかというと、
「主人公の方が、信玄向きであり、父親よりも、戦国向きではないか?」
と考えていたのだった。
まずは父親を追い出すことに対しては、反対ではなかった。
「別に討ち取るわけではなく、追放するのであるから、まだ人道的だ」
と感じたのだ。
主人公は、また記憶の奥から一つのことが湧いて出たのを思い出した。
「そうだ、この時代は下克上で、事情は分からないが、織田信長が、弟を殺したり、斎藤道三が、息子に殺されたりしたではないか。そんな肉親の間でも、骨肉の争いをしているのに、追放くらいなら、まだマシではないか?」
と考えたのだ。
「確かマンガでは、父親が、嫁にやった娘の顔が見たいということで、駿河の今川義元のところに行くということから始まるのではなかったか?」
ということを思い出すと、果たして少ししてから、父親の信虎が、まるで図ったかのようにそういって、駿河の国に、赴くのだった。
それを見て、すぐに信玄は国境を固めた。
「父上を二度と甲斐の国に入れてはならない」
ということで、完全追放に成功したのだ。
「これで甲斐の国は、殿のものです」
と、重臣がほくそえみながら、そういうのだが、その顔を見た時、一瞬、ゾッとした。
「俺は、ひょっとすると、してはいけないことをしたのではないか?」
と感じたのだ。
しかし、これはマンガにもあったことで、記憶と現実が一致したことを敢えてやらなかったら、それこそ、
「俺は、俺としての存在が消えてなくなってしまうかも知れない」
と感じたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます