第7話 表裏関係
父親を追放すると、もう後は、
「俺が武田信玄だ」
という意思がゆるぎないものになっていた。
もう、そこには、現代からタイムスリップしてきて、覚悟を決めるまでの主人公はいない。
この世界での武田信玄が生まれたのだ。
つまり、
「時代の一つのピースが埋まった」
といってもいい。
しかし、このピースが埋まることで、史実とされてきたことが、どうなるのか?
と考えてみたが、いまさらそんなことを考えても、どうなるものでもないだろう。
というのも、
「タイムスリップで過去に行き、未来を変えてしまうのが、タイムパラドックスだ」
というのであるが、実際には。
「過去にきたことで、未来が変わるわけではない」
ということを今自分が実践しているのだ。
正直、彼の頭の中には、史実であっても、マンガであっても、
「武田信玄がどうなってしまうのか?」
ということを知るわけではなかった。
それは、幸か不幸かで考えれば、
「幸せなことだ」
と思うのだった。
ただ、一つ頭の中にあったのは、
「この世界が、パラレルワールドであり、過去が変わってしまっても、未来に景況を及ぼすことはない」
という、タイムパラドックスの証明を思い出していた。
主人公はSFが好きで、これくらいの発想は、基本中の基本ではなかったか。
「武田信玄という虚像が存在していたこの時代。まるで、ぽっかりと開いた穴に自分が嵌ることで、凍り付いていた時間が動き出した」
というのが、この時代ではないか?
と考えたのだ。
つまり、パラレルワールドというのは、宇宙に無数に存在していて、その世界は基本的に凍り付いている。動いている世界が、実際の世界だというのだが、もし、その別の世界に入り込んでしまうと、その人は、止まっていた時間を動かす力を得たとして、そっちが
「真の時代」
として、歴史を塗り替えるのかも知れない。
しかし、そこで一つ感じた疑問は、
「元の世界の自分はどうなってしまったのであろうか?」
と考えるのだ。
元の世界の自分は、そのまま、自分のパネルから飛び出しただけで、時間の進みを止めてしまい、時間を凍らせてしまったのだろうか?
ということになると、いくら無限に世界が広がっているといっても、動いている世界は、今のこの時代だけだということになるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「パラレルワールドがタイムパラドックスの証明」
と言われることが、まんざらでもないように思えてくるから不思議だった。
ただ、この小説を読んでいると、主人公が、マンガの世界を自分なりに読み取り、勝手な解釈で、マンガの世界を正しいと思っていることを、果たして、小説の主人公がどう思っているかである。
これも、
「マトリョシカ人形」
であったり、
「合わせ鏡の効果」
のようなものだと考えると、どんなに小さなことでも、決してゼロにはならない、
「限りなくゼロに近い」
というものではないかと考えるようになった。
武田信玄となって、パラレルワールドと思しきところで生きていると、その力が証明されるかのように、合戦に勝ち進んでいった。
「のちの歴史を知っているからなのか、それとも、ゲームで培ったわざなのか?」
と思うようになった。
主人公は、マンガだけでなく、ゲームも好きで、結構戦国のシミュレーションゲームもやっていた。
「そういえば、俺は上杉謙信でやっていたな」
と思っていた。
そして上杉謙信でやっていると、武田信玄ほどやりにくい相手はいないと思っていたのも事実だった。
実際にこの時代にも謙信はいるだろう。越後の国というから、また合戦の場は、
「川中島」
ということになるだろう。
しかし、今回は歴史を知っているので、失敗はしない。確か、第四次川中島では、
「勘助の口車に乗って、キツツキの戦法を行い、見事に相手に見抜かれたんだったな」
と、実際に謙信でやっていて、自分が見抜いたことを思い出すと、こっちの世界でも同じなのかが、実に興味深かった。
なるほど、頃合いのいいところで、勘助が、
「殿、いい作戦がございます」
といって、
「キツツキ戦法」
を持ち出してきた。
だが、それを聞いた信玄である主人公は、作戦には載ったが、元々の本隊である八幡原に送り出す兵を、史実として残っている8000を、別動隊の12000人と逆にして、待ち受ける方の人数を割いたのだ。
実際に、別動隊が、妻女山に登った時、本陣はもぬけの殻であったが、よく見ると、ゲリラ部隊のようなものが、潜んでいたようだ。
一気に、本隊に合流することができなかった別動隊であったが、本隊が大人数になっていたことで、何とか、時間を稼ぐことができた。
お互いに一進一退の中で、別動隊が背後をついてきたのだから、謙信はひとたまりもなかった。
ただ、討ち取ることはできず。散り散りになって、越後に引き返したという。
さらに、その戦の半年後、何と、上杉家の方から、和議を申し出てきた。これは歴史にはなかったことだ。
「どういうことなんだ?」
と思い訊ねると、
「かくまっていた信濃の国人であり、信玄に領地を奪われたといって越後に助けを求めてきた、小笠原と村上が、越後で反乱を起こした」
というのである。
彼らは、謙信に見切りをつけて、織田軍と結び、越後を手に入れ、そこから信濃を奪還しようと考えたのだ。
「上杉だけに任していては、いつまで経っても相打ちだ」
と思ったのだろう。
そのため、孤立を恐れた上杉が、武田と和睦し、あわやくば、武田と同盟を結べれば、関東の北条とのよしみもあることで、まわりから攻められることはなくなり、
「上杉・武田・北条VS織田・徳川」
という勢力図が出来上がることになる。
もちろん、史実とはまったく違った構成だった。
しかし、これも、主人公が、
「川中島の合戦で、兵の数を反対にした」
ということで。歴史が変わったのだ。
ちょっとした歴史の変化から、可能性が膨らみ、まったく違った世界が出来上がったことで、この世界は、無限に存在しているうちの一つだと考えるか、それとも、どんなに歴史が変わろうとも、史実なのか、こっちの歴史なのかの二択しかないと考えると、
「この大きすぎる変化も分からなくもない」
とかんがえられたのだ。
つまりは、
「どんなに可能性が無限にあろうとも広がる未来に可能性は、限られている」
ということである。
そのことは、
「時間というものが末広がりな矛盾からできているものの証明なのかも知れない」
と感じさせる。
だから、歴史を変えてしまうと、パラレルワールドの発想から、タイムパラドックスの証明にもなるが、逆に、果てしない可能性を秘めているのかも知れないということで、
「同じにしかならないか、まったく違う形を世の中にもたらすかのどっちかも知れない」
といえるだろう。
しかし、その可能性も、パラレルワールドもそれぞれを証明することができないので、完全な想像でしかないのだ。
「だが、この二つに結果が別れるのだということになると。この二つの間に、原因と結果という関係性が潜んでいるのではないか?」
ということである。
タイムパラドックスというのは、あくまでも、対うトラベルを可能だと考えたとするならば、その過程の証明に、パラレルワールドはなるのだろうが、では、
「パラレルワールドというのは、いくつ存在しているのだろう?」
と考えた時、この話の結論として、
「まったく別の世界が変わるだけ」
という発想になるのか、
「逆に、まったく変わってしまったことで、今度は歴史が最初は微妙に歪んでいき、途中からまったく違った世界が開けてくるのだが、最後には世界に限界があることから、結果は元のところに戻ってくる」
ということである。
後者の場合は。
「合わせ鏡」
の発想のように、どんなに進んでも、ゼロになることはない。
だからこそ、
「限りなくゼロに近いもの」
というものが答えになる。
ということであるが、パラレルワールドが二つであれば、もう一つの世界というのは、限りがある世界で、一度その端まで行ってしまい、そこから戻ってくることで、辻褄が合うという、
「元の位置に戻る」
ということになるのではないだろうか?
そう、無限に広がるものではなく、パラレルワールドは、この世界の対でしかないのだ。つまりは、
「裏と表」
「光と影」
というような、決して次元の違う場所ではない、今の世界。
そこを、
「辻褄を合わせるための発想である」
という、
「もう一つのパラレルワールド」
というものが存在するのではないだろうか?
となりとファンタジー小説のラストがどのようになるかということは、何となく分かってくるというものである。
小説の中で、武田信玄を演じている主人公は、上杉謙信との闘いを、何とか痛み分けという形で終えることができた。
ただ、謙信は、領地を返してもらえなかったことで、小笠原、村上に狙われることになったのを、信玄、謙信の同盟という形で、何とか危機を免れたが、それが、今度は、関東甲信越から、甲斐、信濃あたりまでの大きな同盟を築くことになったのだ。
それによって、何が起こったかというと、
「信長が、自由に動けなくなった」
ということである。
本来であれば、信長に敵対していたはずの。本願寺や、一向宗、雑賀や根来州などが、今度は信長、家康に味方をするようになった。
これは、もう、関東甲信越連合と、近江、尾張、三河、駿河を中心として、
「織田、徳川連合軍が形成され、日本が、
「二大勢力に、別れてしまう」
ということになり、何やら、どこかで聞いたかのような感じとなった。
「そう、関ヶ原の戦い」
である。
本来であれば、1600年に起こることであるが、まだ織田信長どころか、謙信も信玄も存命中のことであり、そうなると、時代は30年ほど早かったといってもいいのではないだろうか。
ということは、別の発想ではあるが、
「まるで金太郎飴状態なのが、歴史ではないか?」
ということであった。
つまり、
「どこで切っても金太郎」
というわけではないが、切った場所がどこであっても、同じだという発想である。
ただ。これは、どこで切っても同じだというほど漠然とはしていないが、発想としては似ているもので
「どこで切っても、何かの始まりになりえる」
ということでもある。
ということは、何か始めたことが、うまくいかないとしても、やり直しというものは時間をさかのぼらないとできないが、時間をさかのぼらず、その時点で、何もない状態にして一から組み立てるということができるとすると、途中まで作った発想が頭の中に残っているかどうかで変わってくるだろう。
ただ、やり直そうという発想なのだから、その時点で、
「失敗だった」
という思いは起こっているはずだ。
だから、
「そこまでの記憶がある方が、何が間違いでこうなったのか?」
ということが分かっているということで、
「失敗しない」
という発想になるだろう。
しかし、
「失敗してしまったんだ」
ということが頭の中に残ってしまえば、それは、
「また、うまくいかなかったらどうしよう」
という、トラウマを生み、結果、マイナス思考が働いて、先に進めないという、ネガティブにもなってしまうということだ。
そうなると、
「どっちがいいのか?」
という発想にあり、
「消去法と加算法のどちらを取るか?」
ということになる。
意識を持ったままやり直す場合は、消去法の考え方になり、意識を持たずに一からということになれば、加算法ということに落ち着くに違いない。
それを考えると。
その人の性格にもよるのだろうが、ここまで考えるということは、絶えず、
「逃げ道を考えている」
ということになるので、考え方はネガティブではないだろうか?
理想としては。ゼロから積み重ねたいと思うのだが、実際には。ゼロになっては困る。つまり、
「限りなくゼロ」
というものに近くてもいいのだが、
「ゼロになってしまっては困る」
ということなのだろう。
それを考えると、やはり、ゼロからというのは理想であるが、怖くてそれはできない。確かに、トラウマが残るというリスクはあるだろうが、ゼロというリスクよりもいいというものだ。
それを自分に理解させようとするために、
「過去から繋がっている歴史というのは、大切なことだ」
として、歴史というものを大切に考えようとする。
だから、歴史を大切に思う人は、
「怖がりで、実績のないものに掛けるという勇気を持ち合わせていない」
ということになるだろう。
それが、この小説を読んでいて感じたことであり、タイムスリップというものは、いくら小説の中でも、嫌だと思うのだ。
一歩間違うと、
「パラレルワールドというものは、理論的にはその存在を否定はできないが、自分の中にあってほしくないものだ」
といえるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、一つの疑惑が起こってきた。
それは、この時、主人公と、そのライバルである、武田信玄、上杉謙信ともに、それぞれの居城(館)として、
「躑躅崎館」
と、
「春日山城」
とが存在するが、偶然というか、その二つは、天守を持つ城ではなかった。
確かに前述のように、
「城というのは、必ずしも天守を必要とせず、天守は、領主がその威光を天下に知らしめるために作られた」
という含みが大きい。
そもそも二人が生きた時代は、信長が尾張を制圧している時期が一番兄妹だった。
ある意味、
「武田信玄が、上杉謙信の相手をせずに、さっさと上洛を考えていれば、織田家も安泰だったどうか分からない」
といえる。
その時代背景として、武田は、まわりを有力大名、特に強力な武将に囲まれ、それぞれが、同盟を結ぶような感じで、お互いが抑止力になり、大きな争いはなかった。
「駿河の今川義元」
「関八州を手中に収めた相模の北条氏康」
「北は、越後の長尾景虎」
であった。
それぞれに、婚姻関係を結び、政略結婚などによって、関係を深め、お互いにけん制し合うことで、倒壊、甲信越地方の安定が保たれていたのだ。
そんな時代において、
「本来であれば、どこかひとつの平和が安定しなければ、「全体が崩れてしまう」
といえるであろう。
そんな中、最初に動いたのが、今川義元だった。
義元は、京に登る道すがら、尾張を平定し、
「行き掛けの駄賃」
とするつもりだったと言われ、それが、桶狭間の合戦を引き起こしたという。
しかし、今川が京に本当に上ろうという意識があったのだろうか?
京に攻め上るということは、
「足利幕府を奉じる、あるいは、朝廷からの招きでもなければ、京に上ったとしても、展開号令などできないだろう」
となると、あの時、義元は、
「ただ単に、尾張を手中に収めて、すぐに帰ってくるつもりだったのかも知れない:
もし、本気で京に上ろうというのであれば、いくら同盟を結んでいるといっても、本国を留守にしているうちに、武田か、北条が、駿河に攻め込んでこないとも限らない。
「ひょっとすると、連合軍を組んで攻めてくるつもりであれば、当主もいない国などひとたまりもない」
ということになるのではないだろうか?
それを思うと、
「京に上ろうとしていた」
というのは、どこか違っているように思えるではないか。
そこで、いろいろ考えられる。
「織田軍が、誘いこんだ」
という説だって出てこなくもない。
ひょっとすると、桶狭間の合戦が、長引くと、武田や北条と織田が結んでいて、
「背後から今川軍をつく」
という密約ができていたかも知れない。
だからこそ、本当に
「京に攻め上る」
といわれていることが本当であれば、いとも簡単に、武田や北条が許すはずがない。
ひょっとすると武田が、今川に、
「背後は任せておけ」
とでもいったのかも知れない。
今川としては、追放した父親を預かっているということもあって、武田には恩を着せていたのかも知れない。
さらに、川中島の合戦の折り、内陸国である甲斐を苦しめるということで、塩を送らないようにすると、塩不足に悩まされ、上杉謙信が、武田に、
「塩を送った」
ということで有名になったわけだ。
つまり、北条か今川の領地から塩を融通してもらっていたということになる。
そういう意味では、
「武田は今川に頭が上がらない」
ということになる。
それを考えると、今川が動いたのは、
「武田と北条に対しての備えは万全と思っていたのだろう」
それだけに、
「まさか武田が織田と結ぶということは考えられない」
という考えがあるかも知れないが、武田としても、尾張を狙っていたのかも知れない。
一度同盟を結ぶというような甘いことを言っておいて、いずれは尾張侵攻のための足掛かりにしようと思っていたというものだ。
だが、
「武田と織田が結んでいる」
などということがバレると、今川、北条との同盟は波後にされることになる。
これだけ強い同盟を結んでいるのに、さらに危険を犯してまで、
「織田と結ぶ」
というのは、
「同盟が崩れた、いざという時のための隠し玉として持っていたのかも知れない」
という考えがあったからなのかも知れない。
何しろ戦国時代が、群雄割拠の時代であり、下克上などのような、それまでとは違った、
「何でもありの世界」
ではないか。
「これでもか」
というほどのいろいろな策、隠し玉をもっていなければ、生き残ってはいけないというものだ。
武田としても、
「織田に勝ってもらわなければいけなかった」
というのが、桶狭間だったのかも知れない。
今川が順当に勝てば、
「領土が増えてしまい、力の均衡が保てなくなる可能性もある」
さらに、
「武田が、京を目指すには邪魔になる」
ということもあって。今川が織田を攻めるということになった時、反対をすることもなかったのは、
「この機会に今川を潰しておいて、義元亡き後の駿河を占領しようと考えたのかも知れない」
だから、
「織田軍が、奇襲により、戦に勝利した」
という、戦国三大奇襲の一つに数えられる戦いを、織田軍が寡兵で成し遂げることができたのではないだろうか?
そんな武田と織田の関係は、一切表に出ることはなかった。
今度は数年後信玄が、いよいよ京に上ろうと画策した時、破竹の勢いで力をつけてきた織田家に、
「武田と結ぶ理由がなくなった」
ということで、裏の同盟関係が破棄されたとすれば、今度は、三河の松平元康に信長が照準に合わせたというのも、分からないわけでもない。
歴史というものを、史実と言われていることの、結論はそのままだとしても、途中途中で、言われていることの反対を考えた際に、少しでも歴史の流れがさらに矛盾がないと思えることであれば、その信憑性は大きいのかも知れない。
さすがに、群雄割拠の戦国時代。他の地域の勢力争いも、案外こういう、裏表から成り立っているのかも知れない。
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