第4話 キリスト教の正体

 安藤が描いた歴史小説は、題材とすれば、結構ベタなものだった。

 時代は戦国から、関ヶ原までを描いているものだが、ここでの歴史小説は、結構題材が多かったりする。

 ベタなところでは、今川義元VS織田信長における、

「桶狭間の戦い」

 武田信玄VS上杉謙信の、

「川中島の戦い」(特に第4次)

 そして、合戦では、何と言っても、

「関ヶ原の戦い」

 である。

 それ以外には、事件としては、何と言っても、信長暗殺においての、

「本能寺の変」

 であろう。

 その中でも、彼は、

「本能寺の変」

 を扱った。

 これだけでもベタなのだが、問題は、黒幕説であった。

 信長というと、革命児のイメージが強く、寺社仏閣を焼き討ちしたり、本願寺などの宗教を敵に回したりしているので、周りが敵だらけという意識がある。

 ただ、宗教を敵に回したといっても、弾圧したわけではなく、あくまでも、

「自分に敵対する勢力は、敵である」

 という当たり前のことを貫いただけである。

 つまりは、

「宗教というのは、死んだ後のことを救うなどと言っているが、死後の世界など誰も見たことがないので信用できるものではない。世の中が絶望的だから、何かにすがるしかなくて、宗教に走るというのは、無理もないことだ」

 といえるのではないだろうか。

 つまりは、そんな人たちを騙し、さらには、この世を救うこともできず、堕落し、さらには政治にも口を出すという、

「宗教の本来を見失ったものを攻撃して、何が悪い」

 ということである。

「キリスト教弾圧よりも、マシではないか?」

 と言われるが、果たしてそうなのだろうか?

 キリスト教というのも、そもそも、戦国時代、世界では大航海時代で、新大陸が発見されたりすることで、アジアも身近になってきた。そこで、スペインやポルトガルが中心になって、キリスト教の布教とともに、貿易を行おうとした。

 しかし、彼らは、キリスト教を布教させ、その土地の宗教との間に混乱を生じさせ、世情が混乱してくると、軍隊を送り込み、その勢いで、植民地にしてしまおうという作戦だったのだ。

 戦国時代は、さすがに、ただでさえ国がまとまっていない状態で軍隊を送り込んでもどうしようもないので、キリスト教を布教させた後で、国を支配する作戦だったのかも知れない。

 信長は、貿易を最大に考えた。

「まずは天下を武力で統一する」

 という意味の、

「天下布武」

 に則っていたし、そもそも、本願寺や一向宗などの勢力に対抗するために、

「キリスト教を利用してやろう」

 とでも思っていたのかも知れない。

 さらに、信長は天下を統一した後のことも考えていたのだとすれば、

「西洋事情を知っておきたい」

 と考えたのも、当然のことである。

 ただ、ひょっとすると、キリスト教が、怪しいということをすでに分かっていたのかも知れない。

 当時、キリスト教宣教師と信長は、仲良くしていたが、それが、皮を一枚捲ると、その裏には、暗躍が潜んでいたといえないだろうか?

 本能寺の変の首謀者として、名前が挙がっているものに、

「羽柴秀吉」

「足利義昭」

「朝廷」

「長曾我部元親」

「毛利」

 などと名だたるものがあるが、キリスト教関係者の名前は一つも上がっていない。

 変わり種として、

「徳川家康説」

 もあるが、どれも、

「帯に短し、たすきに長し」

 であった。

 そこで、安藤が考えたのが、

「ルイスフロイス説」

 であった。

 彼は信長の相談役のような形になっているが、実は、キリスト教の布教と、自国からの、

「植民地化計画」

 との間で、ジレンマになっていたのかも知れない。

 だから、そのジレンマを解消するために、ある程度天下の行く末が見えてきたところで、信長を葬ることで、

「国内に混乱を巻き起こそう」

 と考えたのか、

「ただ、それでは、自分たちが疑われる」

 と感じたことで、秀吉に天下を取らせるために、

「中国大返し」

 などという大規模な作戦を用いた時に、

「裏から協力をしていたのではないか?」

 と思うと、何となく筋が通っているように思うのではないか。

 その説を唱え、作品として発表したのが、安藤だった。

 彼は、キリシタン大名を実際の数よりもたくさん演出させ、

「実は、歴史の表舞台には出ていないキリシタンがいたのではないか?」

 ということを示していた。

 そして、

「ひょっとすると、秀吉を担ぎ出すことで、自分たちを有利な立場にしようとしたのかも知れない」

 と思えた。

 それに、当時の織田軍団の中では、秀吉が一番、

「武士らしくない」

 それを利用したといえるのではないだろうか?

 秀吉が、意外と、

「できた人物で、想像以上に人望が厚かったこと」

 さらには、

「人心掌握術に長けていた」

 ということが、大きな誤算ではなかったか。

 担ぎあげたはいいが、思ったよりも君主の器だったことで、計算が狂ったのかも知れない。

 しかも、最初は秀吉も、キリスト教を擁護していたが、いつの間にか、

「バテレン追放令」

 などを出すことになった。

 そもそも、キリスト教信者が、長崎を要塞化し、さらに、そこから日本人を奴隷として運び出しているということを知ったからだ。

 そんなことをするような連中だから、

「信長暗殺くらいのことは、平気で画策するだろう」

 というのが、安藤の考え方であった。

 そもそも、秀吉がキリスト教に協力したのは、

「日本を秀長に譲り、自分は中国を攻め、中国を征服する」

 という計画だったからだ。

 そして、中国占領後は、

「中国本土での、布教を許可する」

 という話になっていたのだった。

 そういう意味では、

「秀吉もキリスト教側も、どっちもどっち」

 ということになるだろう。

 秀吉が、中国制覇を狙っていたのも、そこにキリスト教を協力させようとしたことも、歴史として解明されているということであり、この部分は決して、フィクションではない。これは逆にキリスト教布教というものが、

「侵略目的だ」

 ということを証明しているようなものではないか。

 お互いに、侵略精神が旺盛だったという二組が結びついての布教活動であれば、当然のことであり、

「利害関係が一致した」

 といってもいいだろう。

 しかし、実際には秀吉は、キリスト教徒のやり口を知ってしまった。

「中国侵略だけを画策しているわけではなく、我が国に対しても、侵略意思を持っていた」

 ということが分かったことで、

「キリスト教は、想像以上に、危険分子だ」

 ということになったのだろう。

「キリスト教というのが、いつ頃から、その侵略意思をハッキリと表に出したのだろうか?」

 というのが、安藤の話の一つのミソだった。

 安藤の小説では、

「歴史における最初が違っていた」

 と書かれている。

 一般的には、

「カトリックの修道院であるイエズス会のフランシスコザビエルが16世紀に伝えた」

 ということになっているが、歴史としては、

「証拠はないが、もっと昔から伝わっていたのではないか?」

 という話もあった。

 安藤はそこに注目した。

 最初こそ、過去につたわったものと、ザビエルが伝えてきたものが、同じだと分からなかったが、次第に分かってくると、

「最初から我が国にあったものではないか」

 ということで。貿易を優先させたい信長に、布教活動はそれほど悪いことだとは思わなかっただろう。

 しかも、国内に本願寺や一向宗などの敵もいる。

 ちなにも、このどちらも、

「すべてが信長に逆らっていたわけではない。本願寺にしても、一向宗にしても、同じ宗教の中でも宗派が分かれている。その一部が敵対勢力となっているだけなのだ」

 ということであった。

 そんな勢力に対抗するためにも、キリスト教というのが必要だったのかも知れない。

 これが、国内の別の宗教であれば、混乱を招くだけで、さらに敵対勢力を増やすだけになるかも知れない。しかし、相手が南蛮渡来であるなら話は別だ。信長は、貿易を考えながら、自分の立場も考えていたことだろう。

 ただ、信長がポルトガル商人たちが、人身売買目的で、日本人を拉致して、奴隷貿易の商品として使っていたことを知っていたのだろうか?

 信長くらいであれば、知っていたかも知れない。

 あれだけ、貿易を奨励し、足利義昭に、堺などの貿易港の支配を約束させたりしたのだから、それも当然のことである。

 江戸幕府が鎖国を強硬したのは、島原の乱などが大きな原因ではあったが、最初に、

「バテレン追放令」

 を発した秀吉であったのに、それは最初だけのことで、次第に曖昧になってきたのも、その気持ちの中に。

「貿易優先」

 というものがあったからだろう。

「天下人というのは、当たり前のことだが、貿易の利益を独占したいと思うのだ」

 といっても間違いではないだろう。

 だから、信長が、

「キリスト教布教に寛大だった」

 と言われるのは、

「本当にそうだったのか?」

 という考えもあるだろう。

 キリスト教徒、特に信長に近い宣教師たちは、

「信長という権力者は、一度怒らせてしまうと何をするか分からない」

 と感じたかも知れない。

 しかし、昨今の歴史家などが言われることには

「果たして、信長という人間は、本当に言われている通りの、残虐非道な人間なのだろうか?」

 ということである。

 三英傑を現した狂歌として有名な、

「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」

 という歌の印象が強く残っていることで、

「織田信長=残虐者」

 というレッテルが貼られたまま、今日に来ているのかも知れない。

 しかし、信長は確かに、延暦寺の焼き討ちなどもやっている。ただ、これだって、延暦寺に対して、

「これ以上、政治に介入したり、敵対勢力に協力をするなら、延暦寺ごと燃やしてしまうぞ」

 といって、一応の警告はしている。

 それでも、延暦寺は、信長に敵対姿勢を崩さなかった。

 しかも、寺の僧が堕落していて、

「酒は食らうは女は抱くわ」

 と言った、

「酒池肉林」

 というような状態を見ていれば、許せないと思うのは、信長ばかりではないだろう。

 しかも、今までにも、戦のはずみだとは言っても、東大寺に火をつけたりした武将もいたにも関わらず、延暦寺を焼き討ちにした信長だけが、批判されるだけではなく、性格的なところを決定的にするということになるのは、果たしてどうなのだろうか?

 信長としては、

「世の中を変えたい」

 という意思が強かったということであれば、堕落した僧侶を許せないという気持ちも強いだろう。

 あくまで、自分を、

「第六天魔王」

 と名乗り、

「神になろうとした」

 とも言われているのだ。

 もちろん、本物の神になれるわけではないので、日本における天皇と同等か、できればそれ以上の絶対的な力がなければ、この国を治めていけないと考えていたのかも知れない。

 そういう意味で、

「敵対勢力に対しての排除は、絶対的に必要なことだった」

 に違いない。

 そこまで徹底しておかなければ、

「天下を握ったはいいが、その地位をいつの間にか危険にさらすことになる」

 というのを分かっていたのだろう。

 だから、貿易を続けながら、信長は、キリスト教を危険視していたことだろう。

 いくら、本願寺、一向宗への睨みと防波堤として使っているとはいえ、

「やつらだって、宗教団体の一つなので、同じ穴のムジナなのかも知れない」

 と感じたとしても、無理もないことだ。

 しかも、人心売買まで、同じ国の商人がやっていることを見て見ぬふりをしてるなど、日本人の感覚では分からなかったのかも知れない。

 信長のことを、ルイスフロイスは、いろいろ書いている。信長が、

「野蛮である」

 という印象は、このフロイスの書き残した文章からもうかがえるのかも知れない。

 なるほど、やったことを表からだけしか見ていなければ、

「信長というのは、短気で気に入らなければ、皆殺しにするというような、恐ろしい人物だ」

 ということになるだろう。

 しかし、考えてみれば、秀吉はもっとひどいことをしている。

 信長は、正々堂々と戦をして、相手を全滅させることはあったが、時代が戦国の世であれば、それも当たり前のこと。

 しかし、秀吉は、皆殺しにしないかわりに、攻城戦においては、水攻め、兵糧攻めと言った、

「じわじわ攻めて、相手が降参してくるのを待つ」

 という作戦が多かったが、じわじわと苛め抜き、結果大量の餓死者を出すというような戦法に、

「考えようによっては、こっちの方が残酷なのではないだろうか?」

 といえるのではないか?

 実際に、派手な戦闘が残虐で、じわじわいくのは、残虐ではないと果たして言えるのか?

 時代というピンポイントなものが、歴史という動的なものに、どのように影響しているのかということを考えると、

「キリスト教も影響は、ザビエルが渡来してくる前から、じわじわあったのかも知れない」

 と考えるのも自然ではないだろうか?

 それまで、歴史上、文献が残っていないというのは、実際には布教はあったし、信者もいたのだろうが、他の宗教に遠慮してか、それとも、

「歴史上、それらの布教を容認するかわりに、キリスト教が少なくとも、自分たちが生きている時代に存在したという証拠を残してはならない」

 という、明確なのか、暗黙なのかということでの、密約のようなものがあったのかも知れない。

 それが時代とともに、常習的になっていて、次第にその正体がハッキリしはしない、

「暗黒の宗教」

 という位置づけだったのかも知れない。

 だから、フランシスコザビエルがやってきた時、

「同じ宗教だ」

 という感覚がなかったのかも知れない。

 いや、それ以上に不思議なのが、

「キリスト教は、ちょっとの布教活動で、一気に信者を増やしていったというではないか? つまり、それだけ、馴染みが深い宗教だったということで、ザビエル渡来の前から、土着していたものだ」

 と考えるのが自然ではないかと思える。

 そうやって、一つ一つを紐解いていくと、

「本能寺の変」

 というものの黒幕として、

「ルイスフロイスを中心とした、キリスト教の勢力だ」

 といってもいいのではないだろうか?

 さらに、キリスト教の方でも、

「信長がこのままの状態で天下を握ると、キリスト教の行く末に危機が迫ってくる」

 と考え、明智光秀を陽動したのかも知れない。

 そう考えると、今までに何人もの黒幕説が出てきたが、そのどれも決定的なところがないのだ。

 つまり。

「そのどれでもないのかも知れない」

 という思いと、さらに、

「もし、他に新たな黒幕説が出てくれば、そこが、一歩抜け出す形での信憑性のある証拠が残っているのかも知れない。それはあくまでも、自分たちが見つけ切らないだけであって、それを発見できたとすれば、確たる証拠なのだといえるだろう」

 と考えているのではないだろうか?

 それにしても、今までに、黒幕説の中で、本当に、

「キリスト教宣教師説」

 がなかったというものおかしなものだ。

 ただ、黒幕というのは、別に実行犯をけしかけるだけで、何も兵力もいらないのだ。

 そう考えると、何も武士である必要はない。武士であれば、信長を自らが殺して、自分が天下人になるという方法もあっただろう。

 しかしそれをしなかったというのは、

「信長が日ごろから、謀反であったり、内乱に関してはしっかりと目を光らせていたからなのかも知れない」

 何と言っても、いくら天下が近づいたからといって、いや、実際に天下が近づいているからこそ、この時代のポイントとしてあげられる、

「下克上」

 というものが、平気で行われる時代なのだから、これは信長に限らず、必要以上に警戒していたことだろう。

 それなのに、みすみす、しかも、あっさりと配下の光秀に殺されてしまうというのは、あまりにもあっけないといえるのではないだろうか?

 信長という人間は、いや天下を握る人間には。最低限でも備わっていなければいけない何かを持っているはずだ。

 ということであれば、信長は志なかばで、謀反を起こされたということは、信長という武将が、

「実は、天下を握るために、最低限身に着けていないといけない何かを身に着けていなかった」

 ということなのかも知れない。

 信長は、革命家であり、斬新な政策を打ち出し、数々の成功を収めているということで、

「天下人に一番近い」

 という定説であったが、そのたった一つの、それも一番大切なことが抜け落ちているということで、信長は、討たれたといっても過言ではないだろう。

 そう考えると。

「光秀の単独説」

 というのも、ありなのではないか?

 要するに、単純に、

「信長が天下を取る器ではなかった」

 ということであれば、

「本能寺の変」

 というものに、謎などなく、

「起こるべくして起こった変だ」

 といえるのではないだろうか?

 実は、この案を安藤も考えていたが、それを小説の中に組み込むのをやめていた。

 それは、後述で理由が明らかになってくるのだが。やはり、一つの仮説の中で、それを強調したいのであれば、対抗する説を唱えることは、その言いたいと思っている説を、相殺するという形になるので、一種の、

「禁じ手だ」

 といってもいいだろう。

 それを考えると、さらに、

「キリスト教主犯説」

 というものが深堀りされてしかるべきであろう。

 そして、安藤は、そのことで、

「調べれば調べるほど奥が深い」

 というような、まるで、

「底なし沼に嵌りこんでしまったかのように思われる」

 と感じているのかも知れない。

「本能寺の変というものの本当の黒幕は存在するのだろうか?」

 この定義は、大きく歴史ファンや学者の間でのテーマとなっている。

 さらに、この問題が、歴史の中でも大事件と言われ、謎が深まっている事件に、いかに影響してくるのか、そのあたりが難しいところであっただろう。

 時代小説というものは、あくまでも、フィクションではあるが、実際の史実の上で書かれる必要がある。

 そういう意味で、歴史小説を、

「多次元」

 という発想ではなく、あくまでも同一次元ということでの、

「パラレルワールド」

 として見ているという。安藤らしい発想ではないだろうか?

 この発想があるからこそ、今まで誰も言ってこなかった、

「キリスト教主犯説」

 というものが出てきたということになるのであろう。

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