第103話 崩壊

 ソフィーは全く姿を見せる気配がないまま、お開きとなった。

 ずっとここで待つこともできないため、マリアは一人で部屋に戻った。




 日付が変わる。

 

 それでもマリアは待ち続ける。


 時間だけが過ぎる。

 

 それでも、ソフィーが帰ってこない。

 

 広く、冷たい部屋で――マリアはひとり。

 初めてここを、牢獄のようだと感じた。

 そしてそれは、決して気の所為などではないのだろう。

 

 この数日間、この部屋でひとりになったことなどない。

 不安がつのる。


 置き手紙を残して、誰もいない部屋に取り残されたときのソフィーの姿を想像する。

 彼女も、このような気持ちだったのだろうか?


 ソフィーに何かあったとはとても考えられない。

 しかし、嫌な予感がする。


 ネグリジェからシスター服に着替え、部屋をでた。




 オーランドの仕事部屋を訪ねた。

 鍵は締まっておらず、扉が開く。

 中に灯りはなく、誰もいる気配がない。

 後ろから、猫の鳴き声。

 振り返ると、オーランドの使い魔が廊下にいる。

 もう一度、マリアに向かって鳴いた。

 言葉を理解できなくとも、内容を理解した。


 "ついてこい"と、猫は言っている。


 黒猫はマリアの顔を確認した後、走り出した。

 マリアは慌てて後を追うこととなる。



 黒猫が向かった先は、儀式場。

 扉が勝手に開き、使い魔は中に入っていく。

 

 マリアは気味が悪いものを感じながらも、中に入った。

 その瞬間、違和感を感じた。

 しかし、それはすぐに気のせいだと考えた。


 前のように、蝋燭の火はない。

 明かりは月の光だけ。

 それで十分明るいし、何よりマリアは夜目がきく。


 祭壇へ伸びる通路の真ん中で、オーランドは待ち構えていたかのように、両手を大きく広げてマリアを出迎えた。


「これはこれは、マリアさんではないですか! どうしてこちらに?」


 わざとらしい演技だ。彼がマリアを呼んだのだから、知らないわけがないのに。


 訝しがる相手を見て、オーランドは笑う。


「ソフィー様は何処です?」

「心配しなくても、すぐに会えますよ。それより、マリアさんに見ていただきたいものがあるんですよ」


 そう言って、オーランドは背中を見せ、祭壇の方に向かって歩いていく。


 マリアとしては思うところはあるものの、オーランドの後に続く。


 嫌な臭いが鼻をくすぐる。

 どこかで嗅いだ匂い。


 鼓動が鳴る。

 そのたびに体を震わせた。


 階段を上る。

 やめろと、誰かが言う。


 もう一段上る。

 やめろと、脳が訴える。


 もう一段上る。

 やめろと、心が訴える。


 もう一段上る。


 上る。


 のぼる。


 ――


 繰り返した先、足が止まった。

 


 オーランドの笑顔。

 むせかえるような――血の匂い。


 

 上った先――奥の方に誰かがいる。

 

 

 誰かの死体が転がっていた。

 バラバラになった死体。

 それは、ひとつではない。


 無表情のソフィーがそこにいる。


 死体を踏みつけ、無感情で――マリアを見ている。


 手に握る――剣先から、血が滴る。


 言葉がでない。

 出てくれない。


「ほら、すぐに出会えた。僕の言ったとおりでしょ?」


 いつものように、そんなふざけたことを言う。


 それが――あまりにも、気味が悪い。


 唇を噛む。


 ――沈む、気持ちを奮い立たせる。


「ソ、ソフィー」


 声がかすれる。それでも、言葉となった。


 彼女は表情を変えることなく、マリアを見つめ続ける。


「マリアさん、無駄ですよ」


 物わかりの悪い子供に言い聞かせるよう、オーランドは言葉を紡ぐ。


「今の彼女は、僕の命令を聞くだけの――ただの化け物ですから」

「そんなの、ありえない――」

「あり得なくなんてないですよ。昔、ソフィー様が自ら言ってたじゃないですか。自分に拒否権なんてないと――貴方の前でも口にしていたと思いますけどね。精霊の子は、神が人のために与えた物です。それを、人が制御できなくてどうするというのですか?」


 オーランドは愉快そうに笑う。


「本来は、王にしか許されない権限なんですけどね。それよりもマリアさん、そこの死体は誰だと思います?」


 認めたくない。それが死体だと――認識したくない。


「国王様と王妃さまです」


 オーランドは実に、愉快そうに言った。

 

「王妃さま、国王様のこと恨んでいましたから――ソフィー様により彼が苦しめられる姿を見せてさしあげんたんです。少しでも彼女の恨みを晴らさせてあげたいと言う、僕なりの優しさです。でも、泣きながら彼を救おうとしたんですよ? その姿があまりにも煩わしくて、つい、僕の方で殺してしまいました。苦しめずに殺してしまったことだけは後悔したんですが、彼女の死を見て国王様は無念の表情をしてくれました。その表情だけで僕の胸をすっきりとさせてくれました」

「――何で?」

「何で? そんなの決まっているじゃないですか。憎いからですよ。憎いから痛めつけたい。この世に生まれてきたことを後悔させてやりたいと思うのは普通のことですよ」


 マリアの足が震える。


「国王様から話、聞いたんじゃないんですか? フィーネ姉さんのことを」


 フィーネ――ソフィーの母親。


「僕のたった一人の肉親であり、唯一の人。僕には姉さんしかいませんでした。姉さんは僕であり、僕は姉さんでした。そんな彼女を、国王は僕から奪った。彼女は僕の全てだった。であるのならば、彼の全てを奪う理由が僕にはあります。彼の全ての中に、この国があるのなら、僕はこの国を滅ぼしたいんですよ、マリアさん。何より許せないのは――彼女の代わりをお金で解決しようとしたこと。それにね、姉さんは自殺したわけじゃなかった。殺されたんですよ。王もそれを知っている。しかし、大貴族のしでかしたこと。彼は国の安定のためにその事実をもみ消した。それだけでも、僕はこの国を壊す言い訳ができますよ」


 彼は笑う。狂ったように笑った。


「……肉親なら、ソフィー様だって、そうなんじゃないんです?」


 オーランドは一瞬だけ真顔になった後、再び笑い出す。

 

「――そうですね、その通りです。でもね、愛しているのは半分だけで、もう半分は――憎しみしかありません」

「……それでも、肉親は肉親です」

「ええ、否定はしませんよ。それより、この国を――この世界を滅ぼすには、魔の力が必要なんです。貴方の中に眠る、魔の王の力がね」


 オーランドはマリアを見つめる。


「やはり、貴方はなにも知らされていないんですね」


 馬鹿にしたように笑う。


「まあ、いいです。マリアさん、僕はね――こう見えて今、とっても不機嫌なんです。本当はね、もっともっと痛めつけてやりたかった。それなのに、こんなにも簡単に壊れてしまった。だからね、僕の憎しみがおさまってくれません。世界を滅ぼしたってきっと無理でしょうね。マリアさん、代わりに、少しだけでいいですから――泣き叫んでください」


 彼の笑顔に、寒気がした。


「ソフィー様、お願いします」


 ソフィーはマリアに近づき、無表情で剣を構える。


 信じない。


 ソフィーが、ソフィーじゃないなんて。


 そんなのは、信じない。


 マリアはソフィーを見つめる。


 ソフィーはマリアに向けた剣先を――何故か自分の左胸に持っていくと――そのまま、自分自身に突き刺した。


 血が飛び散る。


 立ったまま、ソフィーはマリアを見つめる。


 無感情の目。


 口元からも、血が流れる。


 マリアは自分の――目を、疑う。


 一瞬、これは夢だと思った。


 逃げる心を無理やり引っ張り込む。


 震える手を、握りしめた。


「ソフィー!」


 マリアはソフィーに駆け寄ろうとするが、オーランドの風の魔法で吹き飛ばされる。


 マリアは、よろめきながらも体を起こした。


 オーランドの前に禍々しい黒い球体が現れると、そこに黒い渦が巻き起こり、ソフィーの体が吸い込まれ、消えた。

 大きさは直径二メートルほどだったが、人の顔の大きさぐらいまで小さくなり、オーランドの手前で宙に浮かんでいる。


「ソフィー!」


 マリアは再び叫ぶ。


 その声に、オーランドは舌打ちを鳴らす。


「いちいち煩いんですよ、本当に。精霊の子は自分の心臓を潰そうとも死にはしませんよ。とは言え、暫くは使い物にならなさそうですが」


 無事を確認するまで不安なんて消えてくれない。


「それにしても、僕は一体なにを見せられているんですかね? 本当に不愉快ですよ。完全に心を押さえつけているはずなんですがねぇ。貴方をほんの少し傷つけることより、自分が死んだほうがマシだとでも? これが愛だ――なんて、ふざけた言葉を吐きたくなってきましたよ」


 オーランドは笑う。実に、不愉快そうに笑った。

 

「知っていますか? ソフィー様は、世界と人間をつなぐ存在です。彼女に寿命と言う概念は存在しません。彼女が死のうと思っても、世界はそれを認めない。何も食べなくても、マナが彼女を生かし続ける。体を傷つけても、すぐに修復する。彼女は世界に生かされ続けている。彼女が死ぬときは、世界が彼女を手放した時だけです」


 マリアは信心用具を握ると、体に魔力を流し込む。


「何も知らない貴方に、ひとつの神話を話しましょう。それはきっと、誰も知らない――そんな話です」


 オーランドはいつものように笑い、話し始めた。

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