第89話 帰還

 会議が終わった後、アレンから促され、マリアは素直に彼について行った。


 廊下を出ると、オリヴィアがふたりの後に続く。

 アレンは振り返ることなく、オリヴィアに情況を説明する。彼女は直ぐに理解し、頷いた。


「あの人の娘さんが、被害者だったんですね」


 マリアは、アレンの背中に話かける。


「ああ、あの豚の娘だ。顔と性格も、何もかもあいつそのものだったよ。あの豚は俺とそいつを結婚させたがっていたようだからな。正直、不愉快だったよ。しかも、愛人との子を俺にだぞ? ふざけているとしか言えんよ」

「アレン様」


 オリヴィアは嗜めるように言葉を吐いた。


「分かっている。だが、言葉にしたいときもある。マリア、あの豚は娘の事件を聞いたときどうしたと思う?」

「え? ……そりゃー、怒ったんじゃないんです?」

「その通りだ。彼は怒ったよ。情事を邪魔されたことにな」


 その言葉が、マリアには理解できない。


「そして夕方になって怒鳴り込んできた。先程の会議であったように喚かれたよ。あれにどれだけお金がかかったか口うるさく言われた。それはとんでもない金額だった。だが彼はそれを寄越せと言ってきた」

「払ったんです?」

「とても払える金額ではなかった。だから、彼が求める神具を父上は渡してしまった。正直、俺は奴を斬り殺すべきだと思ったがね」

「アレン様」

「オリヴィア、分かっている」


 アレンは苦笑する。


「しかもその日の夜は奴の家でいつものパーティーを行っていたらしい。楽しそうに笑っていたとのことだ。だからマリア、気にするな。殺された令嬢たち本人も、それぞれ人を苦しめてきた連中だ。この国の膿そのものだと、俺は考えているよ」


 これは――励まされている?


 例え、そうだとしても――


 ――マリアは頭を振って、気持ちを切り替えた。


 マリアは、もうひとつの疑問を投げかけた。


「話は変わるんですけど、アレン様はソフィー様のこと、好きなんですよね?」


 初めは、嫌っているのかと思っていたのだが。


「嫌いだな」


 アレンは、振り返ることなく言った。


「とても、そうは見えないんですけど?」


 ため息を吐かれる。


「嫌いだね。兄である俺を頼ろうとしない妹など、大っきらいだよ」


 そう言って、アレンは鼻をならす。


「だけどそれ以上に、あいつを前にして――恐怖心を抱く俺が、最も嫌いだね。だから、俺は強くなる。誰よりもな」


 不器用だなーと、マリアは思った。




 ***




 アレンはこの世で唯一の聖剣使いだ。


 長年眠り続けた聖剣に触れた瞬間、それは彼の体内に溶け込んだ。


 アレンは聖剣を自由に体から取り出すことが出来る。


 彼の魔力量はかなり優秀だが、それでも長時間使用することはできない。


 そのため、必ず別の剣を腰にぶら下げている。


 聖剣は広範囲の敵ではなく、単体の敵に対して有効な武器である。大量の魔力が必要なため、一撃必殺の、人間が再現できる最大の攻撃力と言われている。


 そのため、この国で単体の敵に対する性能は精霊の子に次いでアレンが最も高い。


 しかしその事実に、彼はあまり納得していない。


 だって、それは本来の自分の力ではなく聖剣の力だと彼は考えているからだ。



 ――



 王都より北東、十キロメートル先で敵を待ち構えた。

 見晴らしのよい、広い荒野。

 地面にたくさんの魔法陣を設置している。

 編成は遠距離攻撃主体の編成。


 アレンは一番後ろで待機している。

 近接、遠距離、守護、補助と、彼の周りにはバランスよく味方が配置されている。


 敵の姿が見え、緊張が走る。


 地面に仕掛けられた魔法陣が反応し、爆発音と土煙が舞う。

 

 それを合図に、遠距離の弓と魔法による攻撃が開始された。


 土煙の中、三メートル以上の巨体が無傷で姿を見せた。

 オークキングはアレンの方を見、敵と判断した。眼が光、雄叫びを上げると、走り出す。


 アレンとの距離は二百メートル程。


 速度はそれほど大したことがない。


 アレンの合図で、遠距離部隊が攻撃を止め、後方に下がった。


 土煙が少しずつ消えていく。


 オークキングの後方、約五十メートル奥に数十体の敵。奴らも雄叫びを上げ、こちらに向かって走り出している。


 しかし、問題ない数だとアレンは判断した。


 アレンの指示により、マリアは結界を。補助担当は身体強化と魔力強化を。


 アレンは動き出す。彼を先頭にしてオークキングへ向かう。


 アレンは右手をかざす。彼の手に黄金色に光り輝く剣が現れる。聖剣の効果として、彼が指揮するメンバーは大幅に能力が向上する。範囲は半径五メートルほど。


 オークキングまで距離、十メートル。

 

 アレンの真横から何発か魔法弾が放たれ、オークキングに着弾した。大したダメージは与えられないが、アレンへの注意が逸れるだけで十分な仕事である。


 敵の視線が外れたのを確認すると、アレンは剣を構える。


 詠唱。


 聖剣の放つ光が強まり、剣身から高魔力の光で溢れる。アレンは敵へと踏み込み、それを軽く横に薙ぎ払う。


 敵は驚くほど簡単に胴体が切断された。その瞬間、敵の別れた体が崩れだし、砂のように地面へとこぼれていく。


 そして、ゆっくりと黒い霧状となり、空へと昇る。


 アレンの手から聖剣が消えると、彼は地面に膝をつく。オリヴィアとマリアは直ぐに駆けつけた。オリヴィアはアレンの体を支え、マリアは回復魔法をかける。


 たった一発でほぼ全ての魔力が消費されるだけでなく、体力も奪われていた。


 残ったオークの集団は、他のメンバーにより討伐される。

 勝利のおたけびが上がった。


 その光景を、アレンは眺める。


「……たった一発でこれとはな。つくづく情けない」


 苛立ったように、言葉を吐いた。


「それでも、アレン様でないとあの敵は倒せませんでしたよ?」


 マリアの言葉を聞いて、アレンは鼻で笑う。


「俺ではない。聖剣の力だ」


 マリアが何かを言おうとしたとき、五十メートル先の上空に黒い球体が浮かんでいるのに気付いた。それはゆっくりと落下してくる。

 その姿を、大勢の人間が身動きできずに眺める。

 何の気配もない。何の魔力も感じない。

 それでも、全員がそれを異常だと認識した。


 球体の大きさは、直径二メートルほど。


 それが地面につこうとしたとき、球体が歪む。そして、急激に膨らむと――それは破裂した。


 マリアは咄嗟に結界で覆うが、直ぐに飛散する。風圧で近くにいた人間たちは吹き飛ばされた。


 マリアは倒れた体を起こし、情況を確認する。


 黒い球体の合った場所に、黒い大きな何かがいる。


 その姿に、マリアは息を飲んだ。


 黒い鱗。


 鋭い爪と牙。


 有翼があり、爬虫類のごとき姿。


 体長は八メートル。


 それは伝説上の生物。


「ドラゴン……」


 マリアは呟く。


 ――それは、落ち着いた様子でマリアたちを眺める。


 その姿を前に、人はあまりにもちっぽけだ。


 殆どの人間が金縛りにあったかのように、身動きができない。

 動けるのは、マリアと――アレンぐらい。


 アレンは魔力回復のポーションを飲むと、ビンを投げ捨てた。手が震えている。そんな自分の手を見て、アレンは鼻を鳴らす。


「正直、聖剣を何発あてたところで倒せる気がしないがな」

「とは言え、ソフィー様が帰ってくるまで、なんとか持ちこたえないといけないんですよね?」

「ソフィーに頼らざるを得ないのは正直屈辱だがな」

「でも何か、攻撃してくる気配なさそうですねぇ。下手に動くとやばいです? 取り敢えず私が動いてみて、問題なさそうなら他の人たちになんとか後退するよう伝えないとですね」


 アレンは思考する。

 

「……オリヴィア、動けるか?」

「す、すみません。足が震えて」

「お前がそうなら他もそうだろうな」


 その言葉で、マリアは周りを確認する。

 まともに動けそうな人間が自分とアレンだけと言うことに気付く。


 これで、逃げる選択肢がなくなった。

 とはいえ、下手に手は出せない。どうしたものかと考える。


 ドラゴンが急に反応した。


 信心用具を握る力が強くなる。


 ――頭上から高魔力の反応がし、マリアは顔を上げた。


 空から何かが高速で落下してくる。――そう思った瞬間、衝撃音がし、地面が揺れた。

 そして、ドラゴンがいた場所に土煙が舞う。


 漏れ出す魔力の出力が、ルーカスのときよりも遥か上。


 あまりの桁外れの魔力に当てられ、マリアの顔が引き攣る。


 土煙が少しずつ消えていく。


 ソフィーの姿が見えた。


 彼女の後ろには倒れたドラゴンの姿。――その体から、黒い霧が微量に漏れ出している。


 ソフィーはマリアを見て、何故か睨んでいる。その理由が、マリアには検討がつかない。


 姫様はゆっくりとこちらに向かって歩き出す。


 マリアは笑顔で冷や汗を流した。


 ソフィーはマリアの前で足を止める。


「私は今、凄く怒っています。全力を出したのは、今回が初めてですし、こんなにも頭がきたのも初めての経験です。それがなぜなのか――分かりますか? マリア、これは貴方のせいです」


 そんなの、分かるわけがない。マリアの冷や汗が止まらない。


「そ、それは、あれですよね? 分かりますよぉ。疲れて戻ってきたら、別の仕事が待ってたんですから。それはもう、不機嫌になりますよねぇ。分かります。分かりますよぉ、分かりますとも、ソフィー様!」


 ソフィーの顔は――


 ――いつもと違う。彼女は本気で怒っている。


 理由が分からない。理由が分からないのに、本気で怒らせてしまったことが――申し訳なくて、自分が嫌になる。


「すみません。――私には、分からないです」


 マリアは、頭を下げた。


 ソフィーの気配が近づく。


 咄嗟に、眼を瞑ってしまう。殴られると――そう思ったから。


 でも、そんな衝撃はこなかった。


 マリアはソフィーに抱きしめられる。その事実に驚いた。目を開けて彼女を見る。


「心配かけないでください、マリア。お願いですから、私がいないときにはもう――絶対に戦場にはでないでください」


 ソフィーの体が震えている。


「貴方はもう、私の全てなんですから」


 マリアは謝る。何度も謝りながら、彼女の体を抱きしめた。

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