第85話 たとえそれが呪いだとしても
ヴィオラの圧が強まる。
彼女の周りに黒い渦が立ち込めた。
その姿は、誰かを思い出す。
それは、凄く嫌な想像だ。
「ヴィオラさん、それは一体、何の力です?」
「マリアなら、分かる筈だよ」
「……分からないから、聞いているんですよ」
「エリーナのお父さんと同じ力。私の体の中はもう、人間じゃないの。マリアはもう、それが分かる筈だよ。力の量は彼に比べてあまりにも儚いけど、力の質は私の方が上。しかも変質しているから、マリアの体にまとう契約の力すら飲み込めるはずなんだよ」
黒い渦が立ち登る姿はまるで龍のよう。
頭上高く舞い上がった後、マリア目掛けて落ちてくる。
後ろに大きく飛んだ。
先程まで自分がいた場所に穴があき、土煙が舞う。
黒い渦は生き物のように、うねりながらその場に留まる。
「マリアは凄いね。人である以上、私の圧力の前では動けるはずがないのに」
ヴィオラの圧は、ルーカスほどではない。それでも、人には違いが分からない程度。だから、マリアのように、普通に動けるのはすでに異常なことだ。
「やっぱり、マリアの中にはいるんだね。悪い化け物が」
そう言うと、ヴィオラは笑い出す。
「でもね、大丈夫。私によって助かるの。私の存在がマリアを助けることができるのよ。それは、私にしかできない特別なことなの!」
「……何を、言ってるんです?」
「だからね、マリアは私を殺すべきなんだよ!」
ヴィオラはローブの前を開く。
狼型の獣が姿を見せ、大きく口を開ける。四メートル程の距離を、首を伸ばしてマリアに向かう。黒い渦も同時に迫ってきたため、円上の結界を張った。その瞬間、獣が噛みつく。歯が喰い込み、ヒビが入った。渦は頭上で円を描きながらくるくると回っている。
「マリアには痛い思いなんて本当はして欲しくない。でもね、仕方がないの。これも全てマリアのためなのだから」
私のため? ソフィーもよく口にする。それは本当に私のためなのかと、声を大にして叫びたい。
結界が割れ、直ぐに張り直すが、正直時間の問題。
どうしたものかと思考を巡らす。
ヴィオラはこちらに集中しているためか、アンナへの攻撃は緩んでいる。
自分の体にはソフィーの加護があるため、多少の無理はできる気がする――はたしてどうしたものか?
『マリア、悪いけど、頭上に思いっきり魔力を叩きつけてくれるかしら。後はこっちで何とかするから』
頭の中で声が響く。マリアは笑みを浮かべた。
信心用具を長い杖に変換し、先端にありったけの魔力を込める。
「自殺行為だよ、マリア。それだけの魔力を放ったら、しばらく身動きできないと思うのだけど」
確かにその通りだ。
だけど、あの人が後は任せろと言った。それなら、後は信じるだけ。
最後の結界にもヒビが入る。
だけど、そんなのは気にしていられない。
マリアは杖を天井に向けると、敵に当たらないよう最大魔力を放った。
「そんな魔力で結界は――」
魔力が触れた瞬間、結界が拡散する。
ヴィオラは、目を大きく見開いた。
直ぐに別の結界で覆われる。それは、ヴィオラを閉じ込める牢獄。
マリアの頭上に浮かぶ渦と獣の首が切断される。地に落ちると、黒い霧を発した。
聖女はマリアの前に立つと、自分の背丈以上の戦斧をヴィオラに向ける。
綺麗に切断された箇所が蠢くと、再び獣の顔が生えてくる。しかし、ヴィオラは自分のお腹の中に獣を仕舞うと、ローブを閉めた。
「マリア、また私を裏切ったの?」
ヴィオラはマリアを睨みつける。
「ち、違いますから!」
セラはマリアとヴィオラを交互に見る。
「私が現れたことを言っているのなら、違うわよ。私が自力で見つけたんだから」
どこか自慢気に話す。
「なるほど、さすがですね、聖女様。この結界を見つけ出し、解除してしまうんですから」
「見つけ出すのに苦労したわよ。アンナのペンダントがなければ無理だったかもね。だけど、納得したわ。この力なら、確かに私の結界では反応しないわけね」
「ええ、そうです。私にとって貴方の結界は結界として成立していないんです」
「でも、今しがた張った結界は特別製だから、きっと君はここから抜け出せない」
ヴィオラは鼻で笑う。黒い渦を向かわせるが、聖女の結界へ触れる前に火花が散り、拡散する。
ヴィオラは少し驚いた顔をする。
「なるほど、短時間で対策されてしまうのですね。本当、規格外ですね、聖女様は。化け物になって初めて分かりました。貴方が普通の人間ではないことに」
「失礼ね、私は普通の人間よ。でもね、聖女ってのはただの肩書じゃない――ひとつの大きな呪いなのよ」
そう言って、セラは軽々と戦斧を振り回した後、ヴィオラとの距離を詰め、横に薙ぎ払った。
胴が真っ二つになるが、切断面に触手が湧き、お互いの体へと伸び、くっついて元に戻る。
ヴィオラが再び地面に足をつけたとき、彼女の足元に魔法陣が浮かび上がり、首から下は身動きが取れなくなる。
「取り敢えず、アンナを開放してくれるかしら?」
「マリアが私を殺してくれない限り、アンナは開放されないよ」
ヴィオラはマリアを見ながらそう言った。
セラはため息を吐く。彼女が籠に向かって手をかざすと牢獄が消失した。
マリアは倒れているアンナに向かって駆け寄ると、抱き寄せる。
息はしているが、反応しない。
「セラ様、アンナが起きません!」
「意識のスイッチが切られているだけよ。今起きても面倒だし、そのままにしておくわよ。ただ、地面に寝かせつけておくのもあれだし、暫くはそのままの体制でお願いするわね」
マリアは悩んだが、取り敢えずアンナを抱きしめたままで待機した。
セラはその様子を確認したあと、マリアに気づかれないように防音の結界を張り巡らした。
「ヴィオラ、首謀者は誰?」
「言いたくても言えないようになっています。信じていただけないかもしれませんが」
セラはヴィオラを暫く眺めた後、納得したように何度か頷く。
「聖女様なら分かってくれますよね? マリアは私を殺すべきなんです。そうしたら、彼女は救われる。彼女の中にいる化け物から開放される。マリアは自由になれるんです」
「ヴィオラ、残念ながらそれはありえないわ」
「聖女様ほどの存在でもそれを理解できないのですか?」
セラは顎を指で掴む。
「少し、話題を変えるわ。君は一体、いつから化け物になったと認識しているの?」
「二日前です」
「おそらくだけど、それはありえない。たった二日でそこまで変異することなどありえないわ」
ヴィオラは眉を顰める。
「少なくとも半年前にはもう、君は人間ではなくなっていた。それはそうと認識できなかっただけね。君は君の意思で化け物になったと、そう思わされているだけ。君は主人の言葉を疑わないよう頭をいじられているわよ。ただ、スイッチが完全に切り替わった瞬間は君が言うように二日前なのでしょうけど」
ヴィオラの口から乾いた笑い声が漏れる。
「君の頭の中にはとある魔法具が埋められている。私は、君の脳を傷つけずにそれを抜くことができるけど、どうする? 個人的におすすめはしないけど」
口元が引きつっていく。
「……遠慮します」
心が否定しても、脳がそれを許さない。――それは、とても不幸なことだと、セラは思う。
「君の心臓にある魔石を破壊するのではなく、取り除かせてもらうわ。そして、封印する。今の君は心臓ではなく、魔石そのものが命となっている。だから、それを取り除くことは、君の死を意味する」
聖女は静かに息を吐く。
「……何か、言い残すことはあるかしら?」
同情はする。しかし、見逃すつもりも、慈悲をかけるつもりもない。
「貴方は、マリアを救ってくれますか?」
セラは苦笑する。
「あれはもう、私の娘よ。だからできるかぎりのことはする。君に言われなくてもね」
ヴィオラはマリアに目を向け、笑みを浮かべる。
許されないと分かりながらも、それでも願ってしまう。自分の死がマリアの心に残り続けることを。それは永遠に、どうか心の片隅でもいいから私の存在を残して欲しい。それが呪いであることは承知している。それでしか――自分の存在が、彼女の中に居座ることなどできないと、ヴィオラは思い込んでいる。
――ああ、マリア。私は貴方を愛している。誰よりも貴方を愛している。例え自分の頭がイジられていようと、その思いだけは、決して誰にも奪わせやしない。
聖女は戦斧を信心用具に戻すと、右手を彼女の胸へと伸ばす。
ヴィオラは静かに目を閉じた。
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