第83話 過去の私

 アンナは自分の部屋から持ってきた布団を床に敷いて寝転んでいる。


 お互い天井を眺めながら会話をしていたが、アンナが欠伸をしたのを合図に口を止めた。

 何も言わなくても分かる。

 今からは眠る時間だ。


 マリアは目を閉じた。


 隣からはアンナの寝息が聞こえる。

 元々寝付きがいいとはいえ、速すぎる。

 よほど疲れていたのだろうと、マリアは思った。


 マリアは苦笑する。

 アンナが羨ましいと、感じる。

 自分はしばらく、眠れそうにない。


 頭の中から誰かの声がした。

 マリアはすぐに手で耳を塞ぎ、外界との意識を遮断した。


『マリア』


 その声に驚く。


『私が、誰だか分かる?』


 唾を、飲み込む。


『ねぇ、早く可愛い声を聞かせて』


 手が、震える。


「……ヴィオラ、さん?」


 少し、間が空く。


『正解』


 嬉しそうな笑い声。


「何で? どうやって私と繋ぐことができてるんです? 今、一体どこにいるんです?」

 

『いきなり全部は答えられないよ、マリア』


「何で……」


『昔、マリアと聖女様が念話で話しているのを聞いて、正直嫉妬で苦しかったの。だからね、今ならできるような気がしたら、できちゃった』


 ――そんな、簡単に?


『私がどこにいるか教える前に、ひとつマリアに教えてあげる。いくらアンナとはいえ、そんなすぐに寝付けるわけないよ』


 寒気がした。マリアは跳ね起きると、アンナの布団をめくり上げた。


 いない。


 アンナがどこにもいない。


 マリアは再び、目と耳を塞ぐ。


「ヴィオラさん、アンナはどこ!?」


 笑い声。


『これは、マリアへの罰だよ』


 罰?


『だって、マリアは聖女様に私を売ったから。これは、私への裏切り行為だよ。私とマリアの間に入り込む全てが許せない。なのにマリアは又、私と貴方の間に余計なものを入れようとした。だから、これは、貴方への罰』


 足元が震える。


「す、すみません。そんなつもりは――」


 再び、笑う声。


 それはどこか歪で、本当にヴィオラなのかと疑ってしまう。


『マリア、許して欲しい?』


「ゆ、許してくれるのなら、どうか、許して欲しいです」



 声が、震える。


『じゃあ、許してあげる。今すぐ教会の裏手にある林へきて、今すぐにだよ。私とマリアの思い出が詰まったあの場所へ』


「わ、分かりました。い、今すぐ向かいます」


『分かっているとは思うけど、たったひとりでだよ。聖女様に助けを求めたら駄目だし、誰かに相談しても駄目。それを守ってくれなかったら、アンナを殺すよ。痛めつけて、痛めつけて殺しちゃうかも。だって、裏切られた私は、悲しくて哀しくて、耐えられそうにないから』


「大丈夫ですから! 私はヴィオラさんを裏切りませんから!」


『一度、裏切ってるのに?』


「それは――」


『ごめんね、冗談だよ。だから、早く来てね。たったひとりで、私のもとへ』


 念話が切られた。


 マリアはネグリジェのまま、部屋を飛び出した。




 ***




 裸足のまま、外を走る。


 痛みなど感じない。


 もう、感覚が麻痺している。


 蓋をしたはずの過去が溢れて止まらない。


 口からは嗚咽が漏れる。


 過去の自分に、近づいていく。


 子供のように、涙を流しながらマリアは走る。


 誰かが死ぬ。


 自分のせいで、誰かが死ぬ。


 それは、昔みたいに――


 ――きっと、マリアを許さない。

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