第80話 天秤
「ど、どうしたんです?」
マリアの声が固くなる。
「私に会って緊張してるの? それ、何だか寂しいなぁ」
「そ、そんなことないですよ」
マリアは必死に笑顔をつくる。だって、その寂しい感情は先程感じたばかり。だから、それを彼女にはけっして感じてほしくはない。
「マリアって本当に嘘が下手くそだね。だけどそんな所も可愛くて、愛おしいよ。そんな貴方が好きで、そんな貴方を愛している」
マリアは言葉につまる。
ソフィーと同じようなことを言う。
「だけどマリアは――婚約しちゃったんだよね」
どこか、責めるような口調。
「え、えっと――そうなんです。急な話で、成り行きと言いますか……」
何と説明していいか分からず、徐々に声が小さくなる。
「ねぇ、マリア。私はあなたのことを愛していると言った。それは、どれぐらいか想像したことある?」
「それは――」
――分からない。分からないものは、想像しようがない。
「あなたと話せるだけでどきどきして、あなたが他の人と楽しそうに話せば、心が痛かった。苦しかったの。あなたが私に触れれば、心が満たされ、あなたが他の人に触れたなら、私の心が凍てついた」
ヴィオラはマリアを見つめる。
しかし、マリアの目線は彷徨ってしまう。
「ねぇ、マリア。今だから告白してしまうけど、あなたとお風呂に入ったとき、私――欲情していたのよ。そして夜、私はひとりで自分を慰めていた。あなたを夢想しながら」
そう言って、ヴィオラは笑う。
「本当、気持ち悪いわよね?」
マリアの頭が追いつかない。だから、それを否定も――肯定もできない。
「私の夢の中に、マリアはよく出てきたの。それが夢だと分かった瞬間、私はあなたを求めた。押し倒して、あなたを犯した。夢だと分かっているから、どうか覚めないでと必死に願いながら――でもね、夢は覚めるもの。目覚めたとき、私はいつもひとりで泣いてしまう。寂しいという感情以上に、私はあなたに申し訳ないという感情のほうが大きかった――このまま、死んでしまいたいと思う程度には」
ヴィオラはゆっくりとマリアに近づく。そして、彼女の髪に触れた。
「それは、教会をでても変わらない――私の喜びであり、悲しみでもある。私はあなたが欲しくて、私だけを見ていて欲しいと思ってしまう。あなたの幸せを願いながらも、あなたが別の誰かと幸せになるなら、消えてしまいたいと――そう思うぐらいには、あなたを愛している」
ヴィオラは、マリアの髪から手を離した。
「ねぇ、マリア。ソフィー様の声明を聞いたとき、私は許せなかったの。ソフィー様を許せなくて、殺したくて殺したくて仕方なかった」
「それは――」
「大丈夫。それは無理な話だって、ちゃんと理解しているから。化け物になれば彼女を殺せる――そう、思っていたけれど、化け物になって分かったの。彼女には決して敵わないと。あれこそが本物の化け物だと、私は理解してしまったから。私はね、あんな化け物に殺されたくはない。マリアに私を殺してほしいの」
そう言って、ヴィオラは笑う。
意味が、分からない。
「ねぇ、マリア。もしも私が人を殺していたら、貴方はどうする? 私を罰してくれる?」
例え仮定の話であろうと、ヴィオラが誰かを殺しているとは考えたくもない。
――でも、彼女は懇願するような響きで問いかけてきた。
だから、マリアは気持ちを切り替え、目を閉じた。真剣に、時間をかけ、頭を悩ませる。
マリアは目を開けた。
ヴィオラは笑顔で眺めている。
「答えは出た?」
マリアは静かに息を吐く。
「――まず、怒ると思います。叱って、つい、手がでてしまうかもしれません」
「そのまま、私を殺してくれる?」
「殺さないです」
「じゃあ、私が百人殺したら、私を罰してくれる?」
「私は誰かを罰するほど、正しい人間ではないです。怒るのだって、自分のためです。何の相談もなく罪を犯したヴィオラさんが許せなくて、悲しいからです。だから、ただの八つ当たりですよ」
「じゃあ、私を怒って、叱りつけて、殴った後はどうするの?」
「どうすればいいか、一緒に考えます」
ヴィオラの笑みが消える。
「どういうこと?」
マリアは少し悩む。
「どうすればいいかなんて分からないです。だから、どうすればいいか一緒に考えます」
「私が殺して欲しいと願ったら?」
「殺さないです」
ヴィオラは大声で笑う。
「百人も殺したら、どうせ私は捕まって即死刑よ。結果は同じ死なのに、私が願ってもマリアは私を殺してくれない。マリアにとって私はやっぱりその程度なのね!」
「そんなことは――」
「それじゃあ、私がアンナを殺したらどうする?」
マリアの顔つきが変わる。
「分かったわ。では、私とアンナの命、どちらをとるか考えておいてね、マリア。貴方が私を殺さないようなら、アンナを殺すわ。貴方の目の前でね。だけどそれはそれで愉快な話ね。だって――アンナより私を選んでくれたのだから」
そう言って、ヴィオラはソフィーと同じように姿を消した。
ひとり取り残され、マリアはヴィオラの言葉の意味を考える。
馬鹿な考えが思い浮かび、すぐに頭を振った。
それでも、不安は拭えなかった。
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