第69話 あなたは、私のもの

 螺旋階段を上りながら、遅刻をした言い訳を考えている。

 

 まったくいい案が思い浮かばない。

 怒っているだろうなぁーと、マリアは推測する。

 メイド長は、姫様に朝食を運んでいないと知った瞬間、つぶらな瞳を激しく揺らすほどだった。

 ソフィー様はきっと、お腹を空かして腹を立てていることだろう。

 食べ物の恨みが恐ろしいということは、教会で身をもって知っている。


 部屋の前に着くと、少し躊躇しながらも戸を叩いた。

 声をかけ、扉を開ける。


 中に入ると、相変わらず待ち構えているソフィーの姿。


「もしかして、ずっと待ってました? いつもよりかなり遅れてきたんですけど」

「馬鹿なんですか? そんな訳がありません。マリアの気配がしたから、ここで待っていただけです」


 なるほど。


 時間ではなく、人の気配がしてからここで待ち構えるのかと、マリアは知ることとなる。


 ソフィーとしては、待ち構えているつもりはない。

 彼女なりの気遣いで、マリアを出迎えているだけだ。

 無表情で、圧が強いのだから、勘違いされても仕方がない話ではある。


「私に言うことが、何かあるのではないのですか?」


 ソフィーに言われ、マリアはハッとする。


「そ、そうでした。遅れて申し訳ないです。お腹、空いてますもんね」


 マリアは直ぐに朝食を机の上に置き、椅子を引いた。


「馬鹿なんですか。お腹のことはどうでもいいのです。マリアと一緒にしないでください」


 失礼な、といった感じで、睨みつける。近づくと、マリアの頬を指で触れた。


「心配させないでください。私が言いたいのはそれだけです」


 そう言って、ソフィーはマリアにキスをした。


「これは、私に心配をかけさせた罰です」


 そう言われてしまえば、マリアとしては何も言えない。


「貴方があまりに遅いので、マリアの気配を追いました。聖女様と一緒にいましたが、何があったのですか? 今日はどこか、騒々しい気配がします」


 遅刻すると気配を追われることにも驚いたが、ソフィーが何も知らされていないことのほうが意外だ。


 今、オーランドたちは緊急の会議を行っている。それが終わってからの報告なのだろう。


「……令嬢が数名、行方不明になったんです。お城の中にある一室で、大量の血液を残して」

「遺体はまだ見つかっていない、と言うことですね」

「はい。そして犯人はまだ見つかっていません」


 ソフィーは思考を巡らす。


「それは確かに、危険ですね。犯人が捕まるまで、マリアはこれからこの部屋で暮らしてください」


 ソフィーにとっては当然の結論であり、マリアにとっては予想外の方向に話が飛んだ。


「……えっと、心配してくれているからですよね?」

「当然です。しばらくはひとりで出歩くことを許しません」


 心配して貰えるのは嬉しいが、自分が誰かの不安材料になるのは正直――嫌だ。


 だから、やっぱり自分は教会に戻るべきなのだと思う。

 そうすれば、彼女を煩わせることもなく、セラを不安にさせることもない。


 ――私を見て、皆が安心できる存在であれば良かった。そうすれば、令嬢の探索にも力を貸せたから。


「ソフィー様、大丈夫ですよぉ。犯人が捕まるまで教会に戻ってこいって聖女様に言われたので、そうします。だから、ソフィー様を煩わせるまでもないですよ」

「……意味が分かりません。馬鹿なんですか?」


 圧が強い。

 あ、何か本気で切れてる? そう思ったマリアは急に焦りだす。


「いや、あれですよ。ちゃんと他の人が仕事をするので大丈夫です。ご飯の心配は必要ありません」


 圧が弱まらない。


「それはもう、他の人にソフィー様のお世話を任せるのは確かに嫌ですけど、もともと一ヶ月の話でしたし――」


 そこまで言って、マリアは今更気付く。

 捜索や、犯人探しに時間がかかれば、もう、ソフィーと会う理由がない。

 約束の期間は一ヶ月。多少延長したとしても、後二週間程度。


 もしかしたら、こうやって会うのも、これが最後なのかもしれない。

 ――例え、そうだとしても、嫌だとは言えない。そんなのは、ただの我儘だ。


 そもそも、お姫様と気軽に会えるものではない。

 そんなの、少し考えれば当たり前のこと。

 

「どう言うことですか? 一ヶ月だけなんて、私は聞いていませんよ。一ヶ月が過ぎたらどうなるのですか? ちゃんと毎日会いに来るのですか?」


 確かに、言っていなかったかもしれない。それを伝えていたところで、きっと何も変わらない。


「ソフィー様は姫様で、私はただの平民です。私がメイドを辞めたら、会える理由なんてなくなりますよ」


 今の自分では会う理由がない。それでもソフィーなら、時々会いに来てくれるのではと――そんなことを考えてしまう。

 それは都合がよすぎると、分かってはいるのだが。


「私と会えなくなっても、マリアにはどーでもいいことなのですか?」


 その言葉は、マリアを苛立たせる。


「そんなわけないじゃないですか。ソフィー様に会えなくなるなんて嫌ですし、誰かにソフィー様のお世話を任せるのだって、本当は嫌ですよ」

「じゃあ、ずっとここに居ればいいではないですか」

「ソフィー様も大事ですけど、教会での立場も、自分にとっては必要なんです」


 ――そんなこと、今まで自覚せずに生きてこられたのに。


 ソフィーは少し思案したあと、何度か頷いた。

 どうやら、いい考えが思いついたようだ。


「ではマリア、私と結婚してください」


 ソフィーは実にいい考えだと満足した。あまりにも素晴らしい答えだ。いつの間にか、怒りもどこかへ吹き飛んでいる。


「では、今すぐにでも準備をさせましょう。おそらく明日にはできると思います。事件が起きた後なら、まだ皆会議室にいるでしょうから、話す手間が省けます。ちょうど良かったではないですか」


 ソフィーは最後、不謹慎なことを言う。


「ちょと待ってください、理解ができないんですけど。なぜそのような話に? と言うか、それで一体何が解決するんです?」


 ソフィーは呆れたように溜息を吐いた。

 

「なぜわからないのですか。マリアは本当に馬鹿ですね。これ以上の答えはあり得ません」


 マリアは口をつぐむ。

 ――前々から思っていた。ソフィーはきっと、阿保な子なのだろうと。


「それでは行きますよ」


 そう言って、ソフィーはマリアの体を掴む。


「ちょっと待ってください。何処へ行く気です?」

「だから、会議室です。一応、結婚の許可は必要ですし、その準備は私たちで行えるものではありませんから」

「……許可とは、誰からです?」

「そんなの決まってます。国王からです」


 その言葉に、気が遠くなる。


「それでは今度こそ向かいますよ」

「いやいや、ちょっと待ってくださいよぉ」

「今度は何ですか?」


 ソフィーからは、面倒くさいなぁー、という反応をされる。


 マリアとしては、理不尽だ! と叫びだしたい気分だ。そして、何だか泣きたくなってきた。


「流石に聖女様に一言もなくは不味いですからぁ」

「確かにそれはそうですね。聖女様はマリアの育ての親ですから」

「何故そのように思ったんです?」

「聖女様がそう言っていました。自分はマリアの育ての親みたいなものだと」


 ――そのような言葉は初めて聞いた。

 言葉にしなくても、自分だってそう思っていた。セラは自分の育ての親だと。だから、そう思ってくれていたことが、マリアは嬉しかった。


「良かったです。やはりマリアは喜んでくれています」


 結婚のことで喜んだと――勘違いされている気がした。

 その顔が嬉しそうなため、違うとはとてもいえない。

 でも、そんな風に笑みを浮かべられれば、悪い気はしない。だから、否定したくもない。

 そして、認めたくはないが、恐らくは――


「それではマリア、今度こそ行きますよ」

「どこにいるか分かるんです?」

「大丈夫です。聖女様の魔力はすでに感知しています」


 ソフィーに抱えられ、空を飛んで部屋から出ることとなる。


 マリアは思考を停止した。

 

 とてもじゃないが、今の姫様を止められる自信がない。

 だから後は全部、聖女に任せることとした。

 彼女なら、ソフィーを止めてくれるだろう。

 マリアは全てを丸投げした。

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