第65話 百年後にはきっと大丈夫

 ――否定し続ける。ヴィオラの想いを。


 難しく考える必要はないと、そう言ってアンナは笑った。


 それでも、マリアとしては悩んでしまう。せめて、悩んでいたいとは思う。ただの自己満足だとしても。


 教会にきて、初めて手を差し伸べてくれた彼女。ヴィオラがいたから、マリアは人の輪に入れた。


 思い出す。彼女の優しさを。それが、どれだけ嬉しかったか。

 

 ――だから、ほんの少しでもその優しさを返したい。でもそれは、ただのわがままだから。




 ソフィーのことが好きだ。そんなことは前から自覚している。彼女の行いを受け入れないのは単純に恥ずかしくて、耐えられない――と言うのもあるが、何より昔の自分が許せない。そんな自分が誰かと幸せになるなんて――きっと、許されない。

 

 ――自分の好きを深く考えていなかったし、考えたくなかった。アンナたちに感じる好きと、ソフィーへの好きを同列に捉えていた。マリアはあまり人に対して優劣と言うものをつけたくない。無意識にだが、どうしても自分の感情に対して思考を巡らせないようにしてしまう。それは、彼女の過去からきた後天的なもの。つまり、病気みたいなものだ。


 食堂に入るとメイド長と目が合ったため、頭を下げる。


「今から、姫様のところに行くのでしょうか?」

「はい、そうですねぇ」

「マリアさん……くれぐれもよろしくお願いいたします」


 メイド長のつぶらな瞳は、まだ少し不安そうだ。


「大丈夫ですよぉ。お任せください」


 マリアは安心させようと親指を立てるが、あまり効果はなさそうだ。


「因みにですが、ソフィー様の新しいメイドって見つかりそうです?」


 メイド長は暗い顔をする。


「すみません。申請はしているのですが」


 かなり申しわけなさそうな顔をするため、マリアは慌てて手を振った。


「いえ、全然お気になさらずですよぉ」

「もしかしたら、延長のお願いをしなければなりません」

「聖女様に聞かないと何とも言えませんが、多分大丈夫だと思います」


 メイド長は相変わらず、心苦しそうな顔をする。


 マリアとしては、本当に気にしていない。と言うよりは、ほっとしている自分がいる。自分の代わりに、誰かがソフィーの世話をする光景を想像すると、何故か胸が痛くなる。きっとそれは、アンナのせいだなぁーと、マリアは思った。


 ソフィーの世話はしたい――だけど、教会に戻りたい気持ちもある。マリアにとって、どっちも大切なもの。どっちが大事かなんて、考えたくもない。きっと、選ばないといけないことでもないはずだから。


 

 

 夜の食事を持ち、部屋の扉を叩き、声をかけてから中に入る。


 ソフィーは昼のときと同じように待ち構えていた。そして、無言で自分の唇に指を数回当てて見せる。


「ちょっと待ってください」


 マリアは机の上に食事を置いた後、ソフィーの方に再び顔を向ける。


「目、閉じて貰えると嬉しいんですけどねぇ」


 無駄と分かりながらも、マリアは口にする。案の定、無言の圧力がくる。


 足を数歩動かすだけの距離が、遠く感じる。揺れる足を前に踏み込み、ソフィーの服の裾を掴む。手が震えている。そんな自分が、本当に嫌になる。目を閉じて、口づけをした。姫様の舌が口内に侵入しようとした瞬間、慌てて後ずさる。


「だから、舌を入れるのはまだ待ってくださいって、前にも言ったじゃないですか!」


 マリアは自分の唇を手の甲で押さえて、不満を口にする。


「意味がわかりません。マリアは喜んでくれているではないですか」


 喜んでいるつもりは――ない、のだが。ソフィーが言うのなら、そうなのかもしれない。だとしても、そんなの認められない。だって、喜んでるくせに、止めてと言う自分はなんて面倒くさい女なのかと、自分で自分が嫌になる。

 言い訳させてもらえるのなら、姫様の顔面は綺麗すぎる――それが悪いと、マリアは思う。


「とにかく、私の感情は気にしないでください。止めてと言ったら、止めてくださいよぉ」

「それは、振りなのですか?」

「違いますから!」


 ソフィーは不機嫌な顔を隠すことなく、マリアに向けてきた。


 いつだって見るその表情が――急に不安になる。


 アンナの言葉で想像してしまった。自分とは違う誰かを選ぶソフィーの姿を。一度思い浮かんだ空想は、なかなか消えてくれない。


 ソフィーが首を傾げる。


 マリアの視線が泳いだ。


 ソフィーはマリアに近づくと、何も言わずに抱きしめる。


「私はマリアの感情が分かります。しかし、なぜそのような心になるのかは分かりません。だから、話してください」


 マリアは目を閉じると、ソフィーの肩に額を押し付ける。


「……でも、本当にくだらない話ですよ」

「マリアにとってくだらない話が、私にとっては特別ですから。だから、それを言葉にしてください」


 自分はほとほと単純だと、マリアは思う。だって、言葉ひとつでこんなにも救われてしまう。


「……ふと、思ったんです。私じゃない誰かを選ぶソフィー様。その人は私なんかより素晴らしくて、ソフィー様の言うことを全て受け入れてくれる。そんな美しいメイドさん。ソフィー様はその人と特別なことをするんです。だってその人は、ソフィー様にとって特別な人ですから」


 そこまで言って、マリアは笑えてくる。本当に、面倒くさい女だ。


 ソフィーはマリアの肩を掴むと、体を離した。そして、顔見する。


「マリア、馬鹿なんですか? 本当にくだらない話ですね。びっくりしました」


 ソフィーの驚いた表情を見て、顔が一瞬で赤くなる。


「だ、だから言ったじゃないですかぁ。くだらないって!」


 自分の発言を思い出し、恥ずかしさで泣きたくなる。


「一度、言いましたよ。貴方は私の全てだと」


 ソフィーは愛おしそうに、彼女の頬に触れる。


「貴方が、過去に何か後ろめたい感情を持っているのは知っています。しかし、それが何かは知りません。その過去により、マリアを責めるものがいるのなら、私がそれを殺しましょう。世界がマリアを罪と捉えるのなら、私が全てを壊します。何せ私は、化け物ですから」


 ――笑ってしまう。


「ソフィー様、それ、重いですから」

「なるほど、意味が分かりませんが、マリアが喜んでいますので、良い意味なのですね」


 違う。決していい意味などではない。それでも、喜んでしまう自分を抑えられそうにない。


「ひとつだけ、訂正させてください。ソフィー様は化け物なんかじゃないですよ」

「では、私は何ですか?」

「ソフィー様は、ソフィー様です。それ以上でも、それ以下でもありません」


 姫様は首を傾げる。

 

「ソフィー様は私の特別であり、私にとって、大切な人です」


 そう言って、マリアは嬉しそうに笑う。


 ソフィーは彼女の顔を見て、頷く。


「では、そろそろセックスできそうですか?」


 マリアの顔は茹でダコのように赤くなる。


「百年後まで無理ですから!」


 ソフィーは再び、首を傾げる。マリアの言っている意味が、心底、理解できなかった。

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