第60話 命令は一日一回までとさせていただきます

 マリアは自分の部屋に戻る。仕事着に着替え、メイド長を探した。


 案の定、彼女も知らなかった。恐れのためか、メイド長の顔が青くなる。


 自分の上司が体を震わせる。マリアは思っていた以上に大事なのだと理解した。


 本来の時間より、2時間も過ぎている。


「今からでも朝食、持って行った方がいいですかね?」


 マリアの言葉に、メイド長は意識を取り戻す。


「すぐに準備させます」


 慌てて食堂に向かう。マリアはすぐに後を追いかけた。




 朝食を持って、マリアは久々に長い螺旋階段を上っていく。


 部屋の扉を叩いた。


 返事がないのはいつものこと。それでももう一度だけ音を鳴らす。声をかけてからノブを回した。


 ベットの縁に座るソフィーは、白いネグリジェ姿。


「油断しました。マリアは昼まで来ないと思っていたのですが」


 マリアは机の上に、朝食を置いた。


「昨日の夕方から戻っていたこと、誰も知りませんでしたよ?」

「知らせる必要などありませんから」

「昨日から何も食べていませんよね? お腹、減っているんじゃないですか」


 やれやれと言った感じで、マリアは腰に手を置く


「そんなことはありませんが――いえ、そうですね、お腹が減りました。ですので、食べさせてください」

「一介のメイドが、一国の王女様にそんなことはできません。なので、ちゃんと椅子に座って、ちゃんとひとりで食べてください」


 そう言って、マリアは椅子を引くと、姫様を招く。


 その対応は、ソフィーとしてはあまり面白くない。


「お腹が減りすぎて、身動きが取れません。マリア、食べさせてください」

「たから、駄目ですってば。私は心を入れ替えんたんですよぉ。これからはちゃんとメイドとして、姫様に仕えますので」

「マリアは私の命令に従うんじゃなかったのですか?」


 正直、それを言われるときつい。マリアは渋々と朝食を持ち、ソフィーの隣に座った。


 まずはサラダから食べさせる。


「ソフィー様、言っときますが、命令は一日一回までとします。なので、今日はこれで終わりですよぉ」


 不愉快そうに眉をしかめる。


「意味が分かりません、馬鹿なんですか?」

「難しいことなんて何も言ってませんよぉーだ。言葉通りの意味なんで。それが分からないのなら、ソフィー様の方がお馬鹿ってことになっちゃいますよぉー、それでいいんですかねぇ?」

「なんでしょうかそれは。貴方の生意気な口を私の唇で黙らせろと言うことですか。なるほど、かまいません」

「全然、違いますからぁ!」


 顔を近づけようとする姫様から、マリアは距離を離す。


「とにかく、命令は一日一回までとさせていただきますので」

「そんな話、聞いていませんが?」

「言わなかっただけです〜」

「後出しは卑怯です。せめてこの食事だけはなしにしてください。それを認めるのなら、取り敢えずは妥協します」


 マリアは悩む。


「分かりました。でも、命令は常識の範囲内でお願いしますよぉ?」

「善処します」

「本当にわかってますぅ?」

「二度も同じことを言わせないでください、馬鹿なんですか?」


 マリアは息を吐くと、離れた距離を戻し、食事を再開させた。


 

 食事が終わり、部屋から出ていこうとした時、ソフィーが引き留める。


「どうかしたんです?」


 ソフィーの顔が近づいてきたため、マリアは距離を離す。


「何故、距離を取るのですか?」

「不穏な気配がしたからです。一応聞きますが、何をする気です?」

「何とは? キスに決まっているじゃないですか」

「キスをするなら、それ、命令になりますからね」


 ソフィーは心底、理解できないという顔をする。


 マリアとしては、そんなソフィーが理解できない。


「意味が分かりません。キスはマリアも喜んでくれています」

「そんなことないですけど!?」

「それを今、証明しましょうか? 喜んだなら、命令にはなりません」

「私の感情は関係ないので! とにかく、キスは命令に含まれるということでお願いします」


 みるみる内に、不機嫌な顔となる。


「それでは私と会い、私と別れるとき、マリアからキスをしてください」

「それ、一回ではないですよね?」

「命令としては一回です。ここでごねるようなら、今日一日中私のベットで可愛がってあげますが、どうしますか?」


 そんなことを言われたら、マリアとしては引き下がるしかない。


「分かりました。ですが勘違いしないでくださいねぇ。これは負けを認めたわけじゃないですから。これは戦略的撤退となります」

「そんな言い訳をいうマリアも、可愛いですね」


 ソフィーの言葉に、マリアの闘争心がなくなってしまう。


「それではマリア、貴方からのキス、私にください」


 マリアは躊躇する。


「怖いのですか?」


 その言葉で、マリアは再び小さな闘争心に火がついた。


「そんな訳ないじゃないですか。キスのひとつやふたつ、今の私なら余裕ですから」

「そうですか。では、さっさとしてください」


 マリアは一歩、踏み出す。


 ソフィーはマリアから視線を逸らさず、じっと眺めて来る。


「いや、今からキスするんですけど?」

「そうですね、早くしてください」


 相変わらず、ソフィーから発せられる目の圧がすごい。マリアはつい、目を逸らしてしまう。


「いやだから、キスをするんで、目を閉じてくださいよぉ」

「目を閉じる意味が分かりません」

「分からなくていいんで、取り敢えず目を閉じてください」

「嫌です」


 その言葉に圧を感じたため、マリアは諦めた。


 ソフィーの方に顔を向けるが、目線がさ迷い、唇に目が行く。美しく、整った形。顔を近づけたとき、何故かヴィオラの顔が思い浮かぶ。笑顔ではなく、涙顔。後ろめたい気持ちに襲われた。


「マリア」


 名前を呼ばれ、意識が現実に戻る。


「今、誰のことを考えました?」


 ソフィーは睨む。マリアの心に現れた見知らぬ誰かを。


「いや、それは――」


 マリアはいつも以上に慌てふためく。


 そんな彼女を見て、ソフィーもいつも以上に不機嫌となる。


「もういいです」


 拗ねたのか、ソフィーはベットに寝転んだ。枕に顔を押し付ける。


「ソフィー様?」


 何度声をかけても、まったく反応しない。マリアは困ったように笑う。


「それでは私、そろそろ行きますよ。お昼にはまた来ますから。朝、2時間遅れたので、昼もその分、遅らせますから」


 返事は返ってこない。


 これは謝るべきなのかと、マリアは考えたが、そうするべきではないと思った。

 

 あまりしつこく言葉をかけない方がいいと判断した。最後にもう一声かけてから、部屋を後にした。

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