第56話 帰る場所

 馬車は1日以上の旅となった。


 日が沈む前に、王国に到着する。

 

 馬車はお城の前にある広場で止まった。


 マリアが馬車から降りた時には、他の三人はすでに外にいた。


 イレーネは伸びをしている。


 前のように髪は上で結び、白シャツと黒いズボンでラフな格好となっている。


「その恰好を見ると、イレーネさんって感じですねぇ。でもやっぱり、ワンピースドレス姿の方がすごく似合ってましたよ」

「何それ、もしかして口説いてるわけ? でもまぁ、マリアならその誘いに乗ってあげてもいいけど」


 マリアはソフィーとクラーラからジト目を向けられる。


「冗談でも変なことは言わないでくださいよー」


 イレーネは笑う。


 でもどこかまだ、無理してそうな感じがする。


「あんな格好、もうする気はないけどね」

「何でです?」

「弱い頃の私を思い出すから。だから、あんな格好はもうしない」

「……それは、過去を捨てるということかしら?」

「違いますよ、エリーナ様。過去は受け入れます。でも弱い私のままでは、受け入れることが出来ませんから」

「――そう、強くなりましたのね、イレーネ」

「違いますよ、私は弱いから、だから、過去は捨てられない」

「辛い過去だとしてもですの?」

「辛かったことしかない過去何て、私にはありませんよ」

「そう――ですわね。確かに、その通りですわ」


 エリーナは苦笑した。


「安心して、イレーネさん。辛いときはいつだって私が逝かせてあげるから!」


 イレーネはクラーラのもちもちとしたほっぺたを思いっきり引っ張った。彼女は自分から卑猥な発言をすることは構わないが、相手から言われることにはあまり耐性がない。


「いたたたたた! もしかしてイレーネさん、怒ってる!?」


 クラーラとしては、いいことを言ったつもりだ。褒められることはあっても、怒られることなど考えられない。


「もしも、何故私が怒っているかわからないようなら、どうやら教育が必要なようね」

「……お願いします」


 クラーラは指をもじもじとさせながら、頬を赤色に染めた。


 イレーネは顔を引き攣らせると、指を離し、背を向けて歩き出す。


 クラーラは慌てて彼女の背中を追った。


「イレーネさん、また今度!」


 マリアはイレーネの背中に向かって、手を振った。


 イレーネは振り向き、軽く手をふったあと、クラーラと一緒に帰って行った。


「それでは、私も帰らさせて貰いますわ」

「直ぐに教会の方に戻るんですか?」

「ええ、何だかんだ、疲れてしまいましたので」

「それでは、私も一緒に帰りますね」


 エリーナは頭上に、はてなマークを浮かべる。


「今日は教会の方に帰る予定です。ソフィー様の許可は貰っていますよ」


 エリーナはその言葉で頬が緩みそうになる。そのため、意識的に唇をきつく閉めた。


「そ、そう。私はどっちでも構いませんけれど」

「マリア、エリーナには気をつけてください。狙われていますよ」

「ソフィー様、それは一体どう言う意味でしょうか!?」

「マリアは私のものです。だから、色目を使わないでください」

「そんなつもりは――ありませんわ」


 エリーナは口をもごもごとさせる。


 ソフィーとエリーナ。ローズウェストに滞在している間で、2人はだいぶ打ち解けたなぁ、とマリアは思う。


 エリーナの中に、ソフィーへの本能的な恐れはあるものの、もう、それだけではない。人は色んな感情を持つもの。例え負の感情を持とうとも、正の感情を持つこともある。後は、それがどちらかに傾くかどうかだけ。


「マリア、準備して待っていますので、楽しみにしていてください」

「健全であることを祈りますよ」


 マリアは切実にそう願う。


「っていうか、私は別にソフィー様のものじゃないですよー」

「はい?」

 

 ソフィーは心底、理解できないと言う顔をした。


「つまり今、ここで証明しなければならないと言うことですか?」


 その言葉に、マリアは薄ら寒いものを感じた。


「それについて、否定はしないですが、肯定もしないです。……それで、文句あるかこらぁー」


 マリアは引き気味な自分に気付き、奮い立たせるためにも拳を作り、ソフィーに見せつける。その仕草に、エリーナは笑い出す。マリアとしては何故笑いだしたのかが理解できない。

 


 ――エリーナの視界に、ソフィーの顔が映る。笑っている。その笑みは微かなもので、きっと前の自分では気づかない、そんなささやかな変化。それに気づけたことが、少しだけ嬉しかった。



 ***



 教会へふたりで帰った。

 敷地前にある広場で、シスター達が集まって騒ぎになっている。

 

 平民チームと貴族チームの二手に別れ、いがみ合いになっていた。


「あ、マリアだ!」


 その声を合図に、皆が一斉にこちらへ振り向く。そして目を輝かせ、全力疾走でふたりのもとへ走ってくる。


 平民チームはマリアを中心に、貴族チームはエリーナを中心に集まった後、一触即発の雰囲気で睨み合う。


「一体、何があったんです?」


 マリアは自分の肩を後ろから掴む親友、アンナに問いかけた。


「あいつらは、やっちゃいけないことをやったの。流石の私達も、今回だけは堪忍の尾が切れたよ」


 アンナは静かな怒りを滲ませる。後ろから、アンナを支持する声が飛び交った。


「そのセリフ、毎回言ってますよね?」

「違うよマリア、今までのは違ったの。堪忍の尾が切れるとは、こういうことかと、私たちは身を持って知ったのよ」


 アンナはニヒルな笑みを浮かべた。

 

 正直、そのセリフも毎回のように聞いている。


「御託はいいんで、何があったのか、さっさと言ってください。こっちは疲れているんですよぉ」


 アンナは、ふふふふと、静かに笑う。まるで悪役のようだ。


「あいつらはね、私たちが早朝から並んでようやく買えた、ラプンツェルの限定品のケーキを勝手に食べたのよ!」


 ラプンツェルとは有名な洋菓子店だ。人気があり、限定品と言えば買える可能性は限りなく低い。


 なるほど、とマリアは頷いた。


「それは確かに、万死に値しますねぇ」


 さすがマリア! と囃し立てられる。それで、少しだけいい気になった。


「これはどう考えても、君達が悪いと私は思いますねぇ。謝るなら今の内ですよぉ」


 貴族チーム代表のエリーナに対して、マリアは調子よく人差し指を突き付ける。


 エリーナはあきれた顔をしていたが、マリアの態度にスイッチが入った。


「お菓子ひとつでそこまで騒ぎ立てるあなた達が悪いのではなくて? 意地汚いあなた達こそ、罰を与えなければなりませんわねぇ。そんな心の汚れたあなた達に最後の警告をしましょう。今謝らなければ、地獄を見ますわよ」


 エリーナの言葉に、貴族チームの歓声が湧き上がる。


「やる気ですねぇ、エリーナさん。後悔しますよぉ」

「それはこっちのセリフですわよ、マリアさん。ハンデとして、勝負方法はあなた達に決めさせてあげますわ」

「余裕ですねぇ、エリーナさん。それを負けた時の言い訳にしないでくださいよぉ」


 マリアは悪役のように笑った。

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