第55話 子守唄

 ローランドの指揮する軍がローズウェストに攻め込んだが、ほとんどの人間は抵抗する気もなく、彼らを迎え入れた。


 ルクセンブルクに向かったロザリア軍も、ルーカスの死が伝えられると、あっさりと戦いを放棄した。


 小国を何百年と治めたロザリア家は潰れ、これからは王国によりこの地は制定される。


 街の人たちはそれを喜び、宴を上げた。


 ルーカスを討ち、4日が過ぎた頃、マリアたちはこの地を離れることにした。


 戻る前に、トーレス達の墓に祈りを捧げた。亡骸は何も残らなかった。服のひとかけらすら。お墓の下に何かが埋まっているわけではない。それでも、きっと意味はあるのだろうと、マリアは思った。


 

 

 馬車に乗る前、エリーナは後ろを振り返る。


 ロザリア家の紋章の旗が、王国軍により降ろされていく。その姿を、エリーナは眺める。


「これで、良かったんですかね?」


 マリアの言葉に、エリーナは苦笑する。


「帰りますわよ、私達が帰るべき場所へ」


 馬車に乗り込む前、エリーナはもう一度だけ後ろに振り返った。


「さようなら、お姉様」


 風が吹く。


 エリーナは目を、少しだけ閉じた。


 彼女は馬車に乗り込む。


 もう、二度と振り返らない。そう――胸に刻み込んだ。




 ***




 馬車で二組に分かれる。


 前はイレーネ、クラーラ、エリーナ。


 後ろはマリア、ソフィー。


 本当、困る。マリアは馬車の外を眺めながらそう思った。


 ソフィーと二人っきりなんて久々で、あまり顔を見られないのに、向こうは相変わらず気にしていない。


 ソフィーは身を乗り出し、カーテンを閉めた。

 

 窓側に体を傾け、外に意識を向けていたのに、これでは狭い空間を意識せざるを得ない。


「楽しみですね、マリア」


 ソフィーが何を言いたいのか、マリアは何となく察した。

 

「旅はまだ終わってないですよぉ。帰るまで旅は続くんですから」

「分かっています」


 向かい側に座っていたソフィーはわざわざ移動し、マリアの隣に座り直す。仰向けで寝転がり、彼女の膝の上に頭を乗せた。そして目を開けたまま、マリアの顔を眺め続ける。


 マリアは耐えきれずにソフィーの目を塞ぐ。この世と思えない美しい人に、見つめ続けられるのは正直、心が耐えられない。


「何をするのですか?」

「あんまり、見ないでくださいよぉ」


 マリアの抵抗はむなしく、すぐに手を退けられる。そして、退けるために握った手が離されないまま、宙に浮く。


「早く諦めて、馴れてください」


 それは、無理だなぁーと、マリアは思う。


「目を閉じて欲しいですねぇ」

「何故ですか?」

「膝枕は寝るために行うものです。それ、常識ですよぉ」

「そんなものは知りません。私には関係のないことです」


 これはもう、何を言っても無駄だとマリアは諦めた。


 空いた手でカーテンを開け、二人だけの世界から脱却する。握られたままの手が熱い。一体いつまでこのままなのだろうかと、マリアは少しだけ不安になる。

 

「何故、開けるのですか」

「旅は外の景色を楽しむものですからねぇ」


 そして何より、ソフィーへの意識を外したい。


「窓に映る世界がなくなればいいと、そう思ったことはありませんか? マリアと私だけがいるこの空間だけでいいと、そうは思いませんか」


 何か急に怖いことを言われたなぁーと、マリアは思った。


「そーですねぇ、そんなことは考えたこともないですし、そうなって欲しくないですねぇ」

「それはなぜですか? 私だけでは不満ですか?」

「別にそういうわけじゃないんですけどー」


 マリアは困ったように、頭を掻く。


「もしも私とソフィー様しかいない世界だったなら、きっともう、美味しいご飯が食べられませんよ」

「確かに、私ではマリアの性欲しか満たすことができません」

「そんなものに飢えたことは一度もありませんけど!?」

「それにしても、マリアは食欲旺盛ですね。しかも肉食。聖女様が言っていた通り、私も覚悟を決めなければいけません。2日ぐらいなら寝ずに対応はできます」


 ソフィーは真面目な顔で、そんなアホなことを言った。


「そんな覚悟、しなくていいですから」


 マリアはあきれたように溜息を吐く。本気か冗談かの判断がつかない。マリアとしては冗談であること切望する。


 ソフィーはマリアを無言で眺める。


 その視線を逃れるため、空いた手で目を塞ごうとするが、簡単に振り払われる。


「マリアは何故、私を受け入れてくれるのですか?」


 一瞬、何を言っているのか分からず、マリアは思考する。


「そうですか? 私、結構ソフィー様のやることなすこと拒否していると思いますけど? なので、決して従順なメイドではないですねぇ。まぁ、反省はしませんけど」


 ソフィーの手がマリアの頬に触れる。

 

「マリアは私のやることを受け入れなくても、それでも私の存在を受け入れてくれています。私を恐れず、私の存在を拒否しない。そんな人間、貴方くらいです」


 マリアの視線は外から、ソフィーに移動する。


「私は貴方に初めて会ったとき、理由も分からずに、私を受け入れてくれるとそう理解しました。それでも、少し怖かったのかもしれません。貴方に会い、貴方に拒否されることが」


 ソフィーはマリアの手を強く握る。その熱は、マリアの体全体に浸透する。


「私には、貴方しかいない。それでも、貴方の中には大勢の人間がいる。私は、それがほんの少し、憎らしいのかもしれません」

「それは――」

「それでも私は、そんな貴方だから愛しています」


 マリアの思考が停止する。


「私はもう寝ます。ですので、子守唄でも歌ってください」


 何故そのような話になるのか理解ができない。


「膝枕は、眠るために行うものなのですよね?」


 そう言われて、マリアは納得する。自分で言ったことをすっかり忘れていた。


「私の歌は下手くそですよぉ」

「構いません」


 そう言って、ソフィーは目を閉じた。

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