第53話 子供

 ルーカスはソフィーを前にし、確信を得た。


「やはり、私はお前以上に強くなったようだ。何せ、恐れが全く無い。昔とは違う、もう違うのだよ。あのときお前と会った私とはもう違う!」


 ルーカスは声高らかに笑う。


「私は、貴方に会った記憶がありませんが」


 笑い声が消える。


「……確かに、あのときの私と今の私は全然違うからなぁ。お前が覚えていないのは仕方がない話だよ」


 ソフィーは少しだけ、記憶を遡る。


「私に会い、怯えて失禁した人がいました。あれは貴方ですか? あれほど滑稽な人間、見たことがありませんでした」


 ルーカスは怒りで顔を赤くする。


「殺す!」


 ルーカス中心に渦巻く魔力から数十本の触手が飛び出し、ソフィーに襲いかかる。


 マリアは信心用具をルーカスに向ける。


「手出しをする必要もない相手です。マリアはエリーナを開放して上げてください」


 触手はソフィーへ触れる前に溶け、青い炎が触手を伝ってルーカスに向かう。彼はそれをすぐに自分から切り離した。床に落ちた物体は燃え尽き、黒い霧が立ち昇る。


「流石は、精霊の子。この程度では倒せんか」


 ソフィーは試しに、数発の炎弾をルーカスに叩きつける。彼の体全体を覆う魔力の壁がそれを防ぐ。


「やはりだ、お前ですら私を傷つけることは出来ん。例え今、互角だとは言え、ここにいる雑種どもの命を得れば、簡単に覆せるレベルだ」


 ルーカスの目に、ソフィーの後ろで動く黒髪の少女がエリーナを開放する姿が映る。


「たかが人間が、私の魔法を解除したと言うのか?」


 目に映る光景が、彼はまだ信じられない。


「マリアは、貴方のような闇属性に染まった人間に対して相性が良いですから」


 ソフィーはどこか誇らしげに言った。


「私はもう人を超えた。近い内に、お前の存在すら超え、私は人を支配する神となるのだ!」


 ため息が漏れる。ソフィーは心底、侮蔑した目を向ける。


「貴方は人の域を超えていませんよ」


 ルーカスは馬鹿にしたように笑う。


「何を言っている? 私はもうお前の領域にまで達している。その証拠に、お前は私に傷ひとつすらつけられない」

「貴方は自分の器すら理解できていません。その容れ物は、あと少しで決壊します。その力をマリアかエリーナレベルが持てば、少しは苦労したかもしれませんが」


 理解できない。彼には理解ができない。そして彼は考え、結論する。


「お前、それはただの負け惜しみだろう? この力は私だからこそ得た力であり、私だからこその力だ。この力は私自身だ。だれも私にはなれない。この世界はいずれ、私か、それ以外にしかならんよ」


 愉快そうに彼は笑う。


「貴方が纏う力は人の寄せ集めです。人が束になろうとも、自然の前には無力です」


 思考が追いつかず、ルーカスは笑う。


「何を言っている?」

「貴方たち人間は、自然界に溢れるマナを自分の体内で魔力として変換しないと、この世に力を具現化させることができません。しかし、私は自然界に溢れるマナを私の魔力として、そのまま出力しています」

「……何が言いたい?」

「貴方、馬鹿なんですか? 同じことを二度も言わせないでください。人は自然の前では無力です」


 ソフィーは下ろした剣を再び、ルーカスの前に突き付ける。


「少し、出力をあげます。マリアの前では不必要に上げるつもりはありませんでしたが、私は少し苛立っています。私とマリアの時間を奪い、彼女を悲しませた貴方が、私は――憎い」


 呪詛のように呟くと、ソフィーの力が溢れ出し、彼女の魔力の波がこの部屋では収まりきらずに外まで溢れ出す。

 ソフィーとしては、ルーカス以外には重圧をかけないようにしている。それでも余波だけで、エリーナたちは身動きが取れなくなる。しかし、マリアにはあまり負荷がかかったようには見られない。


 ルーカスは膝を付き、体を震わせる。


 ソフィーは一瞬でルーカスとの距離を詰める。彼の右腕と右足を切り落とす。黒い血が飛び出し、自分の服へかかりそうになる。風の魔法を展開し、彼の体ごと吹き飛ばす。ルーカスの体は柱に激突し、大きな亀裂が入ると、割れて崩れだす。


 ルーカスは放心した目で自分の切断された腕と足を見る。彼はこの体になった時点で痛覚がなく、体の一部を切断されたぐらいで死ぬこともない。時間が経てば元に戻るはずだ。しかし、大量に流れる血液を見、自分の中の命が漏れだす恐怖に襲われた。顔が青くなり、唇を震わせる。

 

 時間が経っても一向に元に戻る気配がない。体が切断されたのは初めてだ。これが正常なのかどうかも判断がつかない。血液が流れれば流れるほど、彼の不安が募る。


 ソフィーは自分の服に血がついていないことを確認し、ほっとした。昔は気にしなかったが、今は違う。マリアには血がついた自分を見せたくはないし、そんな自分に抱きつかれたくはないだろうという、彼女なりの気遣いだ。その優しさは他の人間には縁が無い。


 ソフィーはゆっくりとルーカスに近づく。彼は怯えた顔を化け物に向けた。


「切断した瞬間、貴方の体内に私の魔力を流し込み、心臓にある魔石の流れを堰き止めました。ですので、腕と足はもう元に戻りません。残念ですね」


 そう言って、ソフィーは無表情で彼を見下ろす。


 ルーカスの股下から液体が流れでる。


「ああ、やっぱりあなたはあのときの人ですね」


 ソフィーはひとり納得した。


 マリアはクラーラとイレーネの傷を魔法で癒やした後、ソフィーの方に駆け寄る。そして、ルーカスの傷跡を見ると、口元を押さえ、視線を反らす。


「あなたのせいですよ。さっさと血を止めてください」


 そんな横暴なことを、眉ひとつ動かさずに言った。


 ルーカスは口をパクパクと動かすだけ。


「仕方ありませんね」


 ソフィーは彼の切断された傷口を魔力で塞ぎ、無理やり出血を止めた。


「マリア、もう大丈夫ですよ」


 血を止めたことによりソフィーは安心したのか、部屋に充満した重圧が緩くなった。


「私が殺してもいいのですが、他の人間に任せましょう」


 ソフィーはマリアに自分が誰かを殺すところなど、見られたくはない。手足の切断ぐらいなら何も問題がないと、ソフィーは考えている。


 ルーカスの周りに全員が集まる。


「力は封じてありますので、心臓を潰すだけで彼は死にます。誰にでもできることですので、好きにしてください」


 ソフィーはそんな恐ろしいことを、何でもないことのように呟いた。


「殺す役目、私に任せて貰ってもよろしいかしら? ロザリア家の不始末は、その血を流す私が行うべきですから」


 エリーナの言葉に、マリアは顔を顰める。


「お前に任せる」


 トーレスたちは少し悩んだあと、エリーナにそう言った。


「イレーネ?」


 イレーネは唇を噛み、手を震わせる。クラーラはその手を握った。イレーネは苦笑し、静かに息を吐いた後、暫く目を閉じて、沈黙する。


「――エリーナ様に、任せます」


 最後に、マリアへ視線を向ける。

 

「不満ですの?」

「別に、私のことは気にしなくてもいいですよ。だって、私は何もできてませんから」


 マリアは何処か、不貞腐れたように言う。


「私を止めませんの?」

「止めないですよ。だっていくら考えても、どうするべきか答えが出ていないので。だから、エリーナさんは私を置いてって正解だったんですよ」


 エリーナは笑う。


「では、私の左手を握ってくださいません?」


 エリーナの手は震えている。


 マリアはその手を握る。


「私には、これぐらいのことしかできないんですかね?」

「これ以上のことなんて、きっと――この世界にはありませんわよ」


 震えが、おさまっていく。


 ソフィーは姿を消し、気配を消す。そうしないと、負の感情をまき散らしてまうから。そんなの、マリアはきっと、望みはしないだろうから。


 エリーナはルーカスに信心用具を向ける。


 ルーカスは頭を下げたまま、ひとりぶつぶつと呟いている。


「ルーカス、貴方はその力を誰に与えられたんですの?」

「分からない……何も」

「そんな訳が――」

「嘘はついていないようです」


 ソフィーの声が頭上から聞こえる。


 エリーナは眉をしかめる。


「ソフィー様は、相手の嘘が分かります」


 マリアの言葉を聞き、エリーナは少し考え込む。


「ではルーカス、貴方は誰の手引きで前の大領主、ゼムリア様を討ったのですか」

「分からない……」


 エリーナは誰もいない頭上の上に目を向ける。


「彼は本当に何も分からないようです」


 エリーナは笑えて来てしまう。これ以上何か聞くこともない。踊らされただけの彼は、あまりにも惨めだ。


「私はただ、愛されたかっただけだ……」


 ルーカスは、左手で頭を押さえる。


 訳の分からないこと言う――きっと、みんなそう思うだろう。だけど、エリーナには何となく分かった。


 ――ずっと、優秀な兄と比べられ続けた彼の人生。


「お父様」


 その声はどこか優しげで、ルーカスは顔を上げる。


「私も、ずっと愛されたかったんですわよ」


 エリーナの頬に涙が流れる。


「貴方に、私はずっと愛されたかったんですの。だから、私はずっと、貴方の前で笑い続けましたのよ。ねぇ、お父様、私は貴方に愛されたかった」


 ルーカスは苦笑する。そして、目を閉じた。


 エリーナは詠唱を唱える。


 一度だけ、たった一度だけ、エリーナは父に褒められたことがある。それがどれだけ嬉しかったか――それはきっと、誰にも分らない、誰にも理解できない、エリーナだけのもの。


 マリアはエリーナの手を強く、強く握った。再び、震えだした手が少しでもおさまりますようにと、必死に祈りながら。


 高熱の光がルーカスの胸を貫いた。

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