第52話 絆

 「ドラコ離して! クラーラが危ない!」


 イレーネはそう叫ぶが、殆ど体を動かせない。震えている自分が情けなくて、叫びだしたくなる。


 エリーナは父親に向かって拘束の輪をかけるが、彼へ触れる前に魔法が解除される。流石に我が目を疑う。一瞬の隙を見せた瞬間、エリーナの体に黒い渦が巻き込み、身動きが取れなくなる。


「しばらく、大人しくしていろ」


 ルーカスはそう言うと、ドラコの背中に向かって手を向けた。

 宙に漂う黒い煙が剣の形になる。ドラコに向かって放たれ、彼の背中に突き刺さる。

 しかし、ドラコは止まらない。


「ほう」


 ルーカスは感心したような声を出す。


 すぐに10本ほどの剣が生成され、再び放たれる。ドラコの腕、背中、足に突き刺さる。しかし、彼の足は止まらず、唇を噛み、呻き声を抑え込む。


「ドラコ! もういい、貴方だけでも逃げなさい!」


 ドラコはイレーネをしっかり抱きしめ、笑顔を彼女に向ける。


「あー」


 ドラコは声を出す。


 その音は、決して言葉にはならない。


 それでも、イレーネには分かる。


 ――大丈夫だよ。


 イレーネには、そう聞こえた。


 地下室の通路まであと少し。


 その扉の先はトーレスたちのアジトと繋がっている。そこに入れるのは、彼が承認した人間だけ。


 イレーネは必死に手足をばたつかせるが、上手く動かせない。彼女の顔に黒い血がかかる。目の前に誰かの手が見える。黒い血で染まった誰かの指が動く。そして、その手が引き抜かれる。それは、何から?


 ドラコは最後の力でイレーネを扉の方へ投げ飛ばすと、彼の足は崩れ落ちた。


 ドラコの後ろに、ルーカスが立っている。黒く染まった手に、黒く尖った小さな石を持っている。


「これは、下に転がる豚の心臓に刺さっていたものであり、その豚の命そのものだよ」


 ルーカスは愉快そうに笑うと、その石をイレーネに向かって揺らして見せた。


「本当に、惨めな命だなぁ。ただの無駄死にじゃないか」


 ルーカスは石を自分の左胸に近付けると、それはひとりでに彼の胸の中に消えた。


 ドラコの体から、黒い霧が漏れ出し始めた。ルーカスはわざわざ彼の体を踏みつけながら、前を歩く。


 イレーネは叫ぶ。


 スカートの下に隠したダガーを取り出すと、自分の足を切った。怒りと痛みで、体の負荷が少しだけ減少する。


 イレーネは立ち上がると、ダガーを構え、ルーカスを睨みつける。


「殺す、お前だけは必ず殺してやる!」


 ルーカスは苦々しい顔をする。


「雑魚のくせに、私に歯向かうのか。この平民風情が!」


 イレーネは飛び出し、ダガーを横に振る。それが触れる前に、彼女の頬を黒い渦が叩き付ける。彼女の体は吹き飛ばされ、床に転がる。起き上がろうとするが、目の焦点が合わない。揺れる目で、ドラコの体が黒い霧を発しながら、消えていく姿を眺めた。くすむ、世界がくすんで見えた。


「お前は簡単には殺さんよ。エリーナと同じく、後でたっぷりと可愛がってやる」


 ルーカスが後ろに振り返ると、トーレス、ロラン、ドギーの姿。


「まだ、勝てると思っているのか?」


 三人は何も答えない。静かに構える。勝てるなどとは思っていない。ただ、やるしかないだけだ。


 頭上から、高反応の魔力が渦巻く。


 ルーカスは上を見上げる。


 轟音とともに、天井の一部に穴が開く。破片が床に落ち、砂煙が舞う。


 静かに、誰かが降りて来る。


 銀色の髪の少女と黒髪の少女。


 銀色の目がルーカスの姿を映す。


 身震いした。身震い? いや、そんな訳がない。ルーカスは気のせいだと思い込んだ。


 銀色の少女は、黒髪の少女を地面に下すと、生成した剣をルーカスに向けた。


「貴方が親玉ですね。私は今、すごく気分が悪いんです。だから、さっさと死んでください」


 笑えない。ルーカスはとても笑えない。


「それはこちらのセリフだよ、精霊の子、ソフィー」


 ルーカスの体の周りを中心に、黒い渦が大量に蠢いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る