第46話 化け物

 オーランドが紹介した宿屋は、とんでもない一級品。高級な匂いを隠すことなく、撒き散らしている。オーランドからは、お金の心配は必要ないと言われているが、気が気じゃない。


 広い部屋はおしゃれであり、4人は寛げる大きなベットが佇んでいる。マリアはふかふかの布団に寝転がった。シーツは最高の肌触りで、頬に擦り付けた。これ以上ないほどの安らぎ。それと同時に言い知れぬ罪悪感に襲われた。

 

 部屋が別々なことに文句を言う声が聞こえるが、マリアは無視することにした。


 

 

 今日も朝が来る。


 昨日の夜に起きたドタバタを思い出す。マリアは頭を抱えたくなった。

 隣から人の気配。視線を向けると、ソフィーが自分と同じベットの上で寝ていた。


 一瞬、時が止まる。

 

 寝顔を眺めた。相変わらず綺麗な顔をしている。絹糸のように細く美しい銀色の髪に少しだけ触れ、指の隙間からこぼれる。

 唇に目が行く。瑞々しいその唇に。無意識に顔が近づき、直ぐに距離を離した。


「何もしないんですか?」


 ソフィーは瞼を開き、少し不満そうな目。


「もしかして、起きてたんです?」


 答えずに、上体を起こす。無言でマリアを見つめる。


 耐えきれずに、マリアは視線を逸らす。


 机の上で微かに空間が歪む。黒い猫が現れる。オーランドの使い魔だ。


 煩わしそうな顔を向けるソフィーに、猫は言葉ではなく鳴き声をあげた。


「分かりました。暫く待つように伝えてください」


 使い魔はもう一度、鳴いた。


「姿を見せるつもりはありません。分かっていることをいちいち言わないでください。――消しますよ」


 その言葉を聞き、黒猫は姿を消す。


「ソフィー様、何を言っているかよく分かりますねぇ」

「伝える相手にしか、言葉は理解できないようになっているだけです」


 なるほどと、マリアは納得した。


「オーランドが下のロビーで待っているようです。着替えたら、行きますよ」


 白いネグリジェの裾をなびかせ、ソフィーは部屋から出ていく。


 マリアは静かに息を吐く。頭の中には、自分の隣で寝ていたソフィーの姿。今更、心が高まる。胸を押さえたって、暫くは落ち着かない――そんな、気がした。

 

 



 マリアはシスター服、ソフィーは水色のドレスと黒いタイツ姿。

 

 着替えが終わり合流したのち、ソフィーは姿を消した。そのまま、宿屋のロビーまで向かう。


 オーランドは足を組み、机の上にあるコップを手に取り、匂いを嗅ぎ、優雅に紅茶を口にする。

 その姿を見て、若い女性たちが熱視線を送っていた。マリアは、その仕草が少しだけ、鼻についた。彼女は本来、人に対して不愉快な感情を抱くことはないのだが。


 マリアの姿を確認すると、オーランドは小さくを手を上げ、嘘くさい笑顔を振りまいた。


「オーランドさんって、偉い人なんですよね? 護衛をつけなくて大丈夫なんです?」

「マリアさん、心配しなくても大丈夫ですよ。僕はこう見えて、強いですから」


 オーランドは自分を指差し、白い歯を見せて笑った。


 



 宿屋を出て、王家の馬車でオーウェル家の屋敷に向かう。


 マリアたちが昨日まで乗ってきた馬車はオーランドの方で契約内容を確認し、解除した。何故か、運転手は喜んでいたとのこと。


 オーウェル家にはすでに話を通してあったのか、滞りなく屋敷の中に迎え入れられ、領主と面会をすることになった。


 3m以上の高さがあるアーチ状の扉。兵士ふたりで開けると、謁見の間に繋がる。


 赤いカーペットで道ができている。その先に檀上があり、装飾付きの豪華な椅子。そこに座っているのが領主。その隣に御付きがひとり。広い空間の中、たったふたりだけ。たくさんの人間が待ち構えていると想像していただけに、マリアは少しだけ拍子抜けした。


 中へ入ると、扉が閉められる。


「オーランド殿、よく来てくださいました」


 領主は両手を広げ、椅子から立ち上がる。オーランドの方へと向かってくる。御付きも軽く頭を下げ、後に続く。


 領主はひょろりと背の高い人物。神経質そうな顔。体調が悪いのか、顔が少し青白い。


 オーランドは優雅に歩き、領主と握手を交わす。


「半年ぶりですね、ジョディス様。顔色があまりよろしくなさそうですが、何か心配事でも?」


 ジョディスは手を離し、明らかに動揺した顔。


「い、嫌、特に何もありませんよ」

「ジョディス様、僕とあなたの間に隠し事など不要なはずですよね? 貴方がなぜ今その地位にいるのか、少し考えてみてください」

「それは――」

「クーデタが起きているらしいですね。それで御三家のひとつが壊滅状態。それはあなた達が原因だと、そんな噂がありますよ」

「そんなの、ただの濡れ衣ですよ!」

「では、誰が犯人だと?」


 ジョディスは体を震わし、視線が床に落ちる。


「なるほど、ロザリア家の命令ですか」


 ジョディスは目を見開き、落ちた視線をオーランドの方に向ける。


「な、なぜ……」

「貴方の心が、僕にそう語りかけたんです。もう一度だけ言います。僕と貴方の間に、隠し事は不要だと」

「わ、私は……」

「貴方は、何を要求されているのですか?」

 

 ジョディスは口をパクパクと開き、脂汗が流れる。

 

「貴方はロザリア家と王国、どちらを選びますか? 僕は王命によりここに来ています。すなわち、僕の言葉は王の言葉でもあると考えてください。言っておきますが、自分の民を生贄に捧げるのは、許されないことですよ」


 その言葉に、ジョディスは床に膝をつく。御付きは慌てて主人の肩に手を置いた。


「始めは、ひとりやふたりだった。だがいつしか、それは村ひとつに変わった。次は魔力の一番高い人間を要求された。それは、ディオス卿の娘だった。だから、彼は歯向かってしまった。だから――」

「あなた達が行ったことは、全てクーデタのせいにされてきた、というわけですね」

「あいつはもう、化け物だ。自分のことしか考えていない。初めは慎重だった。ディオス卿の暗殺もクーデタのせいにした。なのに今は、堂々と彼の土地、その民全員を自分への生贄として捧げろと言う。もう、隠す気もない。あいつはもう、狂っている」

「それなのに、その狂人に貴方たちは従うのですか?」

「だって、あいつは――」


 ジョディスはそれ以上、言葉にできない。


「マリア、魔物が現れました」


 頭上から、ソフィーの声が聞こえた。


 マリアは時間差で、魔力の気配に気づく。その禍々しさは、ゴブリンの女王以上。


 オーランドも気づいたのか、魔力の流れに目を向ける。


 扉が開く。


「ジョディス様、化け物が現れました。湖からです!」

「そんな馬鹿な。結界に覆われたこの都市で、神聖な湖で化け物が現れたなど、聞いたこともないぞ!」


 御付きは立ち上がり、椅子の後ろにある扉を開き、ベランダへ出た。


 マリアたちも後に続く。謁見の間の扉を開けた先は、大きく広がる湖。


 そこから見えるのは、湖から伸びる――長く伸びる、竜。


 水竜が、こちらを見る。


「あいつだ、あいつのせいだ!」


 ジョディスは頭を押さえると、体を震わせた。


 マリアはポケットから、信心用具を取りだす。


 それを見て、ソフィーは姿を現す。右手にマナの粒子を集め剣を形にする。


 ジョディスの目に、ソフィーの揺れる銀の髪が映る。彼は恐怖とともに、救いの光を見た。


「ジョディス様、安心して下さい。我々には、ソフィー様と言う化け物がいるのですから」


 そう言って、オーランドは笑った。心底楽しそうに、彼は笑った。

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