第37話 襲撃

 酒場もあまり小綺麗ではない。

 カウンター席に座ると、それぞれ適当にドリンクと食事を頼む。


「マスター、ローズウェストの方で今、クーデターが起きているらしいのですが、何か知っておりますか?」

「あぁ……その話は、あまり大きな声で話すことではないよ」

「何か知っているのかしら?」

「ただの噂話だよ」

「それでも、構いませんわ」


 マスターはそれぞれにドリンクを渡した後、少し躊躇しながらも口にする。


「前の大領主様を支持した人たち全員が、監獄に収容され、奴隷のように働かされてきたことは知っているかい?」

「……ええ、それなりには、知っておりますわ」

「全員いなくなっていたみたいだ」


 エリーナは理解できない。


「しかもたった一夜の間でだ。ロザリア軍の姿もなく、大量の血液だけは消えないまま、全員の姿がなくなっていた。今、あの監獄には人一人っ子いないって話だよ」

「そんな馬鹿な……話、考えられませんわ」

「とんだ与太話だと思うだろ? 今、クーデターを起こしている連中はそいつらだと、もっぱらな噂だよ」


 エリーナは初めて聞く話に、頭が追い付かない。

 収容されていた人間は百にも満たない。多少の手練れはいるが、前大領主を支えてきた古参、脅威になる人間は全員処刑されている。

 そんな状態で、倍以上のロザリア軍を退け、その死体を抱えながら、あの監獄を脱出できるとはとても考えられない。そもそも彼らの力でクーデターを起こす力があるとは到底、考えられない。


「一体それは、いつの話ですの?」

「大体、半年も前の話だよ」


 クーデターが起き始めたのも、確か半年前。セルフィーたちからはそう聞いている。


 少しだけ話を続けた後、エリーナは話を切り上げた。

 

 食事ができるまでの間、客にも話を聞いたが大した情報は入ってこなかった。

 

 

 

 食事を終え、マリアは最後にお礼を言って、酒場を出た。


 エリーナは考えたごとをしており、マリアが声をかけても、適当な返事しか返ってこない。


「クラーラさんは先程の話を聞いて、どう思いました?」

「正直な話、信じられないよ。でも、その話が本当で、本当にその人たちがクーデタを実行していたとしても、イレーネさんがそれに関わっているなんてとても信じられないよ」

「もし、関わっているとしたらどーします?」

「ただ連れ帰るだけだよ。私達が帰る場所に」

 


 違和感がした。マリアは顔を顰める。


「マリア、警戒してください」


 ソフィーの声が頭上から聞こえた瞬間、浮遊感とともに、村の風景が消え、黒い空間に切り替わる。四方八方黒い壁。マリアはすぐに魔法で数十の光の玉を浮かべる。広さは縦横三十メートルほど、高さは十メートル。

 

「これ、結界?」

 

 クラーラは辺りを見回す。


「結界というよりは、空間転移に近いかもしれませんね」


 奥の方から男が一人、歩いてくる。


「誰かは知らんが、良く分かったな」


 男は白い鎧を身に着け、十メートル前で足を止めると、槍をエリーナの方に向け、構えた。綺麗なストレートの茶髪は肩まで伸び、女性のように美しい顔をしている。身長は176㎝ほど。


「巻き込んで悪いが、大人しくしていてくれれば手は出さん。用があるのはこいつだけだからな」

「私のことが分かりますの?」

「髪の色を変えたぐらいで分からなくなる訳がないだろう、エリーナ」

「そうですか、久しいですね、トーレス。あなたと最後に会ったのはまだ、ほんの子供の頃でしたのに。イレーネといい、良く気づきますわ。あの頃から十分変わったと思いますけれど」

「イレーネを助けてくれたことには、感謝している」


 目の前の男から、愛おしい人の名前を聞き、クラーラは体を震わせる。

 

「あれは、私の意思ではありませんわ。お姉様が私に遺した、最後のお願いでしたから」

「……お前自身に恨みがある訳ではない。だが、今は少しでも不安要素は取り除く。お前はただ、被害者として俺を恨めばいい」

「貴方は、何を望んでいますの?」

「お前の父親を殺すこと。ただそれだけだ」

「私が死のうと、人質にしようと、あの人には何の影響もありはしないでしょうけれど」

「悪いが、話はこれで終わりだ」


 トーレスの殺気が溢れだし、彼は足元に力を集中させる。

 マリアは信心用具をポケットから取り出し、エリーナの前に飛び出すが、トーレスは動揺することなく足に増幅した力を開放し、槍を突き出したまま前に向かって跳躍した。


「マリアさん!」


 エリーナの咎める声を無視して、マリアは信心用具をトーレスに向かって突き出す。

 

 トーレスの槍がマリアまで3mと迫った時、槍の柄と彼の手首が切断され、腹に衝撃が走る。そう認識する前に、トーレスは10m以上後ろへ吹き飛ばされた。


 マリアは茫然とする。エリーナの方に振り向き、自分じゃないよと手を振った。


「分かっていますわ、恐らくソフィー様ですね」


 マリアは恐る恐る、トーレスのほうに視線を戻す。


 地面に転がった手の切断部分から黒い霧が発生し、それが黒い触手へと変化する。


「面妖な力だな。後ろに飛ばされるまで、自分の手首が切り落とされたと認識すらできなかった」


 トーレスの切断された手首からも黒い触手が蠢き、伸び始める。地面に落ちた自分の手と手首の触手が繋がると、ゆっくりと自分の体へと戻っていく。そして完全に傷跡すらなくなった。トーレスは切断された自分の右手をしばらく開け閉めを繰り返し、感触を確かめる。


 エリーナは口元を押さえ、吐き気を堪える。


「トーレス、貴方に一体なにが起きたんですの?」

「さあ、一体なんなんだろうな」

「貴方は、人間なんですの?」

「どっちだと思う? エリーナ」


 彼女は、答えられない。


「トーレスさんが、人でありたいと思う限りは、人だと思いますよ」


 マリアの言葉に、トーレスは自嘲気味に笑う。


「それならば、俺はまだ、人のままなのだろうな」


 トーレスは右手を前に突き出すと、黒い粒子が渦巻き、槍の形になる。


「それでも俺は――俺たちは、人を辞めると誓ったんだ。そいつの父親を殺すためにな」


 再び、槍をエリーナに突き付けた。

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