第35話 命のパン

 しばらく馬車が走った後、マリアは寝転がった体を起こす。

 

「エリーナさん、目的地はどれぐらいで着くんです?」

「ひとまず目指すのはアカシアと呼ばれる村ですわ。大体8時過ぎには着くかと思いますけれど」

「どんな村なんです?」

「特筆すべきところは特にないですわ。ただ、ロザリア家が管理する村の1つですから、何かしらの情報が得られればよいのですが」

「情報収集ですね、分かりました。頑張りますよぉ」

「ほどほどで構いませんわ。変に目を点けられても困りますしね」

「では、ほどほどに頑張ります」

「そうですわね、どうか、ほどほどにお願いいたしますわ」


 要するに目立たないようにということだろうとマリアは考えた。それなら、エリーナのその派手な赤い服はあまりよろしくないのではと思ったが、黙っておくことにした。

 


 何故かエリーナはマリアの方をじっと眺めている。


「さっきから気になっていましたけれど、なぜメイド服のままなんですの?」

「変ですかねぇ」


 マリアがフリル付きのスカートをつまみ、少しだけひらひらとさせた。


「マリアさん、はしたないですわよ」


 エリーナは顔を真っ赤にさせる。

 

 マリアはソフィーに睨まれ、すぐにスカートから手を離した。


「単純に着替えどきを逃しただけですよ。一応、シスター服は持ってきてます。私の中で一番魔力耐性が高い防具みたいなものですので」


 座席に乗せた手提げ鞄にマリアは視線を向ける。


「そ、それならいいですわ。その服は少々、目に毒ですので」


 フリルたっぷり目のメイド服は少しだけスカートの丈は短いが、そこまでいかがわしくはないだろうと、マリアは思った。


「そう言えば、エリーナさんが帰郷したって話、聞いたことないですね」


 厄介払いされた――そんなエリーナの言葉を思い出し、口にするべきが悩みつつも、マリアは言葉にした。

 

「そうですわね、ロザリア家の地に戻るのは12歳のころ以来ですわ」

「7年ぶりの里帰りって奴ですね。家族にはそのことを知らせているんですか?」

「まさか、知りませんわよ。手紙のやり取りすらしたことありませんもの。仕送りだって貰ったことありませんわ」

「え? それじゃあ、この馬車のお金とかってどうしてるんです?」

 

 聖女候補生だと、他のシスターよりお給金は多く貰っている。とはいえ、この馬車を借りるには中々に手痛い出費ではないのかと、マリアは思った。

 馬車に乗ってすぐ、クラーラとマリアはお金を出そうとしたのに彼女は断っている。そのため、てっきり実家からお金が出ていると考えていたのだが。

 エリーナは案の定、苦い顔をする。

 

「普段、外に出ることもありませんから、お金の使い道がありませんの。蓄えはかなりありますから、気にしなくても大丈夫ですわ」


 これ以上、しつこく言っても怒らせるだけだと思ったため、マリアは口を閉じた。


「ロザリア小国の内情は、セルフィとマリベルに話は聞いておりますが、あまり良い話は聞きませんわね。あの二人は、私の手前、言葉を濁す時もありますし、正直、私の認識よりも悪い状況の可能性はありますわ」


 セルフィとマリベルは、エリーナの御付きの二人組。彼女たちはロザリア小国の出身の貴族だが、エリーナのロザリア家に仕えているわけではない。エリーナ自身に惚れ込んで、彼女自身に忠誠を誓っている。そのため今回の帰国も、彼女たちとしてはエリーナに付き従うつもりだったが、主人から待機を命じられ、涙で頬を濡らすこととなった。


  

 クラーラは握った拳を膝の上に置き、震わせている。

 

「怖いんですの?」

「怖いよ。すごく怖い。だって、私が何かに立ち向かうとき、いつもイレーネさんが傍にいてくれたんだから。だから、一人で立ち向かう怖さを、私は今まで忘れてた」

「確かに今、イレーネはおりませんけれど、一人じゃありませんわよ」

「そうだよね、ごめん。ただ、私はいつも助けられてきたんだって、分かってたつもりだったけど、何も分かってなかった。だから、今度は私がイレーネさんを助けたい。もしもイレーネさんが困っているなら、私は彼女の支えになりたい」

「気負いすぎたってうまくいきませんわよ」

「分かってはいる、つもりなんだけどね」


 クラーラは困ったように笑う。


「では、食べますか?」


 マリアは袋を広げ、今朝買ってきたパンを皆に見せた。


「色々買ってきましたから、好きなのを選んでください。お腹が減っては何とやら、ですからねぇ」


 エリーナは苦笑した後、袋から紙に包まれたパンを適当に選んだ。


「クラーラさん、悩んでたって仕方ありませんわ。マリアさんの能天気な所、たまには見習ったほうがいいですわよ?」


 エリーナの言葉にマリアは顔を顰めた。

 

「そうだね」


 クラーラはパンを手に取ると、豪快に齧り付き、頬が緩む。


「凄く美味しいよ、マリアちゃん。ありがとう。お腹減ってたんだって、今更気づいたよ」

「それなら、良かったです。私のおすすめのパン屋さんですからねぇ。全てが終わったら、イレーネさんと3人で行きましょう。色んな種類があって悩むのがあのお店の醍醐味ですから」

「うん、絶対、3人で一緒に行こうね」


 エリーナは二人を微笑ましく見守った後、パンを口にする。


「確かに、美味しいですわね」

「何か、エリーナさんに言われると自信がつきますねぇ。自分の味覚に」


 マリアはクレープの件で無くしかけていた自信を、再び取り戻した。

 

「マリアさんの食に対する努力だけは認めていますわよ。聖女を目指す上では全く、無駄な行為、だとは思いますけれど」

「それ、褒めていませんよね?」

「分かっていただけました?」

「さっきから喧嘩を売ってますねぇ、買いますよ、こらぁー」


 小さい手で必死に拳を作り、大げさに振り回すマリアの姿を見ても、エリーナにはなんの脅威も感じない。


「本当に、マリアさんは単純ですわね」


 マリアの手が誰かを傷つけたところなんて見たことがない。いつだって、その手は誰かを救ってきた。昔の自分だって、そうなのだから。

 昔を思い出し、エリーナは笑ってしまう。

 


 ――その瞬間、マリアの頭に衝撃が走り、身悶える。

 


 誰からの攻撃かは直ぐに理解する。


「……ソフィー様、私は辱められていただけなんですけどぉ」

「そんなの関係ありません。私が腹を立てたか、そうでないか、ただそれだけです」


 理不尽な言葉に、マリアは一瞬、言葉を失う。


「これ以上、私が馬鹿になったらどうするんですかぁ」

「大丈夫です。人として、それ以下はありえませんから」


 辛辣な言葉に、マリアは頬を膨らます。

 

 

 エリーナとクラーラはドン引きしたまま、ソフィーを眺め、彼女と目線が合うと、二人共、明後日の方に顔を向けた。


「そ、そう言えばマリアちゃん、オーガ退治の時、遠くにいる状態で聖女様に連絡していたよね。あれって、イレーネさんにはできないのかな」

「念話のことですか?」

「えっと、多分、それだと思う」

「あれは、今のところ聖女様としかできませんね。条件は光属性同士であることと、お互いの魔力の流れを理解していないと駄目ですから」

「じゃあ、エリーナさんとはできるようになるの?」

「そうですねぇ、ある程度、時間をいただければできるようになるかと思います」


 その言葉を聞き、エリーナは興味を持つ。


「それって、どんな魔法なんですの?」

「そうですねぇ、離れていても頭の中で会話ができるようになる魔法です。距離に関しては、相手の魔力量によって決まってきます」

「どうしたら、できるようになるんですの?」

「聖女様の時は、額を合わして20分ぐらいお互いの魔力を流し合っていたら、できるようになりました」


 エリーナは顔を赤くする。


「やります?」


 マリアがその言葉を吐いた瞬間、再び頭に衝撃が降りかかった。

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