第32話 信用と信頼

 エリーナの言葉に、クラーラは顔面が蒼白になる。


「えっと、意味が分からないよ」


 声が震えている。

 頭で理解しても、心が理解できない。


「彼女と、宿営場で話した時、嫌な予感がしていましたわ。ロザリア家の領地でクーデターが頻発していると聞いていましたので」

「それが、イレーネさんと関係してるって言うの?」

「分かりませんわ。だから、今日から暫く実家へ帰ることにしましたの。厄介払いされた私が、戻ったところで、なんの意味もないかもしれませんが」


 エリーナは自嘲気味に笑った。

 

「私も行く」


 クラーラは、声を振り絞り、言葉にした。


「これは、私のただの勘。何の根拠もない話であり、イレーネとは何の関わりもないかもしれませんわよ」

「それでもいい。だって、ただ待っているだけなんて、嫌だもん」

「危険ですわよ」

「いい。それでも、私は行く」


 エリーナは、ため息を吐く。


「それなら、好きにすればいいですわ」

「うん、好きにするよ」


 マリアはベンチの上へ置いた買い物袋に目を向けた後、エリーナに尋ねる。


「いつ行く予定なんです?」

「今すぐに向かう予定ですが――」

「できたら、少し待って欲しいんだけど」


 クラーラは申し訳無さそうに、手を合わせた。

 

 エリーナは近くにある時計台で時間の確認をする。

 

「私にも、馬車等の準備もありますから、11時45分に西口の門に集合で問題ないかしら?」

「大丈夫、間に合わせるから」


 そう言って、クラーラはすぐに走り出した。


「私も行きますよ」


 そう言って、マリアは買い物袋を手に持った。


「何故、貴方まで?」


 理解できない、そんな顔。


「だって、心配ですから」

「私では、信用できないとでも?」


 エリーナは少し、苛立ったように言った。


「エリーナさんのこと、ちゃんと信用してますし、信頼していますよ」

「では――」

「それでも、大切な人なら心配しますよ。クラーラさんのように」


 エリーナは盛大なため息を吐くと、額に手を置いた。


「貴方って言う人は、いちいち言い方が――」


 マリアは頭上に気配を感じた瞬間、頭に衝撃を受け、涙目で地面に蹲る。

 後ろから恐ろしい気配がする。振り向くと、ソフィーが見下ろしている。無表情で。

 

 マリアは背筋が凍る。


「あのー、私、何かやらかしましたかね?」


 片手でタンコブができていないか確認する。


「気にしないで下さい。少し腹がたっただけなので」


 ソフィーの理不尽な言葉に、マリアは開いた口が塞がらない。


「マリア、行くのですか?」

「あ、はい。一度、メイド長には頭を下げに行かないといけませんが」

「つまり、仕事を放棄するのですね」


 マリアは言われて気付く。仕事を放棄すると言うことは、ソフィーの面倒を見ないと言うことだ。そんな当たり前の事実に今更気付いた。


「いやー、そのぉ……すみません」


 言い訳が思い付かず、マリアは素直に謝罪した。


「別に構いません、あなたがそういう人間だと、理解しているつもりですから」

「えっと――帰ったら、普段以上に頑張りますよぉ」


 マリアは片手で作った拳を天高く掲げる。


「つまり、私がすることを拒否しなくなると、そう、判断すればよいのですね」


 マリアの掲げた拳が徐々に降下していく。


「ま、任して下さい」


 マリアは考える。――1回でもキスをすれば、きっとソフィーは気が済むだろうと。それに何より、2回目なんだから、きっと耐性もできている筈だ。

 

 マリアは心の中で拳を作り、心の中で気合の叫び声を上げた。


 ソフィーは笑う。その笑みを少しだけ、怖いとマリアは思った。ソフィーはマリアの耳元に口を近づける。


「怖いですか?」

「え? いやぁー、そんなことないですよぉ」


 ソフィーには分かる、それは嘘だと。でも、それすら可愛いと思う私は、きっとおかしいのだろうと、ソフィーは思った。

 マリアの手を取り、彼女を起こし、手を離したら、熱が逃げる。そのとき感じた感情は、寂しい――そんな言葉が、ソフィーの頭の中に浮かんだ。


「因みにですが、私も行きますので」

 

 ソフィーのその言葉に、マリアは驚く。


「今更ですが、もしかして話、ずっと聞いてました?」

「さぁ、どうですかね。それより、その頼まれた買い物袋、持っていかないのですか?」

「何でそんなことまで知ってるんですかね?」

「それぐらい、簡単に予想できますよ」

「まぁ、それは確かに」


 マリアは簡単に納得し、エリーナの方に視線を向ける。今の状況をまだ理解できていない彼女は混乱しているが、マリアはそれに気付かない。


「それでは、私たちも一緒に行きますが、一旦抜けますので。それでは、西口のほうで」

「え、ええ」


 マリアが背を向けた瞬間、エリーナは慌てて呼び止める。


「ち、ちょっとお待ちくださいまし。もしかして、本当に姫様もお越しになられますの?」

「何か、問題でもありますか」


 ソフィーの不機嫌そうな顔に、エリーナは悲鳴を上げたい気分になる。

 

「そ、そう言うわけではありませんわ。ただ、普通の馬車しかご用意をしておりませんので」

「別に、構いません」

「は、はぁ」


 ソフィーは断りもなく、マリアを軽々と持ち上げる。


「こ、今回はさすがに飛ばなくても」

「しっかり掴まないと振り落とされますよ」

「前はあまり掴むなって言ってたじゃないですかぁ」


 一声もなく急に飛び始めたため、マリアは慌てて彼女にしがみ付く。

 嫌がらせのように速度を上げたため、ソフィーとマリアの姿は、下から見上げるエリーナの目からはすぐに見えなくなった。


「何なんですの? 一体」

 

 エリーナは茫然と、二人の消えた空をしばらく眺めた。

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