第31話 詩
マリアは自分のベットの上で頭を押さえ、悶えている。こんな自分、前もあったなぁと思いながら。
仰向けになり、両手を広げ、天井を眺める。
そっと、自分の唇に触れてみる。
こんなもの、たいしたことないと思っていたのに。
マリアは一度だけ、キスをされたことがある。
15歳の頃、先輩としてマリアに良くしてくれた女性がいた。
顔を赤くし、目を潤ませながら――こんなキスはただの遊びだから、だから大丈夫だと、彼女は言った。
もう一度、口づけをしようとした彼女をマリアは止めた。
遊びですることではないから。そう言ったとき、彼女は泣くように笑った。
その人は、数日後に20歳となり、地方の教会に転勤した。それ以来、一度も会っていない。
あの何とも言えない顔を、マリアはふと思い出し、あの時のキスを思い返す。
何も感じなかった、あのキスを。
だから、大したことないと思っていた。
なのに、ソフィーとのキスは全然違った。
ソフィーは食事を終えた後、何度もマリアにキスをねだった。だから、逃げるように今、この部屋にいる。
ソフィーにとってキスは、あの先輩のように、ただの遊びなのかもしれない。
もしそうなら、嫌だなぁと、マリアは思った。
――――――
マリアとソフィーの攻防戦が始まり、一週間が経った。
マリアは疲弊し、ソフィーは不満が溜まっていく。
朝に起きた戦いから無事に帰還したマリアは、ヘロヘロになりながらも食堂で至福の時を過ごし、気力を回復させた。
満ちた腹を擦りながら、廊下を歩いていると、メイド長が慌ただしく動いていたため、声をかけた。
「何かあったんです?」
「食材が足りないため、買いにいくところです」
「私、行きますよ?」
「しかし、昨日だって――」
マリアはメイド長の手にある紙を軽く引っ張て、内容を確認する。
たいした量はないため、持てなくなる心配もなさそうだ。
「私は今からしばらく暇ですから、行ってきますよ」
「すみません、助かります」
メイド長はマリアに財布を渡す。
「あなたには、助けられてばかりですね」
「それは多分、気のせいですよ」
マリアは軽く手を振って、繁華街の方に駆け足気味で向かった。
買い物を済ませた帰り道、クラーラの後ろ姿を見かけた。珍しく猫背気味だ。灰色のローブを着ているのも初めて見る。
マリアが声をかけると、振り返り、金髪のおさげを揺らす。そして見えた表情は、何故か泣き顔。
「マリアちゃん」
クラーラの涙腺が崩壊する。
マリアは、ギョッとした。
両手をマリア側に向け、ゾンビのようにヨタヨタとゆっくり近づいてくる。
正直、怖い。マリアは引き気味でクラーラを待ち構える。
鼻水が流れ、そのままマリアに抱きつこうとしたため、慌ててハンカチを取り出しクラーラの鼻に押し付ける。そのため、クラーラはマリアに抱きつくことが出来なかった。
「マリアちゃんまで、私を捨てるんだー」
クラーラは目だけでなく、声でも泣き始める。
小さな人だかりができ、遠目でマリアたちを眺める住人達。
マリアは冷や汗が流れる。作り笑いを意識し、クラーラの方に手を置く。
「クラーラさん、ちょっと、向こうに行きましょうか。ベンチに座って、ゆっくり話を聞きますから」
クラーラは何度も頷く。
少しだけ離れの、人通りの少ない場所にあるベンチまで移動し、座った。
クラーラが落ち着くのを少し待ってから、マリアは声をかける。
「何があったんですか?」
クラーラはマリアから渡されたハンカチで盛大に鼻をかむ。
「……数日前の話なんだけどね、朝起きたら、イレーネさんの置手紙があって、1か月帰ってこれないって書いてあったの」
マリアはずっこけそうになる。
「――それだけですか?」
「ひどいよマリアちゃん。イレーネさんと1か月も会えないなんて、そんなの、私に死ねっていうのと同義だよ」
そ、そこまで言うのか。マリアは驚愕する。
「今の私の心はまさに、このローブの色なんだよ、マリアちゃん」
クラーラはニヒルな笑顔を浮かべる。
「そ、そうなんですね。ところで、どこに行くって書いてあったんです?」
「書いてあったなら、すぐにでもそこに行ってるよ」
「それはまぁ、確かに。今までは、こんなことなかったんですかね」
「たまにあるけど、1か月はさすがに長すぎるよ」
――そうか、1か月は長すぎるのか。その間隔は今1つ、マリアには良く分からない。何となく、アンナとエリーナを思い出す。
「大丈夫ですよ、時間なんて、何もしなくても過ぎていくんですから」
「分かってる。分かってるんだけど、もしも私以外の誰かと、イチャイチャしている姿を想像するだけで、私の中の獣が叫ぶの。奴を八つ裂きにしろと」
怖い、怖いから。マリアは身震いする。
「その相手が私だったとしてもですか?」
クラーラはゆっくりと、マリアの方に首を向ける。
「当り前だよ、それ、極刑だから」
口元は動いても、目元が笑っていない。
「マリアさん?」
声のする方へ顔を向ける。
エリーナは一人でマリアの前に立っていた。御付きの二人がいないのは、かなり珍しい。しかも、右手に大きなバックを持ち、シスター服ではなく私服を着ている。真っ赤なドレスは情熱的なエリーナにぴったりだと、マリアは思った。
「こんなところで何をしていますの?」
縦巻きロールを左手でいじりながら、エリーナはマリアを眺める。
「……しかも何ですの、その服は」
マリアはベンチから腰を上げると、カーテンシーであいさつをする。首を少し傾けて。
「メイドでございますよ、お嬢様」
エリーナは顔を左手で隠し、少し顔を背ける。
「いえ、それは、言われなくても分かりますけれど……」
仕切り直しに一度、エリーナは咳払いする。
「えと、クラーラさんですわよね?」
「うん、そうだよ。エリーナさん、ご無沙汰しております」
クラーラも立ち上がり、頭を下げる。
「たしか、イレーネの恋人なんですわよね?」
呼び捨てにクラーラは引っ掛かるものを感じながらも、彼女は腕を組む。
「そうだよ、私がイレーネさんの恋人なんだから」
エリーナは辺りを見回す。
「イレーネは、どちらに?」
クラーラはエリーナに詰め寄る。
「エリーナさんはイレーネさんの何なのでしょうか」
エリーナが若干怯えたため、マリアはクラーラを何とか落ち着けさせる。
「イレーネからは何も聞いていないのかしら?」
「何も聞いていないよ。イレーネさんは肝心なこと、私には話さないから」
クラーラは少しむくれる。
「何も言わず、置手紙を残すだけなんだから」
「……もしかして、王都にはいないのですか?」
「分からないよ、だって、行き場所すら書いてないから」
エリーナは少し考え込む。
「その手紙、持ってますか」
「当然だよ。肌身離さず持ち歩いているから」
そう言って、クラーラはポケットから手紙を取り出す。
普通、持ち歩く物なのかと思ったが、マリアは口にしない。
「見せて貰っても構いませんわよね?」
「うん、大丈夫だよ」
エリーナは手紙を受け取ると、すぐに中を確認した。
「最後に書いてある詩が、私には正直よくわからなかったんだけど」
「……これは、私の領地で使われる有名な詩ですわね」
「エリーナさんの?」
エリーナは少し躊躇いつつも、言葉を吐いた。
「兵士が死地に赴くとき、家族や恋人に残す詩です」
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