第3章 「緑」と「赤」

「わたしの声が聞こえますか?」

衝撃的な体験に意識を失っていたカタルは、女性の声で目が覚める。


「良かった。目が覚めたのですね。」

目を開けると、一人の少女が膝立ちの姿勢でカタルを見つめていた。

マンホールから地下に落ちたのか、四方八方が暗闇であったが、なぜか少女の周りだけが明るく照らされている。

そのため、少女の顔もはっきりと確認することができた。


色白で目鼻立ちのしっかりした女の子。

あどけない表情は高校生くらいに見える。

何よりも目を惹くのは、緑色のロングの髪。

奇しくもカタルがフラれたゲームのキャラクターの髪の色と同じだが、より光沢感のある緑である。


「キミは?」

カタルは問いかけてみた。


「わたしはこの世界に住む人間です。」

「この世界?ここはどこなんだ?」

少女は毅然とした態度で答える。

「ここは「虚」の世界。決して「実」には成り得ない「虚」の世界。」


「虚」の世界。

カタルは今自分に起こっている状況を受け入れることができなかった。

夢を見ているのか。

しかし、マンホールをこじ開けたときの腕の痛みが確かに残っているし、何のためにそうしたかもはっきりと覚えている。

夢にしてはカタルの記憶が正確すぎているのだ。


カタルは質問を変えてみることにした。

「キミ、名前は?」

「わたしは・・・リーフといいます。」

「リーフか、俺はカタル、よろしく。」

「カタル・・・よろしくお願いします。」


カタルはいつもの恋愛ゲームをプレイしている感覚にもなった。

彼女の名はリーフ、今のところそれしかわかっていないが、それはゲームの始まりと全く同じ。

ここから色々と聞き出したり、女の子のことを褒めたりして、距離を縮めていくのだ。


「リーフって、いい名前だよな。」

「ありがとう。カタルもいい名前ですね。」

女の子から好意的なことを言われると嬉しいのだが、実はカタルは自分の名前が大嫌いである。


「いやいや、俺は自分の名前が嫌いでさ。漢字一文字で「語」って書くんだけど、字面悪いしさ。」

両親が名前に込めた想いはわかりやすいが、コミュ障とも言えるカタルは正反対の人間に育ってしまった。


「ま、別に何でもいいんだけど。希望の名前なんてないし。」

カタルの悪い癖だが、女の子の前でもネガティブな本音を言ってしまう。

恋愛レベルが低いと言われても仕方がない。

ゲームではこの段階でフラれることもよくあった。


リーフは何やら神妙な面持ちで話し始めた。

「名前は自分の内面を映し出す鏡。」

「自分の内面?鏡?」

「そう。だからカタルには、自分の想いを伝える強さがあるのでしょう。」

「へえ、そんなこと生まれて初めて言われた。じゃあリーフは外見だけじゃなく、内面も木の葉のような緑色をしているのかな。」


褒め言葉になっていたかは微妙だが、意外と話は弾んだ。

リーフの年齢は16歳のようだ。

自分の半分しか生きていないと考えると可愛らしく思えた。


「この世界は他に人はいないの?」

カタルがそう聞くと、リーフは少し黙りこんだ後、立ち上がって歩き始めた。

カタルも後ろについて歩く。

後ろからだと、緑の髪がリーフの小柄な体の大部分を占めていることがよくわかる。

また、暗闇の中で、リーフの周りだけが明るく照らされていると最初は思ったが、実際はそうではなかった。

リーフ自身が光を放っているのだ。

この不思議な力は何なのか。

カタルを導いた光の柱と関係はあるのだろうか。


リーフはゆっくりと話し始めた。

「この世界にはわたしの家族がいました。父と母、そして妹が。」

「リーフの家族だけ?でも、いましたってことは今は?」

「死んでしまいました。5年前。わたしが11歳のときに。」


ここには5年前までリーフの家族がいたようだ。

だが死んだ。


「カタル。この世界の授業を体験してみませんか。わたしのこと、詳しくお伝えできると思います。」

リーフはそう言うと、カタルにその場に座るよう促した。

よく見ると、そこには一人分の机と椅子が置かれていた。

さらにリーフは本棚らしき場所から一冊の本を取り出し、カタルに手渡した。

この世界の教科書のようだ。


「史実」

科目名はそのように書かれていた。

カタルの世界でいう歴史のようなものであろうか。


「1時限目は史実の授業です。」

リーフは自らが講師となってカタルに授業を始めた。

リーフは他の誰のことを話すでもなく、自分自身の生い立ちや、これまでの出来事についてひたすらに話した。


「これはわたしの身に事実として起こったことです。」

カタルの世界の歴史の授業では、何百年、何千年も昔に生きた赤の他人について学習する。

それが事実かどうか、本当にわかる現代人などいるわけがない。

対して、史実の授業では自分自身の事実だけを取り扱うのだ。


そして、いよいよリーフの家族の史実に迫る。

「わたしと父、母、そして妹は四人でこの世界に暮らしていました。この家で。」

そうだ、ここはリーフの家なのだ。

リーフの放つ光に照らされ、ぼんやりとではあるが、家具など家の中の様子が映し出されている。

しかし、カタルは同時に気付いたことがあった。


焦げている。

身の回りの物全てが黒く焦げているのだ。

よく見ると、カタルの使っている机と椅子、それに教科書も黒い煤だらけであった。


「11歳のとき、火災が発生し、わたしたちの全てを焼き尽くしました。「赤」が「緑」を喰らったのです。」

「そんなことが・・・リーフは無事だったのか?」

「そのときわたしは家にいませんでした。わたしだけが助かってしまったのです。」

「そうか。悪いこと聞いちゃったな。話してくれてありがとう。」


かくして、史実の授業は修了したが、その後もリーフの授業は続いた。

科目名は「実数」「実験」など、何もかもが「実」がつくものばかりだ。

内容も空想や曖昧なものはすべて排除され、徹底して現実のみが取り扱われる。


「ここは「虚」の世界。でも、わたしは「実」に憧れるのです。」

リーフはこの世界が決して「実」には成り得ないとわかっているから、憧れの「実」の世界を自身で創り出そうとしていた。

一方、カタルはどうか。

カタルは「実」の世界に生きていたのに、自らひたすらに「虚」に溺れていったではないか。


「俺はそうは思わない。俺は「実」の世界からハジカレタ。あんな世界は憧れなんかじゃない。」

カタルは少しムキになって反論し、さらにこう続けた。

「俺はリーフが抜け出したい「虚」の世界に好んで溺れていったのさ。馬鹿馬鹿しいと思うだろ?」


リーフは首を横に振ると、柔らかにこう言った。

「あなたは「虚」に溺れ、わたしは「実」に憧れた。」

そしてカタルの手を握って微笑んだ。

「それだけのことです。でも、お互いの目的地が反対だったからこそ、わたしたちは途の半ばで出会うことができた。」


カタルはリーフの手を握り返した。

こんな風に女性の手に触れたのは生まれて初めてのことであった。

そして初めて、生きていたいと思えた。


「リーフ、どうにかして、キミを俺の、「実」の世界に連れて行くことはできないのか?」

「わたしを?あなたの、「実」の世界に?」

「俺がここに来るときに、大きな光の柱が現れたんだ。キミが今放っているのと同じ緑の光の柱が。」

「光の柱・・・?」

「そうだ。それに乗れば二人で「実」の世界に帰れるんじゃないかと思うんだ。」


カタルはリーフの希望を叶えてあげたい一心で、根拠も何もない話を並べた。

リーフは驚き、戸惑っていたが、それはカタルの話が突拍子もないからではない。

何かを知っているようだった。


「リーフ、何かわかれば教えてくれ。キミを助けたいんだ。」

それを聞くと、リーフは色白の顔を赤らめた。

「カタル、ありがとう。光の柱はわたしの力で放つことが可能です。」

「なんだって?キミの力で?」

「でも、あの光の柱は、カタルを「実」の世界に帰すことはできても、わたしが一緒に乗っていくことはできません。」

「そんな・・・二人で帰る方法はないのか?」


リーフは少し考えこみ、そよ風のように息を吐き、静かに呟いた。

「わたしの代わりに「虚」の世界に堕ちてくれる人が必要です。」

「ええっ?」

「「実」の世界から一人連れてきてもらう必要があります。でもその人は二度と帰れません。死んだのと同じことになります。」


リーフを「実」の世界に連れ帰る方法、それは人間を一人、言わば生贄に差し出すこと。

「でも、そんな人はいないですよね。死んでいい人なんて。」

カタルは今日、人を殺すために家を出たのだから、死んでいい人はたくさんいる。

だが、ここまで連れてくるとなると、カタルの対人関係の前提からして選択肢は限られる。

選択肢は・・・。


「リーフ、俺、なんとかするよ。だから俺を一度帰してくれ。」

「カタル・・・本当に?」

「ああ、また会いに来るよ。そして今度はキミを「実」の世界に連れていく。」

「嬉しい。ありがとう。じゃあまたね。」

そう言うと、リーフの全身から光が放たれ、あの時と同じ、緑の光の柱が出来上がった。

カタルが光の中に消える瞬間まで、二人は手を握り合っていた。


元の世界に戻ったカタル。

例のマンホールの前に立っていた。

蓋は閉じられていて、光の柱も消えている。

リーフと過ごした時間は3時間ほどだったはずだが、こちらの世界はすっかり夜になっていた。


カタルは一目散に向かった。

Gさんのところへ。

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