第2章 「友」と「光」

外は快晴とは言えないが青空が大半を占める爽やかな天気。

9月だが適当なポロシャツで表に出たカタルには少し肌寒い。


カタルが向かった先は自分を排除したIT企業。

家から徒歩15分程度の場所にある。

今日は誕生日であるが、世間的には休日というわけではない。

社員は普通に仕事をしている。


道中、それなりに人通りは多い。

カタルにとっては背景の一部に過ぎない人々の姿であるが、気にかけてしまう人物が二人だけいる。

実はこの二人、引きこもりのカタルが「友」と呼べる貴重な存在なのである。

いや、闇のような人生の中で、二筋の「光」と呼ぶべきであろうか。


一人は小中学校の同級生であるケンヂ。

カタルの家の目と鼻の先にある古風な家に住んでいる、体格のいい男である。

いわゆる不良であり、少年院にも二度入った。

20歳を過ぎても保護観察が続いていたが、今は仕事に就いている。

家の前の公道に面したスペースに、何やら大型な機械を並べて作業をしている。

そのため、カタルがたまに家の外に出るときは、必ずと言っていいほどケンヂの姿が見えるが、何の仕事をしているかを詳しく聞いたことはない。


人付き合いが全くできないカタルだが、ケンヂはカタルに声をかけてくれる。

また、ケンヂはカタルの風貌がどんなに見苦しくても、指摘をすることは一度もなかった。


この日もケンヂはカタルの姿に気付き、声をかけてきた。


「おはよう。」

カタルも返事をする。

「ああ、おはよう。」


「どこ行くんだ?」

「ああ、ちょっと。」

「そうか、気をつけてな。」


他愛のない会話をして通り過ぎる。

カタルがこれからしようとしていることなどケンヂは知る由も無いが、知ったとしてもケンヂは何も言わないでくれるだろう。


もう一人の友はかなりの老体である。

カタルの家から大通りに出るために必ず通る小道があるが、そこに段ボールの家を構えて暮らしている、いわゆるホームレスだ。

名前は知らないが、あだ名は「Gさん」。

テレビで何でもアルファベットで表現するタレントがいたのをヒントに、カタルとケンヂが小学生のときに付けたものだ。


どうやら年齢はちょうど80歳。

少し前、身内なのかよくわからない女性がまかないに来ていたときに、Gさんの年齢を口にしていた。

髪はほとんど抜け落ち、微かに残るのは細くなった白髪。

顔はシワだらけでたるんでおり、サンタクロースのような白髭だけが存在感を持つ。

痩せた手足に曲がった腰は、立つことすら困難に思える。

今では確かに年相応であるが、思えば、カタルとケンヂがこの老体と出会い、Gさんと名付けたのは二人が7歳のときであったから、当時のGさんは55歳。

現代で、55歳で爺さんと揶揄される大人は少ないだろうが、7歳の子供にはそう見えたのであろう。


カタルとケンヂがもう少し判断力がついている年齢であれば、Gさんの存在は怖いと感じたであろうが、まだ7歳の二人はGさんと仲良くなるには適度にピュアな心を持っていた。

怖いもの見たさでもなく、二人はGさんの作る段ボールの家に興味を持った。

Gさんの家に入って三人で遊んだ。

いつしか友達になっていた。

その後、年齢を重ねたカタルは、Gさんがホームレスだとわかり、その意味も理解したが、Gさんを避けることはなかった。


一度だけ、カタルはケンヂと一緒に、Gさんに悪戯をしたことがある。

拾ったライターで、Gさんの段ボールの家に火を点け、全焼させてしまったのだ。

Gさんは家の中にいなかったが、小道の中にあるGさんの家に火を点けたことで、近隣の住民が気付いて大騒ぎになり、消防車まで出動する事態となった。

次の日、Gさんは何事も無かったかのように、新しい家を構えていたが。


Gさんの口癖が一つだけある。

「少年よ、そんなに急いでどこへ行く?」

すでに少年ではなくなったカタルにもずっと同じ言葉をかけ続ける。

確かに、小道は狭いし、建物の陰に隠れて薄暗いため、なんだか気味が悪く、Gさんの前を通り過ぎるときは、若干小走りになっているのかもしれない。

子供の頃は怖くてなおさらそうなっていたのだろう。

そして今日のカタルは感情が昂ぶって、前のめりで歩いていたから、声をかけられるのは必然である。


「少年よ、そんなに・・・」

のんびりとしか喋れないGさんの声がそこまでしか聞こえないほどに、カタルの足取りは速かった。

「Gさん、ごめんな。」

そう呟くカタルの声も、きっとGさんには届かなかっただろう。


こうして、決意の日に二人の友と顔を合わせたカタルは、15分も経たずに例のIT企業の社員通用口の前まで辿り着いた。

そこは殺風景な目立たない場所であるが、一つだけ、誰の目も惹きつける物がある。

マンホールに女性の顔が描かれているのだ。

聞いたこともない名前のデザイナーが独特の感性で作った作品のようだ。


調べたところ、このマンホールの深さは10メートルらしい。

万が一、蓋がはずれて転落したら命はないだろう。


カタルの計画。


転落死。


このマンホールに、人が踏むとはずれる細工をしておく。

この会社の社員に事故に見せかけて死んでもらうことができるというわけだ。

8年前に直接的にカタルを排除した社員以外の人を死なせてしまう可能性はあるが、この空間にいる時点でカタルにとっては復讐の対象であった。


女性にフラれたばかりのカタルにとって、女性の顔を踏みつけて人が死ぬのは、復讐を二重に達成できる気がして痛快であった。

それにしても、なんとも稚拙な、消極的な殺し方である。

しかし、カタルにはこれしか考えられなかった。

カタルは人と接触することが不可能だからだ。

殺人願望が完成した今でも、その前提だけは変わることはない。


「はじめます」


もう一度呟いて、カタルはリュックから工具を取り出した。

マンホールを開ける開閉機、ネットで999円で売っていた。

両端に穴があるので、そこに引っかけて、後はレバーを上下するだけで、てこの原理で蓋が持ち上がる。

苦労するかと思いきや、すんなりと蓋が開く。

そして次は・・・


その時だった。


暗くて何も見えないマンホールの底から音もなく光が溢れてくる。

それは神々しいが決して眩しくはない緑の光。

地上を一瞬で通り過ぎ、青空を突き抜け、天まで昇っていった。

中腰の状態でマンホールを覗き込んでいたカタルは、上半身で光の円柱を出迎えるような格好となった。

「うわ・・・」

声を発する間もなく、全身が光に吸い寄せられ、飲み込まれていく。


この光の円柱を街の人々も見ているだろうか。

どこで見ていたとしても、眼前の風景を真っ直ぐに二分する絶対的な境界線。


瞬く間に、カタルは地上から消えていった。

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